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追放された鑑定士ですが、本当の能力は"未来の価値"が見えることでした。王国が滅びてももう遅いので、辺境で商会を作ります  作者: まつたけひめ
第4章

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第67話 閑話・エルナの餞別

 出発の朝、まだ日が完全に昇りきらない時刻。


 エルナの研究室には、煌々と灯りが灯っていた。徹夜明けらしい目の下の隈を隠すこともなく、エルナは机に向かい、最後の仕上げに没頭していた。


 研究室の中は、いつも通り、様々な資料と道具で溢れかえっている。魔導連邦から持ち込んだ観測機材、これまでの実験記録、そして書きかけの論文――その中心で、エルナは一心不乱に、小さな装置と向き合っていた。


 「あと少し……あと少しなのよ」


 誰へともなく呟きながら、エルナは小さな魔道具の最終調整を続けていた。手のひらに収まるほどの大きさの、精巧な作りの装置。表面には、彼女自身が刻んだ細かな魔法陣が、淡い光を放っている。


 扉が開き、クロエが顔を覗かせた。


 「エルナ、まだやっていたの」


 「もちろん。出発は今日なのよ。間に合わせないと」


 クロエは呆れたように息を吐きながらも、その表情には、隠しきれない気遣いが滲んでいた。徹夜が続けば、エルナの体調に響くことを、クロエは誰よりもよく知っていた。二人で夜通し作業を続けた第41話の頃を思い出しながら、クロエは静かに歩み寄った。


 「せめて、水分だけでも取って」


 差し出されたカップを、エルナは片手で受け取りながら、もう片方の手は装置から離さなかった。





 「見て、これ」


 エルナは満足げに、完成した魔道具をクロエに差し出した。窓から差し込む朝日が、精巧な魔法陣を淡く照らし出していた。


 「携行型の観測魔道具よ。大気中の魔力濃度、地脈の乱れ、そして――ある程度の距離までなら、聖剣の共鳴反応も感知できるように改良したの」


 クロエは魔道具を手に取り、その精巧な作りに、思わず感嘆の声を漏らした。表面に刻まれた魔法陣は、細部まで緻密に描き込まれており、素人目にもその技術の高さが窺えた。


 「これ、たった数日で作ったの?」


 「まあ、ベースは前から研究してたものだけどね。でも、遠征隊が現地でどんな異常に遭遇するか分からない以上、できる限りの手を打っておきたかったの」


 エルナの声には、研究者としての誇りと同時に、隠しきれない不安が滲んでいた。自分が同行できない遠征だからこそ、せめてこの魔道具が、皆の役に立ってほしいという想いが、その一つひとつの魔法陣に込められていた。


 「私も、同行できればよかったのだけれど」


 クロエが、ふとこぼすように呟いた。窓の外を見つめるその横顔には、研究者としての探究心と、遠征隊への羨望にも似た想いが、静かに滲んでいた。


 「後方支援も大事な役目よ。それに、今回はあなたの解析能力が必要だもの」


 「分かってる。それでも、少し」


 クロエは言葉を濁した。研究者として、未知の遺跡や現象を、自分の目で直接確かめたいという欲求は、決して小さなものではなかった。これまで、遠くから届くデータをもとに解析を重ねてきたが、実際にその場に立って自分の目で確かめることの重みは、また別のものだとクロエは感じていた。


 「もし機会があれば、次の遠征では、私が現地に赴く番かもしれないわね」


 その言葉に、エルナは小さく笑った。


 「その時は、私が後方に残ることになるのね」


 「そうなるかもしれないわ」


 二人は、そんな未来の可能性を、まるで当たり前のことのように語り合った。この街の仲間として、いつかそれぞれが違う形で大陸の未来に関わっていくことを、二人はごく自然に受け入れていた。


 二人の間に、これから先の可能性を、静かに、しかし確かに見据える空気が流れていた。研究室の窓から差し込む朝日が、少しずつ強さを増していく。出発の時が、確実に近づいていた。





 朝日が昇り始めた頃、遠征隊のメンバーたちが、出発の準備を整えるべく、街の広場に集まり始めていた。


 旅装に身を包んだ面々の姿に、見送りに集まった街の人々からも、静かな注目が集まっていた。これから始まる遠征が、この街にとってどれほど重要なものか、多くの人々が、それぞれの形で理解し始めていた。


