第九話『帝国三大都市』
投稿が遅れに遅れて本当に申し訳ございません。
皇城ズァルジフェンの宮殿から広場を挟んで最も東に位置する場所に、暗黒神殿がある。
この国で広く信仰されている帝国教。
その主神にして創造神たる『暗黒神ズァルジフェン』様を祀る神殿だ。
起床後に身支度を整え黒装束に身を包んだ余は、朝食前にここでズァルジフェン様に祈りを捧げる事を習慣としている。
捧げている祈りの内容は日によってまちまちではあるが、大体はこの国の平和を祈ることにしていた。
しかし最近は、一月程前に初陣として出かけていった初孫のフィローザインの無事ばかりを祈っている。
今日も起床後に身支度を整え、敬虔なズァルジフェン様の信徒の証である黒装束を着た余は、暗黒神殿へと向かう。
「・・・今日もいい天気だ・・・。」
皇城は構造上、宮殿の外に出て必ず湖を眺めることになる。
朝日が昇りだして湖から反射してきた日光は、余の眠気を消し去るに丁度いいものである。
「・・・ん?」
ふと神殿を見ると、出入り口の扉が半開きになっているのが伺えた。
「・・・・・・。」
天井へと意識を向けるも、反応は無し。
隠れて余を護衛している暗部は、脅威とならないと判断しているようだ。
「・・・。」
神殿内部は小さく簡素なもので、上座の方には朝日の差し込む窓を背に、大人の腰ほどの高さの台があり、大小様々な神々の像が置かれ、中心の台座の上に黒に近い紫色の宝珠が安置されている構造だ。
その目の前で、何者かが寝間着姿のまま裸足で中央の宝珠・・・すなわちズァルジフェン様を模った像へと傅いていた。
「ドレイク卿ではないか・・・。」
小刻みに震えながら涙目で宝珠に手を合わせていたのは、余と同じくフィローザインの祖父であるドレイク=ル=シュピーゲル辺境伯であった。
「こ・・・皇帝陛下!!」
余が傍らで顔を覗き込むまで、全く気付かずに一心不乱にズァルジフェン様に祈りを捧げていたようだ。
いつの間に現れたのかと言いたげに驚いた態度で目を見開いていた。
「貴卿がここに来るとは珍しい。
しかし、何だその格好は・・・。」
帝国各地の神話では、暗黒神ズァルジフェン様は祭り好きで寛容で気さく、そして何よりも寂しがり屋な御方と伝わる。
だからこそ暗黒神殿には様々な神々の像を置いて、寂しがらないようにするのが常識だ。
そしてその配置には場所柄が出る。
皇城内にあるここの場合、ズァルジフェン様の左隣には皇帝神アクセレイゼッゾ様・・・すなわち神として崇められるようになった初代皇帝の像があった。
暗黒神様の信仰には特別な服が決まっている訳ではないが、隣の像は紛れもない初代皇帝の像なのだ。
故に皇城内のこの神殿には、ズァルジフェン様への信仰を表すに相応しい、漆黒の正装で参拝するという決まりがある。
にも関わらず、この男は寝間着姿に裸足という、まるで先程起きたばかりの格好で祈りを捧げていた。
「夜中に・・・夢を見ました。」
初老の小太りの男は涙の跡も拭わずに声を震わせていた。
「夢?」
「小生の前に・・・フィローザイン殿下のような、幼い男児の首から下の死体がある夢です。」
「だから神々に祈りに来たのか・・・。」
「不安でございます!!
幾ら周囲に歴戦の勇士が何人も居るとは言え、何かの策で殿下が殺される可能性は充分にあります!!
