20☓☓年 動き出す運命
──20☓☓年 東京──
町外れの廃屋に複数の人々が集まっている。集まった人々は誰一人として口を開かず、場には暗澹とした空気が漂っている。
眼鏡をかけた若い男、恰幅の良い中年男性、糸目の青年、車椅子に座った若い女性、地面に両手をついて蹲る若い男、派手な化粧の女、暗い瞳の少女、体格のいい大柄の男性、顔に傷のある不良風の男……。
そこに集まった人々は様々で、彼等は職種も、年齢も、性別も、その信条すらも、何もかもが異なる集団だった。しかし、彼等にはただ一点のみ共通する部分があった。
それは、皆一様に悪魔に魅入られていると言うこと。誰もがその心の奥底に悪意をたたえ、艷やかな魂を穢れで満たしているという点で彼らは共通していた。
「俺はこの世界が滅べばいいと思っているよ」
集団の中、眼鏡をかけた若い男がおもむろに口を開く。眼鏡の奥の瞳はひたすらに昏く、まるでこの世の全てを呪っているかのような暗黒に満ちていた。
「……そう、だね」「…………」
彼の発言にいくらかの人々が賛同の意を示す。世界は滅ぶべき、未来に希望を持てない人々の暗黒に満ちた願いが場に集う。
転生が彼らを集めた時、彼女は彼らに告げていた。将来に絶望した若者たちを誘う甘言、この世界を滅茶苦茶にしてしまう方法を。
もしも世界が憎いのなら、もしも輪廻を殺し私という悪魔を魂の楔から解き放ったのなら、もしも神の御子を抹殺せしめたのなら、きっとこの世は君の望む暗黒におちるだろうね、と。
彼等はその言葉を信じ、世界の滅亡を心待ちしている子供達なのだった。
しかし、彼等は信条すらも異なる集団。その言葉を聞いていた糸目の男が頭を振って、彼らに向かって口を開いた。
「いやいや、僕は反対だなぁ剣くん。だって世界が滅んだら、これ以上お金が稼げなくなっちゃうじゃないか」
「ほっほっほ! 然り然り!」
彼の発言に、恰幅の良い男が同意する。それを聞いた糸目の男は口角をあげ、恰幅の良い男にいかにもな笑顔を向けてわざとらしく微笑んだ。
「やぁ嬉しいな、レドリアーヌさんもそう思うかい?」
「勿論ですともジョンさん。やはり富は細く長く絞るに限る」
ジョンと呼ばれた糸目の男の浮かべふわざとらしい笑顔に対し、レドリアーヌと呼ばれた恰幅の良い男もまた笑みを向ける。その様子を若い眼鏡の男──、剣が憎々しげに眺めている。
ジョンは視線に気が付くと、グググとイヤらしい笑顔を強め、剣の方へと向き直り軽口を叩く。
「おや剣くん、どうしたんだいそんな恨みがましい目で見て、貧乏浪人生くんには少し難しい話だったかな? ククク、受験の失敗程度で世界滅亡を望むなんて君、子供だよねぇ」
その言葉を聞いた剣は眉間にシワを寄せ、ジョンを真正面から睨めつける。ピリピリとした空気が場に広がる。
「……テメェ、喧嘩売ってんのか?」
「いくら出す? 額面によっては売ってやらない事もないけど」
廃屋の隅で巻き起こった小さな対立。それを周囲の人々はやれやれと言った顔で眺めている。
この程度の小競り合いは、彼らにとって全く珍しくない日常なのだ。異なる感性、異なる信条を持つ集団。それだけに、彼らは全くそりが合わない様子だった。
暫しの睨み合いのあと、「チッ!」と剣が舌打ちをし、おもむろに立ち上がった。そして振り返り、出口に向かって歩いていく。
「うぜーんだよ三日月テメェ! いつまでも根暗に這いつくばってんじゃねーぞ!!」
「ぎゃん!」
その道中、地面に両手をついて蹲っていた若い男の腹を蹴り飛ばす。腹を蹴り飛ばされた男は小さく悲鳴を上げ、両手を投げ出し脚を丸めて蹲る。
その様子をジョンはおやおやと言った顔で眺めていた。
「うーん、彼はガチガチの滅亡派みたいだねぇ。怒られちゃったよ」
剣の後ろ姿を見送ったジョンが、張り付いた笑顔を崩さずポツリと呟く。そんな彼の両肩にするりと手が置かれる。艶めかしい手付きでジョンの肩に触れている派手な化粧の女性が口を開き、艶っぽい声音でジョンを軽く嗜めた。
