赤い髪の男 09
入院から約一週間。俺は殺風景と消毒液の臭いを友とする病室から、ようやく慣れ親しんだブラックストン邸へと戻った。
もっとも肩は包帯が幾重にも厳重に巻かれるという、素人目にも完治がほど遠いと思える状態。
見送ってくれた医師や看護婦などは、本心ではあと二週間は休養して欲しいと考えているのが、表情を見ればよくわかった。
それでも退院を強行し戻ったのは、こちらにあまり時間の猶予が無いという一点に尽きる。
「それで、ご当主様はなんて?」
病院から持ち帰った荷物をベッド上に置き、いまだ身体を襲う痛みを堪えながら腰を下ろす。
処方された強力な痛み止めを呑み込み、帰路の最中同行してくれたシャルマへと、俺は簡潔な質問をぶつけた。
「打って出る、と」
「俺が入院している間に、ヤツがまた活動を再開したのが理由か?」
「それ以外ないでしょ。あいつがまたエメリーを狙う可能性は高い、待ちの一手を続ける間に、また被害者が増えるのは好ましくないってことね」
シャルマは壁へもたれかかると、コーデリアが悩んだ末に出したであろう結論を伝えてくる。
病院で療養に専念している約一週間、溺れる者は鳴りを潜めていた。
しかしいざ退院を翌日に控えた昨日、ヤツはついに行動を再開したのだ。
深夜に外を歩いていた子供の一人が襲われ、早朝に死体が大通りに放置されていたと聞く。
年齢、身体的な特徴も合致。間違いなくヤツ、溺れる者による凶行だ。
バリー警部のしていた予測が、当たってしまった形となった。
「コーデリアもいい加減この状況を脱したいみたい。屋敷内にある武器を好きに持って行っていいって」
ヤツの怪我がどの程度回復しているかは不明だが、少なくとも己の猟奇的な願望を果たそうと動ける程度の状態にはなっているらしい。
下手をすれば負傷がきっかけとなり、以前よりもさらに苛烈化する恐れさえ。
そうなれば市内に住む多くの子供たちだけでなく、ヤツがどういう訳か執着したエメリーを狙い、再三ここを襲撃するかもしれない。
どちらかと言えば、コーデリアは後者についての危険を考えたようだ。
一時はエメリーのため静観を決め込んだものの、ここに至ってまた打って出ることにしたようであった。
そのために屋敷の地下倉庫に保管してある、市警に気付かれれば相当の疑いをかけられるであろう、諸々の武器を持ち出す許可を出したと。
「今回ばかりは、手段に贅沢を言っていられないか。なにせ相手が相手だ」
以前に持ち出したライフルもだが、あそこには軍用レベルの強力な武器が転がっている。
これまでは基本ああいった物を使わず、その場その場で手段を講じて来た。
しかし単純な戦闘の技量に関して言えば、扱う武器の違いもあって向こうの方が若干上。四の五の言ってはいられない。
「私たちは早速今夜からまた街に出る。あなたはもう暫くゆっくりと……」
「いや、俺も行くよ。ちょっとくらい休んだからって、劇的に改善するような怪我じゃないしね」
決まったからには、すぐ行動を起こすつもりであるらしきシャルマ。
けれど彼女はこちらのことを気に掛けたか、しばし屋敷で休んでいるように告げてくる。
先日暗殺した標的以降、シャルマはどうにも優しいように思えて、少しばかりくすぐったい。
とはいえ彼女に返したように、この怪我が完治するにはまだ時間を要する。
それに猶予もない。ここは無理を推しても、出来る形で加勢をしたいところ。そもそもそのために、入院を切り上げて来たのだから。
「どれだけ言っても聞かないんでしょうね。でもこっちが無理と判断したら、すぐに病院に送り返すわよ」
「了解だ。精々足を引っ張らないようにするよ」
いざとなれば、無理やりにでも離脱させると告げるシャルマに頷く。
彼女は一応その言葉に納得してくれたか、扉を開くと俺と共に屋敷の地下へと向かった。
地下には酒の保管庫があり、そこへ入ってさらに奥へ。
高価なワインや、年代物の蒸留酒が大量に並べられた、時価にしていったいいくらになるのか想像もつかぬ品々。
それら視線を集める酒から隠れるように、比較的日常の消費に向いた品を収めた棚が、隅へひっそりと置かれていた。
そのどこか場違いにすら思える棚に置かれた、埃を被った一本のボトル。
そいつを退けて奥に隠れた小さな突起を引っ張ると、ガコンと重い音がし、酒棚が横へとゆっくりスライドしていく。
俺とシャルマはそれに驚く素振りも見せず、奥に続く通路を歩き、屈まなくては通れないような小さい扉をくぐった。
俺は隠された小部屋でランプの明かりを点け眺めると、呆れ交じりの深い息を吐く。
