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1000年かけて、貴方を殺せる喜びを  作者: 片道切符
【四章】
23/32

20☓☓年 この世で最も昏い悪

「ふぅ......」

寂れた住宅街に一人の女の子がため息をつきながら歩いている。その足取りは重く、やりきれない思いを隠せずにいる。小石を蹴りつつ歩道を進む最中、一つ、また一つとため息が溢れる

石蹴りの為なのか、それとも彼女の心持ちがそうさせるのか、俯きながら歩く彼女の姿は誰の目にも元気なく映った。

そんな時、寂れた住宅街の奥に広がる工場地帯の向こうから3人の男女がすごい勢いで駆けてきて彼女の横を通り過ぎていった。


乙女(ひめ)! そこで間違いないんだな!」

「絶対いるとは断言できねーけどな!」

「構わない、およそどれ程でつく!?」

「30分っ!」


話の内容は分からない。しかし何故だか焦燥に駆られ、風のような速さで駆け抜けていった彼ら。その彼らとすれ違った瞬間、彼女身と心に一陣の風が吹いたようだった。

これはある種の天啓。彼女は衝動的に三人を追い掛けて街の中を走り出す。その顔は既に下を向くのをやめていて、どこか晴れ晴れとしたような、そんな表情だった。


ぐんぐんと小さくなる三人の影とそれを追いかける少女。その背中には、赤く四角いカバンがピカピカと揺れていた。






「ふぅ......」

今度は高架下の空き地で、スケボー片手に一人ため息をついている男がいる。

男の名前は真車(まぐるま) 幸太郎(こうたろう)。つい数日前、妹が憧れている一人の男が人を殺す場面を目撃してしまい、それ以来なんだかやりきれない思いを隠せずにいる。



「はぁ......」

続けざまのため息。

ああどうにもため息に切れ間がねぇ。気を抜くと次のため息をつく俺がいる。まさか、俺にこんなセンチメンタルな面があるとは思っても見なかった。

信頼できると思っていた男が、不良でもそうはやらねぇ悪事を働く。良い奴だと信じていた奴に不意に現れた悪魔の一面に、俺は驚きを隠せずにいる。

「あいつにとっちゃ、普通のことなんだろうけどよぉ......」

どうにもモヤモヤするぜ。人殺し。それを普通と許容できる人間が21世紀の日本にどれだけ居るかってんだ。


いや何よりも、うちの妹に危険が及ぶかもしれないって可能性。俺はどうしてもそいつを考えちまう。

アイツはそんな奴じゃねえって、妹はそんな見る目の無い奴じゃねえって、頭じゃ分かっちゃいるんだが。


かつて俺の仲間に一人いた。人を殺して捕まって、チームを離れたバカヤロウ。

今は何やってんのか知らねぇが、腐った人生をぶっ壊して取り返しのつかねぇ所に行っちまったと思ってる。

殺した方がいい野郎なんてこの世界いくらでもいる。不良なんざやってりゃそりゃー沢山見る。

でも殺しちゃ終わりだ。一度でも人を殺した男は、人との繋がりを失う。俺はそれを知っている。


「てめぇは今、何してんだろうなぁ鮫島ァ......」

「──知りたい?」


つい独り言ちる俺。

ふいに耳に届いたその声に俺は驚いてバッと振り向いた。

そこには小さな女が立っていた。齢17位だろうか、黒い髪に黒い瞳。その小さな女を見た時、何故か背筋にゾゾッとおぞ気が走り全身から冷や汗が吹き出す。

なんだこいつ。なんか、こいつ。ひょっとして、ヤバイ?