「こぉら、若い男の子においたしないの。あの位の年齢じゃ、ああいう考えになるのも仕方無いじゃないねぇ? 彼もその内分かるわよ。この子達の一人でも殺して転生ちゃんからお金を貰えば、お金の価値は嫌でもね」
そう言って女は片手で小さなメモ帳を取り出した。そこには輪廻とその仲間達、彼等の写真とそれに応じた何らかの数字が貼り付けてある。
ジョンは横目でその手帳を眺め、そしてニヤリと怪しく笑う。
「あの子も太っ腹よねぇ。子供一人殺すだけでこんなに大金払うって言うんだもの。それも事後処理は全て担当するだなんて、手厚い保証まで付いて」
「ふふふ、ボロい商売だねぇ」
大人達がクスクスと笑う。その顔は先程までの作り上げられたような笑顔ではなく、腹の底から沸き上がったような、純粋に邪悪な笑顔であった。
これは転生が撒いたもう一つの種。天使の啓示を受けた人々へかけられた賞金を目当てに彼等は殺しを選択した。得た能力によって行われる、ビジネスとしての殺しを。
そう、だから彼等は殺すのだ。神の御子に超滅されない為に殺す。世界を滅茶苦茶にしてやりたいから殺す。彼等に掛けられた懸賞金が欲しいから殺す。悪魔の甘言に従うままに殺す。恨みがあるから殺す。廃屋に集まった人々は各々勝手な理由を掲げ、輪廻達を殺そうと、その意志を一つにまとめあげていた。
「……私は全部、どうでもいい」
その傍らで、車椅子がキィキィと音を立てて揺れていた。
朝、気持ちの良い朝。清冽な空気の香る涼やかな空間に、太陽の淡い光が溶け込むように差している。空には雲ひとつない青が、ただひたすらに広がっていた。
……しかし今ここには、そんな麗しい日曜の朝にまるで似つかわしくないシュプレヒコールが響いている。
「朝練、はんたーーい!!」
「我々は、朝は、寝たーーい!!」
二階のとある一室、鍵をかけられた扉の奥で二人分の声が響く。僕はドアをガンガンとノックして部屋に閉じこもる幸太郎と乙女に向けて怒声を浴びせる。
「バカを言うな、これは君たちの為でもあるんだぞ! 早く庭に降りて来るんだ! あのものぐさなアナスタシアや、君たちよりずっと年下の花丸でさえ真面目に訓練していると言うのに、恥ずかしいとは思わないのか!」
しかしどれほど説得しようとも、依然扉は固く閉められたまま二人が出てくる気配はなかった。扉の奥では今も文句の声が響いている。
二人がこうまで拒否しているのは、二人の言葉を借りるのであればいわば朝練。僕が彼らに課している労役の一つであり、戦いの為の特訓だ。僕の不幸に巻き込まれた彼等が、万が一の時に自分の力で対応できるように僕が師事する時間である。
しかし彼等はどうやら、彼等が我が家に来てから連日続いている訓練の日々に嫌気が差し、ついにボイコットを決める腹積もりらしい。
扉の奥から二人の反論の声が響く。
「良いじゃねーか日曜の朝くらい! いつもお前らの学校帰りにさんざ訓練? してんだからよ!」
「そーだそーだ! 大体、守られる為にここに来たあたしに訓練だなんて、んなのちゃんちゃらおかしーぜ!」
彼等の反論を聞き、僕はついに扉をノックする手を止めた。そしてついつい笑顔になって、ほんの少し青筋立てて、右手の腕輪をこすりだす。
「なるほど君達の言い分はよく分かった。ところでもし忘れているようなら申し訳ないのだけれど、ここが誰の家で、僕がどんな力を持っているのか、少しでいいから思い出してくれたら嬉しいな」
腕輪はグググと変形しまるで鍵のような形になると……、次の瞬間、家中に聞こえるような声量で二人の喚き声が響いたのだった。
古民家の中庭に掛け声が響いている。複数の少年少女が小さな中庭を駆け回り、各々に課した訓練に勤しんでいる。……たまに、僅かな恨み節も聞こえる。
そんな庭の隅ではアナスタシアが朝から素振りと足運びの練習を繰り返していた。
「いいなアナスタシア、大分形になってきた。これならすぐにでも実戦で通用するかも知れない」
「本当ですか!」