殿下のあの焼けた顔を見た瞬間に怒りに囚われ、早すぎる初陣に反対しなかったあの時の自分を殴ってやりたい気持ちで溢れております!!」
いつも豪華な服を身に纏い自身に満ち溢れ、他の貴族に対しても慇懃無礼な態度を崩さないこの辺境伯が、狼狽して涙を流しているという事実に余は少しばかり驚愕した。
なにせ、困窮している他の貴族共や商人共に金を貸し、返済が滞れば直ぐにでも担保を押収して競売することで巨額の富を築いている守銭奴というのが、衆目一致の意見だからだ。
しかし、此奴も人の親で人の祖父なのだとわかり、少しばかり安心した。
「余も・・・。」
「?」
「余も正直な所、不安であった。
神々と同じ力とも呼ばれる気力に目覚め、大人のような口調と思考を持つようになったとは言えまだ四歳だ。
本人の強い意志とはいえ、エクシアン誅伐の軍の司令官に任命して同行させたのは早計だったかもしれないと、近頃は後悔しっぱなしだ。」
余は辺境伯の隣に傅いて宝玉に・・・暗黒神ズァルジフェン様と皇帝神アクセレイゼッゾ様に対して手を合わせる。
そして心中で神々にあの子の無事を祈った。
「だが、あの幼児離れした眼力。
あの目を見た時に、役目を果たして無事に帰ってくるという不思議な確信を持った。」
「・・・左様でございましょうか・・・。」
祈りを終えて立ち上がった余を、不思議そうに見上げた辺境伯。
余に不安を少しでも、吐露したからなのであろう。
体の震えは止まっていた。
「あの子を信じてやれ。」
それは、この男だけではない。
自分にも言い聞かせるように口に出した言葉である。
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帝国軍の内部には帝都防衛騎士団や、皇帝近衛騎士団などいくつもの精鋭部隊が存在している。
その鍛錬は他の騎士団で一番強い者ですらも半日で音を上げる程に厳しく、所属騎兵は他の部隊の騎士や兵士が十人で対抗しても敵わない程である。
そういった精鋭部隊出身の騎士が皇族の直属の騎士として抜擢されるという慣例が、俺の親父以降はあるらしく、親父や親父の異母弟達の直臣もそういった騎士達が帝国の騎士から皇族個人に仕えるようになっていく。
確かに次期皇帝になる可能性が高い者に、腕が確かな騎士が護衛に就くのは当然のことではある。
俺も皇城ズァルジフェンでは侍女の五人の他に、親父の直臣の騎士が二~三人は護衛として侍り、俺の身を守っていた。
にも関わらず、一ヶ月前に俺が顔の左半分を焼かれたという事実は、城内で母親と移動していたからという完全な油断によるものだと断言せざるを得ない。
それ故に、当時護衛担当だった彼等も汚名返上の機会を狙い誅伐軍に参加していた。
だがしかし、それでも油断によってタリナ都市伯での襲撃で落命してしまったのである。
だからなのであった。
どれだけ精鋭として持て囃されていても、それは俺自身の評価ではない。
まあ、当時の護衛の騎士達の、一度目の油断に関しては多少の弁護の余地がある。
母親は子供を守るものであるというのは、人間であれば常識と言えなくもない。
まさか母親が俺に向かって酸の瓶を飛ばすなんて考えもしなかったであろう。
しかし、二度目は周りに流されて油断して襲撃者に殺されてしまった。
つまり、精鋭部隊上がりの騎士であっても護衛としての評価は難しい。
俺自身が実力を見極めた者を、俺自身が直属の家臣として召し抱えるべきである。
元の身分の上下などは、些事だ。
拘ることがくだらない些事であった。
ゼファン傭兵団アクア部隊の十八人を俺の臣下にする理由の一つがそれだ。
つまり、『俺の臣下として充分な実力を俺自身が見定めた』事。
第二の理由は彼女達の精神性だ。
俺達がでかい蜥蜴に襲撃されていた所に彼女達はやってきたが、彼女達は俺が皇孫であることを確認することなく、軍団が魔獣に劣勢だという状況だけで俺達に加勢したのである。
そもそも、こちらは軍隊としては小規模だが、騎士と兵士と魔術士が合わせて二八三人も居るのだ。
大蜥蜴四頭程度であれば、最初は劣勢でも時間と少々の犠牲を払えばしっかり対処出来た。
既に日没まで間もない時間帯であった以上、我々を助けなければ安全に森の外まで出ていけた筈である。
それでも我々を助けたのは、急襲によって我々が劣勢に立たされていた事を見過ごせなかったからだ。
たとえば俺達が商隊と護衛の傭兵達であった場合でも、彼女達はそうしたに違いない。
