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追放された鑑定士ですが、本当の能力は"未来の価値"が見えることでした。王国が滅びてももう遅いので、辺境で商会を作ります  作者: まつたけひめ
第4章

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第35話 大陸各地の異変

 商人ギルドの情報網は、大陸全土に張り巡らされた血管のようなものだった。アーレントを中心に、行商人たちが行き来するあらゆる街道、あらゆる港、あらゆる交易所を通じて、日々無数の情報がこの街に流れ込んでくる。ここ数日、その情報の質が明らかに変わり始めていることに、レインは気づいていた。


 これまでダグラスがまとめてきた報告は、主にアーレント周辺、せいぜいカルベン峠から北方の街道沿いといった、比較的狭い範囲に限られていた。だが今朝、机の上に積まれた報告書の量と広がりは、これまでとは明らかに一線を画していた。差出人の欄には、これまで見たこともないような遠方の地名が並んでいる。


 執務室の机には、ダグラスが整理した報告書がさらに厚みを増していた。カルベン峠周辺の氾濫だけではない。大陸のあらゆる場所から、これまでとは異質な報告が届き始めている。


「レイン、これを見て」


 ミーナが険しい表情で、新たに届いたばかりの報告書を差し出した。その手つきには、いつもの落ち着いた商人らしさが僅かに崩れているのが見て取れた。



    



「帝国領内で、複数のダンジョンにて同時多発的な魔物の氾濫が発生――か」


 レインは報告書に目を通しながら、静かに眉をひそめた。帝国は大陸最大の版図を持つ軍事国家だ。その広大な領土内の、離れた複数のダンジョンで、示し合わせたように氾濫が同時発生しているという。これまでアーレント周辺で確認されていた氾濫の頻発とは、規模がまるで違った。報告書によれば、帝国東部と西部、実に大陸を横断するほどの距離を隔てた地域で、ほぼ同時刻に氾濫の兆候が確認されたという。


「帝国は、これをどう見ているのかしら」


「情報源によれば、軍が緊急招集をかけて対応に当たっているらしい。だが、原因については、帝国内部でも掴めていない様子だ」


 レインは次の報告書を手に取った。魔導連邦からの情報だった。


「魔導連邦では魔力計測器が軒並み異常値を記録――エルナたちが直面しているものと、まったく同じ現象が、連邦全土で起きているということか」


 エルナとクロエが街の数箇所に設置した観測点で捉えた大気の異常。それがアーレント一帯に限った現象ではなく、魔道具研究の中心地である魔導連邦全体で観測されているという事実に、レインは思わず息を呑んだ。報告書には、連邦内の主要な研究機関のいずれもが、原因不明の計測異常に見舞われているとあった。エルナのように、原因究明に躍起になっている研究者たちの姿が、遠く離れた土地でも同じように存在しているのだろうと、レインは想像した。


 三枚目の報告書には、獣王国からの情報が記されていた。


「獣王国近海では魚群の異常な回遊と、海が不自然な色に染まる現象――か」


 海に生きる者たちにとって、魚群の回遊や海の色は、生活そのものに直結する重大な指標だ。それが不自然な変化を見せているという報告は、獣王国の漁師たちの間で既に大きな動揺を呼んでいるようだった。


 大地の異変、大気の異変、そして海の異変。四大国それぞれの領域で、種類の異なる異常現象が、ほぼ同時期に発生し始めている。レインはこれまで集めてきた情報を、改めて一枚の地図の上に並べていった。



    



「レイン、こうして並べてみると、規模がまるで違うわね」


 ミーナが地図を覗き込みながら呟く。その声には、いつもの商人らしい冷静さの裏に、微かな緊張が滲んでいた。地図上には、これまでダグラスがまとめてきたアーレント周辺の異変の印に加え、帝国、魔導連邦、獣王国それぞれの領域にも新たな印が書き加えられていた。大陸のほぼ全域に、大小さまざまな異変の兆候が散らばっている。


「これまでは、あくまでアーレント周辺の局地的な現象だと思っていた。だが、こうして俯瞰してみると……この街だけの問題では、到底済まされないということが分かる」


「大陸全体で、何かが起きている」


 レインは頷いた。これまで漠然とした不安として抱えていたものが、こうして具体的な情報として突きつけられると、その規模の大きさに改めて言葉を失う。地図上の印を一つひとつ目で追いながら、レインは、これがもはやアーレントだけの問題ではなく、大陸全体、あるいは世界そのものに関わる規模の現象であることを、否応なく実感していた。


