溺れる者 04
ブラックストン家における、最古参の使用人。
前当主について方々を旅している執事長よりも、ずっと長く仕えてきたのが、庭師のドラウ爺さんだ。
本来庭師見習いであった俺にとって、師匠とも言える人物。
そして暗殺者としての訓練を行うに当たって、やはり師匠の一人となっていたのがあの人物であった。
コーデリアの話によれば、ドラウ爺さんは元々前当主アーネストが暗殺者として活動していた頃、情報収集を行う役割を担っていたらしい。
時には自ら武器を持ち、アーネストと共に潜入行動まで行っていたという彼は、投げナイフの名手でもあった。
現在は老齢であるため引退状態にあるが、それでも彼はまだ持ち続けていた。当時からの伝手というものを。
「それで、いったいどこへ行こうっていうんだか」
「まあついて来ると良い。色々と案内はしてやれるぞ」
朝食を済ませ、執事としての仕事の諸々をエイリーンに任せた俺は、早々に身支度を終え屋敷を後に。
駅馬車に乗って中心部へ出たのだが、その隣にはドラウ爺さんがあった。
コーデリアの薦めに従って彼を頼ると、ドラウ爺さんはそそくさと外出準備をし、有無を言わさず俺を引っ張り回す。
屋敷を出てから小一時間、駅馬車を降りてからずっと市街を歩き回っている。
ただ町中を歩き回ってはぶらりと適当な店へ入り、店員と少しばかりの世間話をしては次の店へ。
その都度安価な代物を買い求めているのだが、それらには統一性らしきものがまるでない。
「お屋敷から出るのは久方振りでな、ちょっとばかり町を巡りたいんじゃ」
とはドラウ爺さんの言い分だが、なんとなくそれが建前に思えてならない。
いい加減荷物で俺の手が埋まっていき、さてどうしたものかと思案していると、またもやドラウ爺さんは店に入っていく。
彼について入ると、店内には無数の瓶が棚へ並んでいた。
どうやらここは酒屋らしい。ドラウ爺さんは別に下戸ではないが、そこまで飲む方ではなかったと思うのだけれど……。
「こいつはまた、懐かしい顔が現れたもんだ」
「久しいですな。十数年前にお会いして以来ですか」
ここまでに寄った店でもそうだったが、店へ入るなり店主らしき男と挨拶を交わすドラウ爺さん。
彼らは懐かしそうに互いを呼び合うと、早速商品を物色し始める。
俺はそんな様子を尻目に、屋敷の皆に土産と出来る品でもないかと物色をしていた。
コーデリアはドラウ爺さんを指し、現在グライアム市を騒がせている殺人鬼を追うための、取っ掛かりになるはずだと言っていた。
実際当人にその話をしたところ、アッサリと了承し俺を屋敷外に連れ出したのだ。
てっきり彼は既になにかを掴んでいるのかと思い、疑いもなくついて来たのだが、やっているのは旧知の店を巡る散歩モドキ。
昔からの馴染みであるらしき二人は、酒瓶を眺める俺を他所に、商品を引っ張り出しては談笑していた。
「これはまた素晴らしい。フィースランの40年物ですな」
「議事堂の地下倉庫で、埃を被っていたのを発見されたんだ。少々無理を言って譲ってもらった」
店主が取り出してきた小さな酒瓶を見て、ドラウ爺さんは感嘆の声を上げる。
どうやら相当に価値のある酒らしく、興奮したような気配が。
値段もまた極上のようで、ドラウ爺さんは「流石に手が出ませんよ」と、残念そうな素振りで酒を返していた。
「流石に40年物とはいかないが、13番通りの金物屋が20年物を持っている。手土産でも持っていけば、少しは飲ませてくれるかもしれないぞ」
「それは良いことを聞きました。では彼が好きそうな物を見繕って頂けますかな」
さらに若い酒であれば飲めるかもと言う店主は、ドラウ爺さんの頼み通り手土産を物色し始める。
もしかしてそこまで美味い酒なのだろうかと、密かに俺も気になり始めていたのだが、ふと彼らのやり取りに妙な部分が含まれているのに気づく。
さっき彼らが名を口にしたのは、北方に在る醸造所で造られている一級品の蒸留酒。
それも40年物となればかなりの代物だとは思うのだが、あそこの商品が評価されるようになったのは、確かほんの十数年ほど前からではなかったか。
来賓を迎えるなどの理由で、議事堂内に酒があるという事そのものは別段不思議ではない。
しかしそんなつい最近になって評価を上げた醸造所の品が、議事堂の地下でずっと保管されていたというのはおかしな話。
店主の記憶違いなのだろうか? しかしそれにしては、ドラウ爺さんもまるで気にした様子がない。
「さて、では次に行くとしようか」
手土産として渡された、見覚えのない蒸留所の名が刻まれたボトルを手に、次の場所へ向かおうとするドラウ爺さん。
そんな彼を見た瞬間、ふと俺の頭にはとある可能性が頭に浮かぶ。
もしかしてさっき彼らが交わしていたのは、隠喩あるいは符丁の類なのではないかと。
思い返せばここまで寄り道してきた店でも、なにやら不自然なほど親し気に会話をしていた。