そんな『他者の困難を助けられるならとにかく助けたいと思う精神性』を、俺が気に入ったからというのが、第二の理由だ。
また、タリナの領主専用風呂で襲撃された事の反省点も理由の一つだ。
地球でもそうであったが、軍隊は恐ろしく男女比率が偏っている。
それは帝国軍でも例外ではない。
騎士も兵士も大多数が男で、女は僅かしか居ない。
おそらくこれは性差が大きい。
地球人もこの世界の人間も、平均的に女よりも男の方が力は強い。
また、哺乳類である以上、女は子供を産んで育てる必要がある。
また、他の哺乳類の場合、赤子はすぐに立ち上がり自発的に母乳を求める動物が多いが、人間の場合は二足歩行と大きな脳の弊害で、胎児が骨盤を通れるくらいの大きさまでしか母体で成長できないので、他の哺乳類と比較すると未熟な状態で生まれざるを得ない。
この、人間と他の哺乳類との出産の違いは、子育ての手間のかかり方で大きく違うのである。
それ故に、女は家事や子育てをし、男は労働や戦争を行うという人間特有の性別による分業が殆どの文化で共通しているのだ。
そしてそれは帝国の貴族でも同じである。
古くから貴族の男が騎士や兵士として戦い、女は家宰を取り仕切る。
これが何処の家々でも当たり前になっているが故に、帝国軍も男の方が圧倒的に多いのであった。
勿論、女性だけの部隊や、一族の全ての成人が騎兵として男女混合で主家に仕えている貴族もある事にはあるが、これは極々少数の例外で、基本的に殆どの貴族は家々の成人男性が武官として帝国軍や帝国貴族の軍に参加する。
しかも、どうも他国の軍と帝国軍を比較した本によると、帝国軍の男女比率はこれでも女性が多いらしい。
理由は恐らく魔術士の比率が多い為だろう。
帝国の騎士や兵士達は、魔術嫌いのエクシアン家等の少数の例外を除けば、皆多かれ少なかれ魔術を使う。
しかし大多数は、『パワー=エクステンション』や『マッスル=アップ』等の自身の肉体をより強靭なものにする肉体強化や、刀剣類の切断力や鎧の防御力を向上させる魔術の習得者が殆どである。
これにより男女の戦闘力の差を埋めている女性騎士達もそれなりにいるが、女性の場合は大多数が専門の魔術部隊に所属していた。
理由は簡単。
元々の戦闘力に魔術で上乗せする男性軍人と同じ戦法で互角以上の戦果を発揮するのは、女性の場合はよほどの魔力運用に長けた者でないと難しい。
それならばいっそのこと遠距離射撃や、怪我を治す回復魔術等の筋力を用いない方法の魔法を習得し、後方から男性軍人を支援する役割を担ったほうが戦闘の効率化が図れる。
祖父帝の側近にして当代最高の魔術士であるブレイド=ル=スパロウが、魔術局を設立したのも、それに気付いたからである。
魔術運用に置ける男女の役割分担とも言えた。
まあ、そんなわけで帝国軍も男のほうが多く、それはタリナでの襲撃前の誅伐軍にも言えたことで、必然的に俺の護衛も男性兵士が担う。
しかし、タリナで襲撃された時、俺と侍女達は入浴中だった。
後で報告を受けたが、男達は襲撃に気付いたものの侍女達が全裸であると理解していた為に風呂場への突入を躊躇い、女性が多い魔術士達の所へ連絡する事しか出来なかったと言うのが、当時の護衛担当の言葉だったらしい。
未婚の異性の裸を見るのは厳禁という、帝国貴族共通の教育方針が仇となった結果と言える。
ならばいっその事、『専属の護衛役は女性に委せたほうが良い』と俺は判断した。
これが三つ目の理由である。
最後の理由はその他の三つの理由に重なる所もあるが、『俺が身分に関係なく有能だと判断した者にそれ相応の待遇を与える者だと示す為』だ。
そもそも帝国において本来の貴族とは、皇帝に仕える義務を負い、能力や結果によって高待遇を得られた者とその子孫を指す。
伯爵以上の爵位に領土が与えられるのも、報奨であると同時にその領土を皇帝に代わって統治することを任されたからである。
しかし、世代を重ねるごとにその意味を忘れて、権益のみを追い求める世襲貴族が多くなっていることも事実だ。
シュピーゲル辺境伯家の娘が様々な策謀で第一皇子の妻の座を射止めた事も、それに憤慨したエクシアン公爵家が帝国への反乱を起こしたのも、貴族身分の本来の意義を忘れ、己の権益拡大ばかり求めているからに過ぎない。
故に、世襲貴族達に示す必要がある。
『帝国貴族になる資格は誰にでもある』という事と、『お前達は相応しくないと判断された時に爵位を剥奪される事も有り得るのだぞ』という事を。
・・・・・・まあ、何もそれは貴族に限った話ではない。
