第五話『初陣』
ようやく完成しました(笑)
思ったよりエロくなんなかったし、戦闘描写に難産しました。
「・・・。」
全身を映す大きな姿見。
包帯が取れたのは、あれから十日ほど過ぎた頃だった。
姿見の前に立ち、自身の顔を見た。
白く美しい肌理細やかな肌を持つ顔の右側。
そして左瞼から左頬へと奔る、太く黒く変色して大小の皺のある火傷痕のような紋様。
瞼と周辺が変形しているからか、俺の左目は以前と違い大きく開きギョロ目になっている。
そんな相反する二つの顔はそれこそが、光と影の混在するこの世界そのものであると示唆するように、俺の顔として存在した。
だが、この程度の俺の顔などはまだマシな方なのだ。
前世で興味本位に見たグロ画像の中には、酸をかけられて充分な医療措置をされなかった為に、醜悪でまるで人間の顔の形でなくなってしまった者達の画像もあったからだ。
皇孫という立場によるこの世界での高度医療と、侍女達の献身的な殺菌魔術による火傷痕の化膿止めのお陰で、この様に顔に若干の歪な紋様になっている。
そして視力や視界に影響がないのは、不幸中の幸いとしか言えない。。
これから俺は敵を倒さなければならないのだ。
外界の状況を頼る目は重要なのだから、左目の視力や視界に影響があるということは避けたかった。
顔と同じ紋様は左肩を覆うようにも存在する。
こちらも影響は肌の変質だけで、筋肉や骨には特に影響はなかった。
気力の才能が発現して今日で十五日が過ぎた。
そしてその影響であろうか、あと半年で五歳になろうかという俺の肉体にはうっすらと発達した筋肉があった。
昨日、試しにと振るうことが出来たのは、大人でも振るうのが困難な大剣。
これを片手で振り回せたという事実で、気力を制御する闘法が、筋力の増大に無意識のうちに効果をもたらしているとだと理解できた。
でなければ自分の背丈よりも大きく自分と同じくらいの重量の大剣を、片手で振り回すことは出来ない。
ただ、俺には刀剣術はどうも性に合わない気がした。
だからであろうか、素手で拳や脚を使った格闘技を駆使する体術の師匠となる者を探すように、城外勤めの兵士たちへ要請した。
流石に昨日の今日で見つかる筈もない。
それに今日からのスケジュールの都合上、弟子入りをしている暇がなくなった。
「フィローザイン皇孫殿下、皇帝陛下がお呼びで御座います。」
紺色の軍服の若い将校、つまり皇帝親衛隊の兵士が部屋へ入ってきた。
「・・・五分待ってくれ。
すぐに支度する。」
俺は侍女頭の差し出した黒い肩章の付いた白い詰め襟へと袖を通し、彼女等を見上げる。
差し出した侍女頭の直ぐ側に立ち並ぶ四人の侍女も、俺を見て並んでいた。
表情が堅い。
四人も侍女頭もやはり緊張しているようだ。
祖父帝に会うのは何だかんだと俺の気力が覚醒して以来だった。
「包帯が取れたかフィローザインよ。」
「はい陛下。」
親衛隊員に案内された俺が玉座の間で見たのは、玉座に座る祖父。
それだけならば見慣れた光景だが、今日はいつもと少し様子が違った。
三十名ほどの文官が俺から見て右手側へ、左手側には黒い鎧姿の騎士達とグレーのローブ姿の魔術師達が合計で二十名程、物々しい雰囲気を醸し出していた。
騎士と魔術師達の先頭に立つのは、祖父とは幼馴染であり信頼が篤い将軍のタイタス侯爵と筆頭魔術師のスパロウ侯爵だ。
玉座の正面で傅いた俺の顔を七日ぶりに覗き込んだ皇帝は、咄嗟に一瞬だけ眉を顰める。
しかし平常心を保ったように直ぐに顔を元に戻した。
顔に傷があるくらいで、大騒ぎしてはいけない。
現に、将軍には右目尻から首の下まで大きな刀傷があるし、若い騎士達の中にも小さな傷跡があるものが幾人か居る。
この皇帝にしても顔には傷がないものの、全身に幾多の剣や矢で付けられた傷や火傷痕、消えない痣などもあり、別段珍しい事ではない。
それでも顔を歪めてしまったのは、問題は俺がまだ五歳にもなっておらず、戦いの場に出たことのない幼子ということと、自分の孫だからということなのだろう。
その事が一層痛々しさを際立たせているらしく、傷や火傷など慣れている筈の武官達も俺の顔をみて明らかに動揺をしていた。
