第27話。彷徨える湖。
名前…多留穂
生年…147年
性別…女性
属性…管家
統率…B
知性…B
行政…B
軍事…D
牙無流の妻。
翌朝未明。
起床して楊文明一家と一緒に朝食を済ませた。
その後、楊文明と実唯紗の商談結果に基づき私は蝋燭を納品する。
于闐の通貨は、于闐でしか使えないので決済は物々交換になった。
太いパラフィン蝋燭50本の代金は、于闐玉が10個。
これは妥当な取引なのか?
明らかにレートがおかしい。
買い叩かれている訳ではなく、私が受け取る対価が多過ぎる。
「鑑定(天位)」によると、この于闐玉10個の価値は10万銭と表示されていた。
漢の法定通貨である五銖銭は、後漢末には1銭が大体100円〜500円くらいだったらしい。
つまり、この于闐玉10個は1千万円〜5千万円。
たかが蝋燭50本の料金にしては、高額過ぎる。
確かに、この時代の蝋燭は貴重だ。
そもそも私が作ったパラフィン蝋燭なんか存在しない。
でも、蝋燭自体は蜜蝋燭などがある。
そして灯火なら、別に蝋燭じゃなくても植物油を燃やしたランプで事足りるのだから。
私が製造したパラフィン蝋燭は500ml缶サイズで、蝋燭としては大きいとはいえ、それでも他に代替品がある蝋燭1本の価格が100万円〜500万円なんて事はあり得ない。
「文明。幾ら何でも高過ぎるよ。私は、『法外な値段を吹っ掛けて暴利を貪るんじゃなく、適正価格で良心的な商売を心掛けろ』って言ったよね?」
私は、楊文明を詰問した。
「昨夜のランプと燃料油の料金が含まれます」
楊文明が言う。
「いや。あれは私と文明達家族の宿泊代で相殺されているから。この取引は、パラフィン蝋燭の代金だけだよ」
「志織様。そういう訳には参りません。あのような素晴らしいランプを30個も頂き、さらに大量の燃料油も頂きました。あのランプを王に献上すれば、おそらく1つで一生暮らせるような対価を頂ける筈です。それが30個も……。対価は、この于闐玉10個でも足りないくらいです。しかし、この于闐玉10個が現在の我が家の蓄えの全てなので、于闐玉10個と『今後、志織様が当宿に御宿泊なさる時の料金は全て無料にする』という条件で、楊殿に取引をして頂きました」
実唯紗は、この取引の内訳を説明した。
「私は、宿泊代をランプ30個と燃料13缶(一斗缶13個)で支払った。仮に、それが実唯紗さんにとって過分な利益だとしても、私から言い出した条件なんだから、約束は約束。実唯紗さんは黙って貰っておけば良いんだよ」
「それでは余りにも申し訳ありません」
「良いから、良いから」
実唯紗にとって対価が過分だとしても、私にとってはお得な取引だからね。
何しろ、私のストレージ内生成で作られる物品には、原価も人件費も全く掛かっていない。
はっきり言えば、ボロい商売なのだ。
しばらく押し問答があったものの、結局「ランプとランプ燃料は宿泊代として精算済み」という事と「蝋燭50本の対価は于闐玉2個と、焼き立て無発酵パン20枚」という事で話は纏まった。
これでも、まだ私の方が貰い過ぎている。
この于闐玉2個の価値は、2万銭(200万円〜1千万円)だ。
つまり、パラフィン蝋燭1本の価格は、400銭(4万円〜20万円)という事になる。
ま、この鑑定結果は、あくまでも于闐玉が珍重される漢でのレート換算で、于闐での于闐玉の流通相場は、それより低いらしいけれどね。
私が作ったパラフィン蝋燭は500ml缶ぐらいの大きさがあるし、この時代は蝋燭自体が貴重で、尚且つパラフィン蝋燭は存在すらしないとしても、灯火は植物油のランプで代用可能なのだから蝋燭の値段としては高過ぎる。
私と実唯紗が、お互いに妥協して歩み寄った結果だ。
そして、この取引を通して1つ分かった事がある。
楊文明の目利きと、私の「鑑定(天位)」の結果に然程の違いはない。
楊文明は、「安易に他人を信じて、簡単に詐欺師に騙される」という商人としては致命的な欠点があるけれど、彼の計算と相場眼は正確だった。
この様子なら、楊文明に私が作る物品の販売を任せても問題ないだろう。
詐欺に騙されないようにだけ気を付ければね。
私と楊文明一家は、実唯紗や満月亭の従業員達に見送られて宿を後にした。
「ありがとうございました。また是非お越し下さいませ」
実唯紗が言う。
「北関に来る事があったら、また泊まらせてもらうよ」
次にいつ来るかは、分からないけれどね。
・・・
満月亭を出ると、伐来と牙無流が待っていた。
「「おはよう御座います。志織様」」
伐来と牙無流が挨拶をする。
「おはよう」
私達は、挨拶を交わす。