俺自身も、今は皇位継承権第二位の皇孫ではあるが、いつ皇帝陛下の不興を買って、廃嫡されるかもしれない。
その為の努力は必要だろう。
廃嫡されない為の努力と、いざ廃嫡されても平民として生きていける努力も。
おっと、閑話休題。
まあ、そんな風にアクア達を家臣にする理由を四つ考えてたが、実はこれらは副次的なモノ、いわば建前でしかない。
本当の理由はあのハイレグレオタードの美女達を俺がそばで見続けたいからだ。
濃い青色の競泳水着にも見える腰から肌が露わになっているハイレグカットで、当たり前のように尻を曝け出して股間の女性らしいシルエットが見ただけで分かる。
地球の三十三歳まで健康に過ごしていた日本男児の記憶がある俺としては、自分の肉体的な幼さをこれほどまでに恨んだのは初めてだった。
と、同時にこのタイミングで出会った事を幸運だとも思った。
何故かと言うと、彼女達の格好は、別に平民の女性傭兵としてはなんらおかしな格好ではないからだ。
そんな普通の格好に、思春期の皇族が性的興奮を覚えればどうだろうか?
平民女性の服装に興奮する変態皇族というレッテルを貼られる事は、間違いないだろう。
何せ、ハイレグレオタードの服装は、この国では当たり前の格好であるからだ。
故に、俺は彼女達のあの格好に慣れる必要がある。
そんな欲望と実益を兼ねて、俺は彼女達を家臣として召し上げるつもりなのだ。
正直に言うと彼女達の体は触りたいし愛でたい。
しかし、実のところ、それは単に女体が目当てなのであって、彼女達の性格や人となりはまだ出会ったばかりで分からない。
しかし、これだけは言える。
建前の理由その二にあるように、他者が困っていたら迷わずに助けにいける心意気は俺が見習うべきものであると。
「キャロル達は、あまり眠れなかったようだね。」
「は・・・はい。」
俺が目を覚まして幕屋を出ると、既に太陽は地平線から完全に脱していて周囲は明るくなっていた。
幕屋の前では身支度を整えた兵士や、俺の侍女達がいそいそと朝餉の準備に取り掛かっていた。
五人の侍女達は、いつもと違い寝ぼけ眼で緩慢な動作である。
「申し訳ございません・・・昨晩の殿下の問題を考えていて・・・睡眠時間を削ってしまいまして・・・。」
幕屋の中に戻り椅子に座った俺の前の卓子に、ガリィが朝食前の果実水を差し出した。
「それでか・・・。
それはすまないことをしたな。
まさか寝れなくなるとは思わなかった。」
確かに寝る前に提示する課題ではなかったようだ。
俺は眉を下げて侍女達に謝罪する。
「とんでもございません。
殿下の深いお考えに、私達の頭が理解出来るとは思えませんもの・・・。」
その場に居合わせた侍女全員が揃って首を振る様は、少し面白い。
どうも、祖父帝や将軍達だけでなく、彼女達も俺が気力に目覚めた所為で、頭脳が常人以上になったと勘違いしているようだ。
まあ、この辺りは前世から記憶が連続している所為だからなのだが、それを言うと説明がややこしくなるので諦めた。
なんせ、この国の宗教では全ての命は死ぬと冥獄にいる主神の前に連行され、自分の人生を包み隠さず全て話さなければならないが、記憶は主神の糧となるので命は記憶を失って、再び現世に転生するという輪廻転生の言い伝えがあるのだ。
まれに前世の記憶を断片的に思い出すが、それは主神の食べ残しだという解釈が一般的で、この世界観では前世の記憶が全て今生に引き継がれている事は、ありえないことだからだ。
実際に俺はそうなのであるが、これを納得させるには帝国で広く信仰されているこの言い伝えを否定する必要がある。
しかし、この国の宗教である帝国教の教義を否定するという事は、帝国教の最上権威を持つ皇帝の孫という俺の立場からは難しい。
下手をすれば親父の異母弟達等の下位の皇位継承権保有者に、廃嫡を進言させるいい機会を与えてしまう。
それは避けなければいけない。
上位の皇位継承権保有者が廃嫡して下位の者が即位した場合、廃嫡された方を担ぎ上げようとする反体制派が必ず出てくる。
そして内乱が起こることは目に見えているからだ。
「移動している間は、馬車で寝ていても良いぞ。
朝餉を食してここからファイレーガまでは半日はかかるだろう?」
欠伸を噛み殺しながら、俺の前に朝飯を差し出すキャロルの動作に俺は思わず笑ってしまった。
「め、滅相も御座いません。
主を差し置いて侍女が眠るなど・・・。」
「と言っても、馬車で移動している間は基本的に何もすることはないだろう?
