13☓☓年 夢と、炎と、罪の果実。
東南アジアの小さな島で、森が激しく燃え盛っている。
炎は轟々と音を響かせながら怪しくゆらぎ、まるで意思を持っているかの様にうごめいていた。
「くそっ、一体どうなってる!?」
その炎から逃げるようにして、僕は森の中を駆けぬける。炎は僕を追い立てるかのように、周囲を飲み込み迫ってくる。
「待ちやがれリィンカ!」
「ああもう、邪魔をするなッ!」
木の影から飛び出し、目の前に立ち塞がった一人の村人。僕は速度を緩めずに突っ込んで、彼を木剣で叩いて弾き飛ばす。
何メートルか吹き飛ばされた村人は、木に身体を打ち付けて小さく呻き、そしてズズッと地面に崩れ落ちたあと恨めしい目で僕を睨みつけた。
これまでに何度もあった、小さな衝突。
僕は気にも留めずに彼の脇を駆け抜けていく。
──しかし、次の瞬間。
辺りを包んでいた炎が急にぐわっと膨らみ、その村人を包み込んだ。炎の中から火に巻かれた村人の断末魔の悲鳴が響く。
僕はぎょっとして立ち止まり、彼に向き直って炎を見つめる。単なる自然現象としては、明らかに不可思議な挙動。
村人は立ち上がって全身をかきむしり、少しでも炎から逃れようと身体を擦って暴れている。
「なんッ、だこれ! 熱い、熱いィ! あああああ! テンセル! 助けろテンセル! お前が炎ッ、操れるんじゃ! ないのかッッ!!」
炎の中から断続的に叫び声が響く。しかしまるで生きているかのように蠢く炎は、しがみつくようにして彼から決して離れようとしなかった。
衣服と共に焼け落ちて地面に転がった炎ですら、やはり意思を持っているかのように地面をうごめき、そして再び村人へと襲いかる。
戦慄の光景。
やがて彼の叫び声すらも、まるで焼き切られたかのようにプツンと途切れ、それと同時に炎がざぁっと彼の体から離れていく。そしてその場には、炭化したかつて人体だったものだけが残された。
あまりにも酷い、この世で最も凄惨な死の一つ。
その悍ましく、衝撃的な光景に目を逸らすことが出来なかった僕は、しかし次の瞬間さらなる衝撃を味わった。
──炭と化し蹲るようにして息絶えた村人が、僕の目の前でひとりでに動き出し、ゆっくりと立ち上がったのだ。
ジャリジャリと不快な音を立てながら立ち上がったそれは、首をギギギと動して、炭化した瞳で僕を見つめる。
衝撃だった。目の前で、明らかにこの世ならざる出来事が起こっている。僕は身動き一つ取れず、目の前の光景から目を逸らさずにいるだけで精一杯だった。
炭となった村人もまた僕から決して視線をそらさず、そしてゆっくりと口を開いた。
『──アナタガ、神ノ御子デスネ?』
ジャリジャリと炭が擦れる音があたりに響く。不快な音に思わず顔を歪ませる。
訳が分からなかった。今僕と相対している彼は、もはや明らかにこの世のものではない。その魂さえもが、さっきまでの彼とは全く異なる。
「だったら、なんだと言うんだ」
その炭の塊に、僕は恐る恐る返事をした。
僕を取り巻く炎にも最大限の警戒をしつつ、彼の一挙手一投足に気を払う。
そして、その時、たしかに僕は見たのだ。完全に炭と化したはずの彼の口元が怪しく呻き、邪悪な笑みを浮かべるのを。彼の後ろに広がる炎が形を変えて、この世の悪意を煮詰めたような化物へと姿を変えるのを。
『──ウフフフフフ。デアルナラバ、アナタガ死ネバ、救イハ無クナル。私ノ世界ガ訪レル。フフフフフ、忌マワシイ神ノ下僕ナド、私ガ殺シテ差シ上ゲマショウ』
炭の塊は最後にそう口にすると、そのままザァッと砕けて灰となって散っていった。そして、それと同時に炎が再度胎動し、辺りをグングンと飲み込んでいく。
僕は再び駆け出した。
今確かにここにいる、姿の見えない化物から逃げ惑いながら。
「馬鹿な! 何で火なんか放った!」
森の中腹、せり出た小高い丘の上で私は叫んでいた。眼前の光景を未だ受け入れることが出来ず取り乱す。
「スィンムナヤだ! 俺は見ていた、火を放ったのはスィンムナヤだ!!」
目の前で燃え盛る炎。それを私の後ろで見ていた取り巻き達が騒ぎ出す。
──スィンムナヤ。それはこの村で最年少の少年の名前だ。
年齢の近さもあってか、私に酷く懐いていた男の子。いや、あれは信奉していたと言うのが正しかったのかも知れない。
私のやる事なす事、そのすべてを全肯定。扱いやすく従順なのでそれなりに重宝したが、少しだけ不気味な印象を感じていた。
私が私の口にした通りの神であったなら、まさしく彼は熱心な教徒だと言えただろう。しかし、悪魔の私を心から信奉する彼は、まさしく悪魔に魅入られた少年だったと言いかえるべきなのかも知れない。
かつて私が操った炎。その熱にあてられたかのように、怪しい瞳で炎を見つめ続けていた姿が脳裏に浮かぶ。
そんな彼が森に火を放ったとするならば、そこにはどんな意味を持つ? 彼らにとって、炎とはどんな意味だ?
