過去のあの人 05
早朝の市街。朝一番の駅馬車と、新聞配達員の少年が行き交う通りを見下ろす。
ノスタルジックと名付けられた店の前では、従業員らしき娘が箒で道を掃いていた。
そんな様子を、向かいに建つアパートから監視する俺とシャルマ。
あえて交代で監視することなく、揃って見下ろす俺たちが向ける視線の先、店の入り口へと三台の馬車が乗り付けた。
早朝からの急な来訪者に、娘が困惑に首を傾げる。
しかしそんな彼女を無視し、馬車から降り立った十数人の男たちは、ぞろぞろと店の中へと入っていく。
背広を纏った彼らの雰囲気は堅く、重い。
「始まったようね」
店の中へ乗り込んでいく男たちを眺め、神妙な声で呟くシャルマ。
彼女は店に入った連中、ここに違法薬物が存在すると考えた市警の警官たちを凝視する。
「本当に証拠品を全部運び出したんでしょうね……?」
「さて、どうだか。一昨日の深夜、かなりの荷を運び出していたようだけれど」
バリー警部による先行捜査の末、ここノスタルジックは市警の強制捜査を受けることになったようだ。
そしてこの日、彼は大勢の警察を連れて来たようだが、残念ながら市警の探そうとしている品はもうここにはないはず。
先日俺がロイドと接触し、市警に疑われているという話を伝えたため、早々に薬物流通の拠点を移動したからだ。
強制捜査決行前に搬出を済ませたため、きっと市警は無駄足を踏み悔しがることだろう。
生真面目に職務を果たそうとしているだけに、少々可哀想に思えなくもないが、こればかりはこちらの都合がある。
しばし外からその様子を観察していると、パラパラと警官が店の外へ出てくるのが見えた。
その中にはバリー警部も含まれており、単眼鏡で覗いてみれば、彼の表情が険しくなっているのがわかる。
「もう撤収か。早いな」
「あなたは店に入っていないから知らないけど、あの内装では物を隠しようがないもの。探し物があればすぐ見つかる」
早々に諦めたのか、店の外で撤収準備をする警官たち。
実際に数度店に入っているシャルマによると、店内は雑多に物が置かれているものの作りはシンプルで、市警は碌な成果が得られなかったらしい。
そういえば前にバリー警部は、失せ物を探す才能を宣告されたと言っていた。
きっと彼の同僚もそれは知っている。バリー警部が無いと断じれば、すぐに捜索は引き上げるのかもしれない。
それでも捜索を行うと決めたのは、彼が下見をした時点ではそこに存在したため。俺には理解の出来ぬ予感が、きっとバリー警部にはあったのだろう。
「市警は帰ったけど、どうするの」
「もう一度ロイドに接触してみようと思っている。正直、気は進まないけれど」
市警はやり過ごした。だからこれ以上の警告は不要。
しかしこのまま姿を消されては、また探して回らなくてはいけない。
だからここで再度接触を試み、常に所在を明らかとしなくては。
店主であるロイドが出てくる様子がないのを確認すると、俺は一人アパートを出て店へと向かう。
そこでは店内の椅子に腰かけたロイドが、疲れた様子で脱力していた。
見渡すも他に人の姿はなし。従業員の娘はなにか理由を付けた帰したのか。
「随分と疲れているようだな」
俺がそう口にすると、ロイドはハッとして顔を上げる。
よもや俺が店に来るとは思っていなかったらしく、意外そうな表情を浮かべるのだが、すぐに表情を綻ばせ頭を振って自虐した。
「きっと齢のせいだ」
「まだ老け込むような年齢じゃないだろうに」
「こう見えて、同年代の商売人の中では心労が多い方だと思っているんだ。十年、安穏としていた訳ではない」
自嘲するロイドは大きく息を吐き、立ち上がると店内に置いていた商品の位置を直していく。
見れば確かに目元へは皺が増え、年齢を重ねていることが窺える。
その印象も単眼鏡で覗いたものより、随分と異なっているように思えた。
そしてどことなくロイドの話し方が、自身に似ているような気がした。
俺はヤツのそんな口調が不愉快に思え、吐き捨てるように正直な感想を口にする。
「心労、ね。そいつはあんたの自業自得ってやつじゃないのか?」
