02 嵐の前の静けさ
翌朝、目を覚ました私は、一瞬ここがどこなのか混乱したけれど、すぐクロエ様の隠れ家に泊まったことを思い出した。
何だか頭がぼーっとして、何があったかよく思い出せない。
彼の姿はどこにもなかった。やっぱりあれは夢だったかのようで。
ベッドから起き上がり立ち上がろうとすると、私の頭の中に、鮮やかな映像がフラッシュバックのように蘇った。
頭の中に浮かんだのは、片手で眼鏡を外すユーエンの姿。
その仕草が、また艶かしくてヤバイ。
そして、それよりもっと生々しい映像すら浮かんで……。
「そうだ、私は」
彼とキスする光景が頭の中に。
私は彼と……?
「うわあああぁぁっ!!」
ようやくぼーっとしていた頭がハッキリしてきて、昨夜の出来事が全て事実なのだと知る。自分の体に微かに残る彼の残り香が何よりの証拠だった。
私は呆然としつつも、何とか身支度を整えた。
部屋を出たところで、思わぬ人物と出くわした。
「わっ!」
「薬の効果、どうだった?」
クロエ様が興味津々で尋ねてきた。い、いつのまにそこに?
「あいつと試したのだろう?」
あいつとはユーエンのことだろう。
私はあまりのことに口を噤んでしまう。
昨夜は発情を抑えるどころじゃなかった。──それ以上だった。
そういえば、薬の効果ってあったのだろうか?
「それが、よく分からずじまいで」
「ふーん」
クロエ様は何やら意味ありげに微笑んだ。
「つまり、あいつに決めたんだな?」
「…はい」
そう答えると、クロエ様はとんでもないことを暴露した。
「すまん。あの薬はな、実はただの飴だ」
「ええっ!?」
「心理的にあの飴を舐めることで発情が抑えられるよう暗示をかけた。まあ相手を決めたのなら、もう焦る必要もないな」
そんな暗示がかかってただなんて。
でも、これで私が妊娠して子供を産めたら、寿命の問題はクリアということになるのか。
「まあ、禁書の件はすぐには期待出来ないし、さっさと子供を作って産め。次の話はそれからだ。あ、帰りはゲートを使っていいぞ」
クロエ様に叱咤激励されて、送り出された。
朝食の席に顔を出すと、皆が何食わぬ顔で食事をしていた。
どうやら、彼はまだ話をしていないようだった。
「おはようございます」
マクシミリアン王子が私の顔を見るなり、
「おはよう、よく眠れたかい?」
ギクッ!!
何となく、皆に知られるのが怖い。いや、恥ずかしいのだろうか?
「最悪だった。ここは暗いし、狭いし。まだ宿の方がマシだ。食事が済んだらさっさと帰らないか?」
マシュー王子はあまりよく眠れなかったようで、不満たらたらだ。
「ゲートを使う許可は得ているから、食事が済み次第、宿に戻ることにしよう」
ユーエンの姿は見えない。厨房だろうか?
とにかく彼と話をしなければ。
「ジーン、どこ行くの?」
アレックスが席に着かない私を不審に思ったみたいだ。
食事は既にテーブルに用意してあり、各自で自由に取って食べる形式だ。
「ユーエンにちょっと話があって」
「どんな?」
どんなと聞かれても。答えづらい!!
私は厨房の入り口に視線を向ける。彼はまだ、皆に話をしていないみたいだし、かといって私だけで話をするのも何か違う気がする。
アレックスは何かを察しているのか、私を訝しげにじっと見つめたままだ。
「大事な話なんだ」
私はアレックスを振り切って、厨房に向かう。
厨房に入ろうとしたところで、丁度ユーエンが出てきた。
「あ!」
「ああ、おはようございます」
ヤバイ! 顔が直視出来ない!!
「……おはよう」
ユーエンは私の肩を押さえて、顔を覗き込んだ。
「体の方は大丈夫でしたか?」
「あ、ああ、うん」
体のことを気遣われて、私はまた思い出して赤面してしまう。
私が初めてだったから、気にしてくれてるんだ。
「食事は済みましたか?」
「ううん、まだ」
「でしたら、少しでも何か食べないと」
何ていうか胸が一杯で。食欲がないというか。
「皆に言いますか? 私達のことを」
耳元で囁かれて、私は彼を振り仰いだ。
彼はいつものポーカーフェイスではなく、優しい微笑みを浮かべていた。うっ、相変わらずその笑顔はヤバイ。
「……うん」
彼は私に手を差し出した。その手を取ると、手の甲にキスをした。
「では、行きましょう。私の聖乙女」
その一連の仕草、何もかもがスマートで、まるで王子様のようだった。正直、その所作や口調、何もかもが二人よりも洗練されているというかノーブルで。まあ本当に王族なんだけど。
そして、彼の口から皆に私達が結婚するという事実が告げられた。
予想通り、反応は様々だったけれど……。
宿に戻って王太后様に報告をすると、何と急遽その日の内に、王都へ帰還することになってしまった。
王太后様は大層喜ばれて、帰りの列車の中でも大はしゃぎだった。私達は個室で、王太后様とマクシミリアン王子を交えてユーエンの今後のことでちょっとした密談をしていた。
王太后様にとって、彼はやっぱり特別らしかった。
大手を振って孫と呼べなかった彼に長いこと気を揉んでいたらしい。
「あなたの目立ちたくないという気持ちは分かるけれど、彼女の為にもちゃんとしなくては」
「そうですね」
聖乙女の夫となるのに、いつまでも執事のままという訳にもいかないらしかった。実のところ、聖乙女の相手の身分は関係ない。過去に平民との結婚の事例ももちろんある。
しかし彼の場合は、庶子とはいえ王族だ。やはり然るべき立場になる必要があるらしい。
