余裕の理由
「ねえ、今度さ、ランチ行かない?」
数日後、幼稚園の帰り道であかりがそう言った。
「いいね、行こっか」
私は自然にそう返す。
正直、少しだけ迷ったけど、断る理由も見つからなかった。
あかりとは、距離を置きたいと思うこともある。
でも、同じ幼稚園で、顔を合わせないわけにもいかない。
それに——
(ちゃんと向き合った方がいいのかも)
そんなことを、少しだけ思っていた。
数日後。
駅前のカフェで、私とあかりは向かい合って座っていた。
平日の昼間ということもあって、店内は同じようなママたちで賑わっている。
「ここ、よく来るの?」
私がメニューを見ながら聞くと、あかりは軽く笑った。
「うん、結構来るかな。こういうとこ、慣れちゃってるし」
さらっと言う。
その言い方に、少しだけ引っかかる。
「いいなぁ」
とりあえずそう返すと、あかりはストローをくるくる回しながら続けた。
「まあでも、今だけだよね」
「え?」
「こうやってのんびりできるのも。結婚したら色々変わるし」
ああ、来た。
「でもうちはさ、もう決まってるから」
少しだけ声のトーンが上がる。
「彼、会社継ぐし。忙しくなると思うんだよね」
——次期社長。
前にも聞いたその話。
あかりにとっては、それが“余裕の理由”なんだろう。
「そっか、大変そうだね」
私はそう言って笑う。
内心は、少しだけ違った。
(まだ決まってるわけじゃないのに)
そんな言葉が頭をよぎる。
でも、口には出さない。
出したところで、きっと空気が悪くなるだけだから。
料理が運ばれてきて、話題は自然と子どものことに移った。
その流れで、あかりがふと聞いてくる。
「みきちゃんってさ、ほんとに働く予定ないの?」
また、その話。
「今は特に考えてないかな」
私はフォークを持ちながら答える。
「ふーん」
あかりは興味なさそうに相づちを打って、それから少しだけ笑った。
「まあ、焦らなくてもいいよね。今は旦那さんに頼れるし」
——頼れるし。
その一言に、胸の奥が少しだけざわつく。
(私は、別に“頼ってるだけ”じゃない)
そう思った瞬間、スマホが小さく震えた。
テーブルの上に置いていたそれに、視線が落ちる。
通知が一件。
画面に表示された文字を見て、ほんの一瞬だけ、呼吸が止まりそうになる。
——入金のお知らせ。
すぐに画面を伏せる。
あかりに見られないように。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
私は笑ってごまかした。
でも、さっきまでとは少しだけ違う感情が、胸の中に残っている。
(頼ってるだけ、か)
帰り道、一人で歩きながら考える。
あかりの言葉は、たぶん悪気なんてない。
ただ、そう思っているだけ。
——何もしていない人。
でも。
(違うよ)
心の中で、小さくつぶやく。
私は、何もしていないわけじゃない。
誰にも言っていないだけで、ちゃんと積み上げてきたものがある。
それは、誰かに与えられたものじゃない。
自分で選んで、自分で続けてきたもの。
ポケットの中のスマホを、そっと握る。
さっきの通知を思い出して、ほんの少しだけ口元がゆるんだ。
(今日も、ちゃんと増えてる)
その事実が、なぜか少しだけ、自分を強くしてくれる。
——そのときは、まだ知らなかった。
この小さな差が、やがて大きな違いになることを。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しずつ動き始めた二人の関係。続きも読んでいただけると嬉しいです。