「四大国それぞれで、異なる種類の異変が起きているのも気になるところね。帝国は大地、魔導連邦は大気、獣王国は海。まるで、世界を構成する要素のそれぞれに、順番に異常が現れているみたいに見える。次は、何が起きるのかしら」


 ミーナの指摘に、レインは静かに頷いた。彼女の商人としての直感は、時にレインの神眼鑑定よりも早く、物事の本質を突くことがある。


「レイン、神眼鑑定で、何か見えないの?」


 ミーナの問いに、レインは静かに目を閉じ、意識を集中させた。これまで幾度となく繰り返してきた行為だ。今度こそ、この大陸規模の異変の正体を掴めるかもしれない。そんな微かな期待を抱きながら、レインは神眼鑑定を発動させた。


 だが、返ってくるのは、これまでと同じ断片的な映像だけだった。大地の亀裂、変色する空、そしてその奥に微かに感じる、途方もない何かの気配。像は結ばれる寸前で崩れ、輪郭を掴ませてくれない。今回は特に、四大国それぞれの情報を意識しながら力を込めてみたが、結果は変わらなかった。


 レインは深く息を吐き、目を開いた。額には、いつのまにか薄っすらと汗が滲んでいた。


「……駄目だ。これまでと同じだ。断片的な映像以上のものは、何も見えてこない」


「無理しないで。あなたの力も、万能じゃないんだから。これまで散々働かせてきたんだから、たまには休ませてあげないと」


 ミーナがそっと声をかけると、レインは小さく苦笑した。


「ああ。だが、これほどまでに何も見えないというのは、正直、想定していなかった」


 そこへ、外交文書の整理を終えたセリアが執務室に顔を出した。二人の様子から、ただならぬ空気を察したのか、静かに歩み寄ってくる。


「何か、深刻な報告が入ったのですか」


 セリアの声には、外交官らしい冷静さの中にも、隠しきれない緊張が滲んでいた。


「ああ、セリア。ちょうどいいところに。これを見てくれ。今、大陸各地から届いた報告を整理しているところなんだ」


 レインが地図と報告書を示すと、セリアはしばらく無言でそれらに目を通していた。政治顧問として各国の情勢に通じている彼女の表情が、みるみるうちに険しくなっていく。かつて王女として王国の政に関わっていた経験を持つセリアにとって、この規模の異変がもたらす政治的な波紋は、レインやミーナ以上に肌で理解できるものだった。


「四大国のそれぞれで、これほど大規模な異変が同時に起きているとなると……各国の外交にも、少なからず影響が出るはずです。特に帝国は、自国の異変を軍事的な脅威と見做し、対応を急ぐあまり、周辺への圧力を強める可能性があります。あの国は、力による解決を好む傾向がありますから」


「セリアの見立ては?」


 レインが静かに尋ねると、セリアはしばらく考え込んでから、慎重に言葉を選びながら答えた。


「正直、こうした規模の異変は、私が知る限りの外交史にも前例がありません。各国がそれぞれ独自に対応を進めれば、いずれ情報の断絶や、対応の食い違いが、余計な混乱を招くことになるかもしれません。願わくば、各国が手を取り合って対処すべき事態だと思うのですが」


 セリアの冷静な分析に、レインは静かに頷いた。国家運営の実務を担うミーナ、外交を担うセリア、それぞれの視点が、この異変の持つ意味の重さを、改めて浮き彫りにしていく。


「今の段階でできることは限られているが、各国の動向には引き続き注意を払っておいてくれ。特に帝国の出方には、これまで以上に気を配ってほしい」


「承知しました」


 セリアはそう答えると、静かに一礼して部屋を出ていった。その足取りには、いつもと変わらぬ落ち着きがあったが、レインには彼女もまた、この事態の重さを深く感じ取っているように見えた。見送った後、レインはもう一度、地図の上の印を見つめた。



    



 その夜、執務室に一人残ったレインは、これまでの神眼鑑定の在り方について、改めて深く考え込んでいた。


 思えば、この力はこれまで一貫して、「国家」あるいは「個人」という、輪郭のはっきりした対象を通して未来を映し出してきた。アストリア王国の寿命、孤児だった少年の未来、都市国家アーレントの誕生――どれも、対象を明確に定めることができたからこそ、レインの神眼鑑定は確かな答えを返してくれたのだ。


 王国を追放されたあの日から今日まで、レインはこの力を頼りに、数え切れないほどの選択をしてきた。錆びた剣を拾い、孤児を拾い、鉱石を見出し、人を見出した。どの選択も、対象さえ絞り込めば、神眼鑑定が確かな指針を示してくれるという確信の上に成り立っていた。


