過去のあの人 04
往来に紛れて行う、馬車による追跡。
しばしそいつを続ける俺は、次第に閑静な住宅街へと入っていった。
もしかして店主であるロイド自ら、客に配達でもしているのだろうかと考える。
しかしその住宅地すら通り過ぎ、次第に落ちていく交通量から発見のリスクを気にしたところで、ようやく気付く。
ヤツが向かう先に在るのが、墓地であることに。
「どうして墓地なんかに。……いや、わかりきっているな」
案の定墓地の前に馬車を停めると、ロイドは門をくぐり入っていく。
俺もまた建物の陰に馬車を置き、気付かれぬようソッと後をつけていった。
コーデリアが集めた情報によればここには"リリニア"が、つまりロイドの妻であり、俺にとっての生みの母が眠っているとのこと。
どうやらグライアム市に来てしばらくして他界したその人物の墓前へと、ロイドは定期的に参っているようだ。
そんなヤツは馬車に乗せていた花束を手に、敷地の隅に据えられた墓の前へ。
花を供えて膝を着き、祈りを捧げるロイド。
あれがあの人の墓か。……思っていたよりも随分と小さい。
周囲に人影はなし。となると今こそ、接触するにはおあつらえ向きな状況。
バリー警部はシャルマによって足止めされ、たぶんここにはたどり着けない。
やはり今を逃す手はない。俺は意を決して物陰から出ると、自然と混じった強い声で話しかけた。
「久しぶりだな」
しゃがみ込んで、無言のまま墓へと語りかけていたであろうロイドは、突如聞こえた声に驚き振り返る。
そして久しぶりという、過去に面識があることを窺わせる若い男の存在へ、怪訝そうに目を細めていた。
気付くだろうか。……いや、気付いてくれるのだろうか。
なにせ十年の月日が両者の間には横たわっているのだ、エイリーンは俺に気付いてくれたが、果たして俺を捨てたこの男が気付くかどうか。
これだけのヒントでは気付かないのだろうかと、自ら名を口にしようとするも、ロイドはぽつりと呟いた。
「い、イライアス……、なのか?」
一応こちらの正体には気づいたようで、震える声で古い名を呼ぶ。
互いにそこそこ人相は変わったが、癪なことに面影は十年程度では消えてくれなかった。
毎朝鏡へ映し出される己の顔と、記憶に残る俺の姿に重なる部分があったのだろう。
「忘れてはいなかったみたいだな。覚えていなかったら、殴ってやろうかと思っていた」
「……お前、生きていたのか」
「驚異的な幸運によってね。なんとか変態趣味の金持ちに買われず済んだ」
こちらが死んでいるとでも考えていたのだろう。ロイドは危うく腰を抜かしそうになりながらも立ち上がる。
もっとも既に生きてはいないと考える方が自然かもしれない。
人を売買するという真っ当ではない商人に渡した時点で、碌な扱い方をされないのは当然。
こいつはそのくらい考えた上で、俺を地下競売に売り払ったのだろうから。
その既にこの世に居ないかもしれぬ我が子が目の前に現れ、ロイドが強い動揺に襲われているのが手に取るようにわかる。
視線は泳ぎ、脚は震え、呼吸は荒くなっていく。
まるで幽霊でも見ているような反応に、ちょっとばかり愉快さすら覚えてしまいそうになる。
「幸い衣食住には困っていない。案外俺を売った後のあんたよりも、上等な暮らしをしていたかもな」
「そ、そうか。良かった……」
俺が刺々しい言葉を発するも、ロイドはまるで反論することもなく、なんとか無事を喜ぶような言葉を口にした。
いったいどの口が良かったなどと言うのかと思いはする。もっともそれは、こちらを恐れての言葉かもしれない。
俺がこの場に来たのは、自身を売った復讐を果たすためと考えたなら、下手に出てもおかしくはなさそうだ。
その真意を探るためだろうか、立ち上がったヤツはおずおずとこの場に姿を現した理由を問うた。
「後ろをつけていた。あんたの店の前からな」
「どうしてそんな真似を。普通に声をかけてくれればいいだろう」
