グレイ、獣王に会う
「失礼いたしました。改めましてグレイ様。獣王国にようこそおいでくださいました。私は獣王妃のリーナ・フォン・ライオネル。”そこ”にいるのが獣王であり私の夫でもあるレオナルド・フォン・ライオネルでございます」
リーナは貴族の礼をとる。その動作は非常に洗練された見事なものだった。
「そして、エレナの件につきましてはグレイ様にお礼と感謝を。夫の件につきましても、グレイ様の寛大なご処置に感謝いたします」
「い、いえ……」
グレイはチラッとある場所に視線を向けた後、引きつった笑みを顔に浮かべながら答る。
彼が引きつった笑みを浮かべている理由。それは彼の視線の先にある。
庭にある低木。その緑色の葉が茂るその中に”それ”は突き刺さっていた。”それ”は豪華な衣服を身に纏い下半身をピンと伸ばした状態で、上半身を低木に埋もれさせている。よく見れば時々ピクピクと動いているのが分かる。
その奇々怪界な光景は誰もが思わず二度見、三度見をしてしまうものであった。
言うまでもないかも知れないが、低木に突き刺さっている”それ”は獣王レオナルド、その人である。
何故、彼がそのような事態に陥っているのか?それは今から十数分前に遡る。
♦︎♦︎♦︎
エレナの病気の完治を親子3人で抱き合いながら喜んだ後、リーナはエレナを部屋に行くように言った。
そして、エレナがそれに従い、宮殿へと入ったのを見届けると、リーナはレオナルドに向き直る。
「さて、今は使者様の手前。エレナの件はとりあえずここで置いておきましょう。……それで貴方様。貴方様には反省してもらわねばならないことが2つばかりございます。お分かりですね?」
リーナはレオナルドを見据える。その顔には先ほどまでの優しい母親の顔はなく、怒りをたたえているのが見て取れた。
「ななな、なんだ?急に……」
レオナルドは冷や汗をタラタラと流しながら激しく動揺する。心当たりがあるのだろう。
「お分かりにならないのですか?ならば、説明して差し上げましょう。まず、1つ目。壁を破壊されましたね?これで何度目ですか?貴方様は前回約束されましたよね?もう壊さない、と。……まあ、このことは今は置いておきましょう。重大なのは2つ目です。貴方様は使者様に暴力行為を働きました。この重大さがお分かりになりますか?」
「だ、だが」
「『だが』ではありませんよ?これは下手をすれば外交問題に発展いたします」
「そ、それは……」
「俺は別に構いませんよ?被害はないので……」
グレイは思ったよりも重大な事態だったのだと理解し、慌てて否定する。
「それは誠にありがとうございます。この件はどこかで埋め合わせをすると約束致しましょう」
「あ、ありがとうございます」
グレイは歯切れ悪く受け答えをする。リーナが怖すぎるので、つい恐縮し過ぎてしまうのである。
「な、ならば問題ないな。そ、それではグレイ殿。執務室に案内しよう」
レオナルドは「この空気はヤバイ」と一刻も早く、この場を立ち去ろうとする。
だが、有耶無耶にして立ち去ろうとするこの行為がいけなかった。リーナの怒りは臨界点を超え、百獣の王たる獅子の怒りが解放された。
「ふふふふふふ。いい度胸をしております。貴方様にはお仕置きが必要なようです」
リーナがぶれた。そう思った瞬間、グレイの前にいたはずのレオナルドはその場から姿を消した。その場には拳を振り抜いたリーナが立っている。
レオナルドの行方を探すと、彼は低木に足を伸ばした状態で突き刺さっていた。
そして視点は冒頭へと戻る。
「失礼いたしました。改めましてグレイ様。我が国にようこそおいでくださいました。私は獣王妃のリーナ・フォン・ライオネル。”そこ”にいるのが獣王であり私の夫でもあるレオナルド・フォン・ライオネルでございます」
リーナは貴族の礼をとる。
「そして、エレナの件につきましてはグレイ様にお礼と感謝を。夫の件につきましても、グレイ様の寛大なご処置に感謝いたします」
「い、いえ……」
「では、執務室にご案内いたします。……ザクセン。”それ”の回収をお願いしますね」
「はっ!承知いたしました!」
リーナは護衛の1人ーーザクセンにレオナルドの回収を頼む。このようなことはよくあるのか、ザクセンは大して反応もせず与えられた職務を遂行するため、レオナルドの元へと向かっていった。
グレイとカナリアはリーナの案内で宮殿へと入る。その入り際、チラッとレオナルドを見ると、ザクセンに足を引っ張られながら救出されていた。
(あわれなり。獣王……)
グレイは妻の尻に敷かれるレオナルドに同情の視線を送るのだった。
案内された執務室は豪華絢爛、それが似合う部屋だった。
壁にはライオンを形取った額ーー【ライオンの皮】と呼ばれる化粧漆喰に歴代の王の肖像画が飾られ、に精緻な装飾が所々に施されている。天井にはシャンデリアがぶら下がり、部屋に置かれた調度品は一目で高いと分かるようなものであった。そんな部屋の名前は【大理石の間】というらしい。
