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it'sLife rock'n'roll  作者: スオウ


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6/12

おいしいカレー屋教えてあげるよ

控室のドアが開く音とともに、リョウの声が響いた。


「おっ、お疲れー」

カンナとケイタがソファに腰掛け、ペットボトルの水を手に休憩中だった。

ライブの熱気がまだ空気に残っている。


「ミツキは?」

リョウが周囲を見渡しながら尋ねると、カンナが肩越しに答えた。


「須藤くんのところに行きましたよ。お礼したいって言ってました」


「須藤くん……ああ、マコトか」

リョウは眉をひそめ、少しだけ間を置いて呟く。


「お礼ねえ……」

その言葉に、ケイタが口元に柔らかな笑みを浮かべる。


「気になりますか?」

リョウはわずかに顔をしかめ、視線を逸らした。


「いや、別に……」


ライブが終わり、観客の波に紛れてライブハウスの外へと歩き出す。

夜風が火照った頬を撫で、自販機の前で立ち止まる。缶コーヒーを買って、まだ胸の奥に残る音の余韻に浸っていた。


「マコトちゃん!おーい!」

呼びかける声に振り返ると、人だかりの向こうから美月さんが手を振りながら駆け寄ってくる。ステージ衣装のまま、髪を揺らして、笑顔で。


「どうだった?ライブ!」

目を輝かせながら、息を弾ませて尋ねてくるその姿に、思わず笑みがこぼれる。


「最高でした。新曲、すごくよかったです」

そう答えると、美月さんは一瞬照れたように視線を逸らし、「ありがと」と小さく呟いた。

そして、ふいに真っすぐこちらを見つめて、言った。


「本当にありがとう。あの曲ができたの、マコトちゃんのおかげなんだ」


「俺は何もしてませんよ?」

戸惑いながら返すと、美月さんは首を横に振る。


「隣にいてほしいって言ってもらえたら、嬉しいって教えてくれたじゃん」

その言葉に、胸の奥が少し痛む。

人の手柄を横取りしたような気がして、申し訳なくなってしまう。


「あれは……実は妹に聞いた言葉を言っただけで……」

言いかけた瞬間、美月さんが人差し指をそっと俺の唇の前に立てて、静かに遮った。


「違うよ。言葉は妹ちゃんのものでも、それを伝えてくれたのはマコトちゃんでしょ?」


「だから、ちゃんとお礼させてよ」

そう言って微笑む美月さんの顔が、街灯の下で眩しく見えた。


ライブの余韻と、彼女の言葉が、胸の奥で静かに響いていた。


「んでさ、明日ヒマ?」

突然の問いかけに、缶コーヒーを口に運ぼうとしていた手が止まる。

唐突すぎて、思わず聞き返しそうになったが、なんとか平静を装って答える。


「明日は予定ないですよ」

その瞬間、美月さんの目がぱっと輝いた気がした。

そして、なぜか急に芝居がかった口調で言う。


「カレーは好きかい?」

……え、誰?