「その辺の奴らに少し聞き込みしたらすぐに見つかったよ、君は有名人なんだね」


明後日の方向を眺めながら淡々と語る女。見た目は何も持ってはいないが、俺にはなんとなく感じるものがある。これまで見てきたどんな悪よりドス黒い、危険な香り。


「君に恨みはないんだけど、ちょっとちょっかい出したい男がいてさ。好きな子程虐めたくなるって、やっぱりあると思わない? 構って欲しくて嫌がらせ。私は今そんな気持ちなんだよね」


何を言っているのか全然分からねぇ。だが危険の気配をビンビン感じる。俺は女から目を離さず、しかし身体が勝手に後ずさりをする。

女はニヤニヤと笑いながら俺を見下したような目で見ている。


「実は君のことは少し前から知っていたんだよ、君の妹ともちょっとした縁があったしね。なんだか今は自由を満喫しているみたいだけれど、生来あの子は縛り付けられるのがお似合いだとは思わない? それこそ奴隷みたいにさ!

──ねぇ、クルアーンのお兄ちゃん?」


その一言を聞いたとき、全身から吹き出していた汗がピタリと止まった。

危険に身を強張らせていた身体がフルフルと震えだす。

こいつは今、なんて言った? 話はよくわからねぇ。しかし、花音(かのん)をバカにした事だけはわかる。すげーよくわかる!

全身が怒りに震え、拳に自然と力がこもる。

誰を悪く言おうが妹を悪く言う奴だけは許しちゃおけねぇ!

魂的な根深さで、その行いだけが俺から怒りを引き出していく。


「テメェ、喧嘩売ってンのか!?」

「あはは、そうだとしたら一体どうしてくれるのかな?」


ポケットに手を突っ込み、腰を曲げてニヤニヤしながら俺を見つめるクソ女。テメェが何者か知らねぇが、もはや知ったこっちゃねえ! 喧嘩売るなら買ってやる!

俺は大きく踏み込んだあと一蹴りで跳ね上がり、拳を振りかぶって女に向かって突っ込んだ。


「ぶん殴ってやるンだよ!!」

「いいね! やっぱりお兄ちゃんなら、妹の為に頑張る男じゃなければね!!」


その瞬間、俺は見た。

ポケットから手を抜いた女が腰のガンベルトから引き抜いた一本の鉄芯。それが女の手の中でグニャリと歪み、瞬く間に拳銃へと姿を変えるのを。



再び、全身から汗が吹き出る。

この力は見たことある! 輪廻から聞いたことがある!

こいつ、まさか! もしかして!


「廻れ、車輪(スローンズ)!!!」


俺は衝動的に叫んだ。怒りで沸騰した頭が一瞬で冷め、全身から汗が吹き出している。

全力で鳴る危険のシグナルに従って、力一杯叫ぶ。するとその叫びに応じるように、足元の地面がグルリと廻り俺の前に壁を作る。

俺はその壁に両足で張り付き、そして壁を蹴って斜めに跳ねた。

次の瞬間、轟音が鳴り響き地面でできた壁は脆くも崩れ去った。


「やるね。避けたんだ」


小さくそう呟くと、女は銃を鉄芯に戻して腰のガンベルトに挿し直す。

地面に尻もちをついて女を見つめる。


「今、君は手の触れていない物体を廻したね? それは本来君の備える神性では出来ないことだ。しかし今一瞬死に近づいた事で、僅かな間だけだろうけど君の魂のステージは昇華した。......君はきっと強くなるね。今ここで、死ななければだけど」


俺を見下して余裕な態度でとうとうと語る女。

分かる。こいつはきっと輪廻の話に出てきたあいつだ。

輪廻と魂を分けた、たった一人の輪廻の兄妹。名を確か、転生。


まるで地面に張り付いたかのように、足が動かない。

だってそれがマジならば、こいつはあの輪廻とタメを張るような奴って事だ。俺が勝てるような相手じゃねぇ。

不意に訪れたリアルな死の恐怖に全身が震える。

やべぇ、どうしてこうなった?

輪廻お前、いつもこんな世界に生きてやがんのか?