なんでも、各国の重鎮に会うような際にも使う部屋とのことで、他の執務室よりも豪華にしているのだとか。
グレイは少しソワソワとしながらも示されたソファーに座る。元々、一般的な家庭生まれの彼にとっては、この部屋は非常に居心地悪いのだ。カナリアもまた、このような部屋は慣れないらしく、ソワソワしっぱなしだ。
そんな形でソファーに座りながら置かれた紅茶をチビチビと飲んでいると、やがてザクセンを伴ったレオナルドが姿を現した。頭には幾枚かの葉が付いたままになっている。
「遅れてすまんな」
レオナルドはチラチラとリーナの顔色を伺うような視線を送りながら告げる。
「いえ。構いません」
「そうか。それで使者殿はなにゆえ来られたのだ?」
「これを。今回訪問したのはこれを渡すためでしたので」
グレイは懐から【フランツ王国】王家の封蝋が押された親書を取り出し手渡す。
レオナルドはそれを受け取り、封を開けると読み始めた。
「ふむ。誕生祭……か。面白い。出向こうではないか」
「そうですね。同盟国の祝典ならば出向く必要はあるでしょう。幸い、その日は何事もなかったはずですからね」
リーナもレオナルドから親書を受け取り目を通し、そう告げる。
「グレイ殿。ご苦労だったな。……さて、そちらの要件が済んだようなら今度はこちらの要件があるんだが、いいか?」
「ええ、いいですよ」
「コホン……。では、まずグレイ殿には礼と感謝をしたい。エレナの件。なんと礼を言って良いか分からんから、とりあえずありがとうと言っておこう。それと感謝の印と言ってはなんだが、我が王家はグレイ殿の後ろ盾となることを約束しよう」
レオナルドが後ろ盾となる決意をした理由はもちろんエレナの件に対する感謝や礼によるものでもあるが、1番は繋がりを作っておくためでもある。
グレイは冒険者の最高位Sランクであり、エレナの不治の病と思われた病気を短時間で治し、使者に任命されるほどに社会的な信頼もある。繋がりを持つには良い相手なのだ。国を預かる王として、良い人材を集め、繋がりを作るということは極めて重要な仕事でもある。
「後ろ盾……ですか。それはありがとうございます」
グレイは内心ラッキーと思っていた。
グレイはこの国を訪れて以来、獣王国の王家とは関わりが欲しいと思っていたからだ。彼が作る錬金アイテムには世界樹の素材が必要なものもある。王家と知己になれば、まず間違いなく優先的に素材を手に入れることができる。故に甘んじてその申し出を受け入れることにする。
「ザクセン。羊皮紙を」
「はっ!こちらです!」
レオナルドはザクセンから羊皮紙を受け取ると筆を執る。
書かれている内容は【レティーア獣王国】王家がグレイの身分を保証するという内容のものだった。
「ありがとうございます」
グレイはそれを受け取ると、インベントリにしまう。
そんな時、執務室の前からドタドタという誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
「獣王様!」
突然、1人の兵士が執務室に入ってきた。走っていたのは彼だったようだ。相当に焦っているらしい。
「なんだ?突然」
「【魔物大行進】です!」
「なぜそんなに焦る?この国に住む者にとっては必ず遭遇するもんだろ?」
「それが……今までとは比較にならない大規模なものが発生したようでして……。調査隊の報告によれば1万はくだらないとのことです。また、Sランクを超える魔物も複数体確認されています」
「なんだと!」
【魔物大行進】は10年ほどの周期で起こるイベントだ。大規模なダンジョンが蓄えすぎた魔力で大量の魔物を創り出し、抱えきれなくなった魔物を外に放出することで起きる。
ダンジョンは生き物だと言われており、魔力を自ら蓄え、それを用いて様々な物を創り出す。武器や防具、魔道具に鉱石など、地上ではあまり取れない物や高性能な物が手に入る。一説にはそうした物を創り出すことによって人間をおびき寄せ、創り出した魔物に殺させることで入り込んだ者の魔力を吸い取るためだとも言われている。
上記のことからダンジョンは多大な利益をもたらすが、当然デメリットもある。それは【魔物大行進】の発生だ。約10年を周期に起こるこのイベントは街を破壊し自然を壊す。大規模なダンジョンの周囲が荒地なのは、【魔物大行進】が起こるからなのである。
この国ーー【レティーア獣王国】王都【クノッソス】近郊には【ミーノース大迷宮】という超大規模なダンジョンがある。
そして今、そのダンジョンでそんな厄災が発生した。それも今までに類を見ない規模である。
「今すぐ全兵士を準備させろ!戦えないものは地下闘技場に避難だ!」
「ザクセン!冒険者ギルドに知らせに行きなさい!」
「はっ!直ちに!」
レオナルドとリーナは指示を出す。ザクセン及び他の護衛は2人を残して、他は執務室を出ていった。
そして、5時間後。クノッソス防衛戦が始まるのであった。




