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最終話 偏見差別主義者

突然降り出したスコールから逃げるように、サンは特別鑑別所まで戻ってきた。

幸いコンビニで買ったパンに被害は及ばなかったが、雨に濡れた身体はぶるぶると震えて、早く着替えないと風邪をひきそうであった。

警備員の男に頼んでタオルを貰った後、サンはエレベータに乗り込み、82階のボタンを押した。

寒さのあまり、長いエレベータが永遠に続くように感じられた。

部屋に入ったサンは、まず濡れた服を脱ぎ捨てて、乾燥機の中に放り込んだ。

そして誰も見てないことを良いことに、その姿のままパンを齧ってノートパソコンをいじりだした。

彼女にとってこの薄い万能計算機は未知の物に他ならなかったが、すぐに使い方を理解して、色々な物を検索し始めた。


「そういえば・・・・・・」


サンはふと、偏見発見装置について思い出した。

ベルも黒人警官も、偏見発見装置は未来にもあるというような事を言っていた。

サンは早速調べ始めた。


「(これが未来の"偏見発見装置"・・・・・・)」


画面上に映し出されたのは、IATと書かれたページであった。

サンが開発したのは白人と黒人の差別意識を炙り出すだけのものであったが、そのページには他にも様々な項目が用意されていた。

サンはその項目の一番上にある「人種」のボタンをクリックした。

画面に「ready?」と表示され、その下には小さく、エンターキーを押すように指示する一文が書いてあった。


「・・・・・・」


サンは偏見発見装置の生みの親として、いま目の前にある我が子を、じっくりと見つめなければならない筈であった。

だが、彼女の指はどうにもエンターキーを押すのを躊躇していた。

それが何故だか分からなかった。

彼女は分からないまま、ほんの数秒の時間を過ごした。

そして遂に、エンターキーを押した。

彼女の身に起こった僅かな躊躇より、大きな使命感と好奇心が勝ったのだと思われた。



「───というわけで、後は必要書類を記入して頂ければお帰り頂けます。警察署までは一時間くらいですから気長に待っててて下さい・・・・・・聞いてます?」


空飛ぶパトカーの中は薄暗かった。

どうやら天気が悪いようで、窓の外の世界はどんよりと曇って、灰色一色に飲み込まれていた。

その空模様に負けず劣らず、ベルとサンの間に流れる空気は重かった。

つい数週間前までの様子とは大きく異なり、サンは搭乗してからずっと蹲っていた。

ベルに顔も見せなかった。


「・・・・・・何かあったんですか?」


流石のベルも、サンの様子には疑問を持たざるを得なかった。

鑑別が終わり、特に問題もなく過去に帰れるというのに、サンはほっとした表情を浮かべるわけでもなく、ただ沈黙していた。


「鑑別期間に何かあったというなら、今私に話してください。それは大事な事なんです」


ベルはそう言いつつも、鑑別の結果に関わるような事態は起こっていないと信じていた。

彼女はサンの事を憎らしいと思っていたが、ある程度の常識を持った少女だとも理解していた。

そんなサンが何も言わないのだから、彼女は黙って時間を過ごす他なかった。

ベルはサンの頭に注いでいた視線を戻して、連日の急務に疲れた目を閉じた。


長い一時間が終わって、ベルとサンの二人は例の黒人警官に出迎えられて警察署へと到着した。

必要書類への記入が終わり、タイムマシンのある電話ボックスに向かう間も、サンの目は伏せられたままであった。


「サン!」


電話ボックスの前にはエリーが居た。

彼女はベルと共に未来へ来ていたようであった。

喜びと安堵の表情を浮かべながら、サンを出迎えていた。


サンは魂の抜けた身体をエリーに預けて、強い抱擁のなかで固まった。

肩には涙の感触がじんわりと伝わった。


「うちのサンがお世話になったわね」

「勾留にならなかったこと、感謝してください!」


サンを抱き締めたまま、エリーはベルと会話した。

サンには背中からその話し声が聞こえてくるだけであった。


「じゃあ帰りましょう、サン」


サンはエリーの腕の中で小さく頷いた。

電話ボックスの前まで移動するのに、さほど時間はかからなかった。

彼女はその虚ろな目で過去を見つめた。

頭の中に無数の不満が渦巻いて、それらがたったひとつの二律背反によって彼女の身に帰着した。


ベルは自分の手帳をかざして、電話ボックスを解錠した。


「・・・・・・選り好みしていたのは、私だったのか」


サンはぼそりと呟いた。


「何か言った?サン」

「いや・・・・・・何でもない」


ジリリリリ!ジリリリリ!


電話がけたたましく鳴り響いた。

エリーがコードを音声入力していく。


サンは一度だけ、後ろを振り返った。

もうそこには誰も居なくて、真暗な空間が広がっているだけであった。

電話ボックスの自動ドアがゆっくりと閉まった。

サンも元の方向に向き直った。


そして二人は眩い光に包み込まれた。

自分の意識がどんどん遠ざかって、消えていった。


「・・・・・・」


気がつくと、あの部屋にいた。

そこには届かないほど高い本棚も、柔らかい高級ソファも無かった。

ガラクタばかりの、自分の城だった。



"あの時の結果がどうだったのか、私の記憶は曖昧である。だが一つだけ言えるのは、あの頃の苦しみを私はもう思い出せないということであろう。"


サンはコーヒーを一口啜りながら、パソコンの置かれたデスクから立ち上がって、気持ちの悪い笑みを浮かべた。

背中側には小窓があって、そこからは車に荷物を積み込む夫の姿が見えた。


「ママ!早く!」


娘がサンの書斎の外から呼びかけている。

サンは突然笑みを消して、再びデスクに張り付いた。

無心で何かを打ち込むと、音を立てて椅子から立ち上がって、母親の笑顔を娘に向けた。


「・・・・・・ママ どうしたの?」

「何もないわよ。さあ早くいきましょう」


家族を乗せた白いバンが、アメリカ大陸を繋ぐフリーウェイを走っていく。

車窓からは他の車が同じように疾走しているのが見えるが、窓を覗いているのは娘だけで、サンの目にはその横顔しか映っていなかった。

サンは柔らかい頬の感触を思い出した。

初めて我が子を抱いた時の、あの幸せを思い出した。

自分はこの日のために産まれてきたのではないかとさえ感じた。

死んでもいいと思った。

だが、彼女の中にはずっと一つの矛盾が燻っていた。

それは決して解消されなかった。

今も、あの小説の最後の一文を書いた今でも、サンの魂の奥深くに、刻み込まれている。


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