幸福の国は実在した
私の解釈です。
その昔、「グリュック王国」というのが本当にあったんですが、みなさん御存知?
『葬送のフリーレン』の黄金郷のマハト回の主役は、もちろんマハトです。
本来の主人公一行は、機械仕掛けの神として、添えものみたいな立ち回りをしている。
そういう回。
この登場人物、いわゆる「やさしい悪魔」で、「悪魔に人間の心なんか分かるはずがない」が、この回のテーマになっている。
私ら世代なら『悪魔の花嫁』を思い出しますが、いい感じに今どきの作品としてアレンジされていると思いました。
この作品は全体にそうらしいのですが、この回、えらく深い所まで吟味された情報が埋没した状態で作られている。
端的に言って「猛烈に分かりづらい」。
私がまず蹴躓いたのは、黄金郷の「金」の意味です。
マハトが魔法で拵えた金は、生物無生物を変えた物なのですが、金属の金とは性質の違う何かである事が作中で示唆されている。
ところが、それが「どういうことなのか」という説明がまるで無い。
ある日ふと気付いたのですが、日本のアニメやコミックに時々見られる特有な描写だと思うのですが、「時間の静止した物体」を「金色」で描写する事があるのですね。
私の記憶の中にある一番古い描写は、『勇者ライディーン』のあの金ぴかのロボットです。
その解釈が一番理解出来たという、そういう話なのですが、マハトの「万物を黄金に変える魔法」とは生物無生物を問わず物体の時間を静止させる魔法なのだろうという事です。
この解釈に基づいてマハト回を読み直してみると、色々と腑に落ちました。
マハトが人間に興味を持つ事になった老人の言葉、「かわいそうに」の意味するところ。
もちろん、「かわいそう」なのはマハトなんですが、何が可哀想なのか読者にも分からんのです。
悪意や罪悪感を理解しようとするマハトの旅の中で最後に出会った人物は、グリュック(幸福)というのですが、この人物はマハトに悪意や罪悪感を理解させる為に、その対となる「幸福」を与えようとしたらしい。
明確に文字で示される事はなかったのですが、作中の描写から、そのように窺い知れる。
だから、マハトが「幸福」の中に浸っていると思えるシーンがたくさん描かれています。
その幸福に陰りが見えたのが、グリュックの病でした。
普通に考えたらグリュックが死んでお終いになるだけですが、「やさしい悪魔」は悪魔なりに考えた。
「理解出来ない」なりに、幸福について、あるいはその探求の元となった悪意や罪悪感について、考えたらしい。
その結果、「全てをぶち壊そう」として「万物を黄金に変える魔法」を使うのです。
普通に考えたら、魔法=死ですから、核爆弾一発爆発させて全部お終いという解釈でいいのですが、マハトの魔法は違うんですね。
「物体を静止させる」、つまり保存の為の魔法なのです。
実は誰も殺していない。
本当に住民全て皆殺しにしていたら、今度こそ罪悪感を理解出来たかもしれないが、それをしなかった。
それどころか、友人であるグリュックに「死ぬな」と言ってるも同然なのです。
ところが、本人にもその辺りがわからない。
そして、世界は黄金に包まれる。
なるほど、「かわいそうに」と言われる訳ですわ.
この後のマハトの行動も、「かわいそうに」を加速させます。
黄金に変えてしまった人々は実は死んでいないのだけれど、マハト本人には「元に戻せない」という。
これはつまり、人間の心が理解出来ない事から来る限界、その暗喩らしい。
「もう会えない」、それはマハトに原因がある。
「万物を黄金に変える魔法」とはつまり、マハトにとって呪いの様な魔法で、「実は殺したくない」とも取れる本人の願いの形、その歪さの象徴の様なものであるらしい。
そして、このイベントの後、マハトが殺すのは「幸福」であるところの黄金郷を荒らしに来た侵入者たちのみになります。
まるで、主人の居なくなった城を一頭で守り続ける番犬みたいに、ずっと墓守をしていたという描写がしばらく続く。
本人には、その意味が理解出来ていない。
物語終盤では、探求を諦めて虚無に飲まれるかの様に旅に出ようとする描写まで行われますが、その直前にフリーレンらが「全てを黄金に変える魔法」を解除し、マハトは懐かしいグリュックに再会し、弟子であるデンケンに介錯されて果てます.
つまり自分が「全てぶち壊す」代わりに、「自分が殺される」のも解決の一つで、終わり方で、この「やさしい悪魔」は、大切な物を一つも失わずに幸福の中で終わるのです。
でもやはり、その幸福が「わからない」と言っていたのです。
うん。
ものすごい難しい話でした。
ちなみに、リアルなグリュック王国は、今では廃墟に成っております。
金ぴかでも駄目だとは思うのですが、あの黄金郷の絵を見ますとね、本当にあんな感じの建物群でしたから、何とも言えない気持ちにさせられます。