「この度の公爵誅伐の件は、私の我儘を聞いていただいて誠に有難う御座います。」
俺は皇帝に頭を垂れた。
心からの感謝だ。
俺の顔を焼いたあの女と連絡を取り合っていたボレフという男の正体は、意外とあっさりと判明した。
本来ならば帝都に居ない筈の有力貴族の側近が、皇帝や城勤めの貴族達に何の挨拶もせず入城記録もないのに皇城内に居たからである。
おそらくは、下手人女のサポートや逃走の手助けをする為だったのだろう。
あの女に顔を見せたら男がボレフだと証言し、男が所持していた瓶詰めの謎の液体も濃度は違うが、俺の顔を焼いた酸と成分が同じだと判明したからだ。
因みに、デバイスから発した光に当てた液体の成分を空気中に表示する『成分分析魔術』は八年ほど前にファム宮中伯が発明し、毒味の手間が省けたその功績で彼女は子爵から格上げされたと自慢していた。
まあ、そんなわけで捜査は大きく前進、皇帝はすぐさまボレフこと本名『ガイ=ル=デュナメス男爵』の主人である『エクシアン公爵』への登城を命じた。
しかし、公爵側からの返答は粗末なモノで、ガイは二年前に追放したので何かの間違いであり、此方を陥れようとする何者かの罠であるというモノだった。
貴族というものは自身や家臣の名前等を名簿に纏めて、然るべき政府機関『貴族管理局』に提出する義務を持つ。
当然、名簿の内容に変更があった場合は、改めて提出しなければならない。
しかし、当該の公爵はここ五年程更新した名簿を提出した事がなく、それを追求すれば確かに提出したが、管理局が作業を怠ったのか、確認違いだという的外れな言い訳にしかならなかった。
そして兎に角登城しろという催促には、帝都で私を暗殺しようという噂が流れているので行けないという、おフザケにも程がある返答が来る始末。
業を煮やした皇帝は公爵に叛意ありと断定し、軍の派兵を決定したのであった。
「初陣にしては幼すぎるが、カリスとブレイドに任せて貴公は指揮官としての経験を積むがいい。
・・・いいな、気力が使えると言っても貴公は未だ四歳。
未だに闘法としての技法を練り上げておらん以上、戦闘は厳禁だぞ!」
「・・・・・・善処します。」
祖父は、俺が実戦に参加したがっていたことを見抜いて釘を差す。
まあ、皇城の裏庭にある木を毎朝サンドバッグ代わりに叩いているとの報告を受ければ、予測はつくだろうよ。
後何日か殴る蹴るの暴行を加えれば、あの木が確実に折れて庭師の迷惑なっただろうな。
まあ、木は打ち返してこない。
いくら木をサンドバッグ代わりにしていても、実力が付く訳がない。
大人と殺し合う事になって勝てるとは到底思えない。
それ故に、公爵側の者と直接戦う羽目にならない限りは実戦に参加出来ないし、する気も起きない。
まあ、今回派兵するのは皇帝直轄領の騎士に兵士に宮廷魔術師、それにカリス将軍の配下とブレイド老師の配下と兵站要員で合計六千人。
そうそう全滅することはあり得んと思うことにする。
今回の派兵で指揮官を名目上勤めて軍に同行するのは、公爵への怨恨だけではない。
俺は帝都から出たことがないのだ。
三歳になった頃からだろうか。
外に興味を持ち、侍女達と幾人かの騎士に同行してもらい城下に繰り出し、平民達の様子を眺めたことは何度もあった。
だがそれより外に出たことは一度も無く、俺はレオタルドス侯爵領を持つ領主でもあるが、そこへも行ったことはなかった。
危ないというのが一番の理由だが、皇族が帝都の外に出るには大勢の世話係や護衛などの手配が必要で仰々しくなるからだ。
そもそも帝都自体が広く、南北か東西を端から端に徒歩で行くには大人の脚でも休み無しで半日以上掛かるらしい。
それ故に、今回を逃せば次に都外に出られるのはあと数年先になるだろう。
だからこそ、今回の行軍への同行を認めてもらったのである。
「しかし、勉強熱心な事だ。
・・・余としては貴公の父にも同行させたかったが、アレの身重の妻が出産に立ち会わなかったならば、アレに一生恨み言を吐くであろう・・・。」
「そうでございましょう。
それに父上が側を離れると、それだけで目に見えて機嫌が悪くなる母です。
そうなれば母上付きの侍女達が可愛そうだと思いますよ。」
「ハハハ、言うではないか!
