02
「ほれ見てみろ始。お前のナイト美幸ちゃんだぞ」
三階の廊下窓から外を見ていた成瀬は、友達に声をかけた。その友達は長い片足を成瀬の腰にあて、ぐっと押してやる。
「突き落とされたいみたいだな」
「冗談冗談」
移動教室にむかうふたりだった。
北方高校の制服はブレザーである。上下紺地で、ネクタイは黒。重たいイメージを与えるが、長身で、さっぱりした顔立ちながら、主将より怖いと評判の剣持には、ストイックな外見が増して似合っている。
反対にその友人は、いかに気持よく着崩すかと考えるタイプだった。陽気で口の減らない性格に、風紀指導の先生でさえ、成瀬が入学して一ヶ月で辟易し、いまでは見て見ないふりをされている。
「かれすごい金持ちらしいぞ、だからだろ、あれは」
「気色悪い挨拶だ。おら、鐘がなるぞ」
剣持は歩きながら、昨日キスされた手の甲を制服でこすった。あのあと場をしずめるのに骨を折ったものだ。先輩も後輩も喜んでいるが、とんでもない一年生が入部してきてしまったと剣持はおもう。
「あの子のどこが不満なのかねぇ。女の子らしいってだけでも希少な世の中だぜ? あそこまでかわいいと、目の色変わるもんだがな」
返事をしない剣持に成瀬は横目をやり、両腕をのばして頭のうしろで組んだ。
「まあ、始ちゃんは硬いからねぇ」
大げさにため息までつけていう。
「お前が柔らかすぎるんだよ」
硬い友人は、柔らかい友人の背中を拳でど突いた。
*** *** ***
三十年前から女性がバタバタと死に始め、十五年後には必死の世界的努力の甲斐もなく、老人子供問わず、全世界の女性は死滅した。
現在この世には十五才以下からの子供は、試験管を母として生まれてくる。
各国は減っていく女性から卵子を摘出し、保存した。それをさらにコピーしつづけており、成人し、子供をもつことを国によって認められたものたちだけが自分の精子を提出して、子供を授かる。
その子供たちでさえ、女子は生まれることがなかった。
世界には男性だけが取り残された。
*** *** ***
十五年前までは共学だった北方高校もいまでは男子校である。
お昼の定位置にむかう剣持の目に、手をつなぎあい、微笑みあい、談笑し、腕をからませあう学生たちの姿がはいってくる。
なかでも、「女性的」といわれる容姿のものは、多くのものから求愛されていた。
――さながら、学校内がひとつの社会の縮図のようなものになっている。
「この世はホモ天国だよなぁ。その気がなくてもそっちに走る」
女性と接したおぼえは二才までの成瀬はそうのたまう。
十五才以上のものは母から生まれてきており、皆がその母、姉、妹を亡くしている。連れ添いや家族をうしなった男性は絶望し、世界人口は六十億から二十五億にまで激減していた。後追い自殺も深刻な社会問題であった。
「女性が生まれないまま、このまま世界はつづいていくのかな」
「まぁ、科学者たちは他分野そっちのけで研究してるし、世界各国もなりふりかまわず国家財産つぎこんでるしなぁ、そのうち生まれるだろうよ。おれが悲観するのは、生まれたあと!」
「あと?」
グランドに面する植木のコンクリート垣に腰かけて、剣持はパンの昼食をとっていた。成瀬は父親手作りの弁当である。
「成長してきても二十五億対一だぞ。どれだけ生まれてきてくれるか知らないけど、おれらのとこまでまわってくるかよ。
女性との間に子供をのこすなんて夢のまた夢だな。精子提供の試験管ベビーだって、健康優良はもちろん、いい学校でて、いい会社でて、虐待しない性格チェックうけて……だぞ。ぞっとするね」
暗い未来を語りながらも、成瀬は美味しそうに弁当をたべている。その顔を横目で見ながら、剣持はおもう。
(このままじゃ人類は滅びるっていうのに、腹は減って、満たされると幸せだったりするんだよな)
女性がいなくても、ぽかぽかとした陽気のもと、男性たちは生活をつづけている。
「映像や写真で見る女性だよな」
「なにが」
「美幸ちゃん。女の子のイメージそのまんま」
芸術家のうみだす作品は女性をテーマにしたものにかたよっていると聞く。これから女性と一回も触れ合わず生まれてくるものは知らず、それを知るものたちは存在しない女性たちをいないと承知で、承知だからこそ余計に、求めずにはいられない。
タレントはいかに女性に似ているかが大事とされているし、ドラマでは女性役の男性が大人気だった。
失われた性。
――女。女の子。彼女。恋人。
「こんにちは剣持さん」
小さくて細くて、信じられないくらい柔らかいという……女の子。女性が減りだしてから流行りだしたことのひとつに、赤ちゃんの命名において女性っぽいのをつける、というのがある。桜井美幸もそのひとりなのだろう。そしてかれは、女の子のイメージにちかい。
(かわいい顔をしてた)
桜井が笑った。
「よー美幸ちゃん」
「こんにちは先輩、横いいですか」
成瀬に声をかけ、桜井は剣持の横に座った。剣持は、突然あらわれた桜井に動揺した自分を抑えるために無言のままだ。
たまに頭上の木々からさしこむ光にまぶしそうにしながら、剣持を挟み成瀬と桜井はおしゃべりをした。
その会話の合間、合間で剣持は桜井の視線を感じた。目があうと、柔らかく微笑まれ、剣持もぎこちなく笑みをかえす。惹かれる笑顔なのはたしかだ。しかしなぜか、剣持はこのかわいい一年生から距離をとりたくて仕方なかった。