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沈黙の美麗 01


 通りがかった農家の馬車に乗せてもらい、ブラックストン邸の前で降りる。

 鍵のかかっていない正門を通って庭先を歩きながら、俺は手にしたステッキで石畳をカツンと打った。



「なかなかに悪くない。随分と粋な物をくれたものだよ」



 俺は少しばかり弾んだ気分で立ち止まると、何度か足元の石を小突く。

 堅い木材のステッキ。普通の物より若干太めに作られたそれは、つい先日の聖夜祭でコーデリアから贈られた品だ。

 どこぞやの職人に作らせた逸品であるらしく、以前から聖夜祭のためにコーデリアが準備してくれていたとのことであった。


 表向きただの庭師見習いである俺には過ぎた代物。

 それでもこうして市街での用事を済ます時にも持って行ったのは、やはり密かに気に入っているためだった。


 そのステッキを、"本来の"使い心地で堪能しながら屋敷の玄関を開く。

 言いつけられた用事を済ませてきたことと、既に愛用と化しつつあるステッキの感想を伝えるべく、コーデリアのもとへ。

 ただ上階に在る彼女の私室へ行こうとしたところで、偶然ロビーを通りかかったリジーに声を掛けられた。



「ご当主様でしたら応接間に」


「応接間? 誰か客でも来ているのか、予定はなかったと思うんだが」


「あたしも寝耳に水で。今はお客人の相手をしていらっしゃいます」



 珍しい。というかまるで想像もしていなかった。

 この屋敷に出入りする人間と言えば、ここに住む五人の他には、注文した食材を持ってくる業者くらい。

 あとは先日の市警部長暗殺事件の件で、事情を窺いに警察が来たくらいのものか。


 それにブラックストン家は多大な財を持つも、積極的に社交界に関わろうとする類ではない。

 リジーは来たのが誰であるかよく知らないようだが、この屋敷に来るとなれば、特別な立場にある人なのかもしれない。


 そんなことを考えていると、奥の応接間の扉が開くのに気づく。

 中から出てきたのはコーデリア。そしてもう一人、ふくよかな体型をした中年女性だ。



「二人とも、お客様のお見送りを」



 客人の女性を伴って出てきたコーデリアは、使用人である俺たちに、屋敷の主人として見送りを促す。

 それ自体はどうという事はない、至って普通な対応。しかし彼女の様子からは、どこか緊張したものを感じてならない。


 彼女の私室内でもないここで、しかも客前でその部分を問いただすわけにもいかず、ひとまず玄関へ。

 ただ扉を出た先で客人の女性は振り返ると、柔和な笑みを浮かべこちらを制止した。



「ここまでで結構ですよ、ミス・ブラックストン」


「ですがミセス……」


「あまり仰々しいのは好みません。それに使用人も少ない中、手間を取らせては逆に気を使ってしまうわ」



 穏やかな、とても角の取れた声色。けれどそれとは逆に、自然と背筋が伸びてしまうような雰囲気。

 女性の制止に、コーデリアは少しばかりの異論を唱えようとするのだが、すぐさま首を横に振られてしまう。

 一瞬躊躇するも、大人しく従うコーデリア。彼女の態度は随分とうやうやしい。


 どうやら俺が戻ってきた時には、屋敷の裏手に置いてあったらしき馬車へと乗り込む客人。

 軽く手を振るそのご婦人が去っていく馬車を見送り、正門を越えてその姿が見えなくなったところで、コーデリアは小さく息を吐いた。



「唐突だけどフィル、今日から貴方には執事役をお願いするわ」


「本当に唐突ですね。どこかで信用できる者を見つけて、その者に任せると思っていましたが?」


「その人員探しが難航しているの。対外的にも不在という訳にはいかないし、しばらくお願い出来る?」



 コーデリアが唐突に口にしたのは、現状不在なままである執事を、しばらくの間は俺が務めるようにとの内容。

 さっきの客人を出迎えた時も、おそらくリジーだけであったはず。

 別にメイドがやっても不都合はないのだが、出来れば窓口役となるべき執事が行うというのが無難か。

 それにいくら社交界とは縁のないブラックストン家とはいえ、執事の一人も居ないのでは色々と不都合もあるのだろう。



「ああいった方を迎えるのにも、居ると居ないとじゃ大違いだから」


「そういう理由でしたら、当面の執事役を仰せつかるのは構いませんが……。先ほどのお方はいったい?」



 目下気になるのは、コーデリアが先送りしていたこの件を、渋々ながら決めた理由だろうか。

 それがさっきのご婦人にあるのは間違いなさそうで、俺はどういった相手なのかを確認する。



「彼女はベラ・K・ハッチンス。お爺様の代から親交のある方よ」


