赤い髪の男 08
猛烈な痛みによって意識を失い、馴染みの病院に担ぎ込まれてから数日。
俺はこの日も、他に人の居ない病室のベッドで腰かけ、大きな溜息をついていた。
シトシトと降り続く雨を眺め、手にした本をベッドの上に放る。
屋敷の仕事から解放されているのは良いとして、この殺風景な病室で絶対安静となれば、本を読むくらいしかやることがない。
それにしたところで、時折奔る肩の痛みによって、集中力がかき乱されてならなかった。
「薬が切れて来たか……」
金串をねじ込むような鈍い痛みは徐々に強くなっていく。
医者は治ると言っていたが、それでもかなりの重傷であったというのは否定してもらえなかった。
今もこうして頻繁に服用する痛み止めによって、なんとか平静を装っているにすぎない。
やはり"溺れる者"の繰り出した攻撃は、相当な深手となっていたようだ。
俺は再び強くなり始めた痛みに、引き出しから痛み止めの錠剤を取って呑み込んだところで、病室に入ってくる人影が。
「あらあら、また痛みが強くなってきましたか?」
現れたのは、この病院に努める看護婦だ。
ここの医者はブラックストン家の事情を承知しているが、看護婦である彼女はそうでなく、俺をただ船の事故で負傷した人間と聞いているはずであった。
その彼女は水差しからコップに移したものを手渡してくる。
「この痛みだと退院後に備えて、かなり多めに薬を貰う必要がありそうです。鞄一杯用意してくれるよう、先生に言ってもらえませんか?」
「あまり無茶はしないでくださいね。出来ればあともう一週間は、ここで大人しくして欲しいくらいなんですから」
肩の固定を確認する看護婦は、無理に笑いながら軽口を叩く俺に苦言を口にする。
普通はこんな状態で無理をしては、後々酷い有様になってしまいかねない。彼女の忠告は正しいのだろう。
しかし俺は退院したら早々に、痛みを堪えやらねばならぬことが。
「残念ながら、仕事がなかなかに溜まっていまして。身体を酷使しながら治すしかなさそうです」
確かに通常であれば、長期の療養を必要とするほどの状態。
だが今この機会を逃せば、また溺れる者は活動を再開してしまう可能性が高い。
シャルマとドラウ爺さんも実力者ではあるが、神出鬼没なヤツであるだけに、駒が大いに越したことはないはず。
そんな事情を口にはしないものの、断固とした空気を察したのかもしれない。
看護婦は呆れたように嘆息すると、ふと思い出したように病室の入口へ視線を向けた。
「困った患者さんね。ああ、そうだ。その困った患者さんに、今日もお見舞いの方が来られているんですよ」
彼女が向ける視線を追って顔を向ける。
するとそこにはいつから居たのか、手にちょっとした花束とフルーツの籠を手にした、バリー・ロックウェル警部が立っていた。
日毎に一人ずつ、屋敷の住人たちが見舞いに来てくれてはいる。
それでも流石に多忙なバリー警部までは、来ないと思っていたのだが。
「まさか警部にまで来ていただけるとは」
「出来ればすぐにでも見舞いに来たかったんだけれどね。それよりも……」
替わりの水差しを置く看護婦が退出していくなり、バリー警部はひとまず手土産を渡してくる。
そして彼は一呼吸置くと、深く頭を下げ謝罪を口にした。
バリー警部のする謝罪の内容としては、ただの一般人である俺を危険な状況に晒した件について。
警察という立場を考えれば、この対応は至って常識的なものに違いない。
とはいえ形の上ではこちらから加勢したのだし、あまり気にせずともよいと思うのだが。
「ところで、捜査の進捗はどうです?」
そのバリー警部が手近な椅子に腰を下ろすなり、俺は単刀直入に問う。
これまでここへ見舞いに来た人間にも、当然この類の質問を向けてはいる。
しかし全員がまず療養を第一と、まったく教えようとはしなかった。コーデリアなどは、微笑むだけという無言の圧によって、俺をベッドに縛り付けたくらいだ。
「本来なら君に話してはいけないんだけれど……」
「今更それはないでしょう。なにせ警部に協力して、こんな怪我まで負ったんです」
「君もなかなかの脅しをしてくるものだね、そんな性格とは思わなかったよ。……とはいえ実際こうも関わられると、教えぬ訳にもいかないか」
俺が肩の包帯を見せると、困ったように唸るバリー警部。
ただ実際のところ、こちらが溺れる者との戦いで負傷したとはいえ、彼にはちゃんと情報の提供を断る正当な理由がある。
それでも簡単に折れようとしているのは、ひとえにバリー警部自身の律義さが故だろうか。
