憩いの夜 03
夏が近づいてくるにつれ、冷涼と言われるグライアム市も徐々に熱を感じるようになってくる。
町の中央を流れる川からの、湿気たぬるい空気が漂うのに加え、大陸側から吹き付けてくる季節風の影響だ。
なのでこの時期、徐々に上がっていく気温に辟易し、あるいは体調を崩してしまったりというのは珍しくない。
以前は屋敷内を動き回るメイドたちが、日毎に服を変え汗を流していたのをよく覚えている。
うって変わりこの高原に在るリゾートはどうだろう。
常に涼しい空気が漂い、首筋を伝い背中から滲む汗の気配など皆無。かといって寒くもなく、歩いていても感じるのは心地よさばかり。
当初は来ることを渋っていた俺だが、この楽さには抗いがたい。
「ああ……、満腹だ。流石に食べ過ぎた」
リゾートの市街地へ繰り出し、俺たちはひとまず腹ごしらえをすることに。
入ったのは小さくシンプルながらも、どこか品の良さを感じさせる一軒の飲食店。
主に海峡を越えた先に在る隣国の料理を供する店で、別荘の管理人が勧めてくれたところだ。
そこで適当にメニュー上の料理を頼んでいったのだが、瀟洒な内装に反しそのボリュームは想像を遥かに超えてきた。
前菜の時点で徐々に胃に怪しさを覚え始め、途中で口直しのシャーベットを挟んだ頃には、次に来る肉料理への不安すら抱き始めるほど。
案の定肉を胃へ納めるに四苦八苦し、女性陣は半分食べた時点でギブアップ。
ただどういう訳か、デザートが運ばれてきた途端に胃へ空きが生まれたらしく、平気な顔をして平らげていたのだが。
「まさかこんなに食べさせられる羽目になるとは。金持ちってのは、もっと摂生するものじゃないのか……?」
「だからこそじゃないの。口うるさい使用人の目が無い場所で、思う存分肥え太る贅沢ってやつね」
てっきり料理にしても、高級なリゾートらしいものが出てくると思っていたというのに。
けれどシャルマは俺の考えとは違い、だからこそあのように暴力的な量が供されたのではと告げる。
言われてもみれば、そういう考えもあるかもしれない。
料理が大量に供された理由の一つは納得がいった。
しかしだからといって腹の状態までもどうにかなる訳ではなく、俺は店を出て少し歩くと、後ろを振り返って提案を口にする。
「どうする二人とも。このまま戻って休息を……」
「冗談じゃないわよ。腹いっぱい食べてあとは寝るだけなんて」
「そうですよ。ご当主様の気分次第では、もう二度と来れないんですから!」
俺としては早々に戻って休みたかった。しかし女性陣はそれを許してくれず、なお観光の継続を主張。
確かにまだ昼を少し回った頃で、帰るには若干勿体ない気も。
それにもし次回があったとすれば、その時には現在屋敷で留守番中のリジーが来るはず。自分が来られるという保障はないのだ。
「なら腹ごなしがてら、どこかの店にでも」
シャルマはともかく、エイリーンに遊ぶなと言うのは心苦しい。
そこで市街を歩きながら、暇を潰せるような店を物色することにした。
しばし大通りを歩くと、この小さな町に想像以上の店が並んでいるのに気づく。
夏に限られるとはいえ、人が集まればそこには商機が生まれる。
故に方々から集まる裕福な者たちを相手とし、様々な商売を営む者たちが期間限定の店を開いているらしい。
もっとも冬は冬で雪が降る土地のため、そいつを利用してなにか目論んでいたりするそうだが。
「あ、あの店なんてどうですか?」
この中で最も旅行を楽しんでいるであろうエイリーンは、早速気になる店を発見したようだ。
以前のように貴族の愛妾であった頃であればともかく、きっとメイドという立場ではこのような土地に遊びとして来る機会は早々ありはしない。
なので彼女が浮かれるのも当然で、機嫌に水を差さぬよう指さす店に向かおうとする。
しかしエイリーンの指先に建つ店の外観を見て、俺はハッとし立ち止まった。
その俺に対し、歳にしては無邪気さ漂う仕草で小首を傾げた彼女は、そこを選ぶ理由を口にする。
「屋敷の皆にお土産も必要ですよ。この町だと、農産物とはいかないでしょうし」
「い、いやエイリーン。土産は他の物でも……」
店のチョイスについて告げるエイリーン。
しかしそんな彼女へと、すぐ横に立っていたシャルマが他の店をと促す。
シャルマは俺の方をチラリと見て、どうにかしてこの店は避けたいと言わんばかりだった。
「これだけ人が居るんですから、良い物はきっと取り合いになりますよ。さあ、行きましょう二人とも」
だがシャルマの制止も、言葉通りの意味としか受け取ってはもらえない。
エイリーンは意気揚々目の前の店へと入っていき、俺たちはその場に取り残されてしまう。
「……大丈夫、なの?」
「大丈夫って、なにがだ?」
「決まっているでしょ。どう見てもあの店、雑貨屋だけど……」
一人店に入っていく姿を見送るシャルマは、こちらを振り返りおずおずと尋ねてくる。
その理由など明らかだ。エイリーンが入っていたのは、言葉通り雑貨屋。
