アイネクラリスの憂鬱
ラティアスとアイネクラリスは、エスコートをお願いした日以降一度も顔を合わせる事もなく月日だけが過ぎていた。
お互いを知るためにと始まった、ラティアスからの贈り物と手紙は毎日欠かさず届いている。
手紙では、その日が休日だったかどうかまでは伺い知れないものの、時間を割いてまで会う気は無いのだろう。
あと1ヶ月もすれば社交界デビューとなる国王主宰の舞踏会があるのだが、できればそれまでに一度会って話してみたいと思うのは、アイネクラリスの我が儘なのだ。
ほぼ初対面の相手にエスコートをお願いしただけでも我が儘なのに、これ以上の我が儘は言うものではないと分かっている。
自分の意見を通して、我が儘を言って、漸く願いが叶ったのに、アイネクラリスはちっとも幸せとは思えなかった。
願いが叶っても、手にしたもがアイネクラリスの思っていた綺麗なものでは無いからだろう。
自分の中の思いだけをひたすら追い続けているだけの間は良かった。
どうすれば、側に行けるかだけを考えて、一番効率的に思える事を実行に移して望みが叶って、今では手紙のやり取りまで出来ている。
でもそこまでがアイネクラリスに与えられた、嬉しくて楽しくて幸せな時間だったのだろう。
リリーがアイネクラリスの社交界デビューの為の準備で忙しく動き回っているせいか、一人で考える時間が出来て状況を顧みる事になったのも転生者に与えられた加護のように思えた。
何故なら、普段ドレスの準備も宝石の準備も、二人で行いアイネクラリスの意見が優先されていたのに、今回ばかりは閉め出されてしまい暇な時間ができたからだ。
社交界デビューのドレスに限ってはアイネクラリスの意見は聞き入れないとの方針が、侍女達の中で出来ているからなのだそうだが、悲しいことに求めるものが最高の仕上がりとなると、アイネクラリスの意見は邪魔でしか無いらしい。
舞踏会準備で悩んでいれば、ラティアスの事を考える時間も無くなると思っていたものの、遊びでは無いんですと侍女達が口を合わせていってくるので、行くのは舞踏会で戦いではないのだと言える雰囲気ではなく、素直に任せるしかなかった。
ラティアスの事を考えて暗い表情を見せる訳にもいかず、リリーからの注文を受けている可憐で無邪気な令嬢と言うものを、日々日常で演じるようにしてみたのは、我ながら良い考えだったと思う。
お陰で心配を掛けてはいないようだっが、監修である屋敷の使用人達の採点は厳しく、少しでも納得出来ない振る舞いがあれば、即座に注意と意見を受けなくてはならなくなった。
娘はそんな気の張った生活をしているのに、うちの両親は、また楽しい遊びを始めている位にしか思って無いらしい。
「アイネちゃん最近特に可愛くなったわね。恋をしてるかしら」
と、奥様が喜んでらしたとリリーが満足そうに報告してくれたが、それは決して恋をしているからではなく、訓練の賜物だと正したい。
恋と聞くと気が重くなるのが、アイネクラリスの現状なのだ。
今回この考える時間が前世からの加護だったのなら、社交界デビューの後の方向性を考えた方が良いのでは無いかと思う。
確かにラティアスに社交界デビューのエスコートをして欲しいとは思っていたが、親しく付き合っている女性を蹴落としてまで、婚約や結婚といった事を望んでもお互いに幸せにはなれそうにもないからだ。
何よりもアイネクラリス自身が、他の人を思うラティアスの側にいるのは辛い。
友達は無理だと言われているが、最近のやり取りでは妹のような存在として側にいる事はできそうな気がするのだ。
あれから会ってないので、はっきりとは分からないが、ラティアスの側にいると、幸せな気持ちになれるのは今も変わらないと思う。
ラティアスは大人だからか、手紙では一切女性の話を出す事が無い。
耳に入ってくるのは、主に周りにいる他人からなのだ。
ならば、それを耳に入れない努力をすれば、妹とのような存在で側にいる事も出来るだろう。
前世であれば祝福の祈りを捧げれば、自分の中にたまった嫌なものも一層出来ていたのだが、今世祝福魔法を持ってない自分では、この濁った思いを持ち続けるしか無い。
だったらこれ以上濁った思いを溜めない様に、自衛するしか無いのだ。
やはり、これは前世の加護だったのだろう。納得できる方向性が決まり、無意識のうちに笑みが漏れた。
「アイネ様?どうかされましたか?」
どれ程考え込んでいたのか、開いたままでページの進まない本を慌てて捲ると、リリーの満足するであろう笑みを浮かべて見せる。
「今後の方向性が決まったわ」
清々しい笑みを浮かべる主人の様子に、リリーが小さな溜め息を漏らした事をアイネクラリスが知ることは無かった。