「早く立ちなよ、それともこのまま死んでみる?」


転生(?)が腰のガンベルトから二本の鉄芯を取り出すと、またそれを銃へと変えて俺に向けて引き金を引いた。


「うおおおおおおッ!!」


叫び、地面についた手に力を込める。そしてもう一度地面を廻して身体を跳ね上げ凶弾を避ける。

そして小脇に抱えたスケボーを掴み、念を込めて車輪を高速で回転させる。

その瞬間、轟音と共に弾けるせり上がった地面。そのまま破片の隙間から、まるで糸を通すようにして俺へと迫る凶弾。

俺はスケボーに引き摺られるようにして高速で移動し、ギリギリで弾を避けていく。

弾の当たった場所が丸く抉られたように弾ける。凄い力で吹き飛ばされたと言うよりは、何らかの力で無理矢理変形させられたかのような歪み。

どうやら銃は本物じゃねえ、だが弾は本物よりもえげつねぇ。あんなもん喰らったら、こいつはただじゃすまねぇぞ!


スケボーにしがみつき振り落とされないようフルスロットルで駆け回る。そして次々と地面を廻して幾本もの細い壁を作り出し射線を切っていく。

走る内、スケボーは高架下の壁に張り付いて壁を削るようにして壁面を駆け回り、俺はそれを走って追いかけ機を見てスケボーに飛び乗った。

ブロック壁を斜めに走る。

後ろの壁が次々と弾け飛ぶ中、壁の一部を回転させ発射台を作り、俺はまるで射出されるようにして転生に迫る。

覚悟を決め、拳を強く握りしめる。


その瞬間、転生は銃を鉄芯に戻してベルトにしまい、両手を広げて俺の前に立ちはだかった。


「素手なら私に勝てるとでも? 私の1000年を舐めるなよクソガキ」


接触する刹那、俺の振りかぶった拳は宙を切った。

そして次の瞬間凄まじい衝撃が全身を襲う。


「ぐッ、ア......ッ!!」

一体、何が。目が白黒しやがる。内蔵がひっくり返ったような感覚。息が、出来ないっ...!

なんとか状況を把握しようと目を凝らす。目の前にはただひたすらに青い空。地面に仰向けに倒れている。

ぐわんぐわんと頭の中で反響する音の狭間に、ゴソゴソと何かを取り出すような音が届き、反射的にそちらに目をやる。

ああ、ちくしょう! クソ女が次の銃を取り出して、俺に向けて構えてる。


引き金が引かれる瞬間、朦朧とする頭で地面を小さく何度も回転させて、ベルトコンベアのように地面を転がり移動する。先程まで俺が這いつくばっていた地面が次々と爆ぜる。

ヒューヒューと浅い呼吸を繰り返しながら、惨めに地面を這いずり回って可能な限りの距離をとる。

俺は一体、何をされた?


「ふふふ、芋虫みたいでみっともないなぁ」


転生は涼しい顔をしてカラカラと笑っている。

壁を背にして必死に呼吸を整える。ああなんとなく、思い出した。

こいつに殴りかかったその時、俺の手はするりと転生の身体をすり抜けて、それから俺は空中で回転して地面に叩きつけられた。投げられた、のか。


「ほらほら、そんな所でひっくり返ってたら死んじゃうよ? 次はどうする? どうやって逃げる? まだまだ遊んでくれるでしょ?」


大股で詰め寄ってくる転生。頭が朦朧として何も考えが浮かばねぇ。やべぇ、これは勝てねぇ。きっと、逃げる事さえ。

俺の目の前に立ちはだかる転生。力を振り絞って殴りかかるが、拳の伸び切った所にそっと掌を合わされて、次の瞬間俺の身体は反対に壁へと向かって吹き飛んだ。

後ろの壁に叩きつけられ身体が跳ね返る。その俺の身体に、転生はまるでリングロープの反動を利用するみたいにしてカウンターの蹴りを叩き込む。

身体が宙に浮く。2〜3m程吹き飛んだ後、吐瀉物を撒き散らしながら地面をゴロゴロと転がる。

片手をついて体を無理やり起こすが、もはや腰を上げることが叶わない。それでも首だけで睨みつけている俺を、転生は冷たい瞳で見つめていた。


「君はいつもそうだったね。威勢が良いだけの役立たず。どうやら()の代わりを妹に見出したみたいだけど、君の魂はまるで変わっちゃあいない。理想を語るだけでそれに見合う力が無いからいつもそうして這いつくばってる。