一瞬戸惑いながらも、真面目に答える。


「ええ、カレー好きですよ」

すると、美月さんは小さく「やった」と呟き、いたずらっぽく笑った。


「お姉さんがおいしいカレー屋を教えてあげるよ。明日、一緒に行かない?」

その言い方が、あまりにも自然で、でもどこか照れ隠しのようで。

胸の奥が一気に熱くなるのを感じながら、気づけば即答していた。


「はい、行きます!」

自分でも驚くほどの勢いだった。

美月さんは目を丸くして、すぐに笑い出す。


「即答じゃん。じゃあさ、明日行くお店の場所送るから、連絡先交換しよ」

スマホを取り出して、連絡先を交換。すぐにカレー屋の情報がメッセージで届いた。

そのやりとりが、なんだか夢みたいで、画面を何度も見返してしまう。


「おい、ミツキ。早く着替えろよ、反省会行くぞ」

リョウさんの声が飛んできて、美月さんは「じゃあ明日ね」と手を振り、ライブハウスの中へと戻っていった。


残された俺は、缶コーヒーを手にしたまま、しばらくその場を動けなかった。

明日が、待ち遠しくて仕方なかった。


玄関を開けると、台所からいい匂いが漂ってきた。

陽葵がエプロン姿で夕飯の準備をしている。


「おかえりー。晩ご飯は?」


「食べてない」

そう答えると、陽葵は「あいあーい」と軽快な返事をして、鍋の火を入れ直す。

数分後、湯気の立つ料理がテーブルに並び、俺は席についた。


「いただきます」

箸を手に取ったタイミングで、ふと思い出して口にする。


「……あ、明日は昼ごはん外で食べるから」

その一言に、陽葵がぴくりと反応した。眉を上げ、目を丸くしてこちらを見る。


「え、何? お兄ちゃん、デートなの?」

飲みかけていた味噌汁が喉に引っかかりそうになり、慌てて手で否定する。


「ち、違うって」


「いやいや、その顔。そんなにニヤけてたらデートでしょ?」

……また頬が緩んでたのか。自覚がないのが余計に恥ずかしい。


「お兄ちゃん、デートに着ていく服とかあるの?」


「だからデートではないが。いつもの服じゃダメなのか?」

そう言うと、陽葵は大げさにため息をついてみせる。


「ちょっとは綺麗な格好していきなよー、 せっかくの外食なんでしょ?」

確かに、何を着ていけばいいか分からないけど……まあ、なんとかなるだろう。


「……これ、美味いな」

野菜炒めを口に運びながら、話題をそらすように言うと、陽葵は「もう」と呆れたように笑った。でもその顔は、どこか嬉しそうだった。


陽葵に言われて意識したせいか、なかなか寝付けなかった。


朝の光が差し込む部屋で、俺はスマホを握りしめていた。

検索履歴には「失敗しないデート方法」──人生で初めて打ち込んだワードだ。

……我ながら、必死すぎる。


「お兄ちゃん、遅れるよー!」

陽葵の声が階下から飛んできて、慌ててベッドから飛び起きる。

寝癖を直す暇もなく、トーストをくわえながら着替えに向かうと、陽葵が服を抱えて現れた。


「これ着ていきなよ。選んでおいたから」


「おお……いつの間に?」

差し出されたシャツとジャケットを受け取り、鏡の前に立つ。

……お、なんかオシャレっぽい。いつもの俺じゃないみたいだ。


「髪の毛も上げて行きなよ」

陽葵にそう言われて、洗面台の前に立つ。髪留めを手に、手早く髪をまとめる。

ライブに向かうときみたいで、なんだか“戦闘準備完了”って感じだ。


「……戦闘準備って何だよ」

思わず口に出した独り言に、すかさずツッコミが飛んできた。


「何ひとりで喋ってんの?気持ち悪いんだけど」

鏡越しに陽葵がジト目で睨んでくる。いつものことだ。


ワンショルダーの鞄を肩に掛けて、お気に入りのバスケットシューズを履く。足元まで決まると、気持ちも少しだけ引き締まる。


「デート頑張ってね」

陽葵がニヤニヤしながら言う。


「だからデートじゃ……」

否定しかけて、口をつぐむ。否定したいわけじゃない。むしろ、ちょっと照れくさい。


「いってきます」

そう言うと、陽葵はぱっと笑顔になって、


「行ってらっしゃい」

まるで応援するみたいに、明るく送り出してくれた。


美月さんに教えてもらった店の情報を頼りに、最寄り駅へ向かう。

駅を出た瞬間、スマホが震えた。


「今どこよ?」

美月さんからのメッセージ。現在地を送ると、すぐに返信が来た。


「すぐ近くにいるから合流しよ!待ってて!」

言われた通りに待っていると、人混みの向こうから美月さんが現れた。

こんなに人が多いのに、すぐに分かった。あの笑顔は、間違いようがない。


「お待たせー!」

眩しいくらいの笑顔に、ちょっとだけ心臓が跳ねた。

二人並んで、目当てのカレー屋へと歩き出す。


「カレー屋とか、普段行く?」


「いや、あんまり行かないですね」

そう答えると、美月さんが口元を少しだけ持ち上げた。ニヤリ、というよりは、ふふん、って感じ。


「普段はお家カレー派?」


「そうですね、だいたい家で食べてます」


「じゃあ、今日のカレーにはあんまり期待してない感じ?」