このようなリゾート地にあっても、……いやだからこそか。いかにも高価そうな調度品が置かれているらしき店が、通りの一角に佇んでいた。
シャルマが心配そうにするのも当然。なにせ俺にとって、雑貨屋というのは思うところがある。
つい先日、俺が仕留めたロイド・オグバーンが営んでいたのが、ノスタルジックという名を冠した輸入雑貨の店であった。
ヤツは悪党ではあったが、俺にとって実の父親である以上、雑貨屋という存在へ過剰に反応してもおかしくはないと考えたか。
「なんだったら、外で待っていてもいいのよ」
「いつまでもそうは言ってられないさ。なにせブラックストン家が営む事業の中には、小さいが雑貨屋も含まれているんだからさ」
普段は挑発的かつ皮肉屋なシャルマではあるが、事この件に関しては妙に優しい。
彼女自身も思うところがあるようで、無理して入らずとも良いと告げるのだが、俺はその気づかいに首を横へ振った。
仮とはいえ俺がブラックストン家の執事である以上、必然的にそういった店へ行く機会は訪れる。
その時に気乗りがしないと言って断るなど出来ず、ここで一歩分を乗り越えておくほうが、後々ずっと楽であるに違いない。
……などということを考えてしまっている時点で、やはりシャルマが考えているように、精神に対し相当な深手となってしまっているようだ。
自身で想像していた以上に、内面はナイーブであるらしい。
そのことに自嘲しながら店内へと入ると、そこではエイリーンが熱心な様子で、花の意匠が施された手鏡を眺めていた。
「これはまた、なかなかの代物に目を付けたもんだ」
「だってこんなに綺麗な物、グライアム市でも易々とはお目に掛かれませんよ。でも高くて……」
「いくらなんだ? ……ああ、これは確かに」
既に欲しい物を見つけたであろうエイリーン。
彼女の手元を覗き込み値札を確認すると、そこには苦虫を噛み潰すような顔をしたくなる額が。
エイリーンはメイドとしての経験者であるのに加え、リジーの弟に対し勉強を見てあげているということもあって、コーデリアはかなりの好待遇で迎えている。当然口止め料込みで。
以前貴族の愛妾をしていた頃には及ばないものの、それ故に彼女はちょっとした中流階級以上の収入を得ているのだ。
そんなエイリーンにしても、手にした手鏡はなかなか即決できる額ではなかったようだ。
「そいつを買うのかい?」
「……も、もうちょっとだけ考えてみます」
「ごゆっくりと。俺たちは店の中を見て回っているからさ」
当初の目的である、屋敷の皆への土産という名目など何処へやら。
自身が欲しい物を発見し、夢中で財布の中身と緊急会議を行うエイリーンを置いて、俺もまた品物を物色することに。
店内を見回してみれば、ここがかなりの高級店であることが窺える。
金を持った客ばかりが来る土地であるのだから当然だろうが、比較的安価な代物でも一般人が一か月は豊かに暮らせるような商品が、まるで駄菓子でも売っているかのように並べられていた。
とはいえあまり興味をそそる物はなく、俺はここで金を使わずには済みそうだ。
「正直手が出ないわね……。特別欲しい物もないし」
「なら大人しく、内装だけ眺めて出るとするか」
俺とは別に店内を見ていたシャルマも、同じ感想であるらしい。
雑貨以外にも装飾品を売ってはいるものの、彼女にとってそれらは自身を別の存在へと魅せるための小道具にすぎぬようで、着飾る行為そのものには関心がないようだった。
このあたりの感覚はコーデリアも似たようなものなので、さぞや彼女らは世のお嬢様方と話を合わせるのに苦労することだろう。
「その様子だと、案外大丈夫そうね」
「言っただろう? いつまでも気にしてはいられないって」
そんなシャルマは横目で俺を見ると、ホッとしたように呟く。
何やら色々と危惧していたであろう彼女は、それが杞憂に終わって安堵しているらしい。
俺の様子を見て一安心する彼女は、もう少し探してみようと店内の一角へ。
一方で一人残された俺は徐々に増えてきた客から逃れるように店の外へ。
通りの向かいへ構えるカフェの屋外席に腰かけ、二人が出てくるまでしばし待とうとして一息ついたところで、ふと雑貨屋の看板が目に入る。
「そういえば……、なんで店の名前が"ノスタルジック"だったんだか」
思い出したのは、ロイドが営んでいた表向きの雑貨屋について。
あの店は他国からの輸入品を扱う店であり、シャルマのような他国人であればともかく、この国で生まれ育った人間が郷愁を感じたりはしないはず。
なのでノスタルジックという名を冠していたのは、なにか特別な理由があったのではないか。
「考えすぎ、だろうな。それに今更知ったところで……」
俺はその考えを振り払うように自嘲する。
一瞬だけ、あいつが本当は俺や妻に対し情を抱いており、その感情から付けたのではと考えてしまった。
しかしそんなはずはない。いや、そうであっては困る。
俺は頭をよぎってしまった想像を振り払うべく、まだ昼間であるというのに注文を取りに来た店員へと、かなり度数の高い酒を頼むのだった。




