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追放された鑑定士ですが、本当の能力は"未来の価値"が見えることでした。王国が滅びてももう遅いので、辺境で商会を作ります  作者: まつたけひめ
第4章

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第39話 長老の伝承

 ガロンが客室で一晩を過ごした翌朝、レインは改めて彼を執務室へと招いた。昨夜は時間の都合もあり、伝承の要点を聞くにとどまっていたが、今日はより詳しい話を聞かせてもらう約束になっていた。


「長老殿、昨夜は十分に休めましたか」


「ええ、おかげさまで。此度の旅は、心身ともに応えるものでしたが、こうして丁重にもてなしていただき、感謝しております。良い街ですね、ここは」


 ガロンは丁寧に一礼すると、持参した巻物を再び卓上に広げた。昨夜見せたものとは別の、より詳細な記述が記されているという。朝の光が差し込む執務室には、レインの他に、セリアとカイも同席していた。この伝承が持つ意味の重さを踏まえ、レインは重要な情報をできるだけ多くの人間と共有すべきだと判断していた。


「今日は、皆様にもご同席いただけて心強い限りです。この話は、一人でも多くの方に正しく理解していただきたいと考えておりましたので。特に、剣を託された当のご本人には、なおのこと」


 ガロンはそう言うと、静かに卓上の巻物へと視線を落とした。窓辺から差し込む朝日が、古びた巻物の表面をやわらかく照らし出していた。



    



「昨夜お話ししたのは、伝承の概要に過ぎません。今日は、より具体的な部分をお伝えしたいと思います。獣王国の記録庫に眠っていた、最も古い部類の資料です」


 ガロンはそう前置きすると、巻物の一部を指し示した。


「先ほども申し上げた通り、九百八十年ほど前、この大陸で世界崩壊現象が起きたとされております。その際の記録によれば、現象の発生から収束まで、およそ二年の月日を要したと伝えられております」


「二年……」


 レインは思わず息を呑んだ。これほど長期にわたる規模の現象だとは、想定していなかった。これまでレインたちが向き合ってきたのは、あくまで異変の「予兆」に過ぎない。もし本格的な発生に至れば、二年という長期にわたって大陸全土がその影響を受け続けることになる。その事実の重みに、その場にいた全員が、言葉を失っていた。窓の外から差し込む朝の穏やかな光とは対照的に、部屋の中の空気は、ずしりと重く沈み込んでいた。


「その二年の間、大陸は絶えず異変に見舞われ続けたそうです。大地の亀裂は徐々に広がり、魔物は日を追うごとに凶暴化し、各地で多くの犠牲が出たと記録されています。当時の四大国――正確には、当時はまだ四大国という括りではなかったようですが――それぞれが対応に追われる中、事態は着実に悪化の一途を辿っていったとされています。当時の記録者も、事態の収拾に希望を失いかけていたと、行間から読み取れます」


 セリアが真剣な表情でメモを取りながら尋ねた。


「その状況を打開したのが、聖剣を手にした者、ということですね」


 セリアが確認するように尋ねると、彼女の脳裏には、既に隣に座るカイの姿が浮かんでいるのが、傍から見ても明らかだった。


「その通りです」


 カイが静かに息を呑む音が、部屋の中に微かに響いた。これから語られる話が、自分自身の運命と直接繋がっているかもしれないという緊張が、彼の表情に滲んでいた。



    



「伝承によれば、聖剣の使い手は、最初は名もなき一人の戦士だったとされています。特別な生まれでも、選ばれた血筋でもない、ごく普通の若者だったと伝えられております」


 ガロンの言葉に、カイが静かに耳を傾けていた。昨日の謁見以降、カイもこの伝承についての詳細を聞くため、今日の話し合いに同席していた。自分と重なる境遇の話に、カイの表情には複雑な色が浮かんでいた。


「その若者は、当時各地で猛威を振るっていた強化された魔物との戦いの中で、偶然にも古い遺跡から一振りの剣を見出したとされています。刃には、我々が『始原の言語』と呼ぶ古代文字が刻まれており、その剣を手にした若者は、次第に異変そのものと共鳴するような力を発揮するようになったと伝えられています。まるで、その剣自体が、世界そのものの意思を宿しているかのように」


「共鳴する力、ですか」


 レインが尋ねると、ガロンは頷いた。


「伝承の記述は断片的ですが、剣の使い手は、世界崩壊現象の中心にあるとされる場所――伝承では『世界の傷』と呼ばれる場所へと辿り着き、そこで何らかの行動を取ったことで、現象が徐々に収束していったとされています」