 レイン、カイ、ガルド、リリア、ノア、アルドリッジ――そして、前日到着したばかりの魔導連邦の観測技師も、緊張した面持ちでその輪に加わっていた。


 エルナは、完成したばかりの魔道具を手に、その場へと駆けつけた。


 「待って! これを持っていって!」


 息を切らしながら、エルナはレインに魔道具を差し出した。


 「これは」


 「携行型の観測魔道具よ。異変の兆候を、事前に察知できるようになってる。それに、緊急時には、こちらへの信号を送ることもできるわ」


 レインは、丁寧な手つきでその魔道具を受け取った。手のひらに伝わるその重みに、エルナの想いの深さが、静かに込められているように感じられた。


 「徹夜で作ったのか」


 「そんなの、聞かないでよ」


 エルナは目を逸らしながら答えたが、その頬には、隠しきれない疲労と、同時に確かな達成感が浮かんでいた。徹夜明けの体は重かったが、この魔道具が仲間たちの役に立つという確信が、その疲れを上回る力を、エルナに与えていた。





 「使い方は、ここのボタンを押せば」


 エルナが説明を始めると、遠征隊の面々が、興味深そうに周りに集まってきた。朝の光の中、小さな魔道具を囲む人々の輪が、静かに広がっていく。


 「大気中の魔力濃度に異常があれば、こう光る。そして、もし本当に危険な状況になれば、こっちの赤い光が点滅する。その場合は、迷わず撤退を検討して」


 「分かりました」


 カイが真剣な表情で頷いた。エルナの説明は、これまでの研究の集大成であると同時に、遠征隊への確かな気遣いに満ちていた。


 リリアもまた、丁寧にその使い方をノートに書き留めていた。医療班として、こうした緊急時の判断材料は、彼女にとっても重要な情報だった。


 「ありがとうございます、エルナさん。とても心強いです」


 「別に、当たり前のことをしただけよ」


 エルナは照れたように視線を逸らしたが、その口元には、隠しきれない満足げな笑みが浮かんでいた。


 アルドリッジもまた、興味深そうに魔道具を覗き込んでいた。


 「素晴らしい技術ですね。帝国の魔導技師たちにも、ぜひ見せたいものです」


 アルドリッジの丁寧な口調には、純粋な技術への敬意が滲んでいた。


 「別に、見せてもいいけど。ちゃんと敬意を払ってくれるならね」


 エルナの少し刺々しい返答に、アルドリッジは苦笑した。過去に成果を横取りされ続けてきた彼女の警戒心が、こうした何気ないやり取りにも、静かに滲んでいた。それでも、その警戒の奥には、対等な関係を望む、確かな誠実さがあった。


 「もちろんです。技術というものは、正当な敬意の上に成り立つべきだと、私も考えています」


 アルドリッジの真摯な返答に、エルナは少し驚いたように目を瞬かせた。帝国の文官という立場から、そうした言葉が返ってくるとは、あまり想像していなかったのだろう。その意外な誠実さに、エルナの警戒心も、わずかに和らいでいくようだった。





 一通りの説明を終え、遠征隊のメンバーがそれぞれの最終準備に散っていく中、エルナはレインを、少し離れた場所へと呼び寄せた。周囲の喧騒から少し離れた木陰に、二人だけの静かな時間が生まれた。


 「レイン」


 「なんだ」


 エルナの表情が、それまでの快活さから一転、真剣なものへと変わった。


 「無理はしないで」


 「分かっている」


 「分かってない」


 エルナは、いつになく強い口調で遮った。


 「あなた、いつもそう言って、結局無理をするじゃない。この前だって、限界まで神眼鑑定を使って、鼻血流して倒れたじゃない」


 その言葉に、レインは静かに口をつぐんだ。あの夜の記憶は、レイン自身にとっても、まだ鮮明に残っている。鼻血を流しながら崩れ落ちた自分を、エルナが真っ先に駆けつけて診てくれたことも、忘れてはいなかった。


 「今回は、もっと危険な場所に向かうのよ。遺跡が、どんな脅威を隠しているかも分からない。もし、あなたにもしものことがあったら」


 エルナの声が、わずかに震えた。研究者としての冷静さの奥に、それまで隠していた素直な心配が、静かに滲み出ていた。周囲の喧騒が遠くに感じられるほど、その瞬間の二人の間には、確かな緊張感が漂っていた。


