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夕方の帰り道、クラゲみたいな彼と思い出話をしてみる

 玉城優栄は昔から掴みどころの無い人間だった。

 世間一般的には天然と言うのだろうか。明木の言う通り、幼なじみの俺であっても何を考えているかわからないことが多い。

 昔、夜に優栄が泣きながら電話を掛けてきたことがあった。

 「ひーちゃん、どうしよう」

 と、震えた声だけを流し、電話はすぐに切れてしまった。

 「優栄! 優栄!?」

 大変驚いた俺は、それはもう急いで隣に住んでいる優栄の家に向かった。

 ……何があったのだろうか、優栄は誰かに酷く傷つけられたのか?

 そう思いながらもインターホンを押すが、反応は無い。嫌な予感がしつつ、ドアの取っ手を引くとカチャリとドアが開いた。ますます血の気が引く。

 緊急事態かもしれない、勝手に人の家に入るのは気が引けるが、今は仕方がないだろう。

 そう思った俺は家に入ることにした。

 ちなみに、こんな時でもしっかりと

「おじゃましまーす」と声を掛けるのは忘れない。俺は昔からお行儀良くしなさいと躾られているのだ。


 さて、急いで家の中に入ったは良いものの、優栄はどこにいるのかがわからない。なので、まずは玄関に近い所からと、真っ先にリビングを覗くことにする。

 ……すると、なんということでしょう。

 そこにはボロボロになった焼き魚が乗ったお皿を前にして、えぐえぐとしゃくりを上げる美少年優栄の姿があったのだ。


 いや、どういうこと?


 当時の俺の頭の中はその言葉でいっぱいだった。

 はて、この子はなんで魚を前にして泣いているんだろうか? でも、泣いてるんだから余程の理由があるに違いない。


 「ど、どうしたの、優栄」


 俺が混乱しつつも優栄に話しかけると、優栄は、ひーちゃん……と呟いて、涙を流しながら話し始める。


 「焼き魚をレンジでチンしてね、熱すぎたから冷やそうと思ってね」

 「うんうん」

 「しばらく庭に置いておいたの」

 「うん、……うん?」

 「そしたらハクビシンに食べられちゃった」



 この子は一体何を言っているんだ?



 理由を聞いてもどういうことか分からなかった。


 優栄の使っている言葉は勿論日本語だし、俺も日本人だ。しかし、何を言っているのかがわからない。なんとも不思議な体験である。

 俺が頭の中が宇宙に侵食され始めているように感じたが、そんな最中にも優栄はえぐえぐと泣いている。

 焼き魚なら熱かったら冷めるまで置いておくか、冷蔵庫に入れるとかあっただろうに。なぜ庭に出したのか?現代的じゃ無さすぎるぞ等、まぁ色々思うことはあった。


 でも、そんなことはどうでも良いのだ。大事なのは目の前の優栄が悲しんでいるという事実だろう。なので、


 「まぁ、そういうこともあるよね……」

 と背中をポンポンしてあげた。

 まあ、そういうこともあるよね、あるんだよ!


 その後、俺は優栄に簡単な野菜炒めを作ってやった。優栄のお母様は所謂シングルマザーで、昔から家に帰る時間がとても遅く、夕飯はいつも机の上に置いてある。

 優栄はいつもそれを食べているのだが、今回ハクビシンに食べられてしまったのでメインのオカズが無くなってしまったのだ。流石に白米だけでは物足りないだろう。

 なら優栄が自分で作れば良いだろうと思うだろうが、そうもいかない。

 簡単な話、優栄の生活力は壊滅的なのだ。

 料理をすればまな板を血塗れにし、洗い物をすれば皿とコップを割り、掃除をすれば逆に汚し、アイロンをすればボヤ騒ぎを起こす。

 そんな彼のことを優栄のお母様は非常に心配しており、当時の小学生だった俺に


「何かあったら、優栄のこと、お願いね」


と俺の肩がめり込むくらいの力で手を置きながら血走った目でお願いする始末。


 おいおい、小学生に頼むには些か責任が重すぎないか?


