14.インピッドの窟
広大な暗黒の空間──
その中でまたたくおびただしい数の光と、蠢く無数の影。
そこは銀河帝国そのものと言ってよかった。
昆虫型人類インピッドの母星〈紅石〉。
その地下深くにある行政窟は、言わばインピッドの『巣』だが、帝国を構成する全ての惑星国家と高次情報通信波で接続されており、各星系政府官庁の行政を支える膨大なデータ処理と計算を行っていた。
銀河皇帝と元老院の意志を反映させるために。
インピッドは、特殊な思念波と分泌される化学物質で繋がった群体が一つの巨大な頭脳となり、他の人類には不可能な早さと精緻さで膨大な数にのぼる星系国家の行政管理を行うことができた。だが彼らは管理はするが支配はしない。支配し、それら星々の進む道を決めるのは、銀河皇帝と元老院の仕事なのだ。
インピッドという種族の望みは、帝国との古い契約で定められたペースでの惑星〈紅石〉における繁殖とそのための安全の保証。ただそれだけだった。それ以外のいかなる富や権勢にも、彼らは無関心なのだ。
穿たれた無数の管制房席では昆虫人たちがヒト型人類など足元にも及ばない速度で仕事をこなしている。インピッドたちの時間感覚はヒト型のそれとかかけ離れて速く、一対一では普通にコミュニケーションを取ることもできない。
そして個体の寿命は極端に短く、約五年ほど。
他人種との交渉は、遺伝子レベルの条件付けと訓練によってその能力を身につけた〈対面者〉と呼ばれる者たちが当たっていた。
対する他人種の側も、彼らとの対話を担う者に〈対面者〉の肩書を与え任に就かせていた。
その元老院側〈対面者〉の代表であるコルナ・ラヴァン領事は、間も無く任期を終えようかというベテラン官僚だったが、任官以来最大と言っていい緊張を感じていた。
帝国を支える重要施設とはいえ、今までこの暗闇の洞窟に足を踏み入れようとする元老も貴族もいなかった。だが今日、突然、最高位にあたる賓客をここに迎えよという指示が上から届いたのだ。
インピッド側もそれは承知しており、高位の〈対面者〉が立ち会うことになっている。
一体、何の目的で彼らはここへやって来るのか。
ラヴァン領事は自分の対応で、帝国とインピッドの関係がこじれるような事態だけは避けなければという緊張を抑えるため、闇に澱む空気を大きく吸い込んだ。
上層部からのリフトが到着し、来客が行政窟に足を踏み入れた。
二人の少女を連れた仮面の貴婦人。その背後には屈強な帝国軍の将官が控えている。
ラヴァン領事は慇懃に声をかけた。
「レディ・ユリイラ……」
第一公家ラ家の当主は軽く手を挙げてラヴァンの脇をすり抜けると、構わず歩を進めた。その先には、いつの間にか窟の奥から一人のインピッドが現れていた。
ユリイラは親密さをにじませて昆虫人に話しかけた。
「わざわざのお出迎え恐れ入りますわ、ポリュシュク女公。貴女のような大物のお手間を取らせるつもりはなかったのに」
元老院議員でもあるインピッド側〈対面者〉代表の登場に、ラヴァンは緊張を募らせた。彼らも最高位の出迎えを用意したわけだ。
ポリュシュク女公は翻訳環越しに涼やかな声で挨拶した。
「こちらこそ、わざわざのお出まし恐縮です、レディ・ユリイラ。お目当てはうかがっております。どうぞ、心ゆくまでお過ごしください。必要なものがあれば何なりと……」
「感謝しますわ」
レディ・ユリイラは振り返ると、楽しげに窟の闇に瞬く光の海を見上げた。
一つひとつの光には明確な意味があり、それらを管制房席で読み対応するインピッドたちの操作にも明確な目的がある。いくらそれらの様子を見ていても常人には何の意味もないはずだ。
だが、レディ・ユリイラはそこに何を探すべきかはっきり知っているようだった。
そして、彼女と同じように仮面をかぶった二人の少女は、そんなユリイラの一挙手一投足から目を離そうとしない。岩のように逞しい帝国軍の男だけが、微動だにせず氷の沈黙を守っていた。
どれくらい時間が経っただろうか。
休憩も取らず星空のような窟内を見つめ続けるレディ・ユリイラの姿に、ラヴァン領事は心配になってきた。
何を探しているのかも分からぬが、そろそろ食事のすすめでもした方がよいのでは……。
そう思った時、窟の遥か上方で明らかに他とは違う紫色の光が一瞬閃いた。
それまで緩やかに動いていたレディ・ユリイラの首がそちらを鋭く見上げ、黒い手袋に包まれた細い指が光の消えた房席を指差す。
「あれね」
ラヴァンは初めて、来客が探していたものが何かを悟った。だが、それはあまりにも一瞬のことで、間違いなくそうである確信がない。
領事はあえて進言することにした。
「閣下、今の信号は誤発信かも知れませぬ。あまりにも短かったですし、生体情報の読み違えという可能性も……」
「あれです」
仮面の貴婦人はそう言うと、インピッドの元老に向き直った。