 「今度倒れたら、承知しないから」


 その一言には、エルナなりの、精一杯の激励と愛情が込められていた。飾らない、不器用な言葉ではあったが、その真剣さは、誰の目にも明らかだった。





 その真剣な物言いに、レインは思わず、小さく笑ってしまった。


 「なんで笑うのよ」


 「いや、すまない。お前がそこまで、はっきり言ってくれるとは思わなかった」


 朝の澄んだ空気の中、二人の間に流れる時間は、これまでのどんな会話よりも、静かで確かなものだった。


 「当たり前でしょう。あなたが倒れたら、この街がどうなると思ってるの。ミーナも、セリアも、皆、あなたを頼りにしているのよ」


 エルナの言葉には、単なる心配以上の、確かな信頼が込められていた。研究者として、そして仲間として、この街を支える一人として、レインという存在の重みを、エルナは誰よりも理解していた。かつて魔導連邦で不遇な扱いを受け続けていた自分を、対等な立場でスカウトしてくれたレインへの恩義もまた、その言葉の奥には静かに息づいていた。


 「約束する。今回は、無茶はしない。神眼鑑定も、必要な場面以外では、極力控える」


 「本当ね」


 「ああ」


 レインの真摯な返答に、エルナはようやく、少し表情を和らげた。窓から差し込む朝日が、二人の間に、柔らかな光を落としていた。


 「その魔道具、ちゃんと使ってよね。私の徹夜を無駄にしないで」


 「もちろんだ。ありがとう、エルナ」


 その言葉に、エルナは少し照れくさそうに顔を背けた。


 「別に、お礼なんて。私は、私にできることをしただけよ」


 そう言いながらも、その表情には、確かな安堵と、隠しきれない誇らしさが浮かんでいた。研究者として、そして仲間として、自分にできる精一杯のことを、この朝、エルナは成し遂げていた。





 広場に集まった遠征隊の面々の準備が、少しずつ整っていく。ミーナが最終的な物資の確認を終え、セリアが各国への最後の連絡事項を確認している。ヴァルドが、留守を預かる者としての心構えを、静かにレインに伝えていた。


 ミーナは、荷馬車に積まれた物資を一つひとつ確認しながら、時折、遠征隊のメンバーたちに声をかけていた。


 「水は多めに積んであるから、道中で困ることはないはずよ」


 「ありがとうございます、ミーナさん」


 リリアの丁寧な返答に、ミーナは小さく微笑んだ。この数週間、それぞれの持ち場で積み重ねてきた準備が、今ようやく、確かな形となって結実しようとしていた。


 クロエもまた、エルナの隣に並び、遠征隊を見送る準備をしていた。


 「これで、いよいよ出発ね」


 クロエの呟きに、エルナは静かに頷いた。朝の光が、二人の横顔を穏やかに照らしていた。


 「ええ。私たちは、ここから支える番よ」


 二人の視線は、遠征隊の背中を追いながらも、どこかその先――大陸中央部に横たわるという、まだ誰も見たことのない遺跡へと向けられていた。研究者として、いつかその真実を自分たちの目で確かめる日が来ることを、二人は静かに願っていた。


 二人は、街の門へと向かう遠征隊の背中を、静かに見つめていた。カイの聖剣が、朝日を受けて淡く輝いている。ガルドの頼もしい後ろ姿、リリアの穏やかな佇まい、そしてレインの、静かながらも確かな決意を宿した歩み――それぞれが、この街の想いを背負い、大陸中央部という未知の地へと、確かな一歩を踏み出そうとしていた。


 ノアとアルドリッジ、そして魔導連邦の観測技師も、それぞれの国の代表として、この隊列に加わっている。四つの国から集まった者たちが、一つの目的のために、こうして肩を並べて歩んでいく光景は、これまでのアーレントの歴史の中でも、初めて目にするものだった。種族も、立場も、これまで歩んできた道のりも異なる者たちが、一つの隊列としてまとまっていく様子に、見送る人々の間にも、静かな期待の色が広がっていた。


 エルナは、徹夜で作り上げた魔道具が、遠征隊の誰かの手に握られている光景を見つめながら、静かに胸の内で祈った。どうか、無事に、皆が帰ってきますように――その願いは、言葉にすることのないまま、朝の澄んだ空気の中に、静かに溶けていった。研究室に戻れば、また今日から、遠征隊を支えるための日々が始まる。エルナはそう心に決めながら、遠ざかっていく隊列の背中を、いつまでも見送り続けていた。

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