つい、嫌味が口から零れる。
ヤツは自身の心労がどうと言ったが、こっちはずっと命のやり取りを続けているのだ。
俺を売って金を受け取った側であるこいつが、そのような事を言うのに苛立ったとしても、誰が責められるだろうか。
そこからも俺は、二言三言の罵倒を発する。
感情の赴くままに口をついてしまったそれだが、ロイドは言い訳をすることもなく、ただ黙って聞き続ける。
俯くこともなく目を合わせるその姿に、俺はしばらく捲し立てた後で言葉を詰まらせた。
「反論のしようがないくらい、お前の言葉は事実だ……。すまなかったな、イライアス」
黙って俺の罵声だか皮肉を聞き続けたロイド。
ヤツはこちらの声が止まるのを待って、それらの一切を受け入れるかのように呟いた。
あまりに、意外な反応。
前回は大人しかったものの、流石にこれだけ言えば本性を露わとし怒鳴り返すと考えていた。
しかし俺の想像を覆し、ロイドが発したのは肯定。そして謝罪であった。
「なにを今更……。実の子を売り払った人間の台詞とは思えないな」
「確かに私は悪党と呼ばれる存在なのかもしれない。それでもずっと悔いていた、そして私以上にリリニアの後悔は大きかった」
リリニア、つまり生みの母だ。
暗殺者の才能を宣告された俺に対し、ロイドと同じく冷たい視線で見下ろしてきたあの女。
だが対価として得た金に触れて以降、ほとんど笑わなくなったのだと告げる。
それが受け取った額の物足りなさから来るのか、あるいは本当に後悔したためかはわからないが。
俺からすれば、俄には信じがたい話。
とはいえそう口にするロイドの言葉に偽りはないように見え、内に湧き上がる動揺を必死に押さえつけた。
「今更謝罪されたところで、どうにもならないだろう」
「返す言葉もないな。お前のその恨みは、これから一生抱え続けるのだろうから」
決して許しを求めているわけではない。一生続いていくであろう恨みを受け止める気だ。
ただヤツは「それでも……」と呟くと、
「出来るならば、やり直したいと考えている」
ロイドの発した言葉に、怒ることすら出来ず絶句する。
この言葉が表すことなど一つしかない。完全に関係の修正が図れるとは思っていないだろうが、表面的にでも親子に戻ろうと考えているのだ。
きっとロイドが発したこの言葉は本気だ。
あまりに身勝手な、正直吐き気すらするような意思。
その言葉を聞いた俺は、自分でも想像だにしないほどの動揺を受け、心拍が急激に上がっていくのを感じる。
「……また来る。店は畳まずにいてくれよ」
俺はその提案に返答することもなく背を向ける。
そして簡潔な、けれど次の可能性を残した言葉だけを吐くと、逃げるように店から出て行った。
店からロイドが出て来ぬのを確認するも、念のためグルリとブロックを周る。
そうしてアパートの裏口から入り、駆けあがって拠点としている部屋へ。
「どうしたの、そんなに息を切らせて」
「いや……、ちょっとね」
一部始終を見てはいないものの、上から店の入り口は監視していたシャルマは、突然走って出てきた俺の事を待っていた。
ただ珍しく呼吸を荒くして戻ってきたためか、若干心配そうな素振りを見せる。
「とりあえず、釘は刺しておいた。このまま姿を消すことはないはずだよ」
「それはいいんだけど……。フィル、本当に大丈夫なのか?」
シャルマが表情に出して心配するほど、俺の様子はおかしいようだ。
珍しく名前まで呼んで確認してきたため、俺は無言のままで頷いた。
「わかった。とりあえずあなたは一旦撤収して」
「俺は大丈夫だ。まだそこまで疲れちゃいない」
「悪いけど、私にはそう見えない。いいから大人しく屋敷に戻って休養してなさい」
半ば追い出されるような形で、シャルマに文字通り背を押され拠点を出る。
こちらの様子を不審に思えた彼女は、俺がここに居るより、屋敷に戻った方が良いと考えたのかもしれない。
確かにシャルマの言う通りだ。今も跳ねる心臓は収まろうとする気配が感じられず、重く全身を殴りつけるかのように脈打っていた。




