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追放された鑑定士ですが、本当の能力は"未来の価値"が見えることでした。王国が滅びてももう遅いので、辺境で商会を作ります  作者: まつたけひめ


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第21話 崩壊前夜

 カルベン峠を越えてくる荷馬車と人の列は、もう何日も途切れることがなかった。


 アーレントの門番小屋に詰めるダグラスは、朝の点呼を終えるたびに眉間の皺を深くしていた。第一波の難民――商人や職人の家族たちが落ち着いた矢先、今度はまるで質の違う人波が押し寄せ始めていたからだ。


 「レイン様。今朝方の到着分ですが、ただの町人だけじゃありません」


 未来商会の事務所に駆け込んできたダグラスの声には、これまでにない緊張が滲んでいた。レインは手帳を閉じ、視線を上げる。


 「詳しく聞かせてくれ」


 「元王城の下級官吏が十数名、それに騎士団の兵士も混じっています。鎧を外して町人に化けてはいますが、歩き方でわかります。あれは訓練を受けた人間の歩き方だ」


 レインは一瞬だけ目を伏せ、神眼鑑定を静かに走らせた。難民の列そのものではなく、王国という枠組みそのものへ意識を向ける。視界の端に浮かぶ数字が、以前よりもさらに小さくなっている。


 「……そうか」


 短くそれだけ呟くと、レインは立ち上がった。



 ミーナが商会の食堂に姿を見せたのは、それからすぐのことだった。手には帳簿を抱えたままで、朝食も取らずに来たのが一目でわかる。


 「聞いたわよ、レイン。元官吏だの元騎士だの、只事じゃないでしょ」


 「ああ。事情を聞く必要がある」


 「私も同席する。商会の物流を止めるわけにはいかないから、状況によっては今日中に手を打たないと」


 ミーナの声には焦りよりも、むしろ研ぎ澄まされた緊張があった。奴隷市場から這い上がってきた彼女は、危機の匂いを嗅ぎ分けることに関しては誰よりも敏感だった。


 難民の中から選び出された元官吏は、初老の男だった。名をハインツと名乗り、王城の文書管理を長く務めていたという。彼は疲れきった顔をしながらも、目だけは鋭さを失っていなかった。


 「未来商会の会頭殿にお目にかかれるとは。……いや、こんな形で頭を下げることになるとは思いませんでしたが」


 ハインツは自嘲気味に笑うと、懐から折り畳んだ地図を取り出した。手垢と汗染みで縁がぼろぼろになった、王国西部の詳細な地図だった。


 「これは……」


 「私が持ち出せる限りの情報です。帝国軍が、王国との国境沿いに大規模な兵力を集結させています。斥候の報告では、通常の国境警備の規模ではありません。侵攻の準備と見て、まず間違いないでしょう」


 レインは地図に描き込まれた印を目で追いながら、静かに問いかけた。


 「王城の対応は」


 「対応も何も……国王陛下は未だに、帝国が本気で攻めてくるはずがないと高を括っておられます。宮廷では誰もが薄々気づいているのに、誰も口に出せない。私のような下っ端が進言したところで、更迭されるだけです。だから、逃げてきました」


 言葉の端々に、王国という組織そのものへの諦めが滲んでいた。レインはそれを咎めることも慰めることもせず、ただ淡々と受け止める。


 「情報には礼を払う。ここでの暮らしについては、後ほど改めて話をさせてほしい」


 ハインツが去った後、レインは再び神眼鑑定を発動させた。今度は王国そのものの「寿命」を、正面から見据えるように。


 視界に浮かぶ数字は、以前確認した時よりも明確に短くなっていた。第一話で最初に見た「あと十七ヶ月と二週間」という予言から、既に多くの月日が流れている。残された時間は――二ヶ月を切っていた。


 「……いよいよか」


 レインは声に出さず、胸の内だけでそう呟いた。驚きはなかった。ずっと分かっていたことが、輪郭をはっきりさせただけのことだ。



 セリアが動き出したのは、その日の午後だった。彼女はアーレントに来てからの一ヶ月、法整備と行政の整理に忙殺されていたが、難民の中に元官吏がいると聞くや、真っ先にハインツたちのもとへ足を運んだ。


 「王城の文書管理に携わっていたと聞きました。あなたたちの知識は、この街にとって非常に価値のあるものです」


 セリアの言葉に、ハインツをはじめとした元官吏たちは戸惑いを見せた。かつての王女が、辺境の商会の下で行政を担っているという事実そのものが、彼らには受け入れがたいものだったのかもしれない。


 「……セリア様が、このような場所で」

 

