「普通」に縛られる
あっという間に月日は過ぎていく。私はと言えば、何もしていない。言葉通り何もしていない。通院と面談の繰り返しなだけ。よくなる兆しは全く見えてこない。仕事を思い出して泣き、悪夢を見ては飛び起きて、自分の不甲斐なさに辟易していた。外は夏真っ盛りだというのに、私は実家の自室で横になっていた。読書も集中して読むことはできず、あれだけ夢中でプレイしていたゲームにも触れなかった。ただただスマホで、ショート動画を眺めているだけだった。
生産性のない毎日を送っていると、姉家族が帰省してくることになった。子供達が夏休みの間に、長くこちらにいるとの事で、実家の中は賑やかさで埋め尽くされた。
そこで私は仮面を被った。
私はあくまで「普通」なのだと演じるために、子供達に要らぬ心配をかけぬように、子供の前では面白いおばさんを貫き通すのだと、公園に遊びに行ったり、ビニールプールを出して一緒に水遊びをしたり、自分1人では長続きしなかったテレビゲームをしたり。あくまでも、君たちのおばさんは「普通」なんだよ、という事をアピールした。
だが、毎日家にいるとなると、子供達も不思議だったようで、「なんでずっといるの?」と痛いところをつかれた。嘘を吐こうかどうしようかと悩んだこと数秒。私は真実を告げた。
「ちょっとね、体調悪くてお休みしてるの」
子供達にどこまで伝わったかはわからない。ふーんと、あまり興味がなさそうな相槌が返ってきたかと思えば、子供達が公園で遊ぼうと私の手を引いてきた。
子供の元気が眩しい。今の私には眩しすぎるくらい。でも、今の私にはあの明るさは必要なのかもしれない。仕事ができない奴だと勝手に自分自身にレッテルを貼って、逃げ道を作っていた。自分はただのお荷物だと卑下することが止まらなくなっていたのに、眩しすぎる存在は、私の詳しい内情などは知ったこっちゃないと私の周りをわちゃわちゃと駆け回る。
運動不足の私には、子供との追いかけっこはしんどかった。すぐに息が上がるし、登り坂の多い公園なこともあって、太ももも悲鳴をあげていた。じっとりと額には汗をかいて、休日に甥姪とかけっこをする「普通」のおばさんになっていた。
ジリジリと太陽が一番猛威を振るう時間になり、私達は家へ戻った。子供達が脱ぎ散らかした靴を揃えて、手を洗いなさいよ声を張ると、「はーい」と少し面倒くさそうな返事が返ってきた。
「お疲れ、おばちゃん。面倒見てくれてありがとー」
昼食の準備を終えて、姉はリビングのソファでリラックスしていた。旦那さんは日頃の仕事の疲れなのか、気持ちよく昼寝をしているらしい。
「ちゃんと面倒見れてたかわからない」
私は、小さくははっ、と笑った。子供達と遊ぶ時はいつもヒヤヒヤする。怪我をしないか、道路に飛び出していかないか、機嫌を損ねてないか、ぐるぐると頭の中を「不安」が駆け巡るのだ。
「はいでたー。自己肯定感下げるの禁止ー。あんたのおかげであたしはゆっくりご飯作れたんだから、ちゃんと面倒見れてたの!わかった?」
姉の勢いに私は少したじろいだが、小さな声で「はい」と呟いた。自分で勝手にハードルをあげているのは分かっている。高いハードルを越えられないからと、結局は自信が皆無になるのだ。姉はそのハードルを下げてくれた。ありがとうと言われた。その一言がじんわりと胸の内を暖かくしてくれた。
「母さんと父さん外にいるから、ご飯って言ってきて」
「はいよー」
私はスニーカーの踵を踏んづけたまま外に出る。さっきよりもまた日差しは強くなった気がする。母と父は、庭の手入れをしていた。
「ご飯だってー」
声をかけると、母と父は作業の手を止めて家の中へと入っていく。遅れて私も家の中へと入っていった。食卓には姉が準備した昼食が並んでいて、すでに子供達も椅子に座って待機していた。夏らしい、夏にはぴったりの一品だった。食卓に全員は座れないから、先に子供達が昼食を食べる。やいのやいのと話しながら食べるものだから、姉に食べる時は食べる!と怒られた子供達は、少し頰を膨らませながら、渋々静かにご飯を食べすすめた。子供達のご飯が終わり、今度は大人の番。目の前には大盛りの素麺。
「姉さん、こんなに食べられないって」
「食える食える!うちの旦那くらい太ったらいいんだわ!」
姉はケラケラ笑っていて、旦那さんはあまりおしゃべりな方ではないけれど、ははっと笑っていた。母はと言えば、「これ以上太らせたらまずい」といい、父は「食べられることはいい事じゃないか」と十人十色の反応が返ってきた。
いただきますと両手を合わせて、麺をつゆにつける。するりと口の中に麺が滑り込んで、咀嚼をするとネギと海苔の香りがふわっと広がった。途端に、じわりと目尻に溜まる水分。あくびをしたふりをして誤魔化した。子供達にはバレていないが、姉達にはバレバレだったようだ。
ゆっくりとご飯を食べられる幸せ。誰かと食べられる幸せ。賑やかな音色。たったそれだけのことなのに、私の涙は止まらなかった。これが「普通」なのだ。きっとこれが「普通」なんだ。
私はまた素麺を啜る。あれだけ食べられないよと言っていたはずなのに、目の前の皿は綺麗に空っぽになった。
普通じゃないといけないと、肩の力が抜けなかった時がありました。でも、普通ってなんなんだろうってなったら、頭が混乱したけど、何気ない生活が送れればそれでいいんだと思いました。