俺は・・・将軍の馬にでも同乗させてもらうことにしよう。
そもそも、お前たちはずっと俺の側に居て気を使ってくれている。
半日くらいのんびりしてもいいと思うが?」
俺の少しばかりの気遣いに、キャロルは困惑している様子であった。
「とまあそんな事で、俺が昨日まで乗っていた馬車なんだが、今は寝台馬車になっている。」
どうやら侍女達はあんまり寝れなかったのではなく、殆ど寝れなかったというのが正しかったようで、俺が無理やり五人を馬車に乗せると、観念したようで一人二人と眠りに落ちていき、俺は出立の挨拶にこちらに向かってくるアクアへと説明した。
「そうなのですか・・・。」
どうやら皇族の侍女が、主に睡眠を命じられるという事に違和感を覚えたのだろう。
俺の前で傅いて顔を上げている十八人は、腑に落ちないような表情を浮かべていた。
「・・・殿下はどうなされるのですか?」
その中の一人。
アクアとローズのすぐ後ろに居た翠色の短い髪の女傭兵が首を傾げた。
年齢は、彼女達の中では最年長のように思える。
「・・・すまないが、誰かの馬に乗せてもらえないだろうか?」
カリスに乗せてもらおうと考えていたが、俺も男だ。
筋肉質で汗臭い爺さんよりも、綺麗で若い美女を侍らせたいと思うのは当たり前の心理だろう。
故に、当初の腹積もりを捨てて、彼女達に頼むことにした。
・・・・・・だが、迂闊だったな。
まだ四歳なのに、もう性欲に目覚めた色餓鬼だと思われるかもしれない。
そりゃそうだよなぁ・・・。
俺の前世の世界だと、きれいなおねいさんに興奮する幼稚園児が主人公の国民的アニメがあったが、現実にそんな子供が居たら気持ち悪い。
昨夜臣下になることを提案したばかりの彼女達に気味悪がられるのは、流石に傷心する。
しかし、発言は取り消す事は出来ない。
後悔を抱いた。
「でしたらどうぞ私めに。」
しかし、そんな懸念は杞憂だったようで、全員の代表であるアクアが快く引き受けてくれて、俺は彼女の好意を有り難く受け取ることにした。
「いけません殿下!!」
それを一部始終見ていた馬車の御者男が、いそいそわたわたと慌てて俺達の元へと駆け寄る。
「流石にそれはお止めください。
出会ったばかりの者達を何の保証もなく信用することなど!!」
「何を言ってる、貴公も助けてもらっただろう、イジェイト城伯。」
カリスの側近且つ、俺の馬車の御者兼護衛を任されている責任感からなのだろうが、彼女達からの恩義を何とも思っていないような軽薄な発言に、俺は少し腹が立った。
確かにこの中年男の言うことも尤もだとは思える。
昨日今日出会ったばかりの彼女達に、何の保証も無く全幅の信頼を寄せるものではない。
俺を誘拐して、身代金を取ろうと思えば出来る筈だ。
しかし、自分達の状況を顧みずに魔獣退治に加担してくれた事と、彼女達が貴族になりたい集団に所属している事、そして俺達の証言によって魔獣退治の報酬を組合から受け取るという実益が発生する為に、俺を安全に守らなくてはいけない義務が生じている。
故に、アクア達が俺を傷付ける可能性は皆無に等しい。
それだけではない。
そもそもこの男、アオザー城伯のデオン=ル=イジェイトは、昨日の大蜥蜴との戦闘では、派手にすっ転んで腰を強打して動けなかった無様な姿を俺に晒していたのだ。
その分際で、面と向かって恩人を疑う失礼な態度に、俺は腹が立った。
よし、決めた。
この戦いに勝って帝都に帰ったら、こいつの領邦を没収して俺に下賜する様に祖父帝にねだろう。
幸いにも俺の所領であるレオタルドス侯爵領と、こいつのアオザー城伯領は近い。
アクア達の働き方次第では、そのままアクアの領地にするもの良いだろう。
「えっと・・・あの・・・。」
しかし、俺の後ろに立つアクアが困惑していた。
そんな彼女などお構いなしに、尚も続けて俺を止めようとする城伯に俺は苛立つ。