 「王国はもう長くありません。あなた方も薄々感じているはずです。ここで腐らせるには惜しい知識と経験です。アーレントの行政に、力を貸してもらえませんか」


 淡々とした、しかしどこか有無を言わせぬ響きを持った声だった。セリアはかつての宮廷仕込みの言葉遣いを崩さないまま、実務的な提案を重ねていく。税務台帳の整理、身分証明の発行手続き、難民の技能に応じた振り分け――王城で培われた経験は、急速に膨れ上がるアーレントの行政機構にそのまま活かせるものばかりだった。


 ハインツは長い沈黙の後、深く頭を下げた。


 「……お受けいたします。どうせ帰る場所もありません。ならば、まだ役に立てる場所で働きたい」


 セリアは小さく頷き、それ以上の感傷的な言葉は口にしなかった。



 商会の一室では、ミーナが緊急体制の発動を告げていた。集まった各部門の責任者たちを前に、彼女はいつもの快活さを潜め、商人としての顔で淡々と指示を飛ばしていく。


 「鉱業部は、当面の間、採掘した鉱石の外部への出荷を最小限に絞る。備蓄を優先して。流通部は物資の在庫を洗い出して、最低三ヶ月分の食料と生活物資を街に確保できるかどうか、今日中に数字を出して」


 「三ヶ月ですか。かなり厳しいですが……」


 「厳しくてもやるの。王国が崩れたら、周辺の流通網がどうなるか分からない。今のうちに手を打っておかないと、後で後悔することになる」


 ミーナはさらに、銀行部門を担う人員に向けて指示を出した。


 「資産の保護策も急いで。特定の通貨に偏らせず、鉱石や現物資産への分散を進める。王国の通貨が紙切れになる可能性もゼロじゃない」


 集まった面々の間に、緊張した沈黙が広がった。誰もが、ミーナの言葉の裏にある現実を理解していた。アーレントはもう、辺境の小さな街ではない。だからこそ、崩壊の余波をまともに受ける規模になっているということでもあった。


 「レインは今、何て言ってるの」


 若い部門責任者の一人が尋ねると、ミーナは短く答えた。


 「アーレントを守る準備を急げ、って。それだけで十分でしょ」



 夜、事務所の一室でレインは一人、手帳を開いていた。蝋燭の灯りの下、ここ数日の出来事を整理しながら、いつものように短く要点を書き記していく。


 「崩壊まで二ヶ月を切った。アーレントを守る準備を急ぐ」


 ペン先が紙を滑る音だけが、静かな部屋に響いていた。窓の外では、まだ遠くから難民たちの声が微かに聞こえてくる。老人の咳、子どもの泣き声、荷車の軋む音。それらが積み重なって、一つの大きな不安の気配となって街を包んでいた。


 レインは手帳を閉じる前に、もう一度だけ神眼鑑定を静かに走らせた。アーレントという街そのものの未来を、改めて見つめるために。


 視界の端に、これまでとは異なる輪郭がぼんやりと浮かび上がる。都市国家としてのアーレント。四大国と対等に渡り合う可能性を秘めた姿。まだ像は不確かだが、確かにそこにある。


 「……間に合わせる」


 短く呟くと、レインは蝋燭の灯りを消した。



 夕刻、辺境伯ヴァルドがレインの事務所を訪れた。都市への昇格を果たしてからというもの、ヴァルドの纏う空気には以前とは違う重みが加わっている。彼は椅子に腰を下ろすなり、単刀直入に切り出した。

 