流石は筆頭皇孫!!」
俺の返答に、機嫌を良くした祖父は大きく笑って膝を叩いた。
「では行くが良い!!」
「畏まりました皇帝陛下。」
仰々しい装甲の付いた四頭牽き馬車の中から、俺は帝都の市民たちを見下ろした。
街の平民達はこの軍団が何の為に戦争に行くのかを知らされていないようで、道に避けてはガヤガヤと「何事だろう」、「あの立派な馬車に乗っている御方は何者だろう」、「カリス将軍とブレイド老師が一緒に出陣するなんてただ事じゃないぞ」、等と騒いでいた。
そんな平民たちを見下ろす。
上から見るとカラフルな色合いの髪がハッキリ分かり、着ている服も貴族より簡素な物だ。
しかし、よく見ると多少は金のかかった服を着た者も幾らか混じっている。
何処の世界でも名目上は同じ身分であっても、その中に貧富の差が生まれるのは当然なのであろうか。
魔法術はその殆どを貴族が独占していて、平民には殆ど普及しては居ない。
例えば、貴族の女性達が上着の下に着ている、肌にピッタリとフィットしているタイツのような薄いシャツ。
伸縮自在の素材で出来たこの蜘蛛服は、名前の通り魔術で調教した巨大な蜘蛛が吐き出した細く強靭な糸を編み込んで作り上げるものだという。
普及しきっている為に、今では蚕の服よりも少し高価な服の素材として平民の女性の間にも出回っていて、チラホラと麻の服の間から蜘蛛服の袖が見える女性も何人も見受けられた。
しかし、それよりも着ている服装に大きな違いがある。
貴族の女性は布を跨がない。
つまり、パンツを穿かないのである。
これは産まれたときから徹底されている為、貴族の家に女として産まれた場合オムツは付けないのだ。
貴族の上位互換である皇族もそれは同じ。
赤子の頃から腰の周りに細長い腰巻きを着用し、成長していくと腰巻きも着けない。
だからであろう。
貴族の女はたとえ武官になろうとも、脛の中央よりも上に裾の端がない短いスカートを履かず、足首まで裾のあるスカートを履く。
容易に捲れ、性器が異性に見えることを防ぐ為だ。
対して平民の女性はパンツを穿く。
どころか若い女性はそもそもスカートを履かない。
パンツ丸出しだ。
しかも、性器が見えなければ他はどうでもいいらしく、ホットパンツやブルマの様に露出があまりないモノを履いている者も居れば、ビキニやローライズの様に最低限の布地しかないようなモノを履いている者もいて、前世世界の感覚が残る俺が見ていると性的興奮が湧き出る格好ばかりだ。
何回か前に平民街に来た時に、何故平民の若い女はスカート・・・この国の言葉でレムゥを履いていないのかを侍女に尋ねた事があった。
曰く、平民の女は独身既婚関係無く、二十二歳の誕生日を迎えるとスカートを履き初め、年齢とともに徐々に丈を長くするらしい。
古くからの風習らしく、貴族である侍女達も詳しくはわからないとのことだった。
そんなわけで、平民の少女たちは俺の目の保養に充分役立っている。
平民向けの女学校は楽園かもしれない。
そんな中、蜘蛛服とパンツが一体化したレオタードの様なインナーの上に革の鎧を着て腰や背中に武器を持つ女性も珍しくなかった。
女傭兵だ。
傭兵とはその呼び名と違い、戦争の時の兵士として雇われるだけではない。
傭兵組合に所属し、雑事や警備や魔獣退治、そして賞金稼ぎ等の仕事を請け負う何でも屋で、冒険者や探検家でもある。
男が多いが女も珍しくないらしく、筋骨隆々な体型の武器を持った男達に混ざり、尻のラインが丸わかりで俺が興奮する格好の女傭兵も数多いた。
しかし、レオタードほどエロい格好はないなと、俺はしみじみ思う。
馬車に居た俺の侍女達は食い入るように女傭兵を見る俺の様子に、不思議な御様子。
まあ、そうだろう。
前世世界の感覚だとあんな格好で街中にいればエロいと性的興奮を覚えるが、この世界ではこれは至極当然なのだ。
彼女達や他の男達、そして着ている本人にも羞恥心は芽生えない。
同意できる人間が居ない事に、俺は少しだけ孤独感を味わってしまった。
帝都アルム。
初代皇帝アクセレイゼッゾが愛する妻の名前を付けたこの都は、シルクミス山の麓にあるシルクミス湖という巨大な湖の畔に建設された。
都から見ると北から北東にかけて山が聳え立ち、都の東に湖がある。
その地形故か、都の東西南北にある出入り口のうち、東の出入り口はアルム港という名の港である。
俺が名目上率いる誅伐軍は、南からその湖を沿う形に伸びる東の街道を進んで行く。
目的地のエクシアン公爵がいるベビドゥール公爵領は、帝都からだと南東方面にあり、まずはシルクミス湖から流れ出るアルム川に沿って伸びる街道で南に向かい、その後で南部にある休火山を迂回するように東へとルートを変える。
身軽な旅人の脚であれば、そのルートならばひと月程度で行ける筈だが、俺達は六千人での大行軍。
一日歩きっぱなしというわけにはいかず、歩兵も騎士も術師も兵站もいる為に、速度は三倍の遅さなので三ヶ月程度の日程だ。
