最終話
「文音ちゃん、いい演技してますね。秋からの連ドラの主役に決まったそうですよ」
「ははは、友里恵の娘だと告白したとたん注目を浴びることになった文音としては不本意でしょうがね」
木々が色付くにはまだ早い静かな森の中で、桂木忍は真山が持って来た週刊誌を読んでいた。
「やっぱりテレビを買うつもりは無いんですか?」
「はい。でも見なくてもわかりますよ。紙面に載っている文音の顔を見ていれば、仕事が上手くいっているかそうでないかは、ね」
倉本武は母屋に隣接する家の一角に目をやった。そこには、この夏中に忍と造り上げた文音の部屋が建っていた。だが、この部屋に文音はまだ一度も足を踏み入れたことがない。
知名度が上がってしまった今、自分が武の家に来ることで忍の存在が明るみに出るかも知れないと警戒しているのだ。それを痛いほどわかっている忍は、武に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「倉本さん。俺、年が明けたら母の元へ行こうかと思います」
「そうですか」
「反対しないんですか?」
「忍くんが帰るのは、日本ではないですね」
「はい。母のデザインしたジュエリーがフランスで賞をいただいたとかで、パリにアトリエを構えて本格的に活動することになったそうです」
桂木親子の間に立ち、二人の橋渡しをしているのは彰子だった。彰子は仕方が無いとはいえ母子を引き離した責任をずっと感じていたのだ。
「短い間でしたが、ここでの生活は十五年間生きてきた中で知り得た以上のものを学ばせていただいたと思っています。本当にありがとうございました」
「私の方こそ助かりました。この畑も忍くんのおかげで開墾できたようなものですからね。渡仏するのは今撒いた大根の種が育って収穫してからにしてくださいよ」
「はい!」
「文音、ついに劇団研究生卒業だよ。今日付けで劇団「とび箱」直系プロダクション「ハーモニクス・ハート」所属の女優になったわけだけど……気分はどうだい。嬉しいかい?」
「彰子さんは、嬉しい?」
「あたりまえだろ! 入団オーデの時からずっと文音を見てきてるんだからね」
「あたしも嬉しいよ。これでひと安心だもん」
「何がひと安心なんだい?」
「だって、もうレッスン料払わなくていいんだよ。これでも、おじいちゃんたちに気をつかってたんだから」
先にも述べたが、芸能活動をしているといっても研究生は月謝を払って週一回のレッスンを受けに来ている生徒に過ぎない。
しかし、プロダクションに所属するということは研究生を卒業してプロの俳優になるということだ。なので専属マネージャーが付き、スケジュール管理や仕事に関する営業、場合によってはマスコミ対応までしてくれる。
文音の専属マネージャーは、もちろん彰子が引き受けた。
「ところでさ、事件でお蔵入りになった二時間ドラマ『とべない天使』だけど、監督が忍さんの役を文音で撮り直したいってオファーが来たんだ……どうする?」
「やってみたい! 忍さんみたいには演じられないけど、やりたいよ」
「了解。じゃ、向こうに文音の意志を伝えたらそれに合わせてスケジュール調整するよ」
彰子は嬉しくて仕方がなかった。ともすれば文音本人より喜んでいるのかも知れない。ここまで来るのに長い道のりだったことを考えると無理もないが。
「あ、それと主役の男の子だけど片桐真一くんて子に決まったから。モデル事務所の子で年は十歳だけど、なかなかしっかりした子だっていう話よ」
大野翔平は事件の後、芸能界から姿を消した。消したといっても忍のように身を隠したわけではない。普通の中学生に戻ったのだ。翔平の母曰く、可愛い息子がこれ以上有名になってしまったら、いつまた悪い奴らに狙われるかわからないという、いかにもステージママらしい思い込みと理由で辞めさせたのだった。
あれ以来、文音は忍のことを考えていた。正確に言うなら考えない日はなかった。
考えれば考えるほど忍の人生は小説のようだが、確かに現実にあったことで……そして、文音がいつも最後にたどりつく答えは「奇跡」だった。
忍がこの世に生まれた奇跡。
文音が忍と出会った奇跡。
共に誘拐されたという奇跡。
そして、忍が秘密を打ち明けてくれた奇跡。
それでも、文音にはひとつだけわからないことがあった。
忍の母、桂木智子と忍の細胞提供者である結城英二のことだ。二人はどうやってめぐり合い恋人同士になったのだろう。
「それはね、二人は同郷だったんだよ」
彰子の話によると、英二と智子は北国のとある田舎町の出身だった。
当時大スターだった結城英二と初共演することになった智子は、緊張からどうしても訛りが抜けず監督にひどく怒られていたそうだ。それを見ていた英二が智子を庇ったのがきっかけだった。英二も標準語をマスターするのに苦労した経験から、智子の気持ちが痛いほどわかったのだろう。
英二は智子の中に故郷を見ていたのかも知れない。なぜなら二人きりの時は、智子に故郷の言葉で会話することを望んでいたからだ。誰にも聞かれない場所で過ごす二人だけの秘密の時間の中、英二と智子の心は遠く離れた故郷へ帰って行ったに違いない。
そんな二人が愛し合うようになるのは、ごく自然なことだったろう。
「智子さん、結城英二の話をしてる時、まるで少女のようだったよ。今でも愛しているんだね」
