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溺れる者 10


 バリー警部とテーラーで会ってから、さらに数日。

 その間どういう訳か例の殺人鬼、"溺れる者"はパッタリとその行動を停止していた。


 市中では様々な憶測が流れている。

 曰く、グライアム市警の秘密集団によって既に拘束され、尋問を受けているのでは。

 曰く、なにか不測の事故に遭遇し、既にこの世に居ないのではないか。

 中には"溺れる者"が元々生者ですらなく、欲求を果たした亡霊がようやく神に召されたなどという、この国の人間が好きそうな説まで飛び交っていた。



「本当に、そのどれかだと面倒がないんだけど」



 夕刻、この日一日の主だった仕事を終えた俺は、屋敷内の廊下を歩きながら嘆息する。


 もっとも市警が捕らえたというのであれば、大々的にその成果を明らかとするはずだ。

 なにせここまではずっと批判に晒され続けであったのだから。

 公表が出来ない理由があるとすれば、実際に"溺れる者"が市警内部の人間であったという場合だけれど、今のところどの情報網にもそういった話は引っかかっていない。


 普通に考えた場合最もあり得そうなのが、市警を警戒し鳴りを潜めているというものだろうか。

 なにせ警部から聞いた翌日には、被害者の特徴が各紙の一面を飾っており、逮捕も間近といった論調であった。

 少しくらい衝動を我慢してでも、大人しくしているというのはわからないでもない。



「……随分と雨脚が強くなってきたな」



 そこまで考えたところで、ふと窓から外を見る。

 朝からずっと降り続いていた雨だが、さっきまで小雨程度であった。けれど今は徐々に雨脚が強くなり、風に煽られ窓ガラスを叩いていた。


 この様子だとじきに嵐となりそうだと思った瞬間、外が眩く光る。

 少しして、遠くから聞こえてくる落雷の音。

 念のため上の階をチェックしておいた方が良いだろうか。なにせこの屋敷も、建ってからある程度の年数が経過しているのだから。


 そこで上階に行き、雨漏りをしていないか調べようと屋根裏への階段に向かおうとする。

 だがその一番下の段で、小さな影がうずくまっているのに気付く。



「どうしたんだエメリー。勉強はもう終わったのか?」



 そこに居たのは、本来使用人の棟に居るはずなエメリー。

 普段は自室でエイリーンに勉強を見てもらっているのだが、彼は時折自習目的で本館の方にある書庫を使っていた。

 今日がその日だったようだけれど、どういう訳か自室に戻らず身を小さくしており、掠れた声で理由を呟く。



「か……」


「か? どうしたんだ?」


「カミナリ……」



 いったいどうしたのかと思いきや、雷が怖くてうずくまっていたらしい。

 おそらく勉強を終えて自室に帰ろうとするも、さっきの落雷によって怯えたに違いない。


 大人しく、歳の割には賢そうに思えるエメリー。

 それでもやはり歳相応なのかと微笑ましく思え、エメリーの手を握る。

 するとちょっとばかり安堵したようで、立ち上がり俺の横を歩き始めた。


 雨漏りのチェックは後回しにし、エメリーを厨房なども備えた使用人棟に連れていくことに。

 廊下を通り、外へ繋がる扉を開き、屋根付きの細い渡り廊下を歩く。

 けれど吹き込む風雨に晒されながら進んでいると、雨が降りしきる庭の真ん中に、人影が立っているのにふと気づいた。



「誰だ? ……ドラウ爺さん、じゃないな」



 土砂降りな中、その人影は微動だにせず立ち尽くしていた。

 庭ということもあって一瞬ドラウ爺さんかと思うも、彼は歳のせいもあって若干腰が曲がっている。

 かといってリジーやエイリーン、それにコーデリアが雨の中立っているはずもなし。


 もしや外から入ってきた不審者だろうかと考え、警告を発しようとする。

 しかしその動きは、エメリーが手を引っ張ったことで遮られた。



「エメリー?」


「ヤダ……。こわい」



 エメリーの震える声と身体に、猛烈に嫌な予感を受ける。

 基本的には寡黙な少年であり、あまり自己の感想や主張を口にする方ではない。

 それが問わずとも口を開くというのは、子供なりのなにか強烈な印象が存在したのかもしれない。


 ハッとし庭の不審者へと視線を戻す。

 すると屋敷の建物へ向いていたそいつの身体が、ゆっくりとこちらを向いた。

 僅かに弱まった雨脚によって、屋敷へ灯された明かりを受けたそいつの身体が浮き上がる。


 中肉中背という特徴のない体型に、真夏だというのにフード付きの厚手なコート。