伐来と牙無流に連れられて、私と楊文明と晶華さん(と楊家の赤ちゃん)は、盗賊の件で事情聴取を受ける為に北関の役所に向かった。
昨夜の内に伐来が詳細な報告をしてくれていたおかげで、私達は「こんな事がありました」と事実関係を話して終わり。
簡単だ。
「盗賊の討伐報酬は如何なさいますか?」
伐来が訊ねる。
「如何とは?」
「御支払いの方法を選べます」
「選択肢は?」
「まず、于闐の貨幣での御支払いです。しかし于闐の貨幣は、于闐以外では使えません。漢人との交易の為に漢の貨幣も僅かながら于闐で流通しておりますが、漢の貨幣で御支払いしますと目減りします。それ以外なら、于闐玉や穀物や家畜、あるいは様々な物品での支払いが選べます。私は、于闐より漢での価値が高く、嵩張らない于闐玉での支払いを御勧め致します。于闐で何か買う場合には、于闐玉を都度于闐の貨幣に換金すれば宜しいかと?」
「なら、それで」
「私も于闐玉でお願い致します」
私と晶華さんは言った。
「畏まりました。賊の頭目は賞金首でした。なので、晶華殿は、倒した頭目の賞金と8人分の武具の合計で……この于闐玉1つという計算になります」
伐来は、私が実唯紗から貰ったものより1回り小さな于闐玉を取り出す。
鑑定すると、3千銭(30万円〜150万円)と表示された。
「ありがとうございます」
晶華さんが于闐玉を受け取る。
「志織様は、43人の賊と武具の買取分です。御確かめ下さい」
伐来は、袋に入った沢山の于闐玉を差し出した。
「ありがとう」
私は、袋の中身を覗いて礼を言う。
私は、「鑑定(天位)」で袋の外からでも価値が分かるから、中身を覗いたのは格好だけだ。
この袋に入った于闐玉全ての価値は、合計2万銭(200万円〜1000万円)となる。
盗賊が生きたまま捕まった場合、于闐の貴人(王侯貴族)を襲ったりしたら死刑だけれど、それ以外は基本的に死ぬまで鉱山とか採石場とか土木工事とか危険で辛い労役刑に従事させられるそうだ。
西域のオアシス都市は、人口が少ないから人的リソースは貴重らしい。
私が手を矢で射抜いた盗賊達は、「傷物」扱いで少し価値が下がったのだとか。
現代(未来)日本人の私は、奴隷制について思う所がない訳ではないけれど、これが古代の常識なのだろう。
因みに、晶華さんが倒した盗賊は全員死亡していたので労役奴隷には出来ず、頭目の賞金以外に報酬は出ない。
買取報酬の事を考えるなら盗賊は生捕りにした方が良いけれど、生死が懸かった戦闘時に報酬の事なんかを考えて手加減をすれば、自分が危なくなる可能性がある。
だから、晶華さんが躊躇なく盗賊の息の根を止めたのは、生存を第一に考えるなら正しい行動だ。
「賊の馬60頭は如何なさいますか?」
伐来が訊ねる。
「如何とは?」
「そのまま御連れになりますか?こちらで買い取りますか?」
「なら、買い取りで」
馬なんかを連れて行くのは面倒だ。
馬の為に飼葉や水を準備しなくちゃならないからね。
それなら買い取ってもらった方が後腐れがない。
「買い取る馬は、志織様と晶華殿で如何いう割合で分けましょうか?」
「馬は、全て志織様が御取り下さい」
晶華さんが言った。
「いや、折半にしよう」
「しかし……」
「いやいや、折半で」
「……畏まりました」
「では、こちらの于闐玉を二等分致しますね。今袋を分けますので……」
伐来が買取報酬を2つの袋に分ける。
因みに、盗賊の人数と馬の頭数が合わないのは、盗賊達が荷物運びと乗り換え用の予備として多めに馬を連れていたからだ。
「これ、人間より報酬が多くない?」
私は、受け取った馬の買い取り分を確認して訊ねる。
私の取り分だけで、さっきの人間の買い取り料と同じくらいあった。
つまり、晶華さんの分と合わせれば、馬の買い取り料は盗賊の約2倍という事になる。
「賊の馬は痩馬でしたが、それでも労働力として人間の奴隷より価値があります」
伐来は、説明した。
古代では、基本的に人間の奴隷より馬の方が価値が高いらしい。
奴隷が何かしら特別な知識や技術を持っているなら話は別だけれど、そんな知識や技術があれば盗賊なんかにはならないからね。
何だか複雑な気分になるけれど、そういうものとして飲み込もう。
私の賊討伐の報酬は、諸々合わせて4万銭(400万円〜2000万円)相当の于闐玉だ。
つまり、さっき実唯紗にパラフィン蝋燭を売った代金と合計で、5万銭(500万円〜2500万円)相当の于闐玉が現在の私の全財産という事になる。
これで当座は凌げそうだね。
私達は報酬を受け取り、北関の役所を後にした。
北関の城門近くの広場に、大勢の騎兵が待機している。
