憩いの夜 04
食器の鳴る音に、壁で揺れるランプの明かり。
陽が落ち初夏にしては肌寒い中で焚く暖炉の、薪が大きく爆ぜる音。
王国の北部、高原のリゾートへと訪れた俺たちは、ここで最初の夜を迎えていた。
三人で囲む食卓には、一人当たり数枚の皿が並べられている。
丸のまま干したものと違い、開きになっているお高い燻製ニシン。
それにシャルマの古郷で食されているという、スパイスを多用したスープなどが食卓を彩る。
もっともこれらの料理は、管理人の男が用意してくれた物ではない。
基本的に別荘の管理が仕事であるため、彼は俺たちが観光から戻ってくるなり、いそいそと自身の家に帰っていったのだった。
もちろんこちらが困らぬよう、相当量の食材を用意して。
「いかがですか? 久しぶりに扱ったので、少し自信がないのですけれど」
向かい合って座るエイリーンは、おずおずと問う。
今回料理を作ったのは彼女だ。折角のリゾートなのだから、今くらいメイド業を忘れて楽をしてはと言うも、彼女は食材がもったいないからと自ら台所へ立った。
ただ普段ブラックストン家では、あまり魚が並ぶことはない。
そのため昔は幾度となく触ったそれも、なかなか扱う勘が取り戻せていないようであった。
「美味いよ、子供の頃に食べたのと同じ味だ。とは言っても、今回の方が格段に上だけどね」
とはいえそれは当人の下した評価。
久方振りに口にした彼女の魚料理は、昔食べたのとまるで同じ味だった。
むしろ用意されていた食材が高価なだけ、さらに美味いと言っても過言ではない。
「良かった。ではこちらもどうぞ、シャルマから古郷の料理を教わったんです」
ホッと胸を撫で下ろすエイリーン。
彼女は長く扱っていない食材だけに不安であったようだが、その技量はまるで衰えてはいなかった。
その評価に気を良くしたのか、続けてもう一品も勧めてくる。
こちらはシャルマのアドバイスを元に、彼女の古郷で食されているものを再現しているらしい。
ただそいつを教えた当人、同じメイドであるはずのシャルマは、今回の食事作りに一切加勢をしていなかった。
当人曰く「エイリーンだけで作った方が美味い」、とのことで。彼女もそれなりに料理は出来るはずなのだけれど。
昼間にレストランで食べたものとは違った方向性の、落ち着ける料理。
エイリーン手製のそれを囲む、何の変哲もない食卓。
「どうかしら、私の古郷の味は」
「悪くないな。でも叶うなら、本場の人の手で作ったものも食べてみたかった」
「それじゃあ屋敷に戻ったら作るとしましょうか。失敗しても知らないわよ」
四角い卓を囲い、斜め向かいに向かい合う俺とシャルマ。
一見して普通のやり取りに見えるのだろう。だが内心そのやり取りは平坦かつ、どこか空々しく思えた。
というのもあくまでこの会話は表向きのもの。裏では俺とシャルマによる、激しい攻防が繰り広げられていた。
エイリーンの目が届かぬテーブルの下では、時折シャルマの爪先が俺の脛を打つ。
穏やかな食卓の下でされるシャルマの攻撃的な行動。その意図としては、『早く本題を切り出せ』といったところか。
そもそもこのリゾートに来た目的、エイリーンにロイド暗殺の件を話すという目的を果たせというものだ。
「ところで二人とも、さっきからどこかで変な音がしませんか?」
「ネズミかなにかだろ。なにせ古い建物だ」
「そうでしょうか……?」
ただシャルマの繰り出す攻撃による音を、エイリーンが不審に思い周囲を見回す。
別段痛いと悲鳴を上げるほどの勢いではなく、こちらの意図を察しろという主張が乗せられたそれは、どちらかと言えばくすぐったいくらい。
とはいえ延々これが続けられるのも堪ったものではなく、俺は空になった食器を片付けるフリをして立ち上がった。
皿を台所に置き、代わりに焼き菓子を持ってくる。
暖炉にかけておいた鍋から湯を取り茶を淹れ、帰りに買って来た菓子をデザート代わりに口へ運ぶ。
そうしながらしばしの談笑を交わし、21時を指した時計が小さな鐘を鳴らしたところで、シャルマが席を立った。
「それじゃあ、私は一足先に休ませてもらうから」