 「レイン殿。街の防衛について、正直な見通しを聞かせてほしい」


 「王国の崩壊は避けられません。ですが、帝国軍の侵攻ルートを見る限り、アーレントが直接の標的になる可能性は低いでしょう」


 「……それは、神眼鑑定で見た結果か」


 「ええ。ただし、確実とは言い切れません。周辺の状況次第で変わり得ます」


 ヴァルドは腕を組み、しばらく黙り込んだ。彼にとってこの街は、辺境伯として長年守ってきた土地だ。その土地が、今まさに国という後ろ盾を失おうとしている。


 「直接狙われぬとしても、周辺の混乱の余波は避けられまい。街道が塞がれれば、物流が止まる。物流が止まれば、この街の生命線が絶たれる」


 「その点は、既にミーナが代替ルートの確保に動いています。カルベン峠以外にも、南回りの交易路を再整備する案を進めているところです」


 「相変わらず、手の早いことだ」


 ヴァルドはわずかに口元を緩めたが、すぐにまた表情を引き締めた。


 「兵の配置についても相談したい。街の自警団だけでは、万一の際に心もとない。冒険者ギルドとの連携も含めて、防衛体制を見直す必要がある」


 「承知しました。カイをはじめ、ランクの高い冒険者たちにも協力を要請します。ただし――」


 「ただし、何だ」


 「あくまで防衛の範囲に留めるべきです。攻めに転じれば、周辺勢力との無用な軋轢を生みます。この街が守るべきは、ここに集まってきた人々の暮らしそのものですから」


 ヴァルドは深く頷いた。かつて辺境の一領主に過ぎなかった男は、レインという若者の言葉に、いつしか一目置くようになっていた。



 研究室では、エルナとクロエが遅くまで灯りを絶やさずにいた。難民の増加に伴い、防衛に転用できる魔道具の研究依頼がヴァルドから正式に持ち込まれたためだ。


 「結界の基礎理論は既にある。あとは、鉱石の魔力伝導率をどう安定させるかだけよ」


 エルナが机の上に広げた資料を指でなぞりながら言うと、クロエは静かに頷いた。


 「威力を求めすぎると、暴走のリスクが増す。防衛用と割り切るなら、範囲と持続時間を優先すべきだと思う」


 「同感。派手さはいらない。壊れない結界を作りましょう」


 二人のやり取りは短く、しかし噛み合っていた。かつて別々の場所で孤独に研究を続けていた二人にとって、こうして意見をぶつけ合える相手がいることは、何よりの財産になりつつあった。



 街の外周では、カイが自警団の見回りに加わっていた。錆びた剣を腰に下げ、暗がりに紛れる気配を一つ一つ確かめるように歩く。難民の増加とともに、街の周囲には不安げな空気が漂い始めていたが、カイの足取りに迷いはなかった。


 「感知」のスキルは、日を追うごとに研ぎ澄まされていく。遠くの物音、微かな殺気、獣の気配。かつては掴みきれなかったものが、今ははっきりと輪郭を持って伝わってくる。


 見回りの合間、カイは腰の剣にそっと手を触れた。錆びた鞘の表面に、以前よりも明らかに強い光が滲んでいるのが分かる。まだそれが何を意味するのか、カイ自身にも分からない。ただ、この剣が自分と共に何かへ向かおうとしていることだけは、確かに感じ取れた。


 「まだ、早いよな」


 誰に聞かせるでもなく呟き、カイは再び暗がりへと視線を戻した。



 医療部門を任されているリリアもまた、忙しい一日を送っていた。難民の中には、長旅で体力を消耗しきった老人や、栄養が足りず熱を出す子どもが少なくない。仮設の診療所には、朝から絶え間なく人が訪れていた。


 「リリア様、また新しい患者が」


 助手を務める若い娘に呼ばれ、リリアは汗を拭う間もなく次の患者へと向かう。かつて聖女として王都で人々を癒していた頃とは違い、ここでは肩書きも儀礼もない。ただ目の前の人を救うことだけに集中できる日々を、リリアはどこか懐かしく、そしてありがたく感じていた。


 一段落した昼過ぎ、リリアはエルナの研究室を訪れた。


 「エルナさん、例の薬草の件だけど。難民の数がこの調子で増え続けたら、今の在庫じゃ持たないと思う」


 「万能薬の素材のこと? まだ精製方法が安定していないのよね。急いで完成させたいところだけど……」


 「無理はしないで。でも、少しでも早く形にできたら、多くの人が助かる」


 エルナは眼鏡の奥の目を細め、机の上の資料に視線を落とした。


 「わかった。優先順位を上げる。クロエにも協力してもらいましょう」


 二人のやり取りは短かったが、そこには互いへの信頼が滲んでいた。この街に集まった者たちは皆、それぞれの持ち場で、静かに、しかし確実に次の危機へ備え始めていた。



 その夜遅く、門番小屋から一報が届いた。カルベン峠の見張り台に立つ兵士からの伝令だった。


 「レイン様、ヴァルド様への報告です。カルベン峠を越えてくる難民の列が……地平線の向こうまで続いているとのことです」


 伝令の声はかすかに震えていた。レインは黙って報告を受け止め、窓の外に広がる暗い峠道の方角へと視線を向けた。


 まだ星明かりの下、遠くに揺れる無数の松明の灯りが、蛇のように長く連なっているのが見えた。それは王国という国が終わりに向かっていることを示す、何よりも雄弁な光景だった。


 レインは静かにその光を見つめながら、これから始まる本当の意味での戦いに、心の中で改めて備えを固めていた。





 その頃、王都では帝国との国境地帯に、静かに、しかし確実に軍勢が集まりつつあった。誰もまだ気づいていない。だがそれは、アストリア王国という国の歴史に終止符を打つための、最初の一歩に他ならなかった。

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