冥界の市
夢幻の市場での試練を乗り越え、ドラキチは再びギルドに戻っていた。夢幻の市場から持ち帰った「心映しの鏡」を眺めながら、新たな冒険の予感に胸を膨らませる。
そんな中、マクラが駆け寄ってきた。
「ドラキチさん、大変です!ギルドにこんな依頼が届きました!」
マクラが差し出したものは、触れるだけで指先が凍りつきそうな漆黒の封筒。中からは、筆跡そのものが苦悶の叫びを上げているような、おどろおどろしい文字が浮かび上がる。
「冥界の市への招待状――ここでは命、魂、そして永遠が取引される。しかし、冥界の法則に従わねば、帰還の保証はない」
ドラキチは眉をひそめた。
「命とか魂とか、さすがにそれはヤバいんじゃないか?」
しかし、封筒に書かれた小さな文字が彼の目を引いた。
「冥界限定の『無限リサイクルの契約』を手に入れるチャンス!壊れた心も、散らかった部屋も、失った初恋の思い出も、すべてを無償で資源化し再利用可能に!」
「無限リサイクル?それって便利そうだな……これさえあれば、冒険でボロボロになった装備も、飲みすぎて消し去りたい昨夜の記憶も、全部エコに再利用できる。なんてサステナブルなんだ……」
「ドラキチさん、目が完全に『お得情報の奴隷』になってますよ!」
マクラが不安げに声をかける。
「本当に行くんですか?冥界はただの市場じゃありませんよ!取引相手は悪魔とか亡者ですよ? 契約書の特約に『※魂の所有権は当方に帰属します』とか極小フォントで書かれているに決まっています!」
「相手が閻魔だろうが悪魔だろうが、不利益な事実を隠して契約を迫れば、俺の『消費者契約魔法:取消Cancel』が火を噴く。相手が『永遠』を売るなら、俺は『瑕疵担保責任』で応戦するまでだ。さあ、冥界の市場を、ホワイトな環境に変えてやろうじゃないか」
●冥界の入口
冥界の市に行くには、「死者の渡し守」を訪ねる必要がある。ドラキチは指定された薄暗い霧が立ち込める「忘却の湖」へ向かった。
ドラキチの前に現れた者は、ボロ布のようなローブを纏った「死者の渡し守」。その姿は、深夜残業を百連勤した社畜の成れの果てか、あるいは単なるコスプレ愛好家か――。
「冥界の市へ行きたいか。ならば、代償を支払え」
渡し守の声は、墓石をヤスリで削ったような不吉な低音であった。
「代償って?ギフトカードは不可?」
「冥界では、命そのものが通貨だ。生者が足を踏み入れるなら、お前の『寿命』を差し出してもらおう」
普通ならここで「ひぇぇ」と腰を抜かす場面。しかし、ドラキチの瞳は不敵に輝いた。
「なるほど、命の切り売り。……実にブラック企業的で、そそる契約だ」
ドラキチは懐から、虹色に光る魔導書を取り出した。
「だが悪いな。俺は消費者契約魔法の使い手なんだ」
「発動!――【重要事項説明の不備】!」
空中に黄金の契約条項が展開される。ドラキチは素早く隠された微細な文字を見つけ出し、指を鳴らした。
「おっと、渡し守さん。この湖の利用規約第四四四条第一三項の生者の初回搭乗には『冥界インフレ抑制キャンペーン』が適用される。特典として『代償の最小化オプション』が追加可能……。これを適用すると、どうなるかな?」
渡し守はフードの奥で絶句した。これまでは「命の半分」とか「記憶の全部」とかを吹っかけてボロ儲けしていたのに。
「……じゃあ、この契約で。時間の代償は、一分にしてくれ」
「……っ。承知、した……」
渡し守の肩がガックリと落ちた。ギィィ……と、恨めしそうな音を立てて小舟が動き出す。冥界の入り口へ向かう舟の上で、ドラキチは満足げに呟いた。
「だまし売りは、冥界でも通じないってことだよ」
霧の向こう側、亡者たちがひしめく賑やかな「市」の灯りが、そして怪しく揺れ始めていた。
小舟が「三途の第三ターミナル」へ接岸すると、そこにはカオスな極彩色の市場が広がっていた。
「冥界の市」――。
空には紫色の月が二つ浮かび、屋台からは「魂の炙り焼き(タレ)」の香ばしい匂いが漂っている。歩いているのは、頭のない騎士や、スマホをいじりながら歩く半透明の女子高生、そして明らかに定価を超えた価格設定で「徳」を売る怪しい商人たち。
●不動産勧誘
「……さて、まずは市場調査といくか」
ドラキチが雑踏に踏み出そうとしたその時、背後から声をかけられた。
「お客様、お困りですか? 良い『来世』、安く揃ってますよ」
振り返ると、そこには三つ揃えのスーツを着た、頭が「砂時計」の形をした男が立っていた。胸のネームプレートには『不動産鑑定士(地獄部門):スナドケイ』の文字。
「あなたは、ここの業者ですか?」
「ええ、新築・中古の『黄泉の国』物件を扱っております。今ならお客様のように生きの良い生者様限定で、ローンなし、一括支払いの特別プランが……」
スナドケイは、血のような赤いインクで書かれた怪しいパンフレットを差し出してきた。そこには「日当たり良好(マグマ隣接)」「閑静な住宅街(悲鳴の届かない深淵)」といった魅力的な(?)文言が並んでいた。
ドラキチは消費者契約魔法でパンフレットをスキャンした。
「ほう……『永久に変わらぬ静寂を約束』か。だが、この土地の登記簿を確認させてもらったが……隣接する第八地獄で来月から『叫喚大規模再開発工事』が始まる予定だな?」
スナドケイの砂時計の砂が、一瞬止まった。
「えっ、あ、いや、それはまだ決定事項では……」
「不利益事実の不告知は感心しないな。消費者契約魔法【不利益事実の不告知の断罪】」
ドラキチの指先から放たれた青白い閃光がパンフレットを焼き尽くした。
「ヒィッ!」
スナドケイは声を上げて砂を撒き散らしながら逃げ去っていった。
「冥界だろうがなんだろうが、消費者を舐めた商売は許さない。……それが俺の、生きている意味だからな」




