【第20話】
寺澤は最後のページの挿絵をじっと見つめていた。
雪絵はその様子を少しの間眺めていたが
「さぁ、お風呂に入りましょ」
「ええっ」
雪絵の言葉に、寺澤は一瞬驚いて彼女を見つめた。
「バカね。ワンちゃんでしょ」
「ははは・・・そうだよな」
寺澤は思わず、髪をかきあげた。
雪絵は思った。「天使はバニラの香り」と言うあの絵本の言葉。そして寺澤の家に来る少女の甘い残り香。何か関係が・・・
いや、そんなはずはないだろう。ただの絵本だ。
心の中で自問自答しながら彼女は部屋を出た。
二人は、石畳の廊下を戻って、浴室の在る家の奥へと移動した。勿論寺澤は、仔犬を抱えて。
洗面所兼脱衣所に在る洗濯機の蓋が開いていて、寺澤は何気なくチラリと目がいった。綺麗なオレンジ色のレースが一瞬目に飛び込んで来たが、何か罪悪感が沸いてすぐに視線を逸らした。
あの色具合は、彼女のものだろうか。
雪絵はあんな鮮やかな色の下着を着けるのだろうか。
寺澤は一瞬の妄想の中で、浴室のドアを開ける彼女の後ろ姿を見つめ、つい下半身に視線が行くのだった。
「押さえててよ」
雪絵はシャワーのお湯の温度加減を調整しながら言った。
「犬、洗った事あるの?」
「ない」
雪絵はさらりと応えながら、ゆっくりと仔犬の背中にお湯をかけた。
「大丈夫かぁ」
寺澤は不安げに言った。
全体が濡れた子犬の身体は、みるみる細くなって華奢になった。
「大丈夫よ。友達にペットトリマーの娘がいるんだから」
「それって、大丈夫な理由になるの?・・・・」
寺澤は不安げに雪絵を見た。
「友達の家で、犬のシャンプーしてる所見たわよ」
彼女は、話しながらシャンプーのポンプから適量を手に取って、仔犬の背中を静かに泡立てた。
「それ、人間のシャンプーだろ?」
「あたしが使ってるのは、弱アルカリ性のシャンプーだから、確か犬とかも大丈夫よ。もう、いちいちうるさいなぁ」
寺澤は、自分が両手で押さえた仔犬の体を優しくシャンプーする、彼女の細い指に感心していた。
時折、犬の体と一緒に自分の手の上を彼女の指が優しく通過して、その度に寺澤は、自分の身体の血流の速度が速まる気がした。
リンスもして、丹念にお湯で流し終わった仔犬は、タオルで拭いた後に、再び雪絵の部屋へ運んだ。
ドライヤーを使って速乾させる為だ。
「乾燥機に入れればいいんじゃない?」
寺澤が笑って冗談を言うと雪絵は
「ひどいこと言うのね。目がまわっちゃうでしょ」
「いや、そう言う問題じゃないだろ・・・・」
綺麗になった仔犬の背中は、ドライヤーから出るイオンの風に煽られて、フサフサと黄金色の毛を靡かせて、犬には不自然なフローラルの香を漂わせた。
「寺澤くんは、彼女の家知っているんでしょ?」
「いや、近くまでしか・・・まぁ、石神井公園の辺を探せばスグに見つかると思うけど・・・」
「じゃぁさ、彼女が帰ってくる頃に、家の前に箱に入れて置いとけばいいんじゃない」
「そんな、簡単でいいのかなぁ」
寺澤は、仔犬を膝の上に抱えて言った。
「犬が好きなら、きっと飼うよ。あの娘、何時も一人なんでしょ。大丈夫、ダメだったらあたしが飼うから」
彼女は、そう言って、「ねぇ」と、最後は寺澤が膝に抱える子犬に語りかけるように頬擦りした。
「ところでさ」
寺澤は、目を細めてすまなそうに「とりあえず、明日まで預かってくれない・・・」
雪絵は笑みを浮かべて
「そう来ると思ったわ」