「そんなことないですよ。美月さんのおすすめですから!」

即答したけど、内心はちょっと違った。

家のカレーで十分満足してるし、わざわざ外で食べたいと思ったことはなかった。

でも——


美月さんと一緒なら、なんだって特別な気がする。


ビルの前で並んでいる時間すら、俺には特別だった。

美月さんの隣に立っているだけで、周囲の空気が少し違って感じられる。


彼女は何気なくスマホをいじったり、俺に話しかけたりしているだけなのに、通りすがりの人がちらりと視線を向ける。そのたびに、胸の奥がくすぐったくなる。


「俺、今、美月さんと並んでるんだ」

そんな当たり前のことが、どうしようもなく誇らしかった。


「ここのカレー食べたら、なんでみんなカレー屋に通うのか、わかるから」

そう言って笑う彼女の横顔は、ステージの上でギターを弾いていた時とは違って、ずっと柔らかい。


今の美月さんは、なんというか……手を伸ばせば届きそうで、でもやっぱり少し遠い。

そんな不思議な距離感が、心地よかった。


運ばれてきたランチプレートには、三種類のカレーとご飯、そして彩りのいいサラダ。

見た目からして、もう“いつものカレー”とは違っていた。


スプーンを手に取る指先が、少しだけ緊張している。

どう食べ始めればいいのか迷って、結局、目の前の美月さんの真似をして一口。


スプーンを口に運んだ瞬間――世界が静止した。


舌の上で広がるのは、ただ辛いだけではない、幾重にも折り重なったスパイスの旋律。

じんわりと熱を帯びながら、奥深くまで染み渡るような旨味。


「……うまい」

その言葉は、思考よりも先に口からこぼれていた。

脳が味を理解するよりも早く、心が反応していた。


「でしょ?」

美月さんが嬉しそうに笑う。

その笑顔が、カレーの味にさらなる深みを加えるような気がした。


「これは……もう、別の料理ですね」

口にした瞬間、今までの“カレー”という概念が崩れた。

家庭の味でも、学食の定番でもない。

これは“カリー”と呼ぶべきなのか?

いや、そんな言葉遊びはどうでもいい。

それくらい、俺は動揺していた。


「こんなに美味いものだったなんて……これは、また食べに来てしまうかも」

自分でも驚くほど素直な言葉だった。

美月さんは、そんな俺を見て、ふわりと微笑む。

その表情は、まるで自分の好きなものを誰かと共有できた喜びに満ちていて、俺の胸の奥がじんわりと温かくなる。


食べ終えた後、ふと気づく。

あれだけボリュームがあったはずなのに、皿は空っぽだった。

それだけ夢中になっていたのだろう。


「めっちゃ早く食べたよね、そんなにおいしかった?」

美月さんが、ちょっと意地悪そうな笑顔で俺を見てくる。


その笑顔が可愛いとか思ってる場合じゃない。俺は今、反省会の真っ最中なのだ。


ハッと気づく。昨日、深夜に検索した「失敗しないデート方法」。

あれに書いてあったことを、俺は一つずつ思い出していた。


──店を予約しておく。

……してない。ていうか、店選んだの美月さんだった。


──相手の話をよく聞く。

……聞いてない。むしろ俺の「うまい!」しか言ってない。美月さんが聞いてくれてた。


──支払いはスマートに全部出す。

……出してない。お礼だからって、逆に出させてもらえなかった。


……え、俺、何もできてなくない?

検索した意味、どこ? 俺の努力、どこ?

そんな自分に内心ツッコミを入れていると、美月さんがふいに言った。


「あのさ、まだ時間ある?ちょっと相談したいことがあるんだけど」

その瞬間、俺の中で何かがパァッと光った。

これは……取り返せるチャンスでは!?

失ったポイント、ここで回収できるのでは!?


「もちろんです!そこのカフェに入りましょう!今度は奢らせてくださいね!」

勢いよく言った俺に、美月さんがじっと顔を見て、くすっと笑った。


「何でそんなに安心した顔してるの?」

……バレてる。完全にバレてる。

俺の内心、顔に出すぎ問題。


でもいいか、隣で美月さんが可愛く笑ってくれているから。


カフェのドアをくぐると、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。

午後の陽射しが窓辺の席をやさしく照らしていて、美月さんは迷わずそこへ向かう。


「クリームソーダ飲もうよ!」

席に着くなり、彼女は目を輝かせて言った。

その勢いに押されて、気づけば俺は「じゃあ、二つ」と注文していた。


やけにクリームソーダ推しだな……と思いつつ、グラスの中で泡が弾ける音を聞いていると、美月さんがストローをくるくる回しながら、ぽつりと口を開いた。


「最近、クリクリの曲、マンネリ化してない?」


――え?


言葉の意味を咀嚼する間もなく、心の中に小さな波紋が広がっていく。

彼女の瞳は、冗談とも本気ともつかない光を宿していた。


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