炎は信仰の象徴で、祈りを捧げるべき対象。
つまり、これは儀式だ。神域に住まう者達へ祈りを届ける儀式。
ならば、悪魔に魅入られた彼は、一体何にどんな願いを捧げたのだろうか?
ふいに頭の中にザザッと映像が走る。300年前の淡い記憶が脳裏に映る。
炎に当てられた怪しい瞳で、一つの赤子を眺める複数の人影。怪しく揺らめきながら赤子を取り囲んだその人影は、大きな怒声と共に激しく揺らめき、そしてその場にいた白く輝く魂が纏ったケガレと、怨嗟の呻きに応じるように、影は赤子へと伸びたのだった。
そしてその時、私は確かに見ていたんだ。黒い服を身に纏った身の丈八尺を超えるような大男が、邪悪な笑みを浮かべて私を見下していた、そんな光景を。
急に動悸が激しくなる。輪廻と殺し合う時のような、跳ね上がりたくなるような動悸とは違う。刺すような苦しみを伴う動悸。
まるで不安が身を滅ぼすかのような、破滅的な鼓動が響く。
目の前で燃え盛る炎。それはどんどんとその勢いを増してゆき、遂には天をも焦がすほどに高く立ち昇った。そして、立ち昇った炎はまるで意思があるかのように、グネグネと形を変えていく。
私は、目を見開いてその光景をただ眺めていた。村人達も同様に、唖然として声もあげられずにいる。
そして私達は、確かにそれを見てしまった。
天高く立ち上った炎がかたどった、怪しく佇む化物の姿を。
両の手を胸元で組んで佇む、二本の角の生えた大男。そう、ヤツの名前は──!
「──悪魔」
天から、燃え盛る手のひらが降ってくる。空に佇む悪魔が、僕の行く手を遮ろうと手を伸ばす。
僕は走った。ただただ走った。森に身を隠し、炎を避けながら森の中を駆け抜ける。
強い熱に当てられた木々は、まるで蒸発するかのように即座に乾き、そして激しく燃え盛った。ジュウウと音を立てて、蒸気が空に立ち上ってゆく。
もはや、僕を追い立てる村人達はいなかった。皆が雲の子を散らすように逃げ惑い、そして何人かが炎に巻かれて息絶えるのが目に映った。
そして今、村人達よりずっと恐ろしい何かが僕を執拗に追い立てている。
もしも奴に追いつかれ、炎に巻かれたとしたなら一体僕はどうなるのだろう?
僕達の魂を断ち切れる存在、僕はそれをお互いのみであると理解していた。しかし、この世のものならざるあの悪魔に、果たしてこの世の理が通じるのだろうか?
ふいに、全身に身震いが走る。生まれて初めて感じた本当の死の恐怖に、身体が怯えているのが分かる。
そして同時に、ある強い思いが僕の胸を強く打つ。
それは、かつての人生。数百年前の願い。
──生きることは苦しい、それでも僕は生きたい。もっと生きたい。
「──輪廻ッ!」
ふいに、目の前に転生が現れた。炎から逃げ惑う中訪れた、偶然の邂逅。
僕は無意識に手を伸ばしていた。そして転生もまた、おそらくは無意識に、僕達は互いに手を取った。そしてどちらともなく走り出す。
二人で手を繋いで、森の中を必死に逃げ惑いながら駆け抜けた。
そう、僕達は生きたい。
──出来ることなら、二人で。
輪廻、輪廻だっ! 確かに輪廻だ!