少女……少女といえば、ドラマ『とべない天使』で忍が演じるはずだった役を文音がすることになったので、台本が大幅に書き直された。
病弱という設定が元気はつらつな少女に変更され、病死が事故死になった。
台本を読んだ文音と彰子は、ただ苦笑いをするほかなかったが、撮影が進むにつれ文音演じる少女が健康で天真爛漫なだけに後半に起こる悲劇が際立ち、天使となって現れる演出がより視聴者の涙を誘う結果となったのだ。
視聴率は今年度の二時間ドラマとしては最高の二十%超えを叩き出した。ゴールデンタイムで十五%を超えればヒット作と言われることから、この数字は驚異的大ヒットと言っても過言ではない。
そして、来年の春公開予定で映画化も決定した。
「忍さん、ドラマ見てないよね……お父さんち、テレビないもん」
「文音、これが事務所に届いてたよ」
そう言って彰子が文音に手渡したのは、一通の手紙だった。
差出人の名前は「シケタート モラク」
「やだお父さん、バレバレ!」
一見、外国人風の名前を逆から読んで、文音は静かに封を切った。
倉本文音 様
お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
文音ちゃんの活躍は真山先生が買ってくる雑誌を読んで一喜一憂していますよ。でも、有名になればなるほど好意的な記事を書いてくれるライターばかりでないことを俺は誰より知っています。文音ちゃんのことだから、それくらいの誹謗中傷で凹んだりしてはいないと思いますが、文音ちゃんのお父さんが俺の理解者であったように、文音ちゃんにとって一番の理解者は矢沢さんです。悩んだ時はひとりで抱え込まないで矢沢さんに相談してください。きっと力になってくれますよ。
先日のドラマ『とべない天使』は、真山先生のラボで見ました。もちろん倉本さんも一緒に!
感動しました。少女役が文音ちゃんになって良かったと心から思いました。倉本さんは照れてなにも言いませんでしたが、トイレから戻ってきた時の顔を見れば号泣していたのは間違いありません(笑)
本当にいいお父さんです。
年が明けたら、俺は母が待つフランスへ行きます。だから文音ちゃんは何も心配することなく、堂々とお父さんに会いに来てあげてください。文音ちゃんの部屋は、僭越ながら俺がコーディネイトさせてもらいました。気に入ってもらえるといいのですが……。
それから真山先生は、一度も花を咲かせたことがないライラックを咲かせてみせると意気込んでいます。もしかしたら来年の春は、花盛りのライラックが見られるかも知れませんよ。楽しみにしていてください。
これから寒い季節になりますが、どうかお体に気を付けてお仕事がんばってください。
桂木忍
手紙は忍からだった。武からの手紙は無かったが、文音には十分すぎるくらい気持ちが伝わってきて涙がこぼれた。
「彰子さん、あたし何万人からの褒め言葉よりこの手紙がいちばん嬉しい!」
彰子も頷きながら泣いていた。
残念なのは、来春公開予定の映画を忍に見てもらえないことだ。
「大丈夫。わたしがフランスにDVD送り付けちゃうから!」
「ありがとう、彰子さん」
「おっと、もう一つ朗報だよ」
彰子はわざとらしく芝居がかった様子で分厚いスケジュール帳をめくりながら咳払いをすると、文音をまっすぐ見て言った。
「四月から始まるMHKの連ドラで小野寺友里恵との共演が決まったよ! 文音、もちろんこの仕事受けるよね」
「それ、ホントなの?」
「ああ、夢じゃないよ。こんなに早く文音がお母さんと同じ土俵に立つ日が来るなんて思ってなかったよ!」
信じられないのは文音も同じだ。
「そのこと、お父さんと忍さんに手紙で知らせてもいい?」
「いいよ。すぐに知らせてあげなさい」
白い便箋を見つめながら文音が思い出すのは、光射す朝靄の中、凛とした佇まいで微笑む泥だらけの天使の姿だ。あの天使の降臨を見た時から文音の運命は動き出したのだ。
もう一度、忍に会いたい。
文音には忍に会って確かめたいことがあった。
忍さん。
忍さんは小屋から逃げる時、自分はどうなってもかまわないという覚悟をしていましたね?
本当は自分が男たちを引き止めている間に、あたしと翔平だけが逃げ切れればいいと思っていましたよね?
そしたら、あたしがこの場所を知ってるなんて言い出すし、翔平は怯えて動けないしで仕方なく一緒に逃げたんですよね?
忍さんは誘拐事件を利用して、本当は消えてしまいたかったんじゃないですか?
忍さんの中にあった「あきらめ」の引き金を引くことになるはずだった事件は、あたしの父と再会するという嬉しい誤算のおかげで思い直すことができたんですよね?
忍さんは気づいていないけど、あたしは忍さんの背中に白い翼を見ていました。それはいつ飛び立ってもおかしくないくらい輝いていて、あたしはずっとドキドキしていたんですよ。
でも、忍さんが本当の姿に戻った時には、もう翼はありませんでした。それで、あたしは安心したんです。
あたし、今回の出来事は人間になるために忍さんの姿を借りていた天使が書いたシナリオだったんじゃないかと思っています。
そんなこと言ったら怒りますか?
いいえ、忍さんのことだからきっと笑顔で否定するだけでしょう。
でも、これだけは聞かせてください。
あたしは、いいエキストラでしたか?
~ おわり ~




