二十七話 『イグアスの部屋で』
タレムがロック村に赴任してから一ヶ月。
屋敷の改築や、教会の修繕、修道院の増築、疫病の予防と、その他、諸々の案件が一段落着いた頃。
アルザリア暦も十一月になり、白雪が降り積もると本格的な冬が到来していた。
そんなとある日の午前中。
「タレム様。洗濯物は早めに出して下さいませと、何度も言っているではございませんか!」
「え……? あ、ごめん」
「ごめんで済むなら、花嫁は怒りません! もう少し、心地の良い花嫁修行をさせてくださいまし。……嫁ぐ場所を間違えてしまった気分になりますので」
「うぐぅ……」
大雪で外に出ることが出来なかったタレムは、家事がしっくりと板に着いてきたマリカの尻に敷かれていたのであった。
「もう。ふふっ。ダメな花婿様でございますね」
「酷いっ!」
ーーさささっ。
ブスブスと言葉で刺しながら、マリカが手際よく部屋に脱ぎ散らかした衣服を洗濯籠に集めていく。
……そんな姿を見ながら、
(ああ……っ。こんなお嫁さんが欲しいよぉお。マリカちゃん。可愛いよぉおっ!)
最近は何時も同じ事を思いながら悶絶しているのであった。
だから、
「マリカちゃんッ!」
――ぎゅぅっ。
タレムはマリカを後ろから抱きしめた。
「ひゃぁっ!」
脇の下から胸の膨らみの下に両腕を通し、ガッシリと。
その、柔らかい肉の抱き心地とマリカの甘い香りは、乾いていたタレムの心に潤いを与える。
「た、タレム様っ! いきなり……っ!?」
「ごめん。少しだけ……」
「少しだけ……で、ございますか……?」
「うん。少しだけ。マリカちゃんのエネルギーが欲しいんだ」
「ふふ。ならば……(全て。差し上げますよ)」
口の中で呟いたマリカの言葉はタレムには聞こえない。
だから、本当に少しだけ、マリカを抱きしめたタレムはすぐに離して立ち上がる。
「さて、と。じゃあ、マリカちゃんに邪魔者扱いされるし、そろそろ、何かしようかな」
「邪魔者扱いなんて……そんなっ! タレム様っ!! わたしは……」
「ははっ。冗談だよ。冗談。そんな泣きそうな顔しないで、俺の方が、どうして良いか解らなくなるし」
「……はい」
からかわれたと気付いたマリカも、付き添って立ち上がり、視線を下げたままタレムの右腕に抱き掴まった。
……洗濯籠は放置したまま。
「マリカちゃん?」
「お供致します。どちらへ参りましょうか?」
「……いや、ちょっとイグアスの所に行くだけよ? マリカちゃんは別に着いて来なくても」
「お供致します」
「いやいや。だから、マリカちゃんはゆっくりしてて……」
「お構いなく」
「……マリカちゃんが来ても楽しくないよ?」
「それはわたしが判断することなので」
「……Ou」
ギロリと睨み、徹底抗戦の呈をとるマリカは、頑固である。
ここから何を言っても無駄だと、タレムは諦めて、イグアスの部屋へと向かった。
すると……
「イグアス様……もっとっ!」
イグアスの部屋から少女の声。
……最近、ようやく疫病から回復し動けるようになった食客、ノーマだ。
『フッ。本気……なんだな? 後悔しても遅いぞ?』
『ハァハァハァ……後悔なんてっ! 私、絶対しませんッ!』
息の乱れたノーマの声は何処か熱っぽく、イグアスの声からは、悪者ちっくな微笑を読み取れる。
「ま、マリカちゃん。コレって……乳繰り――」
「……タレム様。お静に」
そんな様子を扉を挟んで立ち聞きしてしまったタレムは、前屈みになり、マリカは、紅い双眸を鋭く開き、聞き耳を立てた。
『だが、ミス・ノーマ。オレで良いのか?』
『こんなこと、イグアス様しか頼めないから……』
『そうか……分かった』
『……私、こう言うこと初めてだから、優しくしてください』
『心得ている』
漏れ聞こえる二人の声は、明らかにいかがわしい事をしようとしている声だ。
特別、タレムはノーマをどうこうしようと思って助けた訳では無いため、イグアスとどうなろうと知ったことでは無かった。
……しかし。
(ケッ。何がオレで良いのか? だ)
マリカと進展がなく、まだ純潔な貞操を守っているタレムは、激しい嫉妬を覚えるのであった。
(どうでも良いんだけどさ。俺に隠れて二人はそんな関係になってたなんてっ! うらやましいぃ!!)
