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溺れる者 08


 夜が明けていくにつれ、徐々に町を覆い始めた雨雲。

 早朝にシトシトと降り始めた夏の雨は、雲越しの朝日が入り込まぬ路地と、そこで倒れる少年を濡らしていた。


 俺はその少年、物言わぬ骸となった幼い身体を立ったままで眺める。

 新聞の記事にあった通りだ。雨量にしてはずっと濡れている赤毛からして、少年が溺れさせられたのは間違いない。

 首には絞殺痕があり、手は後ろで縛られている。件の少年を狙った猟奇殺人犯、"溺れる者"と呼ばれる存在の手口とまったく同じだ。



「……確かにこいつは異常だな」



 俺は少年を見下ろしながら、その手口についてを観察、率直な感想を漏らす。

 このように猟奇的な行いをする輩が正常なはずはないが、それにしてもこれは異質だ。


 少年の死骸から受ける印象は狂気、あるいは"妄執"とでも言うべきものだろうか。

 溺れさせて殺害するのではなく、そこから一旦命を繋ぎ、さらに首を絞め命を奪うというのが不可解。

 ただの変質者が己の欲求のまま突っ走っているのとは、少々異なる印象を受けてならない。



「歳は……、8歳かそこらってところか。エメリーよりも少し上だな」



 いつヘニング警部補が戻ってきても大丈夫なように、あまり接近しすぎないままで少年を観察する。


 そのヘニング警部補は現在、他の警官たちに応援を求めに行っている。

 警笛を使えばすぐに周囲の警官たちを呼べるが、それだと周辺の住民までもが様子を見に押し寄せてしまう。

 このようなモノ、あまり一般人の目に触れさせたくないというのが本音らしい。


 彼は偶然通りかかった人間が近づかないようにという、若干無茶振りのようなものを残していった。

 死体を一緒に発見したため、既に俺を一般人の扱いにはしていないと見える。

 どことなくその扱いに苦笑していると、数人の男たちが駆けて来るのが見えた。



「すみません、少々手間取りました」



 同僚の警官を連れ戻ってきたヘニング警部補は、息を切らして謝罪を口にする。

 そこからすぐに指示を出し、周辺の封鎖やさらに来た増援の警官たちを纏めていく。

 澱みや迷いのないその動きから、彼がなかなかに能力の高い人物であることが窺えた。


 そして指示を出すのも一段落したところで、彼は少年の死体をもう一度観察しようとする。

 ただしゃがみ込む前にこちらへ向くと、申し訳なさそうに告げた。



「出来れば最後までお送りしたかったのですが……。申し訳ない、あとはお一人で行って頂けますか」



 丁寧な謝罪をしながらではあるが、ヘニング警部補が言っているのは、「早く退散してくれ」という意味合いのもの。

 こちらに協力を求めておいてとも思うが、彼がそう言うのも当然だ。犯行のあった場所で、俺はなんの権限も義務も持たぬ一般人に過ぎないのだから。


 共に死体を発見してしまったという点で、後々なにか連絡をするかもしれないという言葉だけを口にし、ヘニング警部補は少年の死体へと向く。

 ただ俺が背を向け路地を出ようとしたところで、もう一つ伝えたいことがあったらしく、決して大きくはない声を発した。



「あの時の少年にも、気を付けるよう伝えてください」



 あの少年というのが、リジーの弟であるエメリーを指すのはわかる。

 歳の頃も被害者たちと近いうえに、そこそこ整った容姿をしているというのもあって、変質者にとっては案外狙い甲斐のある存在なのかもしれない。


 俺は警部補の忠告に頷くと、そそくさと事件現場を後にする。

 少しばかり離れてから振り返ると、召集の掛けられた警官たちや、騒ぎを聞きつけた住民が続々と押し寄せていた。

 このタイミングで警部補から退散されるよう促されたのが、結果的に良かったかもしれない。



 そこからは一旦市街中心部を外れ、富裕層の多く暮らす住宅地へ。

 長く使われていない拠点の一つへと入り、客に荷を届けたフリだけをして、再び中心部へと赴きテーラーへ。

 おそらく警部補はこちらを疑っていないが、それでも一応念のためだ。


 しばしそこで店主と共に時間を潰し、昼を大きく過ぎてから店を出る。

 向かうのは現在利用している拠点。夕刻近くになってそこへ入るなり、俺を迎えたのは欠伸混じりなシャルマの声であった。



「ようやくお帰りだなんて、余程執着のある逢引き相手が居たと見えるけど」


「なかなかに生真面目な人でさ、入念に捲いてきたよ」



 今しがた起きたであろう彼女は、開口一番皮肉めいた言葉を吐く。どうやら体調は普段通りらしい。


 その彼女に軽く返しながら部屋を見渡すと、ドラウ爺さんの姿が見えないのに気付く。

 買い物にでも出ているのか、愛用の肩掛け鞄も見当たらない。

 それとも案外シャルマが眠っているため、ゆっくり出来るよう気を使って外出しているのだろうか。



「知ってるわよ。明け方に警官たちが騒がしくなったから、野次馬に紛れて観に行ったら丁度あなたが立ち去るところだったもの」