 ......私は君が大嫌いだよ虎太郎(とらたろう)


転生は銃を構えて真っ直ぐに俺へと向けた。

わかる、これは本気だ。さっきまでのは遊びだった。でも、これは殺すつもりで構えている。

俺は情けない男だな。あのクソみてぇな両親から、このクソみてぇな世界から、どんな小さな悲しみからも妹を守ると決めながら、こんな所で死のうとしてる。


輪廻、お前だったら出来たよな。花音を守ってやれたよな?

花音、俺が死んだら泣いてくれっかな? 随分過保護にしちまったから、せいせいしたって笑うかな? 

だったら、悲しいな。


転生が銃の引き金に指をかけるのが見える。

静かだ。とても静かな世界で、弾が放たれる鈍い音だけが小さく響いた。


「花音、笑って生きてくれっかな?」


上を向いて、最後に妹の顔を浮かべる。

ああまったく、くだらねえ人生を生きちまった。

死を覚悟して、目を閉じた。

しかし次の瞬間、俺の静かな世界は辺りに響いた甲高い破裂音によって吹き飛ばされた。


「だったら死ぬな。──君が死んだら彼女は泣くぞ」


声が聞こえて目を開ける。

そこには一人の男が立っていた。ぜぇはぁと息を切らした見覚えのある男。

その姿を見たとき、俺は何だか可笑しくなって地面をバシバシと叩いて大声をあげ笑った。

全くこいつは、人が死を覚悟した側からこいつ!

そんな事言われたらもう、死ぬ訳には行かねーじゃねぇか!


「おせーよ輪廻。花音を泣かせるとこだったじゃねぇか」

「そりゃ悪かったね」


息を切らせながら、呆れたような顔で俺を眺める輪廻。随分走って来たんだなぁお前。

ああ確かにこいつは人殺しだ。だが確実にそれ以上の人間を救ってきている。俺はそう信じてる。

だからよう、それで勘弁してやっても良いんじゃねぇのかな?






ああ全く、本当にギリッギリのギリギリだった。

やはり狙いは幸太郎だったか。なんとかギリギリ間に合った。

もしもこれがタッチの差で間に合ってなかったら、アナスタシアの長話に責任転嫁をする所だった!


息を整え前を見る。そこには邪悪な笑みの転生が立っていた。

17年ぶりの再会。この世界では初めての邂逅。

刹那、お互いの視線が交錯する。


転生、転生!

君は本気なんだな? 死んだり、殺したり、殺されたり、そういうのを本気で僕とするつもりなんだな?

僕の仲間に手を掛けてまで、そうする理由があるんだな?


転生、君の気持ちはわからない。僕達は兄妹だけれどこれまでに違う道を歩み過ぎた。でも一つだけ、君と共通する部分はある。


僕はゆっくりと歩を進めて緩やかに転生に迫る。

転生が応じるように、腰のガンベルトから鉄芯を抜き(ハイキャパ)へと変えていく。見覚えのある能力。

ああこの能力、獅王(レオ)のものじゃなくて君のだったのか。


僕から僅かに遅れてアナスタシアが、それから更に遅れて乙女が到着する。二人共息をぜーはー切らして立っているのが、背中越しでもわかる。

悪いけど、二人とも決して手は出さないでくれよ。

転生と僕は1000年の時を超えてあまりにも変わり過ぎた。だけどこの時間だけは永遠に変わらない。

彼女と殺し合うこの時だけが、僕は彼女を識る事ができる。


御堂(みどう) 輪廻(りんね)

