90.マリーの登城
青い空に伸びる白い塔を見上げ、マリーはあれが一番高いだろうと思う。ずっと上を見続けていたため、痛む首を手で押さえた。
前を向けば、大きな門がある。それも、先程の塔も、目の前の建物のひとつだ。マリーが今まで見た建物で最も大きく豪奢で、圧倒される。
騎士や商人に見えるきちんとした身なりの人々が傍を通っていく中、マリーは右手に持つ手紙を確かめるように握り直した。通牒ともなったそれは、王太子からのものだった。
先日、オーギュストからマリーのもとへ手紙が届いた。
その時はすっかり元気になった兄のジョゼフと話していて、次の夜会は行かないと言うと彼はそれがいいと喜んでいた。他に彼が色々ぐちぐちと言っていた気がするが、マリーはあまり覚えていない。
その後リディが不思議そうに、急ぎで届いたと手紙を持ってきた。受け取って宛名を見れば、書き慣れていると思える流れるような筆致でオーギュスト、と書いてある。男の人からだと呟き、どこかで聞いたことがある、とマリーはその時疑問に思っていた。
そこに、ジョゼフがどこの男だと身を乗り出して、手紙を見ると、見事に白目をむいた。彼は倒れるのではないかと思うほどふらりとすると、なんとか踏み止まって、王太子からだと叫ぶ。そこからはてんやわんやだった。
震える手で開けた手紙には、要約すると「会いに来い」と書いてあった。度肝を抜かれたマリーはどうしようとおろおろし始め、ジョゼフはすぐに返事を書けと、リディに配達しにきた者をすぐに留めるよう指示した。
全力で走るリディの足音を背後に、ジョゼフが便箋をマリーの前に用意して、スリーズ家は王家に敵意はない、すぐにこちらから参上する、とにかく謝れと返信の内容を指示する。マリーは大混乱のまま返信を書き、なんとかその場でリディに渡した。無礼はないだろうなとジョゼフに聞かれても、わからなかった。
嵐が去った後は、早速ジョゼフが何をしたのかと詰め寄ってきたが、当然マリーには心当たりがなかった。むしろ、王太子たるオーギュストとはさすがに話すことはなかろうと思っていたので、マリーこそが理由を知りたかった。
オーギュストからの返信は早かった。日時を指定され、またスリーズ邸に嵐が到来した。
「……よし」
出で立ちは抑え気味に、それでも王太子の前で失礼にならようにとリディが頑張ってくれた。首元まで隠れる、質素だが品があるドレスを揺らして、マリーは王城に向かって足を踏み出した。
本当は、今日はマリーローズに会いに行く日だったが、王太子に来いと言われては行けなかった。代わりに謝罪と今までの出来事を嘘なくしたためて、彼女に送った。
「あれ? マリーちゃんじゃないか」
不意に声を掛けられ、マリーは足を止めて声の先に顔を向けた。青みを帯びた黒髪の青年が、にこにこしている。その顔は、見かけたことがあった。
「あっ……結婚式呼んでくれっていつも言ってくる人!」
「覚え方!」
彼は吹き出して、またいつもの楽しそうな顔をしながらマリーに近付く。
「俺はカストルだよ、カストル。デジレの親友。あ、デジレに会いに来たなら、いないぞ」
デジレの名前が出て、どきりとする。
王城は王太子の側近であるデジレの職場であるので、もしかしたら会うかもしれないと思っていた。密かに緊張していたのか、マリーの体から余計な力が抜けた。
「いえ、あの、なんの間違いか、王太子殿下からお招きいただきまして」
「殿下に?」
頷いて、マリーはカストルに手紙を渡した。彼はさっと目を通すと、綺麗に畳んで手紙を返す。
「たしかに、殿下の字で間違いないな」
「やっぱり、そうですか……。あの、カストルさん。わたし、お城に来たのははじめてなので、どうやって王太子殿下にお目通りすればよいのかわからないんです。どなたに聞けばいいですか?」
「ああ。それでここでぼーっと突っ立ってたの? だったら俺が案内するよ」
あっさりと言われて、マリーが逆に不安を覚えていると、カルトルが自らの腕を指した。そこには精緻な紋章のようなものが刺繍されていた。
「ほら、実は俺、殿下の護衛をよくしている近衛だから。安心してよ」
マリーには彼の指し示す紋様がはたして近衛のものなのかわからなかったが、よく見れば彼の出で立ちは白と黒を基調とした、立派でしっかりしたものだった。
なんにしろ、約束の時間まで入口でぼうっとしているわけにはいかない。顔見知りの相手ならばまだ安心できるかと、マリーは頷いて、カストルに案内を頼んだ。