もう長い間を屋敷で過ごし、余暇もほぼ敷地内から出ようとはしなかった人物だというのに。
そして寄ったそれぞれの店で、次に向かう店への切っ掛けを得ていたように思える。まるで定められたルートを辿っていくかのように。
酒屋を出るドラウ爺さんについて歩き、大通りを進む。
そして慣れた様子で次の店へ続くであろう、路地に入っていったところで、彼の背中に問いかけた。
「それで、次はどんな相手と秘密の会話を交わす気なんだ爺さん」
半ば確信を持って、抱いた感想を口にする。
するとドラウ爺さんは立ち止まって軽く笑い、振り返って髭の下へ柔和な笑顔を浮かべた。
「なんじゃ、ようやく気付いたか。洞察力の面ではまだまだじゃの」
「むしろ飽きずによく探ったと褒めて欲しいくらいだよ」
「なにを言う。ワシが第一線でお役目に就いていた頃は、何人も洞察力に優れた人員を抱えていたのだ。お前さんももっと観察する目を養うといい」
どことなく愉快そうに、昔語りをするドラウ爺さん。
一瞬年配者によくある、自身の全盛期を異様に高く見積もるあれかと思うも、おそらく彼の言葉は正当な評価。
前当主アーネストが率いていたという、ブラックストン家の諜報集団を想像すると、そちらの方がしっくりくる。
「ようするに、ここまで寄り道してきた店の人間、全員が爺さんの協力者ってわけか」
「というよりも情報屋じゃな。より正確に言えば、情報屋へたどり着くための案内人だ」
「なるほどね。それじゃあここまでしてきた買い物は、案内人への謝礼ってところか」
「これがなかなかに安くはない出費でな。昔も使う度にアーネスト様や執事長に渋い顔をされたもんじゃて」
そう言ってからからと笑うドラウ爺さんは、ちょっとばかり軽くなりつつある財布を振ってみせた。
反してズシリと重い荷物を持つ俺は、苦笑しながら肩を落とす。
きっと後でコーデリアに費用の清算をしてもらうのだろうが、確かにこれでは執事長あたりがイヤがっていたというのもわかる。
それは後で帳簿と格闘する羽目になる俺も同様。
いったいどれだけの情報が得られるかはわからないが、極力使いたくはないと思える手段であるのに違いはなさそうだった。
「さて、着いたぞ」
ちょっとばかり思い出に花が咲き始めたドラウ爺さんの話を聞きながら、狭く暗い路地を進んでいく。
そうしてとある建物の裏手、おそらく大通りに面しているそれの入口を前に立ち止まると、爺さんは神妙な空気を纏って告げた。
ここはさっき酒屋の店主が言っていた、13番通りと呼ばれる場所からは随分と離れている。
となるとあの言葉の中に、俺が気付いていない別の符丁が存在していたということか。
どうやらこの暗殺者という裏家業、なかなかに底の知れぬ世界であるらしい。
扉を開くドラウ爺さんに続き、建物の中を入っていく。
そこは一見してただのアパートで、見た限りでは富裕層向けの高級な作りをしているようだった。
しかし大通りから聞こえてくる喧騒とは裏腹に、建物内からはまるで人の気配がしない。
「嫌な感じだ。生活感はあるってのに、人がまったく居ない」
「上手く誤魔化してはいるがの。その違和感に気付くのは、余程の経験を積んできた者だけじゃろうて」
「つまりこの建物事体が、偽装のために建てられているってことか」
ドラウ爺さんの口振りからすると、ここが情報屋の拠点であるのは確か。
もっともそういった輩が、いかにも裏側の人間でございと言わんばかりに、怪しい建物に住んでいるなどありえない。
世間一般の人間になりすますため、わざわざこんな手の込んだ建物を用意したのだろう。
普通の人間にはわからない。けれど同業の人間にはそれとなくわかるよう、綿密な計算のもとに建てられた拠点。
裏社会の者たちを相手とし商売するそいつは、よほど儲かっているに違いない。
「さて、この奥じゃな」
そうして階段を上っていきたどり着いたのは、アパートの中ほどの階に在る一室。
一目見た限りでは、他の部屋と変わらない。
ただ矯めつ眇めつ観察してみると、扉の材質が他の部屋と異なるのに気づかされる。
他は木製の扉であるのだが、こいつだけはどうやら金属。
その表面を木製に見せかけた塗装がされており、この奥に招かれざる者を入れたくはないという意思がありありとしていた。
それによくよく探ると、扉の向こうには息を潜めた誰かが存在しているようだ。
「この向こうに居るのも、昔馴染みの相手ってことか」
「さて、どうだかの。いい加減向こうも歳だ、代替わりしていてもおかしくはない」
きっとここからが、ドラウ爺さんの案内によるツアーの終着点。
目的の情報屋とやらが居を構える部屋であるようだが、相手が爺さんの知る人間と同じかは確証が持てないようだった。
扉の向こうに居る相手が、誰であるか楽しみにしているであろうドラウ爺さんは、軽くノックをしてノブを掴む。
そして開いた部屋の奥、暗がりに佇んでいた人物を見るなり、彼は感嘆の声を上げるのであった。
「これはこれは……」