「世界の傷、ですか」


 初めて聞く言葉に、レインは静かに繰り返した。


「ええ。大陸中央部に存在するとされる場所です。もっとも、九百八十年前の記録以降、その正確な位置を記した資料は失われております。獣王国の伝承の中でも、断片的に語り継がれているのみで、正確な場所を特定するには至っておりません」


 カイが恐る恐る口を開いた。緊張のためか、その声はいつもより少し硬かった。


「長老殿、その若者は……最終的に、どうなったのでしょうか。無事に、生き延びたのでしょうか」


 その問いに、ガロンは少し困ったような表情を浮かべた。


「正直なところ、その後の消息については、伝承にも詳しい記述が残っておりません。現象を収束させた後、その若者がどうなったのか――英雄として讃えられ続けたのか、あるいは静かに市井に戻っていったのか、それすら定かではないのです。あるいは、栄誉よりも静かな暮らしを望んだのかもしれません」


 その曖昧な答えに、カイは複雑な表情を浮かべたが、それ以上は問い詰めなかった。分からないことは分からないままに受け止める、という姿勢を、この数ヶ月でカイなりに身につけていたのかもしれない。



    



「大陸中央部、か……」


 レインは静かに呟き、地図を思い浮かべた。これまで大陸各地で確認されてきた異変の分布を思い返すと、確かにそれらは大陸中央部に向かって、緩やかに収束していくような傾向を見せていた。第35話の夜、地図に印をつけながら感じた、あの錯覚に似た予感が、今、ガロンの言葉によって、確かな裏付けを得たように思えた。


「長老殿、これまで我々が観測してきた異変の分布は、大陸中央部に向かって集まっていくような傾向を見せています。もしかすると、その『世界の傷』とやらが、この現象の中心地なのかもしれません」


「その可能性は、十分にあるでしょう。ですが、大陸中央部は、これまでいずれの国家も本格的な調査を行ったことのない地域です。地形も険しく、危険な魔物が多く生息しているとも言われております。並大抵の準備では、辿り着くことすら難しいでしょう」


 ガロンの言葉に、レインは静かに考え込んだ。この情報が事実であれば、いずれこの現象の正体を突き止めるためには、大陸中央部への調査、あるいは遠征が必要になるだろう。だが、今この場でそこまでの決断を下すには、まだ情報があまりに少なすぎた。


「セリア、獣王国の記録以外に、大陸中央部について記されたものはあるのだろうか」


 レインの問いに、セリアはしばらく考え込んでから答えた。


「王国の宮廷にいた頃、古い地図をいくつか目にしたことがありますが、大陸中央部については、いずれも『未踏の地』として大まかに描かれているだけでした。詳細な地形図は、少なくとも私が知る限り、存在しないはずです。王家の書庫にも、それらしい資料はなかったように記憶しています」


「魔導連邦であれば、何か学術的な記録を持っているかもしれません」


 ガロンが付け加えると、レインは静かに頷いた。長年研究の最先端にいた魔導連邦であれば、こうした古い記録の解析についても、他国にはない知見を持っている可能性が高い。


「なるほど。魔導連邦への使者が到着した際には、その点についても情報を求めてみるべきかもしれない。エルナやクロエの伝手も頼れるだろう」


「カイ殿」


 不意にガロンがカイに声をかけた。謁見の間に張り詰めていた空気が、その一言で僅かに和らいだように感じられた。


「はい」


「伝承に語られる剣の使い手は、決して特別な力を最初から持っていたわけではないと言われております。剣と共に、経験を積み、仲間と共に歩む中で、次第にその役割を全うするに至ったとされています。もし、あなたがその剣の使い手と同じ運命を辿ることになるとしても、恐れることはありません。一人で背負う必要はないのですから。それは、ここにいる皆様の様子を拝見していれば、私にも容易に分かることです」


 ガロンの言葉に、カイは静かに頷いた。


「はい。ありがとうございます、長老殿」


 その表情には、まだ拭いきれない緊張と戸惑いが残っていたが、同時に、確かな覚悟のようなものも、静かに芽生え始めているように、レインには見えた。ガロンの穏やかな眼差しが、カイの肩の力を、少しだけ和らげてくれたのかもしれない。



    



 その日の午後、ガロンは獣王国へと戻る準備を進めながら、最後にもう一つの情報をレインに伝えた。旅装を整えたガロンの表情には、来た時よりもいくらか穏やかな色が浮かんでいた。この数日の滞在で、アーレントという街とその代表であるレインへの信頼が、少しずつ育まれていったのかもしれない。