三時間歩いて一時間の休憩というサイクルを四回繰り返し、日が落ちれば野営となる。
だが途中途中で様々な街や都市を経由する為に、兵站は充分。
帝都アルムを出発して一ヶ月が過ぎた頃には、俺も行軍生活や野宿生活にも慣れてきて、六千人の誅伐軍は行軍四回目の中継地点であるタリナ都市伯領都に辿り着いていた。
地方都市では領主貴族の軍隊の敷地を借りる事も珍しくなく、今日は十日振りの都市入りで明日と明後日は休暇としてこの地に留まる為に、兵士達は上機嫌のようだ。
タリナ都市伯領は十七ある皇帝直轄領である。
アルム川がタリナ川へと分割する地点にあり、同名の山の麓でもあった。
帝国建国以前から温泉が湧き出て交通の要衝でもあるので、貴族だけでなく帝都や他の皇帝領の平民も観光に来ている保養地なのだという。
そう、皇帝領の平民に限定される。
帝国に限らず、この世界では例外無く全ての国が権力を持った個人によって支配されている。
そして身分制度が布かれ、民草はそれに従っている。
貴族政治時代のヨーロッパと同様に、この国も領民は領地に縛られていた。
血統主義と出生地主義を兼ねていて、平民は生まれた領地から出ることは許されない。
但し、商人組合と傭兵組合に所属している者、そして娼婦はその限りではない。
三大自由民と総称されるこの平民達だが、商人組合は最初に保証金として、新米帝国兵士のひと月分の給料程の額を納める必要があり、傭兵組合は武力試験への合格と、依頼料の三パーセントを組合運営費にされる為、娼婦は身分として固定される事や様々な不利の為に、農民や町人等の一般平民としては敷居が高い。
もう一つの例外が、複数の領地を領主が持つ場合だ。
例えば皇帝ならばこのタリナ都市伯領以外にも、帝都のあるシルクミス帝領や、ザルケット侯爵領、コロルト方伯領等々十七の領土の領主である為に、そこの平民は皇帝の領土であれば自由な移住が出来るのだ。
領地が一つしかない領土の平民は、自由な往来が出来ない事に不満を持つことも多い。
そういった民を持つ領主の中には、いくつかの基準を設け、期間限定で許可を与える事も多い。
かく言う俺もその一人。
俺の場合生後半年も満たない時に、祖父帝からレオタルドス侯爵領を下賜されて領主となったが、領民に不便をかけさせない為に、祖父は皇帝権限で皇帝領への往来を俺の領民に許可しているのだ。
「いい湯だな・・・。」
領主の城に滞在する代官の歓待を受け、城の最上階にある城主専用浴場。
大人が十人程入れそうな広い湯船で、俺はゆったりと浸かっていましたとさ。
窓がない半露天風呂のこの領主専用浴場からは、城下の夜景がよく見える。
「皇帝陛下もこの地に来られる度に御入浴なさるとのことですよ。」
共に湯船に浸かる侍女頭のキャロルが、後ろから俺の肩を揉みながら笑みを浮かべる。
キャロルだけではない。
他の四人も一糸纏わぬ姿で俺の側にいた。
手拭いで体を隠す恥じらいはある筈だが、主人に体を隠すなど侍女にあるまじきことだという。
「しかし贅沢な造りだ。
魔法術を使わないでこんな面白い仕掛けを作るなんて。」
視線を左に向けた。
猫科の猛獣の彫刻の大きな口から白濁した湯が流れ出て、絶え間なく浴槽に温泉を注ぎ、溢れ出した湯は洗い場から排水される。
このタリナ城の渾名は風車城。
その名の通り塔の根本に大きな風車が付いている。
常に西の山から吹いてくる風を受け止めて回転している風車だ。
その風車の回転を利用して歯車仕掛けで、地下の源泉から温泉をここまで組み上げる仕掛けで、この塔の高さすらも、組み上げる源泉から丁度良く冷める程の湯になるように計算されて作られたと、代官が自慢していた。
なぜ代官が自慢していたかと言うと、今から一五〇年程前にこの保養地への城の建設を命じられた責任者の子孫だからだ。
温泉好きの当時の皇帝が領地を整備して城を建造させた所は帝国内のいたる所にあるらしい。
「そうだな。
そのうちなにか手柄を立てて、この地を譲っていただくのも良いかもしれないな。」
と、外の夜景へと視線を移しながら俺は口を開いた。
「でしたら、今回のご褒美に戴くというのはどうですか?」
俺の右足をマッサージしていたファラはこの温泉がすっかり気に入ったらしい。
俺の顔を覗き込んだ。
「それは都合が良すぎるでしょう。」
同じく左足の太股を撫で回していたレイラが笑う。
「それに、公爵が持ってる領地の中にも温泉があるって、昨日将軍が仰ってたよ。
どうするの?ソッチのほうがファラの気に入る温泉だったら。」
俺の果実水を用意していたミカが、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ミカの言う通りだな。
俺も初めて温泉に入ったからここが気に入ったけど、他にも良い温泉地があるかもしれないだろ?