 今ならそう思うが、あまりの迫力に当時の俺は「ひゃぃぃ……」と情けない声で返事をすることしかできなかったのだ。

 ……それに、なんだかんだ言っても俺自身、優栄が心配なのだ。泣いてる顔なんか見ると胸がキュッとなって何でもしてやりたくなってしまう。

 まあ、そんなこんなで俺はこの幼馴染の世話を焼き続けている。

 ちなみに野菜炒めはとても好評で、

 「えへ、ひーちゃんの味がする」

 と、とても喜んでいた。

 作っている間に味見はしたが、塩コショウと醤油と鶏がらスープの素の味しかせず、勿論俺の味なんてものはしなかった。きっと優栄の舌はぶっ壊れてるのかもしれない。


 昔からこんな調子だから、今更口の中に指を突っ込んで来たところで、まあ、優栄だし……で済ませてしまう辺り、俺も彼に適応し過ぎてしまっているような気もする。

 ほら、時には流されることも大事だよね、きっと、多分、うん……。



 そんな生活力皆無かつ、天然男子の優栄の摩訶不思議なエピソードは沢山あるが、勿論彼にも得意なことや、凄いところもある。


 では、それは何か?


 それは……生活する上で必要な事以外の全てのことだ。


 運動神経は抜群、大抵のことは見ただけで簡単に真似できる。


 歌を歌えば音楽教師は涙を流しながら拍手し、


 絵を描かせれば美術教師が絶望し筆を折る。


 ちなみに、これは比喩では無く、実際に起こったことである。

 随分なことだが、当の本人はぽやんと「大袈裟だね」と言ってのけていたのだから、まぁなんとも罪作りな男である。

 それだけ器用なのに、なぜ家事ができないのだろうか? ナスカの地上絵と同じくらいの謎だと思う。解明できた人には是非何かしらの賞を与えて欲しい。

俺には分からなかった。誰かよろしく頼んだ。


 そして勿論、優栄は頭の出来も悪くない。むしろ……


 「全教科100点ってお前……」

 「いえーい」


 飛び抜けて良いんだこれが!

 5段階評価の通信簿が全て5で埋まる男。それが目の前にいる玉城優栄なのである。

 ……帰り道の何気ない会話で予期せぬダメージを負ってしまった。

 頭の違いというのをこうも突きつけられると、いつもポジティブシンキングの俺も多少はヘコむものだ。

 俺がげんなりした顔で優栄を見上げると、ほっぺを人差し指と親指で押された。

 ぶにゅ、とタコチューになった俺を見て、優栄は指をむにむにと動かしながら

「あは、ひーちゃんかあいいねぇ」

とくふくふ笑っている。


 なんだかからかわれているような気もするが、俺は優栄の笑っている顔が好きなのでそのままにしておいてやる。俺の心の広さに感謝して欲しい。


 「ひーちゃんは今回数学は赤点?」

 「ぐっ……」


 悪気が無いとはいえ、随分ズバッと言うじゃないかこの男は!

 痛いところを突かれた。優栄の言う通り数学は赤点である。

 公式は覚えられるけど、その後の計算がね……うん……

 まあ、かと言って数学以外の教科の点数が良いかと聞かれれば、そんなことは無い。数学以外の教科もほぼギリギリ平均点。逆に凄いと我ながら思う。

 テスト期間は毎回優栄に勉強を教えて貰っているのだが、いつもこんな結果だ。


 「大丈夫だよ、ひーちゃん、また一緒に勉強しよね」

 優栄は嬉しそうにふにゃりと笑う。


 ふと、思った。どうしてこんな完璧な彼が、面白みのない平凡な俺と一緒にいたがるのだろう?


 俺はこれといった特技も無いし、性格も尖っている訳でもない。

 平凡の擬人化、それが俺なのだ。

 今までの俺は、優栄が俺と一緒にいたがることが当たり前のように思っていて、なぜそうなのかというこに疑問を持たなかった。


 だって、出会った時からそうだったから。……でも、今となっては不思議な気がする。


 彼は俺以外の友達がいない。

 ……いや、作ろうとしていないというのが正しいのかもしれない。


 保育園から小学校に上がりたての時はまだ分かる。新しい環境の中で不安の中、顔見知りで仲の良い幼なじみと一緒に過ごしたいというのはよくあることだと思う。だが、優栄はもう高校生だ。

 ……ますます優栄のことが分からなくなる。

 まあいいや!