 片手には明りの消えたランタン。そしてもう片方には……。



「エメリー、急いで姉さんのところに行くんだ」


「え、でも……」


「いいから行け。走るんだ!」



 エメリーの手を振り払い、その背を軽く押す。

 突然な俺の態度に驚く幼い背中は、困惑しつつもこちらの態度から異常を察知。慌てて使用人棟の方へと駆け出した。


 庭に立つ不審な輩、そいつの手に握られた物を見て確信した。あいつは危険だ。

 長い、おそらくロープ。そして先端には、分銅のような塊。

 あれが武器の類であるのは想像に難くなく、こんな場所で武器を手にしているなど、暴力的な目的を持っていると考えるのが自然だった。



「無用な怪我をするのもさせるのも、出来れば避けたい。大人しく帰ってくれるというのなら、今回だけは勝手に入り込んだことを不問にするが?」



 エメリーが怯えていたように、確かにこいつからは猛烈に嫌な印象を受ける。

 陽も落ち、分厚い雲によって暗くなった庭に在って、なお黒く気配。まるでインクを溶かしたかのように。


 俺も裏家業の人間として、それなりに修羅場は超えて来たつもりではある。

 しかし出来ればこいつとはやり合いたくない。そう思える、特段の雰囲気をそいつは纏っていた。


 そこで微かな希望を込め、不審な輩に撤退を促してみる。

 だが当然のようにヤツはこちらの言葉を無視。身体がゆっくりと動き、それが使用人棟へ駆けるエメリーへ向いているのが明らか。

 そして狙いがエメリーであるとわかった途端だ、不審な輩が雨の中を跳ねるように駆け出したのは。



「問答無用かよ!」



 すぐさま両者の間に割って入り、懐に納めていたナイフを握り一閃する。

 普段から万が一に備え、小さなナイフを服に仕込んでいた。

 悪態つきながらそいつを振るったのだが、俺は正直初手から相手を切り裂くつもりでいた。


 しかし謎の存在は一気に勢いを殺すと、身体を反らしナイフの軌跡から逃れる。

 その動きのまま宙返りをし、こちらから距離を取った。

 かなりの身体能力。訓練と共に、元来持っている能力すらも窺わせる。



「お前、何者だ?」


「……」


「返答はなし、か。だいたい予想はついているから別にいいけど」



 距離を取って、手にした分銅付きのロープを握る不審な存在。

 おそらく男だとは思うが、目深に被ったフードのせいで顔すら見えぬそいつへと、素性についてを問う。


 案の定答えは返ってこない。しかし俺にはこの男が、何者であるか想像がついていた。

 降りしきる雨の中に立つ姿からしても、ヤツの名を連想してしまう。



「お前が"溺れる者"だな。子供を狙ってこんな場所まで来るとはご苦労なことで」



 高い塀を乗り越えて屋敷に入り込み、わざわざ赤毛の少年であるエメリーを狙った執着。

 それにロープだ。"溺れる者"による被害者の子供たちは、溺れさせられた後で瀕死の所を絞殺されていた。

 これらと昨今の状況を考えると、こいつが件の殺人鬼であろうことは明らかだ。



「本来の活動範囲とは離れているぞ。いったいどういう心境の変化なんだか」



 こいつが"溺れる者"と呼ばれる殺人鬼であるのは、まず間違いないとは思う。

 ただこれまでこの男が確認された行動範囲は、市街の比較的中心部にほど近い区画。決してブラックストン邸の在るような、都市郊外ではなかった。


 市警の監視が厳しくなったため、活動範囲を変えたという可能性はあるが、あえてこの地域を選ぶ理由がわからない。

 ここいらはいわゆる富豪が多く住む地域で、そこの子供が犠牲になったとしたら、市警がより大規模な炙り出しを仕掛けるのは明らかだ。

 となると考えうる可能性としては、エメリーを狙ってわざわざここへ来たというところか。



「もしかしてあの子を狙ってここまで来たのか?」


「…………」


「ったく、言葉の一つも発しないとは、やり難くて仕方ないな」



 望み薄と思いつつも、エメリーを狙っているのかを尋ねる。

 けれどやはり返答はなく、ヤツは手にしたローブを握り、分銅部分を先端に回転させ始めた。

 どうやら本気でこちらとやり合うつもりらしい。


 それにしてももし仮に想像が合っていたとして、どうしてエメリーが狙われたのか。

 赤毛の少年など市内にいくらでも居り、ブラックストン邸に侵入するようなリスクを冒す必要はないはず。

 とはいえ今はそれを考えている場合ではなく、俺は手にしたナイフを静かに構えるのだった。


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