今私の目の前に、私のよく知る背中が見える。大きくて暖かい、私の陽だまり。
今この島に何が起こっているのか、それは分からない。でも、私がかつて憧れて、そして欲したあの日の彼は今確かにここに居る。
私は彼が憎い。心から憎い。
私はいつだって一人だったのに、彼はいつだって誰かと一緒に生きていて。
彼を追いかけて追いかけて、やっと叶った二人だけの時間ですら、彼は簡単に置いていってしまうから。
私は私の弱さが憎い。心から憎い。
彼と私の、他の誰もが立ち入れない二人だけの時間。運命に沿って殺し合うその時間を、私の弱さが台無しにした。
1000年かけて、殺し合う。あなたと並ぶ強さを持って。
そうしてこそ、私達は永遠を生きる事ができるのに。
二人で手を繋ぎ、森を駆ける。
後ろにおいていった私の部下たちが、唖然とした顔で何事かを叫んだあと、炎に巻かれていったのが見えた。
輪廻は振り返り少しだけ眉を細めていたけれど、私は何故だか俯いたまま顔を上げることができなかった。
山の上から怪しい呪文が島中に響いているのがうっすら聞こえた。
空から炎の手が迫る。もはや焼け野原と化したその森で、二人で炎から逃げ惑う。
目の前に迫った炎の手を、輪廻が木刀をかまいたちのような鋭さで振り抜き、断つ。切断された炎は霧散して、しかしすぐに炎はさらなる勢いを取り戻して迫ってくる。
空から雨のように降り注ぐ火の粉。私はそれを即席のクロスボウで撃ち落とす。砕けた炎がより細かくなって辺りに散っていく。
青々と繁っていた森がすっかり赤茶けた土地へと変わり、しかしその荒涼とした大地を二人でかける。
寂しさは無かった。荒涼とした世界には慣れたものだった。
辺りは身を焦がすほどに熱かったが、それでも繋いだ右手はそれ以上に熱かった。
私達は今生きている。生きている実感がある。
二人で手を繋いで、私達は私達の運命から何処までも逃げ続けた。
その時、炎が大きく胎動し、悪魔がゆらりと立ち上がった。
そして身体をそのまま倒れ込ませるように、面となって空から迫る。ああ、逃げ場がない。
輪廻が額に冷や汗を垂らして、歯噛みをする。迫る炎を睨みつけ、必死に次善の手を考えている。
そんな輪廻を見つめながら、しかし私は、このまま二人で死ぬのも悪くはないかなって、そんなことを考えた。
その時、ふいに一陣の風が吹いた。
その風は島のすべてを駆け抜けてやがて一箇所に集まると、ゴウゴウと轟いて私達に迫る悪魔を吹き返した。
そして炎を逆巻かせながら、悪魔に向かって吹き上がる。
私達は驚いた。心底驚いて、そしてその場に立ち止まって立ち昇る炎をただ見つめた。
風が炎を纏い、そして炎がかたどる悪魔と組み合っている。風が纏った炎がほのかに示す輪郭が、その風がどんな姿をしているのかを示してくれた。
神秘的な雰囲気を醸す線の細い輪郭。悪魔とがっぷり4つで組み合う彼のその背中には、6枚の翼が生えている。
「──熾天使だ。あれは最上級の天使、メタトロンだ」
私の隣で輪廻が呟いた。一筋の風と共に舞い降りた救いの御手。
目の前で、自然の姿を借りて、悪魔の長と天使の長が組み合っている。その神秘的な光景に、私達はただただそれを見つめる他は無かった。
島には怪しい呪文が響く。
その時、ふと私は気づく。そうか、時計うさぎの言っていた、彼らの見た夢とはこれだったのか。
そう、遠目から見た組み合う2つの像の姿は確かに、火を吹いて空を飛び回る八本腕に二本の角の生えた化物に見えたのだった。
悪魔と天使の戦いは長くに及んだ。
お互いに譲らず、押し合い圧し合う壮大な戦い。風と炎が絡み合い、火災旋風となってあたりに火の粉をちらしていく。そしてその火の粉を、風が掬い上げて空の彼方に消していく。
炎はバチバチと音を立て、風すらも燃やし尽くそうとうねる。風もまた炎を消し飛ばすべくビュウビュウとざわめく。
私達は手を繋ぎ、横並びになってその戦いを見守った。
振り下ろされる炎の鉄拳。それを軽くいなし、そして吹き荒れる旋風。彼らの一挙手一投足に、僕達は決して視線をそらすことができなかった。
風と炎が結んだ、天と地を繋ぐ一本の火災旋風。それはとにかく幻想的な光景であったのだった。