「アーネスト様の頃から? しかし聞いたことない名ですね。"K"というのは?」


「そこはあまり気にしなくてもいいわ。彼女はそうね……、私と同じ郷紳(ジェントリ)よ」



 記憶の中で聞いた名を探るも、それらしいものはまるで覚えがない。

 先代の時から親交を持っているのであれば、一度くらいは聞いていてもおかしくはないのだが。


 コーデリアはあの人物が、ブラックストン家と同じ郷紳であると口にする。しかしどことなく、この言葉は嘘であるように思えてならない。

 確かに気品めいたものを感じたのだが、ただの上流階級のご婦人というにしては、あまりに存在感があり過ぎるように思えた。

 おそらく名前にしても、本当のものではないはず。



「とりあえず着替えてきたら? 屋敷の顔となる執事に変身していらっしゃいな」


「本当に今日からなのですね。承知しました、このステッキも見劣りしなくなりそうです」


「それはなにより。リジー、服を出してあげて頂戴」



 客人が戻ってくる様子もなく、コーデリアは踵を返して屋敷に入っていく。

 そこで彼女は口角を上げ微笑むと、リジーに執事用の服を用意するよう指示をした。


 屋敷を離れた者たちが置いて行った制服も含め、屋敷内の物品を記したリストを持つリジー。

 彼女に案内され、今は使われていない部屋へ向かい、そこに収められていた執事用の服一式を受け取る。

 一旦自身の部屋に戻って着替え、少しばかりの緊張をしてから扉を出ると、待っていたリジーは軽く手を叩いた。



「お似合いですよ。まるで最初から執事であったかのように」


「そいつは嬉しいね。……で、本音は?」


「似合っているのは本当ですよ。でも少しサイズ違い、といったところですか。フィルさんはどうしても筋肉量があるので」



 幼少期から続けてきた諸々の訓練によって、人よりは筋肉量が多い自覚はあった。

 もちろん筋骨隆々とまではいかないし、普段は大き目な服を着て隠してはいるが、身体にピタリとはまる服はなかなかに難しい。となれば、



「少しばかり直しが必要だな」


「いっそ新しく仕立ててもらっては? たぶんですけど、このまま後任は決まらない気がします」


「……俺もそんな予感がしてきたよ。考えてもみれば、早々適任者など見つかるはずがない」



 さっきコーデリアは一時的であると言っていたが、たぶんリジーが言うように、結局その位置に収まるように思えてならない。

 ブラックストン家の使用人には、決して内情を口外しない鉄の如き口の堅さが求められる。

 ドラウ爺さんは元から裏の顔を知っているし、リジーは恩を抱いているという点でこいつをクリアした。


 当然新たに雇う執事にもそれは求められる。かつこの広大な屋敷を管理するという役割も。

 命に代えても秘密を守れると確信が持て、なおかつ屋敷内の諸々を仕切ることが出来る人物となれば、適任者が見つからないのも当然。

 ……俺がしっかり役目をこなせるかという点は、この際置いておくとして。



「ともあれ使わせてもらうよ。当面は」


「手入れだけはしていた甲斐がありました。あとは……、これですね」



 期待せずに適任者が現れるのを待つことにし、暗殺任務の間の執事業を受け入れる。

 その仕上げとしてリジーが差し出してきたのは数種のネクタイ。

 至って普通の物に蝶ネクタイ、それとループタイ。執事と言えばこいつが基本だろう。


 俺はリジーの手にある中から、ループタイを選んで手に取り首へ回す。

 若干気恥ずかしい感は否定できないが、こいつがあると気が引き締まるような気がした。

 纏う姿により少しだけ執事気分を味わっていると、屋敷の玄関からドアノッカーが鳴る音がしたのに気づく。



「あら、またお客様でしょうか? 早速出番みたいですよフィルさん」


「なら気合を入れて出迎えるとしようか。なにせ執事だ」



 執事へと変身してたったの数分、もうお役目を果たす時が来たようだ。

 軽く手を振り激励するリジーに見送られ玄関へ。そこで澄ました顔を作って扉を開く。



「お待たせいたしました。当家へどのような御用で――――」



 以前屋敷に居た執事が口にしていた、突然の来客に対する迎えの言葉。

 それを一字一句違わず発し、扉の向こうに居た人物を見る。


 しかし最後まで言い終えることなく、俺は言葉と身体を硬直させた。

 決して見知った人物だからではなかった。これまで一度として見たことのない人物だ、それは間違いない。

 それでも身動きが取れなくなったのは、現れたその人が、息を呑むほどに美しいためであった。


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