「ふん!!」
俺は自分と城伯の間に、気力の壁を出現させる。
「で、殿下!?」
「今から十数える。
その間にこの壁を壊せたら、お前の意見に従おう。」
突如として現れた壁に戸惑う城伯。
「殿下、ワガママはいけませんぞ!!」
「一!二!三!四!」
俺の言葉を無視するように言葉を続ける男に対して、俺はそれを無視して数を数え始める。
「・・・致し方ありませんな!」
俺が掲げた左手の小指を曲げようとした時に、城伯は腰から抜剣した剣を構えた。
「フレイムソード!!」
柄にあった魔石に魔力を流して剣は炎を宿した。
「はあああ!!」
そして唐竹割りで、気力の壁を壊す・・・事はできなかった。
ガビンと鈍い音を立てて城伯の剣は弾かれてしまう。
「くおおおおおお!!」
その後も全力で幾度も剣を振るうデオン。
しかし、壁は炎でも剣でも損壊を与える事は出来ず、男は肩でゼーゼーと荒い呼吸になっていた。
「・・・八、九、十。
・・・これで話は終わりだ。」
左手の指を全て伸ばしきって、俺は溜息をついた。
無駄な時間だったと、男に失望した目線を送りながら。
「で・・・ですが、この壁はおそらくそこの小娘達ですら壊せないのではないのですか?」
呼吸を整えながら尚も食い下がる男。
流石にしつこすぎる。
「はき違えるな。
お前が壊せるか壊せないかの問題であって、アクア達が壊せるか壊せないかは関係がない。
・・・因みにあのイングロとかいう蜥蜴は、前脚の一撃で一枚は壊していた。
十枚目が壊されそうになって、アクア達が助けてくれなければ、俺はきっと死んでいたよ。」
「・・・・・・!」
そこまで言うと、流石に勘の鈍いこの男でも何かを察せたのだろう。
その時に落馬して俺の護衛という役目を果たせなかった城伯は、言葉を発することもなく項垂れてしまった。
厳しい言い方ではあるが、事実である。
あの時、俺の体力は限界寸前で、実のところ十枚目に作り出した壁はこの男でも破壊できそうな程の脆いモノであった。
しかしイングロは健在で、護衛は役立たず。
他の兵士達が別個体の対処に手間取っているので、絶体絶命だった。
そんな所にアクア部隊が危険を顧みずに助けに来たのだ。
この傭兵少女達を評価せずに一体誰を評価しろというのであろうか。
「よろしく頼む。」
「・・・か、畏まりました、皇孫殿下。」
俺が声をかけると即座にアクアが頭を垂れ、それに続く彼女の部下達。
統率力もかなりのものだと、俺は確信していた。
太陽が南へと移動して暫く経過し、ようやく俺達誅伐軍は森を抜けた。
流石にこれだけの人数と馬と馬車の軍勢が移動するとなると、森の魔獣達も攻撃しにくいのだろう。
昨日の夕方とはうってかわっって、順調に森を抜けることが出来たのである。
しかし、だからといって速度を緩めることは出来ない。
事前の打ち合わせ通り、軍は街道を進みロイクロスという小さな町と、それよりも大きなバッセル市を通過して、昼を少し過ぎた辺りでファイレーガ侯爵領の領都レガ市へと辿り着いた。
「結構大きいな・・・。」
白く塗られた壁が周囲と隔てている堅牢な城塞都市の規模は、帝都アルムに匹敵すると俺は確信する。
流石は帝国三大都市の二位に順位付けられる都市だ。
帝国の国土の大まかな地方区分は中央部と東部、西部、南部、北部、北西部、南東部の七つで、帝都アルムやタリナ都市伯領は中央部に属し、ベビドゥール公爵領は東部に位置するが、このファイレーガ侯爵領は南部の北に位置している。
その為、帝都アルムに次ぐ二位の規模を持つレガ市は同時に『南部最大の都市』とも呼ばれていた。
しかし、都市としての歴史は帝都アルムよりも遥かに古い。
ここはかつての大国『ファイレーガ帝国』の帝都であったからだ。
