天使の香り【4】
アンジェの呼吸補助をやっていた看護婦が手を止めて立ちすくんでいた。
廊下で母親と話をしていた医師が不審に思い病室を覗いた。
「キミ、手を止めちゃダメじゃないか。交代がいないんだ・・・」
医師はそう言って病室へ入って、看護婦の影になっていたアンジェリカを見て、思わず立ち止まった。
彼女はベッドの上で身体を起こして微笑んでいたのだ。
「アンジェ!」
それに気が付いた母親は、医師を弾き飛ばさん勢いでアンジェに駆け寄って、強く抱きしめた。
「信じられん・・・・こんな事が・・・・」
医師は、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。
「お前は本当にそれでいいのだな。もう、取り消しは出来ないぞ」
ククルは、上の世界から聞こえる声に黙って頷いた。
「あの少女の身体の苦しみを全て背負うのだな」
「それでも僕は死なないんでしょ」
「ああ、そうだ。だから、なおさら苦しいのさ・・・・」
上の世界の声が呟くように言った。
アンジェは呼吸が楽になり、身体が自由になる直前、身体の中を何かが通り抜けるのを感じた。
それは、上から真後ろの下にアンジェの身体を抜けていった。
一瞬の出来事だった。
アンジェはそれがククルだと直ぐに判った。
バニラの香りが全身を包んで、それは暖かく、そして爽やかだった。
「ククル・・・あなた、天使だったの?」
「今日から、天使さ」
ククルの声が聞こえた。
「じゃぁ、昨日までは?」
「それは、ひみつさ」
「また、会える?」
「さぁね、キミのそばに行ったとしても、多分もう気付かないよ」
「あたしにはきっと判るわ。ぜったい判る」
アンジェの身体に力が漲って、全身が熱くなった。
彼女はバニラの香りを大きくすいこんだ。
呼吸補助器を操っていた看護婦が、自発的に吸い込まれる息に驚いて手を止めたのだ。
アンジェリカはその後、元通りの元気な身体になり、再び学校へ通い卒業した。
やがて大人になった彼女は、学校で絵画の勉強を教える先生になった。
それから数年後、恋をして隣町に住む学校の先生と結婚し、元気な子供を3人産んだ。
「お母さん、いまケーキの匂いがしたよ」
末っ子のジョゼが庭から勢いよく駆けて来た。
アンジェは自分のエプロンで濡れた手を拭きながら
「ケーキ?」
「あれはバニラの匂いだよ」
長女のエルザが言った。8才になるしっかり者だ。
「なんで、お庭でバニラの匂いがするの?」
次女のクラエがアンジェのエプロンを引っ張って訊いた。
「なんでかしらね」
アンジェはちょっとだけ考えるふりをして
「お庭に天使がいたのかもね」
「天使?」
エルザが言った。
「天使はバニラの香りがするのよ。だから、バニラの香りがしたら、きっと近くで天使が見てるわ」
アンジェはそう言って子供達に微笑んだ後、庭先に出て空を見上げた。
爽やかな春の風が、穂のかにバニラの甘い香りを運んで、そして通り過ぎていった。
***おしまい***
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本編はつづく・・・