「どうするんですか? きちんと認知すればユーエンは大公家の長男です。大公を継がせるのですか?」
マクシミリアン王子が王太后様に問い掛ける。
「大公の件は急がなくてもいいと思うけれど、まあいずれはそうなるでしょうね」
彼はもう抵抗する気はなさそうだ。私の為に執事を辞めてもいいって言ってたし。
「能力的に、お前は何だって出来る。執事なんかしていなくても、個人資産だけで相当だろう? お前自身はどうしたいんだ?」
「彼女と一緒になれるのならば、立場や身分はどうにでも」
私の為なら、やりたくもない大公にだってなる気なんだ。
「彼女も気の進まない役目をこなすんです。だったら大公になるくらいどうってことありません」
彼は私を見て優しく笑った。
見つめ合う私達を見て、マクシミリアン王子は溜め息をつく。
「……はぁ。見せつけてくれるなよ。まだ私は失恋のショックから立ち直れていないのだから」
「ごめんなさい」
王子はさらに溜め息をついた。
「謝らないでくれ、余計惨めな気持ちになる」
王太后様が笑い出して、王子はさらに溜め息をついた。
そうして私達の短い旅行は終わりを告げた。
私は城の離れには戻らず、大公家に移ることになった。
久し振りの大公家は、勝手知ったる我が家のようなもので、私とユーエンの結婚の知らせに、使用人達も沸き立った。
アレックスは泣き腫らした目で、屋敷に戻るなり自室に閉じこもってしまった。
兄上の話だと、列車の中でもずっと泣き通しだったらしい。
「アレックス!!」
「放っておきましょう。あの子もちゃんと分かってますから」
アレックスの部屋の前で、ユーエンに止められてしまった。
誰か一人を選ぶということは、他の誰かを傷付けることになる。そんなことはもちろん分かってはいた。
それでも、アレックスに泣かれるのはとても辛かった。
彼に促され、仕方なく自分の部屋に戻る。
私がいた頃となんら変わりのない部屋。
「夜はどうしますか? 私の部屋に来て寝ますか?」
「えっ? ああ、どうしようかな?」
照れて取り乱す私に、彼は少し笑った。
「ふふっ、冗談ですよ」
「なっ、なー!!」
彼が冗談を言うだなんて、どれだけ人が変わってんだ!?
ていうか、冗談なのか!! つい本気にしてしまった。
でも、きっと彼がこんな顔を見せるのは私の前だけなんだろう。
「必ず幸せにしますから」
「うん」
彼に腕を引き寄せられて、ぎゅっと抱き締められた。
彼はとてもいい香りがした。この匂いに包まれて昨日は眠ったんだ。
「ねえ、やっぱり大公になるの?」
「それは大公殿下の判断次第です」
実のお父さんなのに、堂々とそう呼べない彼は少し悲しそうだった。
そういえば大公殿下は、後継をアレックスの結婚相手にという話だった筈だ。つまり男だった頃の私。
アレックスの性別を元に戻すのも、世間体を気にして渋っていたくらいだし、かなり保守的な人なのだろう。
その割にはユーエンに仕事を丸投げで、随分と勝手な方なんだとも思う。
でも一方で王太后様は元々ユーエンを推していらした。
実質の大公の業務は彼が行なっているのだし、当たり前とも言える。ただ、彼がやっているのはあくまで表に出ない仕事のみで、人前に出るような公務は一切やっていない。
「じゃあ、まだどうなるか分からないね」
「どっちにしろ、執事は辞めないとダメですね」
彼は個人資産もあって、不労所得があるらしく生活には困らない。
「執事の仕事好き?」
「さあ? どうでしょうね」
少し笑う彼の表情からは何も窺えなかった。
「そういえば、あなたの部屋って行ったことないや」
「良かったらこれから来ますか?」
ええっ、いいのかな?
アレックスの部屋には行ったことがあるけれど、彼の部屋にはそもそも行く機会もなくて。
こういう関係になれたから、むしろ入れるということかな?
「うん、行く」
「では、行きましょう」
初めて行く彼の部屋に興味があった。
私の部屋を出て、廊下を進む。私の部屋はそもそもゲストルームの一つで、そんな部屋がいくつかある。そもそもここの屋敷って、物凄い広い。場合によっては他国の賓客もここでもてなすという話だし。
「ここです」
あれ? ここってもしかしてアレックス部屋の隣?
「どうぞ」
やっぱり中も広い。整然と片付けられた部屋だった。
アレックスの部屋には物が色々あったけれど、彼の部屋には余計な物は何一つなかった。
「特に何もないので、面白くも何ともないでしょう?」
「そんなことないよ。どんな部屋に住んでるか、興味はあるし」
って、気付いたら、ベッドの前まで来てたーー!!
そもそもベッドのサイズが大き過ぎる。これがキングサイズだろうか? ベッドが殆ど正方形だった。
まあ、アレックスの部屋のも大きかったから、きっとここの屋敷ではデフォルトのサイズなんだろう。
「私の部屋のベッドより広い」
私の部屋のはせいぜいクイーンサイズだ。
「ええ、二人で寝ても充分な広さですよ」
ドキッ!! ここで一緒に寝るってことだよね。
彼を振り返った私は、たぶんヘンテコな顔をしてたに違いない。
彼は少し笑った。
「今夜はここで寝ますか?」
「……う、うん」
最初に言ってたことが、ちっとも冗談じゃなくなったな。
私の今日の一大事はもう今夜のことで、その日はそのことで頭が一杯だった。
でもそれは、これから起こることに比べたら、嵐の前の静けさに過ぎなかった。