 「ねぇ優栄?」

 「んー、なぁに?ひーちゃん」

 「優栄ってさ、なんで俺と一緒にいたがるの?」


 分からないならさっさと聞けばいいのだ!

 これはばあちゃんの教訓である。ちなみにこの教訓のおかげで、江尾家は人間関係の悩みを家に持ち込む人が少ない。みんなポジティブ、素晴らしい!

 優栄は俺の急な質問に驚いているようで、ぽやんと口を開けている。

 ぱち、ぱちと瞬きをしたと思うと、ゆっくりと話し始めた。



 「……俺が初めて保育園に行った時」

 「うん」

 「寂しくて泣いちゃって」

 「うん」

 「そしたら、ひーちゃんが話しかけてくれたの」

 「……そうだったっけ?」


 保育園児の時の記憶は、正直あやふやな所が多い。

 優栄は逆によく覚えているなと少し感心する。


 「うん。ひーちゃんだけ」

 「……うん?」

 「ひーちゃんだけが、俺に話しかけてくれたんだよ」

 「……あぁ!」


 そうだ、思い出してきた。

 3歳の時、俺が生まれて初めて優栄と出会ったのは、雲ひとつない真っ青な夏の日だった。

 周りに木が多い保育園だったから、あちこちで五月蝿いくらいに蝉がミンミン鳴いていた気がする。


 優栄は、転園してきた子だった。


 後から知ったことだが、親の離婚がきっかけだったそうだ。


 今思えば、優栄は自分の心の整理もつかないまま、知らない環境にすっかり恐縮してしまって、誰にも話しかけることができなかったのかと思う。

 転園初日、園児達が各々の友だちとキャイキャイと遊んでいる中、優栄はポツンと1人で園庭の隅の日陰で小石をつついていた。

 俺のいたおひさま組は、どうにもヤンチャな子が多く、先生たちは喧嘩をして大泣きをしている子どもたちの仲裁や、走り回る子どもたちの対応で精一杯だったのか、大人しい優栄は後回しにされてしまっていたように思う。

 俺は、その優栄の丸っこい背中がどうにも凄く寂しそうで、友達としていた砂遊びをやめて、声をかけることにしたのだ。


 「きみ、ゆーえいくんだよね?」

 「!」


 声をかけられた優栄はとても驚いて、肩をビクッとさせた。

 後ろから見た時には気が付かなかったのだが、真正面から顔を見ると、まん丸の目から大粒の涙がぽろぽろと落ちていた。

 「……ないてるの?」

 指摘されたのが恥ずかしかったのか、優栄はぷい、と顔を背けてしまった。

 「おめめ、とけちゃうよ」

 これは俺がお母さんによく言われていた言葉だ。

 昔は何かあって泣く度に、お母さんが笑いながらハンカチで涙を拭いてくれていた。

 この時の俺も同じようにしてあげたかったのだが、生憎ハンカチを忘れてしまっていたので自分の袖で豪快に優栄の涙を拭ってやる。

 結構ゴシゴシと強い力で擦ったと思うのだが、優栄は何も言わずされるがままだ。


 「涙、止まらないね」

 「……寂しくて、かなしいの」

 優栄がボソッと呟いた。

 「寂しくて、かなしいの?」

 「……うん」

 「そっか」

 「……」


 黙り込んだ優栄は、鼻水をすすりながら下を向いてしまった。せっかく拭ったのに、また大粒の涙がポロポロと優栄の頬を伝って地面に溶けていく。

 優栄は、ひぐ、ひぐとくぐもった声を出しながら、自分を守るようにギュ、と縮こまってしまった。

 俺はその姿を見た時、胸がギュウ、と締め付けられるような気がして、どうにかして彼に笑って欲しいと思ったのだ。


 「じゃあ……いっしょにあそぼ!」


 俺がそう言うと、目の前の優栄はバッと顔を上げた。

 「……い、いいの?」

 「うん! 俺がいっしょにいるよ。それならさみしくない?」

 