強力をした義理によって、ある程度の捜査状況を口にしていくバリー警部。
彼によると"溺れる者"はあれ以降、市中に一度として出没していないらしい。
もしや発見できていないだけかと思うも、実際子供たちに被害が出ていないため、現在は活動を休止しているという見方が有力のようだ。
おそらく俺が撃った、……表向きバリー警部が撃ったということになっているそうだが、それによる負傷が原因。
やはり腹部に受けた鉛玉は、ヤツに相当の深手を負わせていたと見るべきか。
「とはいえこのまま事件が終幕となるとは、だれも思っていないでしょう」
「当然さ。ヤツは傷が癒えれば、再び子供たちを狙って活動を再開する。半ば確信を持って言える」
それは考えるまでもなく明らかで、バリー警部によると市警内部では、むしろ緊張が高まっているようだった。
今はまだ公となっていないが、いずれ新聞社あたりがこの件を嗅ぎつけてくる。
故にバリー警部ら現場の人間は、新たな被害者の発生に気を張り、市警上層部は来たる取材陣への対応に緊張しているとのこと。
「ヘニングも流石に限界が近そうだったな」
「……ヘニング警部補が、ですか?」
その状況を指すのにうってつけと考えたか、バリー警部が口にしたのは後輩であるヘニング警部補の名。
しかし彼が今回の標的、"溺れる者"ではないかと考える俺は、その名を耳にするなりついオウム返しに問うた。
「体力自慢のあいつも、いい加減疲れが溜まっているらしい。今朝などは仮眠室に入ったきり、昼過ぎまで起きて来なかったくらいさ」
「では彼も、町の警邏に出ているのですね……」
「ん? ああ、なにせ慢性的な人手不足だ、毎晩のように」
もしや先日の襲撃以降、ヘニング警部補は休暇でも取っているのかと考えた。
ヤツの傷も相当なものであるはずなので、真面に警察としての仕事に従事出来ないのではと思ったためだ。
しかし予想に反し、ヘニング警部補は普段の勤務をこなしているという。
疲労の色は濃いものの毎日市警本部に来て、夜毎市中の警邏に出ているとのこと。
こちらの想定した負傷の程度が存外軽かったか、それとも彼が溺れる者であるという想定が、そもそも間違っていたというのか。
こちらの反応に一瞬訝し気な表情となるバリー警部であったが、質問の意図に特別なものが含まれてはいないと考え毎夜の警邏をしていると返す。
ただそこでふと、なにかを思い出したのかもしれない。彼はこちらをジッと凝視し、口ごもるような素振りを見せた。
「どうしたのですか警部?」
その様子がどうにもおかしく、不穏に思えてしまう。
そこで探りを入れるべく恍けて聞いてみると、彼は躊躇しながらも口を開いた。
「そういえば君は、どこで戦いの術を?」
バリー警部が問うてきたのは、おそらくは至極当然の疑念。
あくまでも俺は表向き、ブラックストン家に仕える執事であり、時にテーラーの従業員だ。
そんなただの一般人が、ナイフを手に世を騒がす殺人鬼へと立ち向かい、咄嗟の状況で迷わず拳銃を使って撃退した。
例え彼でなかったとしても、そこに何がしかの裏があると考えるのは無理からぬこと。
警部の問う声色と視線は真剣そのもの。軽い冗談交じりの誤魔化しが通用する空気ではない。
おそらく俺についても調べており、ブラックストン家が用意した偽のものではあるが、経歴に軍属経験がないというのは把握しているはず。
そこで一応こういう場合に備えて、表向きのものとして用意しておいた理由を教えることにした。
貴族ではないとはいえ、郷紳ともなれば色々と隠し事も存在する。
そのために屋敷で雇い入れる使用人に、護衛を兼ねた役割を持たせる例が無くはない。
俺は最初からその前提で雇われた使用人であり、新たな護衛役探しという役割も兼ねテーラーに居た。……という設定を。
「申し訳ありません、例え市警の方であっても、当家の事情をおいそれとは話せなかったもので」
「……いや、そういう事情があったのなら仕方ない。悪かったね、立ち入ったことを聞いてしまった」
俺の口にした建前上の理由に、バリー警部は納得した表情で頭を下げる。
しかし俺はどことなく、彼が今の言い訳を本気で信じたようには思えなかった。
本心ではこちらに対し、なにか強く疑いを持ち始めているように思えてならない。……あくまでも直感だけれど。
それでも双方、表面的な理解を顔に浮かべる。
ここまでバリー警部とは、テーラー従業員や執事としての役柄という範疇でだが上手くやっていた。
けれど俺にはその脆い繋がりが、次第に崩れ初めているように思えてならなかった。