「一つ、お伝えし忘れていたことがあります。伝承によれば、聖剣の使い手が世界の傷へと辿り着いた際、彼は一人ではなかったとされています。仲間たちと共に、その地へと足を踏み入れたと伝えられております」


「仲間たちと共に……」


「ええ。詳細な人数や役割までは伝わっておりませんが、少なくとも、聖剣の使い手一人だけでこの現象に対処したわけではない、ということは確かなようです。おそらくは、剣の力だけでなく、共に歩んだ者たちの支えがあったからこそ、その若者は最後まで役割を全うできたのでしょう」


 レインはその言葉を、静かに胸に刻み込んだ。カイが一人でこの大きな運命を背負う必要はない――その事実が、これまで以上に確かな形で裏付けられたことに、レインは密かな安堵を覚えていた。ちらりと視線を向けたカイの表情にも、幾分か肩の力が抜けたような、そんな変化が見て取れた。


「カイ、聞いての通りだ。何があっても、お前一人に背負わせるつもりはない」


 レインは静かに、しかし力のこもった声でそう告げた。これまで数々の困難を共に乗り越えてきた仲間として、この言葉は決して社交辞令ではなかった。


「……はい。ありがとうございます、レインさん」


 カイは静かに、しかし確かな声でそう答えた。


「長老殿、此度の訪問、本当に感謝いたします。獣王国との今後の連携、どうぞよろしくお願いいたします」


 レインは深く頭を下げた。この数日間、ガロンから得た情報は、これまでレインたちが積み重ねてきた断片的な手がかりを、確かな物語へと繋げてくれるものだった。


「こちらこそ。この情報が、少しでもお役に立てば幸いです。また何か新たな情報が得られ次第、速やかにお伝えいたします」


 ガロンはそう言うと、これまでの厳しい表情を僅かに緩め、この数日世話になったアーレントの街並みを、名残惜しそうに見渡した。


 ガロンは深く一礼すると、迎えに来た自国の護衛たちと共に、旅立ちの準備を整え始めた。街の門前まで見送りに出たレインたちに、ガロンは最後にもう一度、深く頭を下げた。



    



 ガロンを見送った後、レインは執務室に一人戻り、手帳を開いた。


「長老より伝承の詳細を聞く。世界崩壊現象、過去の発生から収束まで約二年。聖剣の使い手は名もなき若者であり、仲間と共に『世界の傷』と呼ばれる大陸中央部の地へ辿り着き、現象を収束させたとされる。世界の傷の正確な位置は不明」


 書き終えた一文を見つめながら、レインは静かに息を吐いた。これまで断片的だった情報が、着実に形を成しつつある。だが同時に、その全容を明らかにするためには、まだ多くの調査と時間が必要になることも、レインは痛感していた。


 もし本当に、これから訪れるかもしれない世界崩壊現象が、二年という長期にわたる規模のものだとすれば、アーレントもまた、これまで以上に長期的な備えを整える必要がある。ミーナが進めている備蓄計画も、これまでとは違う規模で見直す必要が出てくるかもしれない。レインは手帳の余白に、今後検討すべき課題を、思いつくままに書き足していった。難民の受け入れ体制、鉱業や農業への影響、そして何より、街の人々が長期にわたる不安と向き合っていくための心の備えも、決して軽視できない課題だった。


 物資の備蓄、大陸中央部への調査の可能性、魔導連邦や帝国との情報共有の深化、そしてカイという一人の若者にどう向き合っていくか。考えるべきことは山積みだったが、少なくとも、これまでのような漠然とした不安ではなく、具体的な課題として一つひとつ向き合えるようになったことに、レインはある種の手応えを感じていた。


 窓の外に広がる夕暮れのアーレントを見下ろしながら、レインは静かに呟いた。街灯りが一つ、また一つと灯り始め、いつも通りの穏やかな夜が訪れようとしていた。


「世界の傷、か。いずれ、そこへ辿り着く日が来るのかもしれないな」


 その日がいつになるのか、今のレインにはまだ分からない。だが、少なくとも、この大きな物語に立ち向かうための最初の手がかりを、確かに手にしたという実感が、レインの胸に静かに宿っていた。


 夜の帳が下り始めたアーレントの空を、レインはしばらくの間、静かに見つめ続けていた。遠く、まだ誰も踏み入れたことのない大陸中央部のどこかで、九百八十年前に途絶えたはずの何かが、静かに、しかし確実に、再びその気配を強め始めていることを、この時のレインはまだ知る由もなかった。

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