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『神の加護なし』を理由に、婚約破棄された侯爵令嬢  作者: 風谷 華


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【第1話】婚約を、破棄されました

 神の祝福が、光の粒となって降り注ぐ季節になった。


 王宮の大広間には、今年も色とりどりの加護の輝きが満ちている。赤い炎のような加護を持つ令息、青い水面のように揺れる加護を持つ令嬢、金色の麦穂のように豊かに広がる加護を持つ公爵閣下——皆様の頭上に、それぞれ異なる色と形の光の紋様が浮かんでいた。


 春の夜会とは、加護を披露する場でもある。


 私、エルネスタ・ヴァイスは、会場の隅で白磁のカップを持ったまま、静かに立っていた。


「エルネスタ様、今年こそ加護の発現が見られるかと思っておりましたのに。残念ですわ」


 隣に立つ伯爵令嬢、ミレイユが囁く。彼女の頭上には薄桃色の花びらを模した紋様が揺れていた。柔らかく、可愛らしい加護だ、と皆が言う。


「ええ、そうなんですの。残念ながら」


 私は加護がまだないことを気にしていないかのように、微笑んだ。


 十九歳になっても、私の頭上には何もない。加護を持たぬ者は、神に見捨てられた欠陥品——そう、面と向かって言う者こそ少ないが、視線がそれを語っている。今夜も、何人かの目が私の頭の上を確認して、それから憐れみの色を帯びた。


 気にならないといえば嘘になる。


 ただ——正直に申し上げると、それより気になることがあった。


 大広間の中央、最も豪華な光が集まっている一角。そこだけ、すべての色が混ざり合って白く滲んでいるように見えて、私にはどうしても目が痛かった。


 加護の輝きとは、こんなにも眩しいものだったろうか。


 子供の頃から、光の強い場所が苦手だった。太陽より、燭台より、神殿より——なぜか、人の頭上に灯る加護の光が、最もきつく感じる。チカチカと瞬いて、見つめていると頭の奥が重くなるのだ。


 それだけではなかった。


 時折——ほんの時折、皆様の頭上の光が、脈打つ心臓のように膨らんで見えることがある。ゆっくりと、規則正しく、まるで生き物が呼吸をするように。


 ……気のせいだわ。神の祝福が、生き物のように動くはずがないもの。


 私はそっと目を逸らし、カップの中の紅茶を見た。


 光に弱い目を持つことは、私の欠点のひとつだと思っている。



 少し息が詰まって、私は大広間の端、廊下へ続く扉の近くまで移動した。


 そこで、ゾクっとするものを見てしまった。


 廊下の奥に、見慣れない男がいた。年の頃は、五十を超えているだろうか。体格が良く、指に大ぶりな宝石の指輪をいくつも嵌めている。加護の光は——薄かった。この国の者ではないのかもしれない。後から聞いた話では、加護を持たぬ国からやってきた豪商だという。


 その腕の中に、ミレイユがいた。


 さっきまで私の隣に立っていた、薄桃色の加護を持つ伯爵令嬢。今年で十七になったばかりのはずだ。


 ミレイユは微笑んでいた。夜会の間ずっとそうしていたような、柔らかい微笑みで。頭上の薄桃色の光が、男の腕の中で、いつもと同じように揺れていた。


 男はミレイユの肩を引き寄せながら、値札を確認するような目でこの王宮を見渡していた。


 壁の装飾を見て。天井の細工を見て。そして、行き交う令嬢たちを順番に見ていた。


 品定めをするような男の目を、気持ち悪い、と思った。


 男への嫌悪、だけではなかった。


 この場所全体が、何かに値段をつけられているような感覚。この煌びやかな大広間も、降り注ぐ加護の光も、微笑み続けるミレイユも——すべてに、見えない値札がついているような。


 私はそっと目を逸らした。


 なぜこんなに気持ち悪いのか、うまく言葉にできなかった。ただ、カップの中の紅茶だけを見た。透明で、何も混じっていない、ただの紅茶。


 この紅茶でさえ、あの男にとっては値札がついているかもしれない。


 なぜそんなことを思ったのか、自分でもわからなかった。




「エルネスタ。ここにいたのか」


 不意に名前を呼ばれ、ハッとして私は顔を上げた。


 クロード王子殿下が、こちらに歩いてきていた。幼い頃からの婚約者である。金色の髪、完璧に整った顔立ち、そして頭上には王家の証たる白金の紋様——誰もが振り返る、この国で最も美しい方だ。


 ただ、今夜は様子が違った。


 いつもは一人でいらっしゃるのに、今夜は腕に別の女性を伴っていた。白い衣を纏った、私より二つほど年下に見える娘。その頭上には、今まで見たことがないほど鮮やかな虹色の光が広がっていた。