木乃花(このはな) 転生(てんしょう)


お互いに向き合って今世の名前を名乗り合う。

そして力強く地を蹴った。


僕は無言で駆け出した。転生も無言で僕に応じる。

僕に向けて放たれた数発の凶弾。僕はそれを一発を弾き、続く数発を無軌道に走って避ける。

そして一気に彼女に詰め寄ると、彼女の左手側より横薙の一閃を放った。彼女はそれを銃床で掬い上げるようにして受け止め、もう片方の手で僕に狙いをつける。

僕は彼女を軸にしてグルグルと周り、その弾を次々に避けていく。

そして弾切れを起こした瞬間を狙い、剣を引き脚に向けて低めの一閃。それを彼女は足で踏み止めフリーになった左手で僕に狙いをつける。

即座に木剣を変形させて脚から引き抜き、その勢いで大きく一歩退く。距離を取る僕を追って一歩を踏み出した転生が、何かにひっかかってよろめいた。

驚いて足元を見る転生。そこには変形した木がまるで拘束具のように纏わりついて、彼女の足を地面に縫いつけていた。

その一瞬の隙を逃さず、一気に詰め寄り繰り出した渾身の突き。彼女はそれをぐるりと身を翻して、回転する勢いをそのままに僕の手を掴んで投げ飛ばした。

僕は空中で身を翻し地面に着地する。そしてその瞬間を狙って放たれた弾を木剣の背で弾き、姿勢を整える。

転生は足の拘束を銃で破壊して外している。


一瞬の攻防。僕達は視線を交わし、そしてお互い僅かに口元が綻ぶのを感じた。






少し離れたその場所で、私は食い入るように二人の戦いを見つめていました。

その闘いから全く視線を逸らすことが出来ません。私にはこの闘いを見届けなくてはならないと言う、何か強い使命感のようなものすら感じていました。

なぜ? これは私の忌避する殺し合い、その筈なのに。

「きれい...!」

思わず口から感情が溢れます。怖いとか、嫌だとかじゃなくて、湧き上がった感情は"きれい"。ああ、この胸を締め付ける想いは何?

彼等の戦いは私の目にはとても美しく、しかし何よりも悲しく映ったのでした。


「すげー! 輪廻マジでつえーんだな!」

「......ああこりゃ勝てねーわ」

その私の隣で乙女がはしゃぎ、幸太郎がぽつりと感想をこぼします。何故だがすっかり安心していたような様子で。

不思議です。彼等もまた、目の前で行われている事が殺し合いであり、そしてもしも輪廻が敗れれば私達全員が危ないと言うその事実をまるで分かっていないようでした。

それだけ、目の前の出来事はまるで現実のものでは無いような、白昼夢めいたこの世ならざる神域の出来事に思えたのです。


彼等の動きを真剣に追う私。

その視線は彼等の流麗な足捌きを、彼等のしなやかな指先を、そして彼等の表情を、ハッキリと捉えて離しませんでした。

だから私だけがそれに気付けたのでしょう。仲間が襲われた憎しみを、仲間が殺された苦しみを、ぶつけ合っているものだとばかり思っていた彼等の戦い。

そこに揺蕩う、この場にはあまりにも不似合いな感情の発露に。


ほんの一瞬、私の目に映り込んだ二人の横顔。

ああ二人とも、何だかとても楽しそう──。






千年に渡る諍い。百回に渡る衝突。

その度に僕は変わらず思う。


転生、また君は強くなった。

こんなにも彼女が憎いのに、何故だかそれが誇らしい。

「輪廻、やっぱり強いね」

転生もまた、感慨深そうな表情で僕を見つめて立っている。


転生。今、少しだけ君を識る事ができた。だからこそ分からない。

君の()は僕の識るあの時のままだ。ならばどうして、僕を頑なに本気にさせようと、そして性急に僕を殺そうとするのだろう。

これまで僕たちはじっくりと足場を整えて、時代に沿いつつ殺し合って来たじゃあないか。


君を追い立てるものは一体何だ?