昨日、盗賊達の襲撃現場に残って事後処理をした伐来配下の騎兵の一団は、昨晩遅くに盗賊を連行しながら北関に到着して、既に盗賊の身柄を北関の監獄に入れたそうだ。
「志織様。当初は、今日中に于闐に到着する予定でしたが、楊殿ご一家の隊商と一緒に于闐に向かわれるとの事ですので移動に時間が掛かり、今日は北関と于闐の中間地点にある南緑洲という集落を目指します」
伐来が今日の行程を説明する。
「うん分かったよ」
神様チート持ちの私は持ち前の身体能力で馬より速く走れるし、伐来と焚達は全員騎兵だ。
でも、楊文明達の隊商は沢山の荷駄や荷運び人足を連れていて移動速度が遅いから予定が遅れるのは致し方ない。
「私達の為に遅れてしまい申し訳ありません」
楊文明が謝罪した。
「私は、別に急いでいないから問題ないよ」
むしろ赤ちゃん連れの晶華さんを急がせてしまって申し訳ない。
「進発!」
伐来が号令を掛ける。
・・・
私達は、北関の城門を出た。
「ほえ〜、池があるじゃん。貯水池か?でも浅いから、直ぐに水が枯れそうだね?」
北関の南側には、彼方此方に大小様々な池がある。
でも、水位は深い所でも数m程度で底が見えていた。
「水位は浅いですが、この地下には南の山の水源から続く地下水脈があるので、意外と枯れません。水量が豊富な夏季以外は耕作をする程の水量はありませんが、多少の牧畜をするくらいなら十分です」
伐来が説明する。
池の畔には様々な植物が茂っていた。
鑑定すると、檉柳・胡楊・砂棗……などなどの木と、雑多な草の名前が表示される。
檉柳とは、タマリスクの事で乾燥と塩分土壌に強く、砂漠でも良く育つらしい。
胡楊は、コトカケヤナギの事でポプラの仲間だ。
日本の街路樹や北海道などでは牧場の防風林として見掛けるポプラの木。
但し、ポプラは風に弱いらしい。
風に弱い木で防風林の役目を果たせるのだろうか?
良く分からないね。
砂棗(すななつめ)は低木で、実が食用になる。
昨晩のディナーでも砂棗の実のドライ・フルーツがデザートに出た。
「焚」
私は、焚に話し掛ける。
「はっ。何でしょう?」
焚が馬を急がせて近くに来た。
「于闐側はホータン川の利水に頼っているけれど、焚達が寄寓している鄯善側は如何なの?」
「砂漠の南東には、大湖の羅布泊があります。なので、楼蘭は于闐より水に恵まれていますね」
焚が言う。
「あ〜、あの『彷徨える湖』のロプノールか?」
かつて、楼蘭にあったとされる湖のロプノールは、動くらしい。
湖が動く理由は、夏季に水量が増え冬季に水量が減るというサイクルを繰り返す内に、湖岸が侵食されるからだ。
東側の湖岸が侵食されれば湖が東に移動し、西側が侵食されれば西に移動する。
ロプノールの湖岸は砂漠の砂地なので侵食が激しく、1年で何百mも動くらしい。
数十年も経てば、湖は何kmも移動して元あった場所から跡形もなく消えてしまう。
何だかロマンだよね〜。
現代(未来)ではロプノールは枯れてしまって存在しないから、一度どんなもんか見てみたい。
水源のロプノールが消えてしまったので、西域の中でも最も繁栄を謳歌していた楼蘭も滅びて、現代(未来)では朽ち果てた遺跡が残るだけだ。
「彷徨うか如何かは分かりませんが……」
焚は、首を傾げる。
「ロプノールは動くでしょう?」
「ああ、長老連中が言うには、昔は今より東に広がっていたそうですね?」
「うん。大自然の神秘だよ。この目でロプノールを見てみたいね〜」
「なら、いつか御案内致しますぜ。実は、俺しかしらない魚が沢山取れる秘密の穴場があるんですよ」
「ほほ〜、魚がいるの?」
「はい。沢山います。中でも湟魚って魚は、デカくて食い出があって味も美味いんですよ」
「湟魚って、青海湖だけに生息するんじゃなかったっけ?」
湟魚は、鯉に似た魚で鱗がないという特徴があり、世界で青海湖だけに生息する固有種だ。
「いいえ。湟魚は青海湖にもいると聞きますが、羅布泊にもいます。というか、羅布泊 の湟魚の方が数が多くて大きいと有名ですぜ」
「へえ〜」
現代(未来)では、ロプノール湖は消えてしまったから、どんな魚がいたか分からないけれど、昔はロプノールに沢山の湟魚が泳いでいたのかもね。
「じゃあ、いつか志織様の為にデッカい湟魚を獲って御馳走しますぜ。わはははは」
焚が、バンッと胸を叩いて豪快に笑った。
「うん。ロプノールに行った時には頼むよ」
いずれ私が漢に移動する時には、楼蘭を経由する筈だから、その時に彷徨える湖ロプノールも見る事が出来るだろう。
お読み頂き、ありがとうございます。
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