 だが今回、レインが向き合おうとしているのは、特定の国家でも、特定の個人でもない。大陸そのもの、あるいは世界そのものとでも呼ぶべき、あまりに巨大で、あまりに漠然とした対象だった。


「もしかしたら、俺の力は……」


 レインは呟きかけて、言葉を止めた。まだ確信には至らない。だが、脳裏には一つの可能性が、拭いがたく浮かび上がっていた。神眼鑑定は「国家の未来」を見通す力として、これまで機能してきた。だが、それはあくまで、レインという個人が把握できる範囲の「未来」に限られているのではないか。世界そのものの未来、大陸全体を覆う現象――そうした、より大きなスケールの対象に対しては、この力はまだ届いていないのではないか。


 その考えに至った瞬間、レインは自身の力の限界を、初めて明確に自覚した。


 これまで、神眼鑑定はレインにとって、常に道を切り開いてくれる万能の羅針盤だった。国王に追放された日も、この力さえあれば、いずれ道は開けると信じてきた。だが今、目の前にある現象は、その羅針盤の指し示す範囲の外側にあるのかもしれない。


「一人で見通せる範囲には、限りがある、ということか」


 レインは静かに手帳を開いた。これまで積み重ねてきた予言の数々を、改めて読み返す。錆びた剣の未来、孤児だった少年の未来、崩壊する王国の寿命、都市国家の誕生。どれもが、対象を絞り込むことで、確かな答えを得られたものばかりだった。


 だが、今この手帳の白紙のページに、レインはまだ何一つ、確信を持って書き込むことができない。


「情報を集めて、パターンを読み解こうとしても……断片的な情報しか得られない」


 レインは静かにペンを置いた。焦りとも、悔しさとも違う、これまで感じたことのない種類の無力感が、胸の奥に静かに広がっていく。だが同時に、その無力感の中に、レインはある種の冷静な気づきも見出していた。この力を、これまでのように一人で使い続けるだけでは、この先の脅威に対峙することはできないかもしれない、という気づきだ。


 思い返せば、これまでもレインは一人で全てを決めてきたわけではなかった。ミーナの商才、セリアの政治手腕、エルナの研究、カイの剣、ガルドの経験――それぞれの力を借りることで、これまでの数々の困難を乗り越えてきた。だが、神眼鑑定という自身の力そのものに限界があると自覚したのは、これが初めてのことだった。


 窓の外に広がる夜のアーレントを見下ろしながら、レインは静かに呟いた。


「俺一人の目では、足りないのかもしれない」


 それは、これまでのレインにとって、初めて口にする種類の言葉だった。神眼鑑定という規格外の力を得てから、常に自分の力を頼りに道を切り開いてきた彼にとって、その言葉には確かな重みがあった。だが同時に、その気づきは、これから訪れるであろう更なる困難に対して、一人で抱え込まず、仲間たちの力を借りるべきだという、新たな道筋を示してもいた。


 レインは手帳に、静かに一文を書き加えた。


「大陸各地に異変。帝国、魔導連邦、獣王国、いずれも。神眼鑑定、断片以上を見せず。俺一人の力の限界を、初めて自覚する」


 書き終えた一文を見つめながら、レインは深く息を吐いた。この気づきが、この先どのような意味を持つことになるのか、今のレインにはまだ分からない。だが、少なくとも一つだけ、確かなことがあった。この大陸規模の異変に立ち向かうためには、これまでとは違う向き合い方が必要になる、ということだ。


 これまでレインは、国家運営という大きな仕事においてすら、最終的な判断は自分一人の目で下すことを暗黙のうちに前提としてきた。ミーナやセリアの意見を仰ぎながらも、最後に決断を下すのは常に自分だという自負があった。だが、この目に見えない、あまりに巨大な脅威を前にして、その前提そのものが揺らぎ始めているのを、レインは静かに感じていた。


 もし、この先も神眼鑑定だけでは足りないのだとしたら、一体何を頼りにすればいいのか。答えはまだ出ない。だが、少なくとも、これまでのように自分一人の力だけで全てを解決しようとする姿勢を、そろそろ見直すべき時が来ているのかもしれない――そんな予感が、静かに、しかし確かにレインの胸に根付き始めていた。


 夜は静かに更けていく。だが、大陸のあちこちで芽生え始めた小さな異変の種は、レインたちの気づかぬところで、着実にその根を広げ始めていた。四大国のそれぞれが、それぞれの流儀で異変と向き合い始めているこの時、アーレントという小さな都市国家が、この先どのような役割を担うことになるのか――その答えは、まだ誰にも分からなかった。

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