アナスタシアは素振りをしながら、パッと笑顔になって僕を見る。僕は微笑み大きく首を縦に振った。彼女はキュッとつぐませていた口元を緩ませ、そしてより一層稽古に打ち込み始める。木刀が風を切る音が小気味よく響く。その様子をランニング中の二人がじっと見ているのを背中で感じる。
そう、これは本心からの一言ではあるが半ばあてつけ。庭の外周を駆けながら、時折僕を恨みがましく見つめる二人に対する圧でもあった。少しは真面目にやっている人間を見習えと言う圧。これで少しは意欲をみせてくれればいいんだが。
しかしそれはそれとして、アナスタシアの剣は確かに随分と上達した。いや元々非常に高い水準の剣技ではあったから、良く調整したと言うべきかもしれないが。
ひょっとしたら、源流が同じなのかも知れない。こうしてみると彼女の剣は僕の剣に良く似ている。
「あの、走り込み、終わりました!」
今度は後ろから声が聞こえる。二人に混じって庭の外周をパタパタと走り回っていた花丸が、課した時間を終えて戻ってきたのだ。
まだ子供の花丸に必要なものは第一に体力。そして第二に戦う技術。もしもの時に走って逃げられるだけの体力がまず必要だろうと僕は思う。
彼女はいずれも未熟な9歳児ではあるが、しかしながら戦う技術に関しては既に一つの素養を持っていた。
「ん、そうか。じゃあ次は太極拳の練習だね」
「はいっ!」
元気のいい返事を聞き、僕はニコリと笑顔になる。
──太極拳。それは彼女が数年間欠かさずに行ってきた健康体操。元はりんか婆ちゃんが始めた事だったようだけれど、その内花丸も婆ちゃんに習って二人一緒に毎朝型を繰り返してきたのだと言う。
数日前、花丸が一先ず僕の家へと通うようになったある日、僕はその光景を目にしていた。朝霧の中、光に包まれながらもゆるりと揺蕩うその光景は、僕の心を僅かに打った。
彼女は確かにりんか婆ちゃんの魂を継いでいる。その限りなく清浄な魂の揺らぎは、1000年の穢れをまとった僕の魂にはあまりにも高潔に映ったものだった。
実際のところ、太極拳と言うものは中々どうして大した武術だ。今日では健康体操程度の認識しかない太極拳だが、それはあくまで国家によって規制された国家制定拳、スポーツとしての太極拳だ。
本来の太極拳もっと実践的なそれであり、伝統拳と呼ばれ区別される。攻防一体、匠の拳だ。規制前の伝統拳に関しては僕にして僅かな功夫しか持たないが、きちんと育てればきっと彼女の力となるだろう。
少なくとも、悪人に限り触れれば勝てる彼女の『奇跡』に関しては恐らくは非常に適した武術となるはずだ。
僕の目の前で彼女は演舞を繰り返す。僕はその彼女の前に立ち、今度は二人で推手(二人で向き合い一連の攻防を繰り返す太極拳の練習法)を繰り返す。その中で、スポーツ化された太極拳をより実践的なものへと作り変えていく。
彼女の中には既に武術の種が芽吹いている。きっとそう時間はかからないだろう。僕達はゆったりとした時間の中、まるで長い時を超えたかのように延々と技を出し合った。
「さて、待たせたね幸太郎」
「いや待ってねぇ待ってねぇ。来なくていい」
朝のランニングを終えた幸太郎に近付いて声をかける。幸太郎はブンブンと頭を振り僕を遠ざけようとする。
「君の格闘センスは天性のものだ。だから僕は君には特に何かを指導するつもりはない。とにかく実戦あるのみだ」
「いやそんな事はねぇ、俺に足りないのは体力かも知れねぇ。やっぱりもっと走って来ようか?」
幸太郎はジリジリと後ずさりして、僕からわずかに距離を取る。そんな幸太郎に僕はジリジリと近づいていく。
僕が幸太郎に課した訓練は2つ。走り込みによる体力の向上と、そして僕との模擬戦だ。彼の格闘センスは図抜けている。僕の頬に傷をつけた事、曲がりなりにもあの転生と格闘戦を繰り広げた事、僕は高く評価している。
そう、彼には強くなって貰わなければならない。そうでなければいけない理由がある。
「……幸太郎。転生に負けたこと、悔しくはないのか?」
「…………」
後ずさりする彼の足がピタリと止まる。
「君には、守りたいものがあるんじゃないのか?」
「……ああ」
冷や汗を垂らしながら僅かに怯えていた表情がキッと締まり、真剣な眼差しに変わる。