100を数える罪? 1000年と云う時? 10000を越す穢れた魂? 

それとも、啓示を齎す天使達? 人を唆す悪魔達? 


いやあるいは、この世を統べる大魔王。

天上の神と、地の底の悪魔──。



「見るに耐えませんねぇ......、まるで生娘同士の乳繰り合いです」



ふいに、声が響いた。

それはまるで地の底から響くような、聴くものを萎縮させる正真正銘の悪魔の呻き。

さっきまで確かにその場にあった僕達の世界は崩れ去り、その代わりにこれまで感じた何よりも暗く冷たい空気が場に流れ込む。

一瞬にして、空気が凍る。転生が薄ら暗い顔で下を向いて嘆いている。


彼女の後ろで、影が踊る。

高架下の影の中、灯りも無いのに影が蠢き踊りだす。


この光景、僕には見覚えがある。

あれは確か1000年と少し前、僕の一等最初の記憶。

蠢く影が踊り出し、僕たち二人の運命を分かった悪魔のうねり。


踊る影の真ん中から、一際大きな影がひとりでに動き出し僕と彼女の間に収まる。そしてムクムクと影は持ち上がり、徐々に人の姿をなしていく。


それは、2mを越すような巨漢だった。比較的細身ながらも筋骨隆々、厚く伸し掛かる圧は男がこの世の者では無い事を雄弁に物語っている。

道化と見紛う格好に黒く淀んだ影が走る。肩まで伸びた長髪が地面に妖しく陰を垂らす。

そして何より昏いその瞳には、3つの数字が浮かんでいた。


──666。


僕には分かる。唐突に現れたこの男が、果たして一体何者なのか。

ああ、こいつは! こいつが!!

僕達を引き裂き、僕達の闘いを穢そうとしているのは!!


全身に走る怖気(おぞけ)を、それ以上の怒りが上書きしていく。身体がぐんぐん熱くなる。


「やめっ......!」

僕は駆けた。直後微かに響いた転生の声などお構いなしに駆け出した。

それは、究極の脱力からなる究竟(くきょう)の剣。

奇しくも男の放った怖気によって生み出された緩急からなるその至高の一太刀は、男の首元に届く前にビタリと止まった。


完璧な一太刀、その筈だった。

その剣を男は片手で捕まえて、衝撃に慄く僕の背中に冷たい視線を突き刺している。


「.........」


男は無言だった。しかしその視線がもたらす圧は、怒りで火照った身体を急激に冷やしていく。

全身から冷や汗が吹き出す。


男がゆっくりと反対の拳を持ち上げる。

後ろでその様子を眺めていたアナスタシア達に動揺が走るのが背中越しに伝わる。

転生が何かを言おうとして、しかし言葉が出て来ていない。

僕は木剣に力を込めて振り払おうとするも、まるで万力で締められているかのようにビクともしない。下から精一杯の怒気を込めて男を睨めつける。

男は無言で僕を見下している。


そしてその拳が振り下ろされる瞬間、アナスタシアが駆け出したその瞬間!


