03
北方高校体育館一階は、剣道部、柔道部、卓球部の各室内運動場と、各部室が設備されている。そのひとつで、掃除当番のためにおくれてやってきた剣持は、ひとりで着替えをしていた。
(あんな細こい奴がどうだってんだ。おれの気のせいだ。気のせい)
昼に感じた、後輩への自分の違和になっとくができなかった。ひるんでいるような心のうごきが剣持を苛立たせる。
内面をあらわすかのように、脱いだ制服を棚にほうりこむ動作が荒っぽい。
「失礼しまーす」
剣持は、シャツから腕を脱いでいるところだった。顔をめぐらすと、ドアの取っ手をつかんだまま硬直している桜井と目があった。
「よう」
「すっ、すみませんでした!」
大きな音をたてて後輩が部室から姿をけす。
脱ぎかけたシャツをはおりなおし、剣持は唖然としたまま閉じられたドアを見た。どうもあの桜井美幸とであってから、唖然とさせられることが多い剣持である。
ドアをあけて剣持が廊下を見れば、桜井はカバンを壁にたてかけ、手で顔をおおってしゃがみこんでいる。
「おい桜井、なにしてんだ入れよ」
「そ、そんな」
「どうした? ちょうどいい、胴着の着方おしえてやるから入れよ」
あせったり、しぶったりする桜井を叱咤して部室にいれ、剣持は自分を実験体として着替えてみせた。
「ここをこうしめて――終わりだ」
腰帯をぎゅっとしめて、剣持が顔をあげると教え子は背をむけていた。剣持の目がすわる。
「…………お前な、おれをなめてんのか」
剣持な不機嫌な声に、桜井の小柄な背がゆれる。
「だ、だって、いけませんよ、やっぱり」
この言葉を聞くと、剣持はこの後輩のくにゃくにゃしたところをぴしっとさせてやらなくてはいけない、と先輩としての使命を感じた。息を吐き、吸って、
「なにがいけないんだ!? はっきりいってみろ!」
三年生より怖いといわれる剣持の怒声である。背中をむけたままの桜井はその場所で十センチは跳ねあがった。
「男女が密室にふたりきりは危険だからです!」
剣持は桜井に背をむけ、竹刀と防具を手にした。
(もう、こんな奴にかまうのはやめよう)
見上げてくる視線を無視して入口にむかう。
「先に行く」
「剣持さん、ぼく、知ってるんです。……ぼくの夢を叶えてくれるのは剣持さんだけです。ぼく、剣持さんにあうためにここに来たんです。剣持さん、ぼくとつきあってください。お願いし……」
最後まで聞かなかった。急に呼吸がくるしくなって、剣持はその場で手にしていたものを落とし、駆け出した。呼びとめる桜井の声がしたが、剣持はふりかえりもせず体育館そとにとびだしていった。
*** *** ***
「お前はもしかしたら――この呪われた世界の希望ってやつかもしれんな」
五年前、現在は閉じられている診察室で、剣持の祖父はそういった。
父は剣持が十一才のときに自殺している。のこされた祖父は孫の頭をなで、
「始は自分が捨てられたような気がするかもしれんがな、わしから見れば、お前の父さんは十年もよく我慢したもんだよ。男はな、本当に、女性がいないと脆いもんなんだ。父さんのことは許してやれ、そのかわり、わしがいるからな」
衝撃をうけていた剣持は、だが、うなずくことができた。
年を経てきたもののほうが、女性たちとの関係が多かったぶんだけ世の中は淋しい。祖父はましてや産婦人科の医院を営んでいたので、閉じることになった。診察対象がいなくなって以来、祖父は研究論文を発表したり、本を執筆して暮らしている。
中一の春。
剣持は自分は死の病気にかかったとおもった。相談する相手は祖父しかおらず、その祖父は数日後、学校を休ませていた剣持を、家のなかでつながっている医院の診察室に呼ぶと、みなれないものを机においた。
「わしが産婦人科医であったこともなんらかの思し召しかとおもわれるな。よかったな始、ストックがあって。今後たりなくなるだろうが知り合いやら、始末にこまっている業界からこっそり集めておいてやるからな、まぁ、毎月いちにちふつか、休むのもいいだろうさ」
剣持がさっぱりわからず眉をよせていると、祖父は、パッケージをあけ、悠揚と説明をした。
「お前は二倍おとくな体をしとる。だが、それだけに他には黙っとけ。いいな」
女性が世の中にいなくなっても、世に生きていた証はさまざまにのこっている。保健の授業では無くなった性をも学ぶ。かつての生命の誕生過程。教師の声がひびくなか教室は静まりかえる。
「……そう、そして皆が知っているように、人間の女性はいない、もはや母乳は与えられない……自然界の動物を見てのみ、われわれは過去の出産、育児をしのぶことができる……」
教師の語尾はふるえ、目に涙がもりあがった。
魚類にも、哺乳類にも雌は存在しつづけている。人間の女性だけが姿をけした。
自分が死の病気でないかわりに、信じがたい立場にいるのだと知った年、剣持は痛哭する教師から視線をはずし外をながめた。
窓にうつった自分を見て、剣持はふいに泣きたくなった。教師とおなじように、きえた女性たちをおもった。
*** *** ***
剣道の道場は外側のドアも全開にして、日々稽古をしている。その入口に、紺色の制服と、各種クラブのユニフォームがまざりあって群がっている。
「なんですこの騒ぎ、先輩」
その群の端に立ち、対応を迫られていた三年生に剣持は声をかけた。
「どこいってた剣持!」
泣きだしそうな声をあげて、群集をかきわけ先輩は後輩を室内にひっぱりこむ。とたんに、入口から見えない位置に姿をかくしていた主将が、剣持にすがりつく。
「けんもち~! 美幸ちゃんが入部したとん、おれもおれもと入部希望者続出のうえに、見物する奴らが押し寄せてきて! もう全然、練習ができないんだ」
相変わらずたよりない主将に、剣持は苦笑する。主将のよこでは、副主将が同意するようにうなずいているばかり。
「大丈夫だよ美幸ちゃん、剣持先輩がなんとかしてくれるから」
「そうそう、おれらも入ってびっくりしたんだけど、ここの部、実質いまも剣持先輩がしきってるようなもんなんだよ。先輩は去年、国体で入賞してるんだよ」
道場の隅で、おなじ一年部員にはさまれながら、胴着姿の桜井は、とっくに知っている情報を聞いていた。もどってきた剣持を、食い入るように見つめる。
(ああ……なんて素敵なんだろう)
剣道の胴着は、剣持のすらっとした肢体を際立たせ、桜井に鮮烈な印象をあたえる。短い黒髪の襟足から、合わせまでの線は筆で描いたようであり、肌は日に反射してまぶしいほどだ。
剣持は、怖れるふうもなく押しかけている輩にむきあう。
「桜井美幸めあての入部はお断り、見物も度をこしたものは退場を願います。桜井が好きだというのなら、かれの立場も考えてください――いいですね?」
衆をたのみとするものからは不満の声があがった。剣持の背後では、他の部員が顔をひくつかせている。剣持は、表情をかえず、あらためていった。
「いい、です、ね」
沈黙が落ち、群は散った。
ひるみも、おごりもなく、ただ立つ剣持を、全身にはしる衝動をおさえながら、桜井は見ていた。