 大広間がざわめいた。


 虹色の加護。七色すべてを持つ者——それは神話の時代から「真の聖女」の証とされている。


「紹介しよう。イリス・ソレイユ。神殿が認定した、この時代の聖女だ」


 クロード殿下の声は、いつになく晴れやかだった。


 聖女イリス様は、静かに微笑んでいた。白い肌、黒い睫毛、淡い唇。その頭上の虹色が揺れるたびに、周囲から感嘆の息が漏れた。なるほど、美しい方だと思う。ただ——その虹色があまりに鮮やかで、私はそっと視線を落とした。今夜一番、虹色の光で目が痛かった。


「エルネスタ……」


 殿下が、私を見た。


「婚約を、解消したい」


 大広間が、静まり返った。


 私は白磁のカップを持ったまま、殿下を見つめた。


「……理由を、お聞かせいただけますか」


「そなたには加護がない。王太子妃として、国の象徴として、加護なき者は相応しくない。イリスは聖女だ。彼女こそが、この国に必要な妃である」


 淡々とした声だった。怒りも、迷いも、申し訳なさも——何も含まれていなかった。


 まるで、当然のことを述べているような。


 イリス様は殿下の腕の中で、ただ微笑んでいた。その虹色の光が、チカチカと、脈打つように揺れている。


 私は一度、深く息を吸った。


「承知いたしました」


 声が震えなかったことに、自分でも驚いた。


 ミレイユが隣で息を呑む気配がした。その他にも、周囲の視線が私に集まっているのがわかった。憐れみ、好奇心、安堵——様々な感情が混ざった視線。


 私はただ、カップの中の紅茶を見た。


 温かく、透明で、何も混じっていない、ただの紅茶。


 なぜかその瞬間、大広間の豪奢な光の中で、このカップだけが美しいと思った。



 翌朝、父に呼ばれた。


 ヴァイス侯爵家の書斎は、いつも白い朝の光が差し込む静かな部屋だった。白い壁、白い床、必要最低限の家具——母が亡くなってから、父はこの部屋をこんな風に整えた。私が白い部屋を好むのは、父の影響かもしれない。


「昨夜の婚約解消のことは聞いたよ」


 父は窓辺に立っていた。振り返らないまま、外を見ている。


「エルネスタ、お前に謝らなければならないことがある」


「婚約のことでしたら、私は——」


「違うんだ」


 父が振り返った。その顔を見て、私は言葉を失った。


 父はいつも穏やかな顔をしている。怒ることも、慌てることも少ない、静かな人だ。


 でも今朝の父の顔には——何か、取り返しのつかないものを抱えた者の、静けさがあった。


「お前が十歳の時、お前に加護の儀を受けさせた。覚えているか」


「はい。何も起きませんでしたが」


「そうだ。何も起きなかった。私はその時に、気がついたことがあって」


 父は机に近づき、引き出しを開けた。取り出したのは、白い封筒だった。


「これを、お前に渡しておく。もし——私に何かあった時に、開けなさい」


 私は封筒を受け取った。軽い。何が入っているのだろう。


「父上、何かあるとは——」


「エルネスタ」


 父が私の手を両手で包んだ。温かかった。


「お前は何も悪くない。何も欠けていない。それだけは、覚えておきなさい」


 その言葉の意味を問う間もなく、書斎の扉が開いた。


 王家の紋章を持つ騎士が、三人、立っていた。


「ヴァイス侯爵。王命により、国庫横領の疑いで、ご同行いただきます」


 私は、封筒を胸に抱いたまま、立っていた。


 父は静かに頷いた。私を見た。その目が、何かを言っていた。


 ——大丈夫だ、と。


 いや、違う。


 ——逃げなさい、と言っていたのかもしれない。



 断罪の場は、翌週に設けられた。


 王宮の大広間——昨夜、婚約を解消された、あの場所で。


 父は横領の罪を認めなかった。証拠は、私には到底横領などできないと思える額の金が、父の口座に振り込まれた記録だった。父の弁明は聞き入れられなかった。


 私は傍聴席で、ただ父を見ていた。


 断罪の場でも、父の頭上には何もなかった。加護を持たない父と私は、この大広間の中で二人だけ、頭上に何も光らせていなかった。


 それが、なぜか——美しいと思った。


 自分でも、なぜそう感じるのかわからなかった。


 判決が言い渡された。爵位の剥奪、財産の没収、そして——


「ヴァイス家令嬢エルネスタは、アッシュフォード辺境伯領への移送を命じる。辺境伯レオン・アッシュフォードから、身柄を引き受けるとの申し出があった」


 知らない名前だった。


 辺境伯。この王都から、馬車で十日以上かかる、北の果ての領地。


 父が連行されていく。振り返り際、父は一度だけ私を見た。その目は、穏やかだった。あまりに穏やかで——まるで、これで良かったと言っているようで。


 私は封筒を、ドレスの内側に押し込んだ。


 大広間を満たす加護の光が、今日も眩しかった。チカチカと、脈打つように。


 ただ——今日は初めて、その光を見て、美しいとは思わなかった。


 眩しい光が重そうだな、と思った。


 あんなものを頭に乗せて、皆様、重くないのかしら、と。





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