「待て待て待ってぇえええええ!!!」


場に大声が響き、彼女の脚を止めた。

そしてその大声と共に僕達のど真ん中に飛び込んできたものは、とても意外なものだった。


それは赤くて四角い革鞄。可愛らしい装飾のついたそれは、振り上げた男の拳にボスンと当たり地面に落ちた。

地面に転がる赤い小さなランドセル。誰もがそれを投げた何者かに視線を向ける。


そこには小さな女の子が立っていた。活発そうな短髪を小さな髪飾りでちょんと括った、齢いくつの女の子。半ズボンにシャツと靴下、簡素な格好の女の子。

その子が僕たちの戦いに待ったをかけて、背中に背負ってたランドセルを投げ込んだのだ。


「天啓にしたがいやって来ました! 桜井(さくらい) 花丸(はなまる)、九つです!」


花丸と名乗った女の子は、直後に飛んだ。

比喩表現なんかじゃない。身体から光を放ち、本当に宙へ浮いたのだ。

そして手から光の筋を放ち、幾重にも折り重なった光線が真っ直ぐに男へと走る。


「ぐぉおおおおおおぉおお!!!」


光に貫かれた男が地の底へと響くような呻き声を上げる。僕の剣から手を離し、両手をバタつかせて苦しんでいる。

僕はその隙をついて脱出し、後ろに跳ねて距離を取る。頭が混乱する。一体何が起きている?

アナスタシア達が僕に駆け寄り、そして謎の女の子を中心に集まる。


僕は後ろを振り向き、女の子を見つめる。

それは純粋無垢な魂の輝き。未だ世界を知らない穢れなき白。


──そうこの魂は、この世界に生まれたばかりの新しい魂。

彼女は誰かの輪廻ではない、未だ彼女だけの魂を備えてここに居る。

そしてその魂を庇護する天上の存在、穢れなき魂がここにある。


「僕は輪廻。君もまた天啓を受けたんだね?」

「はい、もしかしてあなたが神の御子さんですか?」

「う、まぁそんなところかな」


その返答に、花丸にパァッと笑顔が咲く。


「やっぱりそうだと思った! わたし知ってましたもん! みんながたくさん走ってるのを見てた時、わたしの天使さまがあれが神の御子だよってこっそり教えてくれたから! どれかなぁって思ってたけど、やっぱりあなたがそうなんだ!」


ブンブンと手を振って喜びを表現する花丸。その彼女を制して、短的に聞き出したいことを聞いていく。


「君に啓示を与えたのは誰だ?」

「天使さまのなまえはメタトロン。うけた啓示は『神の御子の力になれ』です!」


その名前に、僕は衝撃を受ける。

メ、メタトロンだって? 一体なんの冗談だ?


メタトロン、それは神に次ぐ神威を備える天界のナンバー2。神の代行者とも呼ばれる審判の要だ。契約の天使、天の書記、神の代理人、炎の柱。様々な異名を持つ天使の中の天使。