それにお爺さまがいくら俺の我儘を聞いてくれるとは言っても、限度はある。」
「そうですよね。」
ミカの方へと手を伸ばせば、尻をマッサージしていたガリィがそれを察して俺に果実水の入ったコップを俺に差し出した。
藁の茎を経由して口に広がるオレンジに似た味が、とても旨く感じられる。
この世界でも、子供が飲むものと言ったら牛乳やジュースだ。
普段は俺も牛乳を愛飲しているが、風呂では温度ですぐに腐ってしまうから入浴中は飲まない。
「なあキャロル、俺もこの任務から帰れば五歳になる。
そろそろ一人で・・・。」
「そんな!!」
「なんでですか殿下!!」
「わ、私達に落ち度でも!?」
「何でもします殿下、だから!!」
入浴くらい一人で出来ると言おうとしたが、後ろを見上げて言い終わらないうちに、ファラ、レイラ、ガリィ、ミカが俺の眼前まで迫ってきて、俺は思わず後退する。
両肩にキャロルの豊満な乳房が乗っかり、これはこれで気持ちがいい。
「・・・殿下、皇族たるもの身なりはキチンとせねばいけません。」
と、キャロルは後ろから俺を抱きしめると、高貴な身分の者の所作について口を開いた。
皇族や有力な貴族の子女が一人で入浴するという事は、この国では珍しいらしい。
身支度というモノは高貴であればある程、他者が隅々までチェックをして完璧に仕上げなくてはならないというのが、その理由だとのこと。
それ故に、そういった身分の男女とも赤子の頃から侍女が同伴し、主人の体を洗う。
本人が気付かない髪や服装の乱れを直す為に、入浴も同伴し身体を綺麗に洗うところから始めるのだと、丁寧に説明という説得が、俺の耳へと入ってくる。
なるほどと納得し、お前達の裸を見ると俺自身の意思に関係なく興奮してしまうから、という理由からの発言を後悔した。
「それに結婚してから、奥方様に恥をかかせてはいけません。」
レイラがキャロルの次に口を開いた。
女体に慣れなければならないという理由からの発言だ。
貴族の夫婦間は圧倒的な男尊女卑。
妻は夫に尽くす者という教育は、貴族の娘ならば絶対に受けている。
それは風呂場でも同じで、正妻・側室・妾の身分を問わず妻が夫の体を洗うのが当然だという。
初夜の入浴時に女体に慣れずに妻を拒絶してしまうと、妻に不要な心傷を負わせたり、自尊心を傷付けたりしてしまうという。
「実は第一皇子殿下の教育方針の特異性から、皇帝陛下は育て方を間違ったと仰っておりまして・・・。」
更に、ガリィがそれに続いた。
聞く所によると、親父が六歳の時に毒殺された皇后はかなりの潔癖症だったらしい。
親父が離乳食を取り始めた頃から、世話係を従者に変更させたのだそうだ。
そして、厄介なことにその初代従者団は生真面目すぎた。
自分以外の女を遠ざけるように命じてから亡くなった皇后の遺命を守り、父は多感な思春期でも周囲に男しか居ない生活を送った。
それ故に充分に性教育を受けることも出来ず、貞操関連のデリケートな問題も教えられなかった為に、女体に免疫がなかったのだ。
だから平民の女を孕ませてしまい、俺の母親と結婚した際の初夜でもその自尊心を傷付けてしまったらしい。
夫婦仲が若干ギクシャクし、親父が母に頭が上がらないのはそれが原因の一つだという。
流石は元母付き侍女達。
そのへんの事情は誰よりも詳しい。
「・・・こういっては何だが、母上は自尊心が無駄に高すぎると思うんだ。」
両親の夫婦間の軋轢の経緯を聞いた俺は、大きく溜息を吐いて上を見上げる。
「無駄に・・・で御座いますか?」
ミカが俺の言葉に首を傾げた。
ミカはこの五人の中で唯一、母の元侍女ではない。
現在十七歳で、俺が産まれた時は十三歳。
親父の同母妹メルアリア付き侍女の妹という縁で、俺の侍女となった。
故に、今までも母との接点があまりないのだ。
「辺境伯夫妻からは甘やかされて育ちましたから・・・ですかね・・・。」
レイラの溜息にガリィが同意した。
「ミカさんのお陰です。
・・・メルアリア様には感謝してもしきれません。」
と、眉を下げた最古参のキャロルは、母の度を越えた我儘を知っているらしくやはり溜息を吐いた。
「・・・・・・ミカが居なけりゃ、俺の世話も満足に出来ないくらい、あの母に振り回されそうだったというわけだな。」
「御明察です!」
俺の推測の正確さにファラが思わず拍手し、ミカ以外も同意して拍手。
ミカは侍女達の中では最年少且つ最新参で、侍女経験等はなく実力もない。
そんな彼女だが、子爵の娘である他の四人と違い父親のオデュッセウス卿は宮中伯。
シュピーゲル家とは同格である為に、その娘である母は彼女に向かって強引な態度になることを躊躇する。