「ならば強くなるべきだ。その為ならば僕は協力してあげられる。幸太郎、君はこの中で僕を除き唯一の男だ。なるべく全て僕が戦うつもりだが、もしもその時が来るとするなら僕は君が戦うべきだと思っている」
戦う。それは今の時代においては非日常だ。命のやり取りをするという事に大概の人が慣れていない。しかし幸太郎は既に一度死の間際を経験している。彼には戦う意思が既にあると、そう思う。
それに何より彼は男だ。男は何かの為に戦うべき、現代においては閉じた価値観なのもしれないが、やはり僕はそう思う。……巻き込んだ身で言うのもなんではあるが。
「……分かってる、頼むぜ輪廻。でもそのなんだ、……あんまり痛くしないでくれよ?」
僕は彼の言葉に深くうなずき、そして僅かに怯えの見えるその瞳を見つめてニコリと笑った。
「ああ勿論、努力するよ」
そうして庭の隅で始まった徒手での試合。果敢に僕へ挑み、何度も地面へと転がされる幸太郎。その度に立ち上がり挑み続けるその姿を、そして走り込みを続ける乙女が眺めていた。
「おーおー二人共、男の子だねぇ」
「さて、じゃあ僕は花丸の家に行ってくるから後は好きにしてくれていいよ。何かあったら連絡してくれ」
「……はーい」
家の門を開くと、輪廻は後ろを振り向き声をかける。その言葉に地面から元気のない返事が返る。彼は地面に転がる数体の人々を一瞥すると、花丸を伴い出掛けていった。
彼が去ったあと、地面に転がった人々が息を切らせつつ口を開く。
「ああ今日も、キツかった」
「修行なんて辛いものです、当たり前。それでも私はやりますよ。なりたい私がありますから」
幸太郎がぼやき、アナスタシアが返事をする。乙女がを縁側に座り、その二人を見つめている。アナスタシアも半身を起こし、身体の汚れをパッパと叩く。そんなアナスタシアを幸太郎がじっと見つめる。
「なぁお前、怖くはないのか? どんな人生歩んできたかは知らねぇが、少なくとも殺し合いなんて無かったろ? 俺は知ったよ。……怖いぜ、命の奪い合いなんていうのは。殺されるのも、殺すのもな」
アナスタシアは幸太郎の言葉を聞き、視線を幸太郎に移す。そしてしばし見つめ合った後、ふと視線を前に戻すと遠い顔をして語りだす。
「私は人が好きです。無情に命が奪われることは嫌いです。平和が好きで、それが脅かされることに恐怖を感じます。それでも、一体なぜなのか、私にもわからないのですが……、何故か悪魔と戦う事には恐怖がありません。私の中にストンと収まるような何かがある、何かが……」
アナスタシアは手元を見つめ、じっと何かを考え込む。自分のルーツを辿り、自分の中身を探っている。
『私は一体何なのか』、それは彼女がずっと探し続けている自分だった。輪廻の元に無理矢理転がり込んでまで探し続ける『なりたい私』。その実態を彼女は掴みかねている。
そんな二人の会話を乙女がじっと見つめ、立てた肘に顎を乗っけながら口を開く。
「悪魔と戦う、ね。我ながら変なもんに巻き込まれたって思うぜ」
アナスタシアが振り返り、幸太郎が地面に体を放り出したまま首だけを乙女に向ける。
「でも、何でかな。あたしもそんなに違和感ねーや。実際に襲われたから……? いや、何だろう。遠い昔にこんなこと、前にもあった気がするぜ」
乙女もまた遠い目をして呟くように語った。
悪魔と戦う。悪魔に魅入られた人々と戦う。そんな圧倒的な非日常が、今や彼らの日常となろうとしている。
そして彼らはそれを受け入れようとしている。天使と悪魔が互いに反発するように、光に惹かれ引き合うように、運命に導かれるように彼らは戦う。
サタンと遭遇した事により彼等の神性は揺り動かされ、運命は動き出していた。
時を同じくして、神宮の杜に降り立つ影が一つ。
狩人のような鋭い眼光を備える、精悍な雰囲気を称える少年が森を鋭く見つめていた。艶のある髪が妖しくたなびく。
少年の名前は大鶴 弓。彼はその鋭い瞳で森を観察し、獲物の痕跡を探っている。
新たな驚異は確実に彼らの元へと伸びていた。