本来は啓示など行うような存在じゃない。そもそも、彼を満たす魂など本来存在しないのだから。


「なぁ今のって!」

乙女が横から覗き込むようにして花丸に声をかける。

「はい、わたしはあらゆる罪を焼く光が放てます! 天使さまからさずかりまぅっ!!」

それに元気よく答える花丸。【奇跡】の全容を漏らす愚に慌てて口元を抑えて静止をしたが、惜しくも僅かに間に合わなかった。


振り向いて、男を眺める。

光に貫かれた所が燃えるように赤熱し、男を激しく攻め立てている。

なるほど、これが罪を焼かれるということなのか。恐らくはこの世のすべての罪悪を背負っているであろうこの男にとって、これは天敵とも言える力かも知れない。

僕にも効果は高そうだけど。


剣を構え、男に近付く。

この男は必ず殺さなければいけない。僕たちの為にも、世界の為にも。

そして今がその最大の好機の筈だ。


柔より入って剛にて断つ、万人を切り裂く天狗の太刀。全身全霊をかけた一つの太刀に、僕の友の全てを乗せて放つ煌々たる一閃。

今の僕が放てる最大最強の一撃。うなりを上げて轟く渾身の一太刀。

その一太刀は、しかし唐突に辺りを激しく照らした輝く光の波に飲み込まれた。



──明けの明星。空に輝くフォスフォロス。

天に突然現れる眩い星は、時として不吉の象徴とされ人々の不安を煽ったという。



その時走った激しい光はその場の全員の目を晦ませ、そして光に照らされて伸びた影はまるで男を包み込むように集い、地面にドプリと飲み込んだ。

光が晴れた時、僕の渾身の一閃はまたも空を切っており、そして目の前には誰も彼もが消えていた。



「逃げられた、のか......」

最後の光、あれはきっとあの男の力ではない。

なら向こうにも更なる伏兵が潜んでいたという事だろうか。

僕は木剣を腕輪に戻し、乱れた衣服を整える。

そして、一人決意する。



分かる。確信がある。

千年前の記憶が、千年の経験が僕にハッキリ告げている。

あの男こそ、転生にこの性急な殺し合いを求めた男だろう。

僕達は殺し合わなければいけない。それは定められた運命だ。

しかしそれはあくまで僕達の魂に連なる問題で、()()()がしゃしゃり出てくるような話じゃない筈だ。


そうアレこそが、転生の魂を穢れで満たした原初の悪。

悪魔の数字をその身に宿す、正真正銘の悪魔。その名を──【サタン】。

あんなのが顕現していたんなら、なるほど天使達が続々と啓示を行う理由も納得がいく。



僕は、あの男を殺さなければならない。

囚われのお姫様となった転生を奴の呪縛から解き放ち、そしてこの手で殺す為に。



決意を決めて、後ろを振り向く。

そこには天使達の加護を受けた仲間達が立っていた。

彼等は皆、何だか吹っ切れたような顔をしている。皆が己の使命を悟り、静かに僕の言葉を待っている。

その彼らに、僕は優しく微笑みかけた。


「帰ろっか」


皆にそう優しく告げて、皆で真っ直ぐ帰路に着く。

僕は神の御子なんかじゃない。だからこそ、殺してあげたい人がいる。守ってあげたい人がいる。






町外れの廃屋に、一組の男女が入っていく。

「よう、俺のおかげで逃げ切れたな。感謝しろよ転生」

メガネをかけた若い男がニヤニヤしながら偉ぶって、恩着せがましく女に迫る。しかし女は次の瞬間その男を裏拳で殴り飛ばし、そして声高に笑い出した。


「あは、あはは! アハハハハハハハハ!!」


その様子を、地面に転がった男と廃屋に集まっていた人々が驚愕して眺める。


「ダサダサダッサーッ! あのクソ親父め! カッコつけて出て来た癖に、一瞬でボコボコにされて引っ込みやがった! アハハハハ!!」


高笑いをしながら奥のソファーへと歩を進める転生。そしてどかりと座り込むと、一人の男に声をかける。

「レドリアーヌ! 蝿を見せてよ!」

「ほ、ほっほ。そうですな......」

驚きを取り繕いながら、声を掛けられたふくよかな男が手を叩く。すると男の衣服の中から大量の蝿が一斉に飛びたって空中を飛びまわり、やがて寄り集まって一つの像を作り出す。

それは廃工場にて起こった輪廻と獅王(レオ)達との戦いの様子だった。

「あまり、面白い映像ではございませんな......」

レドリアーヌが歯切れ悪くそう告げる。そこに映し出された、次々と殺されていく4人の仲間達の像を前に、廃屋に集った人々の間に動揺が走る。

しかし一人だけ、その様子をニヤニヤしながら見ている人物がいる。

「アハハ、さすが輪廻。自分の敵には容赦がないなぁ」

楽しそうな声音で感想を告げる転生。悪魔に魅入られた人々からしても理解の及ばない悪。

ひとしきり顛末を確認した後、転生は僅かに押し黙り。そしてゆっくりと口を開いた。



「輪廻はやる気みたいだね。少なくとも自分と関りのない悪の魂には一切の遠慮がない。......けれど、もしもそれが彼のお友達だったら一体彼はどうするだろう? 気になるとは思わない? ねぇ、大鶴(おおつる) (ゆみ)くん?」



転生の傍らに立っていた精悍な雰囲気を称える少年が、狩人のような鋭い眼光で蝿の映し出す像を見つめていた。

暗闇の中、その艶のある黒い髪が妖しくたなびいていた。

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