そして、皇城の侍従達は皇族ごとに所属が別れていて、違う所属の従者や皇族への取次は新入りの役目と決まっているのだ。
ここまで推測できれば答えは分かる。
伯爵令嬢のミカが矢面に立つ事で、他の元マシュリリア付き侍女達の防波堤の役割を果たし、俺の世話係としての勤めを果たす事に集中できたという事だ。
「その点に付いては叔母上に感謝だ。
・・・それとも誰かの入れ知恵かな?」
親父の六歳下の妹の顔を思い出す。
現在十九歳で、俺が産まれた頃はまだ十五歳だった筈の叔母。
軍人として多忙であるらしく、俺は公務以外であまり会ったことがなかった。
「話を元に戻すが、俺は母上の限度を越えた我儘がこれ以上、俺に被害を与えられては困ると考えている。」
「だから、御父上に離婚するように仰ったのですか?」
そのキャロルの言葉に他の四人は頷いた。
「そもそも、今回のベビドゥールへの派兵自体、母上が次期皇后に相応しいと公爵に認められていたなら実現しない。
あの女だって、母上が父上の良い妻だったら黙って城から出ていったでしょうよ。」
俺はあの女の人柄に関する追加報告書の内容を思い出す。
彼女の家族や伯父や酒場時代の客たちの証言では、明るく笑顔の絶やさない、そして他者の幸せを素直に喜ぶことの出来る嫉妬とは無縁の女だったという。
そして彼女自らの証言と合わせれば、もしも、親父の妻が素晴らしい女性だと分かると大人しく身を引いたと考えるのは、俺が恋愛感情に疎い楽天家だからであろうか。
黒幕のエクシアン公爵もそうだ。
彼も他の有力貴族同様に、第一皇子の妻へと自分の娘を推挙していた。
しかし、彼女は何者かによって強姦されて后候補から脱落したという。
貴族治安部隊と彼の手勢が共同で捜査したが、手掛かりすら掴めなかったらしい。
しかし、俺は犯人か捜査員あるいは両方共に、シュピーゲル辺境伯の干渉を受けていると推察する。
何故ならば、当時公爵とその配下以外の者は、捜査関係者の七割近くの貴族が辺境伯に債権を確保されていたのだから。
皇族の権限で貴族管理局から貴族の財政状況を開示された時に、俺はそう推測した。
そしておそらく公爵は、独自の捜査網で犯人が辺境伯の手の者だと知ったのだろう。
だから復讐として辺境伯の娘である母への襲撃を画策した。
「正直に言おう。
俺は公爵に同情している。」
后候補は唯一の娘だったらしい。
だからこそ、野望に巻き込まれて穢された事への悔しさがあるだろう。
将軍達の話によると、そもそもエクシアン公爵家は帝国軍の幹部を多数輩出した軍部の名門で、現在の当主自体も忠臣と誰もが認めるという。
尊敬できるところもあり武勇に優れているが、無骨で頑固なところもある男というのが彼らの評価。
任された領地も周囲の貴族達の動向を監視する目的で配置された程に信頼されているとの事であった。
「ならば、ここで死んでもらおうか!」
と、突如として外から吹き込んだ突風が、天井の照明を消して浴室を暗くした。
おそらく光の魔術を無効化したのだ。
「きゃああ!!」
「なに!?」
暗くなったと同時に何者かが天井を突き破って降りてきた。
悲鳴を上げる侍女達。
俺は直ぐ様立ち上がって、侵入した三つの人影へと気力を込めた拳で突進した。
「しゃああ!」
しかしそのうちの一体が、俺へと逆に突進し、俺は出窓の柱へと吹き飛ばされた。
「ぐっ!!」
「殿下!?」
「手を出すな!!」
柱に貼られたタイルが弾ける音と共に、思わず呻いた俺の声にキャロルが反応するが、それを制する。
侍女達が居る浴槽、その外の洗い場の左側にある夜景の見える明かり窓に俺。
それと対峙する人影三名は出入り口を塞いでいて、逃げることは不可能。
俺が月明かりを背にしていていることで人型の輪郭がハッキリ見えることが吉と出るか凶と出るか・・・。
「公爵の手先だな。」
咄嗟に背中に気力を集中させた為に、俺にダメージは無い。
痛がる素振りを見せずに立ち上がった俺を見た左右の二名が、背中から抜剣して構えた。
「マシュリリア=シュピーゲルの息子よ、あの御方に同情すると言うならば自ら命を断て!」
肯定する言葉を中央の背の高い人影が言い放った。
渋い男の声だ。
俺の母親の名を貴族称さえ付けずに旧姓で呼んだ。
貴族とも皇族とも認めていないという、凄まじい軽蔑と憎悪が含まれている。
おそらく、面と向かってあの母にそんな呼びかけをすれば、醜く顔を歪めて怒りだすに違いない。
「仮にも俺の母上だよ。
その呼び方は失礼じゃないかな?」
俺は跳躍し、浴槽の前に降り立つと人影と侍女達の間へと立つ。
しかしあれだ。
全裸だと戦いにくい。
それが分かっているからこそ、こいつらは入浴時を狙ったんだろうけど。
「黙れ!