「そいつは気付かなかった。いっそ声をかけてくれれば楽が出来たんだけどな」



 一方でシャルマの方は、何気に俺の状況をおおよそ察していたらしい。

 もちろん具体的な部分は知らないだろうから、休憩をする前に経過報告でもしておこうかと床へ腰を下ろす。


 ただ丁度そこでドラウ爺さんが戻ってきたため、彼も交え話をすることに。

 爺さんが買って来た食事を広げ、口にしつついい加減眠気に襲われながらも状況を説明していった。



「なるほどのぅ……。今回もまんまと市警の網をくぐり抜けた、ということか」


「見たところ警官たちも、特定のルートを決めて監視している訳じゃないらしい。おそらく内部に犯人が居る可能性を考慮している」



 納得し頷くドラウ爺さんへと、俺は率直な感想を口にする。

 まだ監視を始めて一日経っただけ。しかし警官たちの様子から察するに、彼らは大まかな担当地域を持つだけで、動く順路そのものはランダムと言えるものであった。


 きっと上からの指示なのだろうが、理由として考えられるのはこのあたりだろうか。

 もしも内部に犯人が居た場合、その警戒網が逆に利用されてしまう恐れがあるためだ。



「警官が無秩序に歩き回っているのは確かみたいね。同じ人間を不規則な時間に何度か見かけたし」


「たぶん日毎に受け持つ区域も変えていくはず。……対象を絞り込むのが難しいな」


「あなたが会ったっていう、警部補はどうなのよ?」



 どうにも監視をするには、色々と難しい状況。

 そのことに頭を捻り思案する三人であったが、ふとシャルマが昨夜偶然遭遇した、ヘニング警部補についてを問う。


 ヘニング警部補と出くわしたのは、少年が遺棄されていた場所からそこそこ離れていた。

 距離だけを考えれば彼にも実行は可能だとは思うが、あれだけ大勢の警官が町中を歩き回り、たぶん身内ですら動きを把握出来ぬ中で、果たして見つからずに居られるものだろうか。



「受けた印象からすると、たぶん彼は違うように思える」


「ならその人は除外?」


「……いや、まだ確証は持てない」



 一瞬彼を候補から外しそうになってしまうが、すぐに思い直す。


 ヘニング警部補が殺人鬼であった場合、ああも平然と少年の元まで歩いていくだろうか。

 彼からは特有の危険な気配は感じられなかった。けれどシャルマが持つ"演じる"才や、ロイドのように他者へと"偽る"才能を持つ者も居る。

 あの人がそれに準ずるような才能を持ち、こちらを騙している可能性はやはり否定しきれなかった。



「なんにせよ、ワシらがやることに変わりはない」


「となると今夜もまた、夜通し監視をする日々ね」



 俺の言葉を聞くなり、ドラウ爺さんとシャルマは嘆息する。


 千を超えるグライアム市警の人間たちだけに、少しでもその犯人候補を減らしたいところではある。

 せめて一人その可能性を除外できるかと思うも、"かもしれない"を考えていては、いつまで経ってもそれは叶わない。

 二人の反応からして、若干の期待をしていたのだろうけれど。



「とりあえずワシらはこの後で外に出てくる。今日はお前が休むといい」


「悪いね爺さん。流石にもう眠気が限界で」


「市警の人間と直接話をしてくれただけで上々さね。今夜はゆっくり休むといい」



 そう言ってドラウ爺さんは立ち上がると、軽く食事の後片付けをしてから、シャルマと共に今夜の監視に出ようとしていた。

 今夜は俺が休息を摂る番。昼過ぎまでずっと歩き回っていたため、今回は休めと言っているようだ。


 ただ爺さんは部屋を出て行く前に、封筒をひとつ俺に寄越してきた。

 二人が部屋から出ていったところでそいつを開くと、中に入っていたのは数枚の写真。

 いったい何だろうかと考えるも、入っていたそれを見て苦笑が漏れる。



「まったく、爺さんはどれだけの情報網を持ってるんだか……」



 封筒に納められていたのは、少年の遺骸が写されたものが数点。

 姿格好からして、間違いなく今朝俺が見たのと同じ少年だ。

 しっかりと観察する間がなかった俺に、これでよくよく見ておけということだろうか。


 ただやはり気になってしまうのは、こんな物を易々と手に入れてしまうドラウ爺さんについてだろうか。

 捜査資料の類であろうこいつが世に出るのは、おそらく犯人が捕まり裁判にかけられた時くらいのもの。

 間違いなく市警から流出、というよりもそこから入手した代物だ。


 市警内部に犯人が潜んでいるかはまだわからない。

 けれどドラウ爺さんに協力をする、ある種の悪徳警官は存在しているようだった。



「ありがたい。この違法臭い写真、活用させてもらうよ」



 なんだかんだと言っても、こいつがありがたいのは確か。

 そこで俺は湯を沸かし濃い目の紅茶を淹れると、いつの間にか飛んでいった眠気が再び近寄らぬよう、紅茶を手にしたままで写真に視線を落とすのだった。


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