「目当てのものは見つかりました。ご協力に感謝します」
ポリュシュク女公は触角を震わせて、謝意に応えた。
「それはよろしゅうございました。時間は良き方向に流れそうですか?」
ラヴァンはポリュシュクの言葉に驚いた。
長年の経験から、インピッドたちが『時間』について何かを語る際、そこには深い意味があることを知っていたのだ。場合によっては、彼らの種族存亡や帝国との契約といった重大な事柄に結びつく話となる。
そして、ユリイラの答えはそれを受けて厳粛なものだった。
「まだ分かりません。全てが時の嵐にもまれ、我々を呑み尽くそうとするかもしれません。そうなっても〈尊き卵〉が護られることを願っています」
ユリイラの完璧な受け答えに、ラヴァンは感嘆の念を覚えた。
インピッドに嘘や無難なごまかしは御法度だ。その上で〈尊き卵〉という言葉に象徴される一族の未来は、何よりも重んじられる。
ユリイラはここで得た情報によって帝国に起こるであろう波乱を、包み隠さず明かしたのだ。領事としてのラヴァンの中に不安は残ったが、インピッドたちとの信頼が損なわれる事態だけは避けられそうだった。
ラ家当主とインピッドの元老は、胸元に手をかざして別れの挨拶を交わした。
ユリイラの指した房席をスコープで確認していた少女の片割れが、将官に告げた。
「ナバータ将軍、直ちに出撃準備を。目的地は惑星〈天翔樹〉です」
「かしこまりました」
来客は皆、風のように去り、ポリュシュク女公も窟の奥に消えた。
ひとり残され、まだ緊張が解けないラヴァン領事の脳裏には、一瞬で目に焼きついた紫色の光がまだ瞬いていた。
銀河皇帝の存在を示す光が。
* * *
頭上に瞬く光に、空里は目を奪われていた。
惑星〈天翔樹〉の巨大樹ギアラムの広大な葉を巡る水脈には、発光性の微生物が流れており、夜、上の葉階を見上げるとそれがさながら天の川のように見えるのだ。
「前を見て歩かないと危ないわよ」
ルパ・リュリが笑った。
チニチナの勤める「コークスの酒場」への道中である。ジャナクも一緒だが、シェンガはいない。彼は夕方になって、空里に伝言をよこしてきた。
「今夜は帰らないかもしれない。代わりの護衛が来るから心配するな」
久しぶりに会った仲間たちと親睦を深めているのかな? 代わりに来るのは多分ミマツーだろう。
ルパ・リュリたちもいるし、今夜はちょっと楽しんでも心配あるまい。
コークスの酒場はルパ・リュリの食堂より大きく、少々猥雑な雰囲気のする店だった。薄暗い灯りの下、不思議な匂いの香が焚きしめられている。フロアの中央にはステージのような段が設けられており、その周りでは楽師たちがエキゾチックな楽の音を鳴らしていた。
給仕はみな美しい半裸の女たちで、客のボックス席に着いてサービスしている者も多かった。
空里には、酒場というよりキャバクラに近い店のように感じられた。地球のキャバクラにも行ったことはないが……。
不安げな様子の空里にジャナクが声をかけた。
「こういう店は初めてか?」
「うん。なんか落ち着かないね」
「今夜はまだ静かな方だ。地元客が多いからな。好みの子がいたら声をかけてみろよ」
「え?」
「気が合えば相手してくれるぜ。女でも男でも、それ以外でもさ」
それ以外?
よく見ると確かに給仕は女性だけでなく、若い男の子も混じっていた。さらに、どちらともつかない、ちょっと人間離れした風貌の者もいる。雌雄同体とか、男女に収まらない性別を持つ種族なのだろう。
しかし、そういう人たちとこういう場所でどう遊べばいいのか、空里には見当もつかない。こんなことを皇冠に尋ねるのもはばかられた。
「アンジュは何飲む?」
ルパ・リュリが聞いた。
「あ、何かノンアルのものを」
「ノンアル?」
店の雰囲気に浮ついて、うっかり翻訳環が訳しきれない言葉を口にしてしまった。しっかり意味を意識しながら口にしないと、ただの固有名詞として伝わってしまうのだ。
「えと、軽めの飲み物お願いします」
「じゃあ、マリーシャカクテルでいいかな」
空里は一瞬ためらってから「うん」と言った。
未成年の飲酒になっちゃうけど、日本じゃないし。この帝国で一番偉い人間を咎める人もいないだろう。
オーダーを取りに来たオリーブ色の肌の女性は、ルパ・リュリと顔馴染みのようだった。ルパ・リュリは空里を紹介した。
「この娘、アンジュ。ご主人様はミン・ガンなのよ」
「ワオ! イカしてるじゃない。今度、ご主人も連れて来てよ」
そう言うと、オリーブの女は空里の頭を豊かな胸元に抱えて額にキスしてきた。
激しいなあ……でも、こういうおつきあいにも慣れなきゃ皇帝仕事も成り立たないかも……。
そんなことをしていると、楽師たちの演奏する音が大きくなり、照明の雰囲気が変わった。
フロア全体の灯りが落ちて、ステージ周りだけが一際明るくなる。
ショーの始まりだ。