シュピーゲルの血、一滴残らず根絶やしにする事こそ我が主の願い!!」
右の男が俺に向かって短剣を突き立てようとする。
しかし、俺は右腕に気力を集中させてその刃を弾いた。
「何ぃ!!」
「破ァッ!!」
小さく弾け飛んだ男の腹へと気力を込めた左拳を放つ。
「ヌゥん!!」
しかし、流石に避けられた。
何かしらの嫌な予感を抱いたのだろう。
四歳児のパンチ等、普通は喰らったトコロで大の大人がどうとなるものでもないが、男はすんでのところで体をひねった。
「だぁっ!!」
避けた男の後方から別の人影が見えた。
「ぐぇっ!!」
俺の腹に思い切りそいつの爪先からのキックが入り、宙に浮く俺。
そのままぶっ飛ばされ、背中が天井に激突すると跳ね返って湯船にダイブした。
痛い、泣きたい。
蹴り、天井、湯船の床の三ヒットだ。
突然故に気力で肉体のダメージを緩和すら出来なかったが、それでも気力を巡らせると徐々に痛みが引いてくる。
俺が普通の四歳児だったら、泣き叫ぶか気絶していただろう。
「殿下は殺させません!!」
そんなキャロルの声が聞こえて慌てて起き上がると、男達を阻むように五人が立ちふさがっている。
背後の月明かりで浴場はよく見えた。
五人の背中も。
「シュピーゲルの血を絶やさねばならんのだ!!
どけっ!!」
声を荒げた男の声がどんどん大きくなる。
侍女達も人影達も俺が気絶したと思っているようだ。
「皇孫殿下に向かってこの様な狼藉!!」
「馬鹿馬鹿しい。
本来、皇孫はセレイン様がお産みになる筈だった!!」
「卑怯なシュピーゲルの腹から産まれるものかぁ!!」
レイラの声に、男の声が二つ反応した。
「どかぬなら貴様等ごと首を刎ねるだけだぁ!!」
俺を跳ね飛ばした男が、背中の剣を抜いた光景が、五人の背中と背中の間から見えた。
躊躇無くその剣を振り上げる処もだ。
「はああああ!!」
俺は叫んで侍女達の前方へと意識を集中した。
「何ぃい!?」
カキンという金属音が風呂場に響く。
成功した。
俺の気力の壁が光の膜となって五人の前に現れ、男が振り下ろした剣を弾いた。
「魔術?
いや、魔法か!?」
「どちらも違う!!」
あからさまに狼狽する男達へ、俺は山なりに跳躍して侍女達を飛び越えて拳を振り下ろす。
「何だとぉ!!」
男が思わず剣の腹で俺の拳を受け止める。
しかし、衝撃で後ろへと吹き飛んだ。
「しぶとい!!」
他の二人も俺へと剣を構えたが、向かって来る気配がない。
「まずいな、もう魔法が使えるとは・・・。」
「だから違うと言ってるだろうが!」
左の男が俺の様子を伺いながら呟いた言葉を、俺は怒気を孕んだ言葉で返す。
「油断しないで行くぞ!!」
しかし、俺の声は無視され、左右の男が同時に俺へと剣を振り上げて迫る。
俺は咄嗟に足に気力を集中させて後ろへと跳躍し、二つの斬撃は虚しく空を切った。
俺はそのまま空中で回転して天井を蹴って突進。
右の男の頭頂部を思い切り踏んで、二人の後ろに着地する。
「ちょこまかと!!」
俺に踏まれた男は怒りを隠せずに此方へと振り向くと直ぐ様に俺へと斬りかかるが、俺はまたしても体を跳び退き・・・。
「殿下、後ろに!!」
ミカの声で気が付いた。
俺は着地した左足に即座に気力を込めて右へと跳躍し、洗い場の壁へ激突。
先程吹き飛ばした男の刺突が、床のタイルを砕いた。
危なかった。
ミカの声がなければ奴の剣で俺の胴体は貫通していただろうよ。
「ちぃ!!」
踏まれた男がすかさず俺へと斬りかかる。
だが斬撃は俺がひらりと交わして体ひとつ分の空間を上から下へ移動する。
実際に戦ってみて解ったが、この三人の動きは雑だ。
実戦を経てはいないのだろう。
教本通りの体捌きで、身長が自分の腰程しかない相手とは戦った経験はないと解る。
さっきから上段からの斬撃と刺突以外に剣を使っていないのは、それが原因だ。
加えて、暗殺者でもないと分かる。
さっきから余計なことをべらべらと喋ってばかりだ。
声の感じからおそらく二十歳代前半、どんなに年齢を重ねていても三十歳に届いてないだろう。
ただ、そんな事を考えながらも、実は俺は壁と男三人に囲まれ結構ピンチである。
「殿下!!」
「この壁出られない!?