ほどなく、立ち昇る旋風は2つに別れる。そして炎はパチパチと音を立て、風はビュウビュウとざわめいた。
2つの音は旋律を奏でるが如く、音が音を呼ぶようにしてざわめきあう。
「これは、会話だ」
ふと、隣で輪廻がつぶやくようにそう口にした。私は思わず彼に尋ねる。
「分かるの?」
「分かる、風が囁いてる。『神の御子は殺させやしない、歪んだこの世には祝福が必要なのだ。悪魔の好きになどさせやしない』......そう言ってる」
私は彼の横顔をまじまじと見つめ、それを聞いていた。そんな私を彼が横目でチラリと見つめ、ふと目が合ったことで途端に気恥ずかしくなって、ばっと炎に向き直る。
そんな私に、輪廻は横目で見つめたまま声をかける。
「転生、君は聞こえなかったのか? 僕には風の声しか、天使の声しか分からない。でも君なら、悪魔の声が聞こえるんじゃないのか?」
私は横目でちらりと彼を見つめ、そして炎をもう一度見つめる。パチパチという音が相変わらず周囲に響く。すると、ふいに私の頭の中に音が響いた。
パチパチと弾けるような音が私の頭の中を反響している。そしてその音は、次第に頭の中で言葉へと形を変えていき──。
その瞬間、私の鼓動は高鳴った。さっきまでの甘い響きとは異なる鼓動。
衝撃におののく私の視線の先、炎がかたどる悪魔が、ニヤリと笑っているかに見えた。
「転生、あいつはなんて?」
輪廻が私に問いかける。だから、私は答えた。
「......ううん、別に、何も」
天と地の間で行われたその決戦は、一体どれほどの間続いていたのだろうか。
一刻、いやニ刻。
ともすれば、永遠に続くかとすら思われた天魔の争いは、しかして唐突に終わりを迎えることとなった。
私はふと気付いた。
燃え盛る炎が生み出した熱の中、握りしめた手がじんわり汗で湿っていることに。つい先程まで私達は乾くに乾き、一滴の汗も出ないほどの熱にうなされていたというのに。
ふと周りに気を配ると、炎が燃え盛りすっかり乾いたその土地に、ほんの少しだけ湿り気が戻っているのが分かった。肌をジリジリと焼いていた炎が、もったりと熱を持って私達の身体をじんじんと攻め立てている。
カラカラに乾いていたはずの喉が少しだけ潤っていて。握りしめた手だけでなく、肌にもじんわりと汗が吹き出る。
ふと、輪廻が何かに気がついて上を向いた。
そして手を伸ばし、何かを探るように空を睨みつけている。
次の瞬間、私の耳に『ポツリ』といった音が届く。音のした場所に目をやると、地面に小さく丸い跡がついている。
そして次々と『ポツリ』が空から降ってきて、間もなくそれは『ザァザァ』と音を変えたのだった。
──雨だ。雨が降っている。
激しく燃え盛った炎が木々を燃やし、そこから溢れた水分が蒸気となって大気に満ち、それが遂に雲となり雨となって降り注いだのだ。
凄まじい勢いで降り注いだ雨が、炎を次々と鎮火していく。
悪魔もまた、その身体を構築していた炎をみるみると小さくしていき、そしてついには消え去った。
それを見届けた天使もまた、もとの風へと戻って空の彼方に吹き去ってゆく。
風は雨雲を散らし、叩きつけるように降り注いだ雨雲に切れ間を作る。そしてその切れ間から放射状の光が降り注いだ。
──薄明光線。それは美しい光の柱。
焼け野原を光が飾り、島は神秘的に輝いた。
海はキラキラと輝き、空は神秘的に光の筋を落としている。風は優しくそよぎ、散る灰すらも光を反射しきらめいた。
......静かな空間。なんだか時間がとてもゆっくりに感じる。
ふと輪廻に視線を向けると、同じタイミングで輪廻もこちらに視線を送る。輪廻と、目が合う。
世界の果てでたった二人。なんだかとても、そんな気分。
「キェエエエエエィイイーーーッッッ!!」
そんな静寂を、けたたましい怪鳥のような声が切り裂いた。
驚いて身体がビクンと跳ねる。繋いだ手から輪廻の驚きもついでに伝わる。
二人で後ろを振り向いて、声の先、山の中腹にある村を見つめた。するとそこには、まぁ分かりきっていたことだけど、彼が居た。
かつての私の父であり、そして少し前まで村の神官だった男。
おはよう、リトマス。すっかり元気になったようで、私はとっても腹がたったよ。
さっきからちょくちょく森に響いていた怪しい呪文も、さてはあれもお前だな?