「まあ、邪魔する事でも無いか。マリカちゃん。後にしよう」
タレムの心の中では、烈火の如く激しい嫉妬の炎がもゆるが、冷静になって考えれば、イグアスは何時もマリカとの事を黙認し、応援までしてくれている。
……イグアスの色恋に口を出すのは道理が通らない。
「……(なんで、兄様だけ! なんで? なんで? なんで! なんで!! なんでぇぇっ!!)」
されど、何故かタレム以上に激しい憎悪を膨らませていたマリカは、
「……許さない」
ポツリと無表情でそう呟き、
――ガチャガチャッ!
何を血迷ったのか、扉を開け放ちっ!
「このッ! メス豚ぁあああッ! わたしの兄様をかどわかすなんてっ! 恩知らずな事をッ!」
「ちょっ! マリカちゃん!?」
「何より、穢を知らないタレム様の前で。なんて、ゆるしませんっ!」
「やめてやめてやめて!! 俺の貞操をさらけ出さないで!」
叫びながら、マリカを止めようとしたタレム諸とも、イグアスの部屋に乱入したのだった。
そうして、マリカとタレムの瞳に映った、イグアスとノーマは……
「「あれ?」」
模擬刀を構えて向かい合って居た。
……ピリリと流れる緊張感ある空気。
その空気をタレムは良く知っていた。
それは、リンと特訓するときの物だ。
「ん? タレム。……と、マリカ、か」
「はぅぅ~っ。領主様っ!!」
タレムを見て、顔を真っ赤に染め、イグアスの背中に隠れるノーマの様子は怪しいが、イグアスの様子は何時も通りである。
とても、この反応と状況で、いかがわしい行為に及んでいたとは考えにくい。
怪しい反応を見せるノーマも、この一ヶ月間、タレムと目を合わせると、だいたいこんな感じの反応になっていた。
……きっと、貴族領主が怖いのだろう。
で、詰まるところ、ノーマも何時通りと言うことだ。
「……。兄様。部屋にメスを連れ込んで何をなされているのでしょうか?」
一瞬、思考が止まっていたマリカが、怪訝そうに聞くと、
「ああ? お前こそ、タレムと仲良さそうにしていて、何をしているんだ? そろそろ時間だぞ? ……日が昇る、な」
「っ! わたし、失礼致します」
『マリカちゃん? 洗濯?』
イグアスに言われ、顔を青くしたマリカが、サッとタレムから離れ、去っていく。
同じ屋敷に居るため、追いかける必要も無い。
そもそも、タレムはマリカを連れて来るつもりはなかったのだ。
「ふっ。まあ、好きにしろ」
そんなマリカの背中に、イグアスは鼻で笑ってから、タレムに視線を移し、
「さて。本題だ。実は、な。ミス・ノーマが、騎士団に入る気になったらしいぞ?」
「……はぅぅ。イグアス様……それは、まだ……言わないでって」
「で、その特訓をしていたんだが、やっぱり、お前も見てやってくれ」
『え? ほんと? 良いよ。良いよ。大歓迎。でも、なんで?』
「ミス・ノーマはお前の役にたちた――」
「――はぅううううっ!」
と、いう事になっていたのであった。