見ればライフルや拳銃、それに暗器の類が壁一面に掛けられていた。
「この中から選び放題とは、随分と豪気なものね」
「まったくだ。……これだけの武器があれば、下手すると市警本部くらいは制圧できるかもしれない」
地下に隠された部屋に入る俺とシャルマ。
壁へと大量に据えられた武器の数々を見るなり、揃って威容に圧倒される。
ここはブラックストン邸の最深部に設置された、緊急時に備えての武器庫だ。
もっともこの部屋の存在を知るのは極一部。以前に居た使用人たちはほとんど知らなかったろうし、現在屋敷に居る中でも俺とドラウ爺さんにコーデリア、それについ最近聞かされたであろうシャルマくらい。
半ば雑事のほとんどを仕切っているエイリーンや、酒の保管庫を管理しているリジーさえ知らぬ、最も秘匿性の高い場所であった。
しかし前回ライフルを取りに来た時も思ったが、こいつはなかなかの品揃えだ。
どいつもこいつも軍用の最新型で、口にしたようにちょっとやそっとの連中であれば、俺とシャルマだけでも制圧出来かねない装備の数々。
いったいどこで調達したのかは知らないが、もし市警に知られれば間違いなく大規模な手入れを食らうのは避けられそうもない。
「私は正直射撃武器が得意じゃないし、そっちは任せることにする」
「俺もどちらかと言えば苦手な方なんだけれど……。そういえば爺さんはどうしたんだ?」
壁の武器を順に眺め、大振りなナイフを手にするシャルマ。
一方の俺は普段使うナイフや、コーデリアからもらった仕込みサーベルのような武器ではなく、拳銃とライフルを手にしていく。
シャルマへと言ったように、怪我の状態を考えれば今回は近接戦闘を彼女やドラウ爺さんに任せ、援護に回った方が良さそうだ。
ただそこでふと、屋敷に戻ってからまだ見かけていない老爺の名を口にする。
「例の警部補を監視している。今頃は市街のどこかを歩いているんじゃないの」
大きく湾曲した剣を鞘に納めながら、こちらの質問に答える。ただその内容は少々意外なものであった。
なにせヘニング警部補は、俺が入院中も町の警邏へと普通に出ていたのだから。
当然"溺れる者"の容疑者からは外れていると考えていた。
ただそれに待ったをかけたのがドラウ爺さんであると、シャルマは肩を竦めながら告げる。
聞くところによると、先週俺とバリー警部が庭でヤツと対峙した時、爺さんは密かに屋敷の二階から覗いていたようだ。
そのドラウ爺さん曰く、溺れる者の足運びには独特な、警察組織で用いる武術の癖があるとのこと。
「これも年の功、ってやつなんだろうか」
「というよりも観察眼ね。他に犯人の候補が居るでもないし、もう一度その人に狙いを定めてみようって」
まるでその存在を気取らせなかったドラウ爺さんが、よもやそんな細かいところまで見ていたとは。
その観察の末に、やはり溺れる者が警察の人間であろうと推測したらしきドラウ爺さん。
半ば消去法というか仕方なしにではあるが、結果再びヘニング警部補へ狙いを定めたようだ。
地下の武器庫で自身の得物を物色し終えた俺とシャルマ。
そこからは一旦地上階に戻り、食事を摂って夕刻までを休息に充てることに。
痛む肩を薬で誤魔化し、なんとか眠りについてからしばし。次に目を開いたのは、茜色の空が濃紺に染まっていく頃合いだった。
「さて、では行こうかの」
軽く欠伸をしながら、用意した荷物を背負って階下へ。
するとそこでは一旦戻ってきたのか、階段に腰を下ろしていたドラウ爺さんが。
彼はこちらの姿を見るなり立ち上がると出立を口にした。
シャルマの姿は見当たらない。ということは俺が眠っている間に、爺さんと監視役を入れ替わったということか。
それに戻った爺さんも、時間から考えてそう長くは休息を摂っていないはず。
やはりシャルマだけでなくドラウ爺さんにも、怪我のせいで随分と負担をかけているようだ。
「なんじゃ? 妙な顔をしおって」
「いや、ちょっと年寄りの冷や水って言葉を思い出してさ」
「小童が抜かしおる。こう見えてもかつては先代ご当主様の右腕と呼ばれたのだ、少々の無理など造作もないわい」
老体に鞭打っているように思えたが、当人に寄ればまだまだ身体は頑強のつもりでいるらしい。
俺の軽口を笑い飛ばすと、自身の獲物である無数の投擲ナイフをチラリと見せ、夜の市街へ向かうべく扉へ歩く。
腰こそ曲がりつつあるが、確かに年齢を感じさせぬ矍鑠とした動き。
俺はそんなドラウ爺さんの後ろに続き、溺れる者を討つべくグライアム市中心部へと向かうのであった。