そう言って彼女は背を向け、軽く手を振って上階へ上がっていく。
一方で食堂に残された俺とエイリーンは、暫しの間無言に。
なにやら重い空気すら感じられ、一瞬俺もシャルマのように寝室へ逃げ出してしまおうかという欲求が首をもたげる。
「それで、フィルさんはなにを話してくれるんです?」
しかし俺の弱気は、エイリーンの声によって遮られた。
ハッとし落としかけていた視線を上げると、彼女が微笑んでいるのが目に映る。
「いくら離れていた時間が長くとも、坊ちゃんのことは子供の頃から知っています。なにか話したいことがあるのですよね?」
「……参ったな。最初から見透かされていたなんて」
この様子だと彼女はシャルマが寝室に戻った時点で、いや案外もっと前から、俺がなにかを話したがっていると勘付いていたのだろう。
俺に対する呼び方も、今だけは昔のまま。
となれば誤魔化しは無駄か。俺はここに至ってようやく観念し、エイリーンに先日まで行っていた、父親暗殺の任務についてを話すことに。
ただなんとか声を振り絞って話してみるも、エイリーンはこれといって驚いた様子が見られない。
もしやショックが大きすぎるせいで、思考が止まってしまったのだろうか。
そう考え顔を窺うのだが、以外にもエイリーンの表情は穏やかなままであった。
「なんとなく、予想はしていました。皆さんがわたしやリジーに隠れて、なにかをしているなとは」
「そうだったのか……」
「おそらく易々とは口に出来ぬ、いつもとは違う後ろ暗い内容であろうと」
具体的なところまで予想は出来ていなかったようだが、それでも俺個人に関わることとまでは想像していたようだ。
そして屋敷に戻ってきた時、シャルマがどことなく気もそぞろであったのに加え、俺の方が逆に平然としていたのを見て確信を持ったのだと。
エイリーンは立ち上がり、静かに俺の隣へと移動する。
いったいどうしたのかと思いきや、彼女は腕をこちらの首へと回し、柔らかに抱きしめてくるのだった。
「どうしてご当主様がそのような命令を出したかは、わたしにはわかりません。……ですが、さぞお辛かったでしょう」
ソッと抱擁してくるエイリーンは、囁くように優しい言葉を発する。
そういえば最後にこうやって抱きしめてくれたのは、エイリーンだったように思える。
才能を宣告され、動揺から突き放してしまった母親に代わり、不安そうにしていた俺を抱擁してくれたのだ。
そこからすぐに自室に閉じ込められ、以来エイリーンとは顔すら合わせられなかったのだけれど。
十年振りに感じる彼女の温かさが、今の俺にはとても安心できる。
もっとも小柄なコーデリアや、細身なシャルマではありえない豊満さが、余計にそう感じさせるのかもしれないが。
しかしそいつを素直に口へ出すのは流石に気恥ずかしい。
そこで心情を誤魔化すべく、つい軽口を叩いてしまうのだった。
「あんまり優しくされると、惚れてしまいそうになるから勘弁して欲しいんだが」
まるで母親代わりのようなエイリーン。
そんな彼女と、遊ぶようなやり取りをする。
「十年前に離れずにいたら、とっくの昔に君へ告白していたかも」
「あら、今からでも遅くはないかもしれませんよ?」
「そいつは止めておくとするよ。なにせ色々と怖い人が居るからさ」
俺の照れ隠しに、エイリーンは乗ってくれることにしたようだ。
身体を離した彼女は、今にも噴き出しそうな表情で冗談を口にしていた。
「ふふ、もちろん冗談です。フィルさんを手に入れようとするなら、ご当主様に許可を頂きませんと」
そう告げると、エイリーンは空になっていたカップに紅茶を注ぐ。
ミルクも並々と入れたそいつを置くと、彼女は「おやすみなさい」と告げて上階へ。
案外エイリーン自身も、今の行動を気恥ずかしく思えてしまったのかもしれない。
俺はエイリーンが残してくれた紅茶を一口含み、椅子の背もたれに身体を預ける。
遠路はるばるここへ来た目的、そいつをなんとか果たすことは出来た。
顔を合わせづらいという理由もあったろうが、送り出してくれたコーデリアに心の内で感謝しながら、少しだけ甘い茶の余韻に引きずられるように瞼を閉じるのだった。