 「うん……」

 「なら良かった! ……ねえ、ここ、暗いから、こっちのおひさまのとこ行こ! ほら!」


 少し強引に手を引っ張ると、優栄は案外簡単に立ち上がった。


 綺麗に咲いているひまわりを見せたくて、俺は優栄の腕を引いて花壇にまで連れていこうとするも、彼は動く気配がなかった。

 優栄は何かを言いたげに下を向いて、モジモジと指を動かしていたので、どうしたのかな?と首を傾げつつ、言葉が出てくるのを待つ。

 すると、優栄は俺の袖を遠慮がちにキュッと掴んで、


 「……ありがとう」


 と、顔を真っ赤にしながら笑っていた。

 笑っている顔が見れたのに、何故か俺の胸は変わらずギュウ、と締め付けられるような気がした。



 これが優栄と俺の出会いだった。


 ……考えてみると、この日以来ずっと優栄と2人で遊んでいたと思う。

 「よく、覚えてたなぁ……」

 「うん。ひーちゃんが一緒にいてくれるって言ってくれたのが凄く、嬉しかったから」

 優栄が頬を掻きながら照れくさそうに言う。

 優栄……お前……お前……!

 「可愛い奴だなぁ!」

 「わ」

 感動した! 俺は! 凄く感動したぞ! そんな昔のことを覚えていてくれたなんて!

 わしゃわしゃわしゃわしゃと優栄の髪の毛を撫でると、優栄は、くすぐったいよぉなんて言いながらも、されるがままになっている。


 優栄はよく思ったことを素直に口に出す。

 勿論、状況によっては場の空気を乱すこともあるが、今みたいに、照れてしまうようなこともストレートに言うので、言われた方はとても嬉しい気持ちになる。優栄の良いところだ。


 「そうかそうか、だから平凡な俺なんかと……」


 俺がうんうんと頷きながら言った瞬間、にこにこと撫でられていた優栄が急にギュルンと真顔になった。

 その変わり様に俺はギョッとする。


 「ゆ、優栄? 何?どうした!?」

 「ひーちゃん、平凡な俺なんかって言ったの?」

 「う、うん。言った」


 「それ、誰かに言われたの?」


 夏のはずなのに、汗が背中を通ってぞわりと震えた。


 うわあ! 凄く怖い!!


 普段にこにこの優栄が急ににこにこしなくなるとめちゃくちゃ怖い!

 普段怒らない人が怒るとめちゃくちゃ怖いのは有名な話である。

 それは優栄にも当てはまることで、


 「だ、誰にも言われてない! 俺が勝手に思ってただけで……」


 俺が手をブンブン振りながら慌てて弁解をすると、優栄はじっとりと俺を睨みつけた。


 「俺なんかって言わないで」

 「え?……う、うん」

 「俺は、ひーちゃんだから一緒にいたいんだよ」

 「ご、ごめん……?」

 俺が謝ると、優栄は睨みつけるのを止めて、目を伏せたので、少しホッとする。

 ただ、いつもの笑顔には戻ってはいなくて、俺はどうしたら良いか分からなくなってしまった。

 優栄も無理に何かを話そうとはせず、しばらく2人してゆっくりと無言で歩いた。

 俺は気を逸らすように、その辺に落ちていた小石を適当に蹴飛ばしながら進んでいたが、優栄が急に歩くのをやめたので、俺も慌てて立ち止まる。


 どうしたんだろうと優栄を見上げると、眩しいくらいの光が目に入り、目の前がチカチカした。

 昼間のどこまでも青く広がる空は、気が付けば夕焼け色に変わっていたらしい。オレンジ色をした太陽が優栄を照らし、髪の毛に光が反射して煌めいていた。




 「……僕ね、あの日からね」



 ふと、優栄が話し始めた時、ぴゅうと冷たい風が吹いた。

前髪がふわりと上がって、優栄の普段は隠れている右目が顕になり、バチリと視線が合った。





 「ずっと、ひーちゃんのことが大好きだよ」




 俺の前にいる優栄は、少しずつ沈みゆく太陽を背にしながら、この世の全ての幸せを詰め込んだような顔で笑っていた。






 俺は、その優栄の姿を見て、ゾッとするくらい美しいと思った。

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