なんで!?」
浴槽ではうっすらと発光する透明な壁に囲まれた五人が、こっちに向かって何やら叫んでいる。
俺への助太刀を試みているようだが、あれは俺の意思が作り出している。
維持している気力がなくなるか、俺の意思で解除しない限りはあの結界はそのままだ。
「おい、俺は足を狙う。
タイガは腹、オーザは頭だ。」
踏まれても吹き飛ばされてもいない長身の男が、剣先を左に下ろす。
その言葉に了承の意を示す為、左右の二人も指図された俺の部位を狙うように剣を構えた。
やばい、絶体絶命の状況過ぎる。
俺は咄嗟に両方の拳を眼前で構えたが、虚勢にしかならない。
何か起死回生の一手を探ろうと周囲へと目線を泳がす。
俺の後ろには壁、眼の前の三人の男の後ろには湯船と気力の壁と侍女達、更にその後ろには外への仕切りのない出窓。
ちきしょう、手詰まりだ。
こんな時に都合よく俺がパワーアップするようなことがあればいいが、そんな事ある筈がない。
現実は厳しい。
・・・いや、まだチャンスはある!!
「たぁぁ!」
「せりゃぁ!」
「どりゃぁ!」
「はあぁ!!」
三人の素人暗殺者の叫びと共に俺は奴等の左側へと跳躍した。
三人が三人共右利きだった事と、互いを斬ってしまうことを恐れて俺を刺し殺そうとした事に俺は気づいたのだ。
その一瞬の賭けに勝った俺は、俺の頭を狙っていた一番左の男の左腹へと気力を込めた拳を叩き込んだ。
気力によって筋力が一時的に増強した四歳児の俺の拳。
それは成人男性へのダメージとしては充分だったらしく、男の腹へと俺の拳はめり込んでいった。
血反吐を出し白目を剥いた左の男。
「ぎゃぁっ!!」
それの体が衝撃で吹き飛び、中央の男は左の男が持っていた剣で首を切られた。
何という僥倖だと歓喜していた。
それが俺への油断となっていたのだ。
「貴様ぁ!!」
気を緩めた一瞬だった。
一番右に居た男の刺突が、俺の右ふくらはぎを貫通した。。
「ああっ!!」
内側から外側へと貫いた剣からの鋭い痛み。
思わず叫んだ俺は最後に生き残った男の足元に倒れてしまい、すかさず男がつま先から思い切り俺の頭を蹴り上げた。
「貴様よくもオーザとベルゼを!!」
蹴り上げられた俺はそのまま転がると男は怒りのままに俺をガシガシと蹴り始めた。
「殿下!!」
「止めて!!」
「やめろ!!」
侍女たちが気力の壁を叩きながら叫んでいる。
いけない。
意識を失ったらあの壁は消えてしまう。
そうすればこの男の狙いは彼女達に行ってしまう筈だ。
「死ねえええ!!」
男はいつの間にか手に握っていた剣を俺へと向けた。
「そこまでよ!」
しかし、次の瞬間に浴場に照明が灯り、入り口からワインレッドのローブを着た女性が放った炎の弾が男を焼く。
「ぎゃあああ!!」
あっという間に火が全身へと燃え移り、男が転げ回る。
更に、彼女に従う灰色ローブの女性兵士が突入した。
ワインレッドのローブの女性は、宮中伯にして宮廷魔術師のファム=ル=ガンマ。
どうやら異変に気づいて駆けつけてきてくれたらしい。
「殿下!!」
倒れて右足から出血している俺へと駆け寄るファムを見て安心した俺は、そのまま意識を失った。
次回は平成が終わるまでに投稿できたらいいなぁと思っております。
前話との矛盾があったところを修正しました。
20190330 段落ミスを修正しました。
20190331 少し改訂しました。
追記 次回からフィローザイン以外の視点も入ってきます。
20191110 今後の展開に齟齬が生じる所を修正しました。