「そうはいかない事情があるんだよ、こっちにもね」
ロイドは困惑を隠すこともできず、視線を泳がせながら問い詰める。
もちろんこいつに本当の目的を話すなど出来はしない。ただもう一つの目的、こちらについてを話す必要が。
「ここに来た用件は一つだけだ。あんたは市警に狙われている、さっきもずっと尾行されていた」
「そんな、どうして市警が!?」
「理由なんてわかってるだろう。あんたが店を隠れ蓑にして行っている、違法薬物の取引に関する捜査さ」
よもや突然現れた息子が、そんなことまで知っているとは思わなかったようだ。
ノスタルジックという名が付けられたあの輸入雑貨店での、違法薬物の扱いが露見していると知られ、ロイドの警戒感がより強くなったのを感じる。
ただこれを知りつつ通報しようとしていない点から、俺が市警とは別の立場であることも理解したらしい。
「イライアス。お前は今なにをしている?」
「あんたと同じだよ。俺にも表と裏の顔がある、決して人には言えない類の」
「……つまり同業者か。もしやお前を買ったのも、そういった連中なのか?」
「完全には肯定しないけれど、似たようなものさ。少なくとも今あんたが市警に拘束されると、こっちとしては不都合があるんだ」
嘘は、言っていない。
俺が表立って言えぬ稼業に手を染めているのは確かだし、ロイドが拘束されたら面倒になるのも事実。
言葉が足りていないだけ。もっとも本当のことを話す理由もない。
「だから荷を他所へやるなり、隠すなりしておいた方がいい。いつ市警の手入れが行われるとも知れないからな」
「わ、わかった。早々に手を打っておこう」
長く離れていたとはいえ、そこに繋がりを感じているのだろうか。
ロイドはこちらの事をあまり疑う様子もなく、周囲を見回しながら了承する。
こいつを尾行していたバリー警部はまだ、確固たる証拠を掴んではいないように思える。
だとすれば強制捜査が入るのはもう少し先。それまでに証拠の物品を隠すのは十分可能だ。
そこであとはロイドに任せればいいだろうと、要件が済んだことを伝え墓所を後にしようとする。
「待ってくれ!」
だが背を向けた俺へと、ロイドは声を張って呼び止める。
振り返るとヤツは緊張のせいか瞬きも少なく、喉を鳴らしながら俺を凝視していた。
記憶にあるロイドの表情で最も鮮烈に覚えているのは、俺が"暗殺者"の才能を宣告されたときのもの。
あまりに冷たい、愛情の一切が失せ切った視線は十年経った今も忘れられるものではなく、思い出すだけで若干の苛立ちと寒気を感じてしまう。
けれど今こいつが向けてくる視線は、むしろ教会で才能を宣告される以前、普通の親子であった頃のそれと近いように思えた。
「イライアス……。また、会えるだろうか?」
「……接触する時はこちらから近づく。あんたが無事捕まらずにいたら、近いうちに」
とはいえそんなもので、こいつの本性が変わったとは思えない。
再会を望んでいるであろうロイドに背を向けると、俺は軽く言い放ち墓地から逃げるように退散した。
暗殺をするだけであれば、あの場でナイフを奔らせれば終わっていた。
だが世に鮮烈な印象を与える手段ではない。もっと人々の記憶に残り、世間を騒がせるような手段でなければ。
しかしそこまで考え、路地の陰へと隠していた馬車に乗り込んだところで、はたと我に返る。
「確かにシャルマの言う通りだ。こんなもの、実の親に対してする思考じゃないな」
頻繁に失念してしまうが、恨んでいるとはいえロイドは俺にとって父親。
そんな相手に対し、平気でこのような思考をしている自分がどこか可笑しく思える。
いったいコーデリアは、どうして俺にこんな役割を振ったのだろうか。
今更ながらシャルマの抱いていた疑念が頭を駆け巡り、彼女の怒り混じりな言葉が響く。
そいつが殊更可笑しく、俺は馬の手綱を握りしめながら墓地を一瞥。
そこでは正門から出てきたロイドが、焦燥したような様子で立ち尽くしていた。