「皆のもの! 見よ! 我が祈りが雨を降らし、悪しき炎を消し去った、この奇跡を見よ!!」
リトマスは村の中腹から、それはよく通る声で叫んだ。それを輪廻が訝しげな顔で眺めている。
「彼は?」
「あれはリトマス、この村の神官だよ。私に族長の座を奪われた、人望も権力も無いただの出枯らしだよ」
輪廻の問いかけに私は答える。それにふーん、とつぶやく輪廻。
リトマスは相変わらずの調子で叫び続ける。
「自然の怒りが引き起こす、悲劇! 君たちもそれを目の当たりにしたことだろう。しかし、恐れることはない! 私は聞いたのだ、夢の中、自然が遣わした真の天啓を!!」
リトマスが演説する最中、炎から逃れた村人達が積もった灰の下から姿を表す。焼け野原の中、あちこちからポコポコと村人が生えてくる。
ビックリした、こんなに生き残っていたのか。人って強いんだな。
「諸君も見たであろう、悪を洗い流す奇跡の雨を! そう、そこな悪魔が炎を操るのであれば、私が祈り炎を打ち消してみせよう! 案ずるな、炎が立ち上るとき、必ず空は応えてくれる!
炎を魔術で調伏するのではなく、自然に祈り自然に勝る! それこそがまさしく、自然とともに暮らすことではあるまいかッ!!」
周囲の村人たちが「おお......」と感嘆の声を漏らす。そして、彼らはリトマスに向かって祈りだした。
その光景を見て、私達は思わず吹き出す。
天から降り注いだ光の柱達。それがまるでリトマスを祝福するかのように輝き、幻想的な光景を作り出していたからだ。
その光景は、私達の目にさえ彼がまるで偉大な人間であるかのように見せつける。誰もがきっと騙される。
「炎が立ち昇れば雨が降るなんて、よく知ってるな彼は。確かにそれは確立された雨乞いの手段だよ。煙とともに立ち昇った空気は雲を作るんだ」
「......私、それを仕込んだ犯人知っている気がするなぁ」
リトマスに入れ知恵したやつ、絶対あいつだ。
全く時計うさぎめ。どこまでも狡猾な時計うさぎめ。お前はあいつに、罪の果実を差し出した。
やってくれたよ。どうにも存在を感じないと思っていたらそう来たか。ここに来て、私達からこの島のすべてを奪いやがった。
これでいよいよ私達には何もない。もはやこの島に残る理由も。
「さぁ! 自然は答えを出した! あの悪魔を八つ裂きにせよ!!」
「よし、逃げるぞ転生!」
リトマスの言葉に応じるようにして、殺気立って襲ってくる村人たち。
輪廻はくるっと反転し、私の手を引いて逃げ出した。村人達が殺気を込めて私達の後を追う。そんな彼らに対して、私達は振り返りもせずに一目散に駆け出した。
海を目指してひた走る。背中には村人たちの罵声が届く。
「悪魔め! 良くも今まで俺たちを騙してくれたな!」「ガムジンの平穏のために、お前たちは死ぬべきだ!」「リィンカ! テンセル! 悪魔の子め!」
それを聞き流しながら、私は輪廻に声をかける。
「......ねぇあんな事言ってるよ? ひどいと思わない?」
「思うさ。悪魔なのは君だけだっていうのにね」
「あ、酷い。輪廻だって1割くらいは悪魔の魂混ざってるくせに」
私達は軽口を叩き合い、お互いにクスクスと笑った。迫り来る村人たちから逃げ惑いながらも、心は何処か晴れやかだった。
海岸に到着すると、輪廻は手を離して一人浅瀬に走り出す。
私は後ろを振り向いて、迫り来る村人達をじろりと睨めつけ、威嚇する。村人達はぎょっとして、一瞬たじろぎ立ち止まる。
その合間に、輪廻が腰のポーチに手を突っ込んで中から小さな模型のようなものを取り出した。
そしてそれを海に投げ込むと、その模型はとたんにみるみる大きくなって、一層の舟へと姿を変えた。
「転生、来い!」
その声に応じて、私は再び輪廻のもとへ向かって駆け出した。村人たちの間にざわめきが広がる。
「見ろ、舟が海から現れたぞ!」「これは奇跡、奇跡だ!」「まさか、自然は彼らを逃がすつもりか!?」
「ええい逃がすな! 追い立てろ!」