そもそも五五四年前にアルムザクス帝国が建国されるきっかけとなったのが、この地にかつてあったファイレーガ帝国の北部侵攻にある。
アルムザクス帝国の前身であるシルクミス王国、ヴィルマー王国、レオタルドス王国は隣同士の間柄であったが故にあまり中の良い国同士とはいえなかった。
しかし、ファイレーガは自国の北側にある国々を圧倒的な軍事力で併合していき、翌年には三ヶ国も併合されてしまうと思われていた。
そこへ現れたのが家名すら持たない貧民孤児の一人の青年であった。
青年は貧民の孤児でありながら魔法と戦略に長け、自身の圧倒的な戦闘力でファイレーガの侵攻を阻止すると、周辺の貴族達は彼の実力を評価して重用し、三ヶ国は彼を盟主として同盟を結んだ。
そして彼に従った八十二人の従者と共に彼は三つの王国の軍隊を纏め上げで逆にファイレーガへと侵攻して皇帝を倒した。
青年の名はアクセレイゼッゾ。
その後、彼はファイレーガと三ヶ国と、ファイレーガが併合していた五つの国を併合した新たなる帝国の初代皇帝として即位し、シルクミス王国の王女アルムを娶り、アルムザクス帝国を建国した。
この国の十歳程度の貴族や裕福な平民であれば誰でも知っている程度の常識的な建国の歴史である。
そんなファイレーガがかつての敵国の帝都であったにも関わらず、未だに立派に栄えているのは、ここが交通の要衝であることも理由の一つではあった。
いくつもの街道の分岐点になるような場所や、その近くの水資源が豊富な場所、大軍が進行しにくい山や森が周囲にある様な場所は、人が集まり商業が発達し易く栄えやすい。
レガ市はその全てが当てはまる場所である為に、数度戦火に見舞われた程度で廃れるような立地ではなかったのだ。
商業が発達すると、支配者が税を集め易い。
そしてその権益を守るために支配者は都市の外縁部に壁を築いて敵から都市を守る。
すると更に人が集まり、商業によってその地は栄えていき、それによって徴収された税を元手に更に防衛施設を発達させる。
この繰り返しによって発展する土壌のある都市はどんどんと強固な防衛都市になっていくのだ。
そんなこのファイレーガ侯爵領の領主は、俺の親父エンフィールである。
帝国第二の都市を有し、歴史的にも帝国建国のきっかけとなった侯爵領の領主として次期皇帝有望な皇帝の第一子を据えることは、当然といえば当然である。
しかしながら親父はここを訪れたことはない。
幼い頃に毒殺されかけた時の後遺症で体力のない親父には、常人ならば出来て当たり前の行為が不可能という事が多い。
全速力で走るという行為すらも十数秒と保たず、騎士が支給される長剣すらも両手で握る事がやっとで構えすら出来ない。
消化器不全や発熱で一年のうち半分程は寝込む事が多い程の虚弱体質なあの男では、帝都の端に行くだけでも十分な遠出なのである。
それ故に、十五歳の時に領地を与えられてから今日まで、有力貴族の子弟が代官として派遣されて統治を任されているのであった。
「おい、あれはアクアじゃなぇか?」
「本当だね。
ゼファン傭兵団のアクアさんだ。」
西側の関所を経て、城壁の外から大勢の武装した騎士や兵士が入り、その中に見知った顔が混ざっていたら声を上げるのは当然であろう。
幾人かの傭兵や商人らしき平民の男女が、アクア達を発見して驚いていた。
「一緒にいるガキは誰だ?」
「・・・あの格好だ。
どこかのお貴族様の御曹司だろ?」
俺の着ている立派な白い詰襟を見てそんな事を言っている。
まあ、俺が皇孫だって知らないから無理もない。
そんな光景を目にしながら大通りを行った先の領都の中心地にある赤茶けた煉瓦で作られた城へと誅伐軍の馬車軍団は進んでいった。
かつてのファイレーガ帝国の皇城にして、現在は領主の城である『ファイレーガ城』である。
「ようこそおいでくださいました。
フィローザイン皇孫殿下。」
事前に連絡していた事もあり、城内の騎士や兵士が集まり、中央に恭しく傅いていた男が馬上の俺を見上げた。
「出迎えに感謝する。」
俺は堂々と言葉を返すと、アクアと共に馬から降りた。
「お久しぶりでございます。
ファイレーガ侯爵領代官、ギャレィ=ル=フラットに御座います。」
「今年の正月に皇城で会って以来だな。」
そう。
この男とは幾度か面識があった。
宮中伯であるこの男は、年に数回は代官の仕事や公的行事で帝都に赴く事がある。
とはいえ、俺自身は用がないので正月の行事以外で会ったことはない。
親父に同行して挨拶を交わした程度だ。
「しかし、そのお顔は・・・。」
間近で見た俺の顔の左側の火傷のような痕にギャレィは思わず顔を顰めた。
「命に別条はないし、視力にも影響はない。
貴公が気にするほどではないし、顔の傷なら貴公の父の方が凄いがな。」
丁度俺の側にやってきて跪いた、カリス将軍の顔へと振り向く。
四角くてゴツゴツしたその顔は右目尻から首の下まである大きな刀傷が目立つが、それ以外にも様々な刀傷が付いていた。
「殿下が仰るなら・・・。
ですが殿下、左の鼻の穴から伸びる傷は、父が結婚記念日を忘れていて母に短刀を投げられて付いた傷なんですよ。」
「へぇぁ!?
俺は猛獣と戦って付けられたって聞いたぞ!!
・・・将軍、嘘ついたな!?」
「こ、このバカっ、バカ息子!!
殿下に余計なことを喋るな!!」
ギャレィが意地悪な笑みを浮かべて、カリスは顔を引き攣らせた。
そう、このギャレィ宮中伯はカリスの次男である。
カリスには四人の子がいるが、俺が面識あるのは長男で跡継ぎのグレーブと次男のこの男だ。
家名がカリスと違うが、それは婿養子だからである。
有力貴族の跡継ぎでない息子や娘というのは、だいたいそういうもので、臣下等の他の貴族へ婿入りや嫁入りをするのは地球の貴族も異世界の貴族も変わらないのだろう。
しかも皇帝の側近中の側近で将軍という地位にいる者の息子であれば、是が非でも縁組したい筈だ。
こういった立場の者は婿入り先でも大事にされ、この男の様に優秀であれば当主の座に収まる者も少なくはない。
それなりに苦労は多そうであるが、少なくとも俺の立場よりは苦労は無い筈だ。
父親も頼り甲斐のある武人で、親戚にも恵まれている。
こういった立場に生まれたかったと、俺は羨望の眼をギャレィへと向けた。
「取り敢えず、今日の所はゆっくりと旅の疲れを癒やして下さい。
補充要員の件は明日の朝にお話いたしましょう。」
事前連絡というモノはとても大切である。
ファイレーガ城に到着した時点で、既に受け入れの準備は整っており、城の一角にある練兵場は兵士達の簡易宿泊所へと変えられていた。
時刻は既に昼を過ぎており、合計二八三人の軍勢は代官側が用意した給食を戴くこととなり、彼の側近の一人が誅伐軍を案内していった。
流石に伝令が先行していた昨日の今日では、兵を徴収することなど出来ない。
「仕方がないな。
だが、我々は既に予定に遅れている。
その事に留意してもらうぞ、代官殿。」
「善処は致しますよ、将軍閣下。」
「・・・何じゃ、その顔は?」
「いえいえ・・・そういえば父上と同じ仕事をすることになるのは初めてだと思っただけです。」
「コラ!
吾輩は未だ軍務中だぞ!」
息子は親父へとニコニコと笑みを浮かべて、親父はそんな息子の笑みに顔を緩めて軽く叱る。
「・・・羨ましい限りだ。
俺も父上と一緒に軍務をすることがあるだろうか。」
当事者二人に聞こえないように俺は小さく呟いて、あの体の弱すぎる親父の事を思い浮かべた。
次回もなるべく早く・・・少なくとも年内には投稿できるようにしたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願い致します。