動揺の広がる村人達、その彼らに向けて大きな声が場に響く。声の主に目をやるとやはりリトマス、山を下って村人達の合間に入って指示を出している。
村人達が指示に従い弓をつがえて矢を放つ。しかし、既に進み始めていた舟にはもはや矢も届かず、手前の海に吸い込まれるように落ちていく。
私達はお互いに顔を見合わせて、彼らに向かって叫んだ。
「良くも脅かしてくれたな! 私達は本物の神様だって、ようやく分かったか! ばーか!」
「8年間、世話になったね! 僕は君たちのことが大嫌いだ!」
「キャッサバのような芋類は火事の影響を受けにくい! 地面を掘ってキャッサバを育てれば、この先も食いつなぐことができると思うよ!」
「ここは自然の美しく、逞しい人々の住む島だった! さようなら!」
好き放題に言いあげて、最後に大きく手を振った。舟は海流に乗って速度を増し、村人達の姿もグングンと小さくなっていく。
これが見納め。きっともうここに来ることは無いだろう。
ま、平和に暮せばいいと思うな。もうそこには、神も悪魔もいないんだから。
海の上、潮風が気持ちいい。カモメがミュウミュウ鳴いている。
私達はマストを真ん中に背中合わせに座り、ただ静かに波間に身体を任せていた。お互いに、手だけを優しく重ね合わせている。
ゆったりとした時間が過ぎる。ぼーっと海を眺め、口をポカーンと開けて優しい時間をただ過ごす。
そうした中、輪廻がゆっくりと口を開いて、バツが悪そうな声音で私に語りかけてきた。
「......転生、まだ30年前のこと、怒っているかい?」
「いいよもう、別に......」
私はなんとなく答える。風の吹くまま、気の向くまま。
つい数ヶ月前まであんなに怒っていた事に、不思議と怒りが湧いてこなかった。
「......なんか、人と一緒に生きるっていうのも大変なんだね」
「......孤独に生きるのも、また辛いものだったな」
お互いを慰めるように、私達は優しく言葉を掛け合った。300年、私達が出会ってから既にそれだけの時間が経った。
今やもう、お互い知らないことのほうがずっと増えただろう私達の事を、今日ほんの少しだけ知る事ができた。
「海が、青いなぁ」
「空だって、青いよ」
どうでもいい事を話す。そんな時間が心地良い。
「この空模様。嵐が来るかもしれないね」
「嵐かぁ、この舟じゃ耐えられないかもしれないな。分かるものなのか?」
「分かるよ。私がどれだけ船に乗ってきたと思ってるの? 嵐に飲まれて沈んだ事だってあるんだから」
「へぇ、聞かせてよ」
私達は、お互いのこれまでを少しだけ語り合った。
これまで生きた国。そこに住んでいた人々。美味しい食べ物。とりとめのない些細な事が、何故だがとっても興味深くて楽しかった。
「転生、もしも大陸についたら、その時こそまた殺し合おう。300年前の約束、僕は忘れたつもりはないよ」
その言葉に、私は初めて返事をつまらせた。300年前の約束、確かに私もそれを忘れたことはない。破るつもりも。
ただ、本当にそれは正しい事なのだろうか。そんな思いが胸に引っかかる。
なぜなら、あの時悪魔が私に告げたあの言葉。それが事実ならば、私達の約束はともすれば、世界を滅ぼすかも知れない約束だったのだから。
「......うん、そうだね」
私は何も言わなかった。
悪魔の預言、それは私の胸に秘めておこう。私はこの日そう誓ったのだった。
ふと、顔を上げる。雲ひとつなかった青空に、ほんのり影が落ちている。
「ん、来たかな。楽しかったよ輪廻」
「ああ、僕もだ転生」
私達は最後にそう語り、そしてお互いに目を瞑った。
今日も、海は平和に揺れている。
突如吹き荒れた嵐が、まるでこの世界の汚れをあらいざらい押し流してしまったかのように、海はひたすらに青かった。
洋上には一切の陰りもなく、水平線の向こうまで、ただただキラキラと輝く青が続いている。
また何処かで、産声があがる。
神の心に悪魔の欠片を持つ少年と、悪魔の心に神の欠片を持つ少女。
連綿と続く彼等の戦いの歴史は、未だ終わりを迎えてはいない。




