09 相合傘はちょっと恥ずかしい
いつもどうもです!
ラファエル編の更新を再開しました。
明日も更新予定です。
ラファエルを送り出して、私は長い夜を眠れずに過ごすことになった。
心配で心配で堪らないけれど、身重の私が付いていった所で、彼の足手まといになるだけだ。
なぜ、今になってラファエルが狙われたのか。私が原因の一つだと聞くとやっぱり気が気ではない。
ああ、どうか無事に帰って来て。私達の子供の為にも。
こんなに時間が進むのが遅く感じられるなんて。
楽しい時はあっという間に進むのに。
私は特にすることもなく、部屋を見回す。
この部屋が何か特別な魔力に満たされているのが分かる。
ここにいれば絶対に安全なのだと、直感で感じる。
クロエ様は彼が必ず私の元に戻ると言っていた。
今はその言葉を信じるしかない。
私は時間を潰す為に、書棚の本を一冊手に取った。
それは王女の直筆で綴られた日記だった。
千年以上も前の筈の物が全く劣化もせず、つい今しがたまで使われていたかのような質感だった。それだけでも凄いのに、いくつものページに挟まれた押し花が色鮮やかで、その美しさを保ち続けていた。
そこには彼女の日常が綴られていた。
何の変哲もない日々の出来事から、恋の話まで。
何だか読むのが躊躇われたけど、聖乙女の契約に関する何かが分かるかもしれないと思い、一通り目を通した。
そしてとうとう興味深い一文を見つけてしまった。
彼女の父である時の国王は、度重なる他国からの侵略や、大凶作に見舞われて国の窮地を打開しようと、街で当たると評判だった占い師を城に呼び寄せて相談を持ちかけた。
占い師? 初めて聞いた。一体何者なのだろう?
その占い師の手引きにより、国王は神と契約したと記されていた。神の力の依り代として、実の娘である王女を差し出したと。
占い師の記述はそれ以上はどこにも見つからなかった。
正直、この神との契約が正しいものだったのか、そうでないのか答えは私には分からない。神に関する記述もどこにも詳しくは載っていなかったし、あまりにも漠然とし過ぎていて。
マクシミリアン王子が国王陛下から、王家に伝わる禁書を受け継げば、もっと契約について詳しいことが分かるのかもかしれないけれど。それはいつになるかは分からない。
そして私は春には聖殿に入り、役目を全うしなければならない。
なかなかヒロインをやるのも大変だ。
その時、窓のカーテンが風もないのに揺れた。
「だ、誰?」
おそるおそる振り返ると、そこには何とラファエルの姿が。
部屋の入り口からでなく、窓から入ってくるなんて。
私は思わず安堵して、自然と涙が溢れそうになる。
「ラファエル!! 大丈夫なの? 怪我は?」
何とか涙を堪えて駆け寄って顔を見ると、彼は少し笑って答えた。
「問題ない」
とりあえず見る限りは、どこにも怪我をしている様子はなかった。
「……ただ、少し面倒なことになった」
「え、何?」
ラファエルは長い前髪をかき上げて、溜め息をつきつつ言った。
「……吸血鬼の王を継ぐ条件を満たしてしまった」
「え?」
夜の王とは吸血鬼の王の呼称では?
首を傾げる私に、ラファエルは困ったような顔をした。
「俺は吸血鬼の王の後継者争いに否応なしに巻き込まれてたんだ。俺の父親が、実質の王を座を退くらしくて」
「お父さんが王を辞める? あの子はどうなったの?」
「あのガキならボコボコにしてやった。もう二度と歯向かう気になれないくらいに」
あの少年を退けたことで、王の条件を満たしてしまったというのか。
それにしても、あのぐうたらだったラファエルは今はまるきり別人だ。癖のある長い前髪はセンターでざっくり分けて、青白い綺麗な顔は露わになっている。相変わらずラフな格好だけれど、痩せていてもちゃんと男の骨格の長い手足、そして全身から匂い立つような色気。
吸血鬼の王だと言われても納得の外見だ。
彼の美貌は人のものじゃない。まさに魔性のものだ。
「王の息子は俺だけだから。人として生きてきても、見逃しては貰えなかったんだな。あわよくば殺されていたところだ」
「とにかく無事で本当に良かった」
私がようやくその一言を口にすると、ラファエルはぐいと腕を伸ばして、私を自分の胸の中に抱き寄せた。
無事に戻ってきてくれた。今はそれだけで私は満足だった。
ふいに頭によぎる彼とのこれからは、今は考えたくなかった。
さすがに吸血鬼の王と結婚なんて許される筈がない。
クロエ様はそれで、わざわざ他の人と偽装結婚したくらいなのに。
「それで、王になるの?」
そう、口についた言葉に予想外の返事が返ってきた。
「まさか」
ラファエルは少し笑って、私をソファに促して座らせた。
その隣に腰を下ろしながら、優しく私の髪を撫でた。
「そんなの知ったことか。俺はお前の夫になって、お前の傍にずっといる」
「大丈夫なの?」
「……俺には誰も逆らえないんだよ。お前ですらな」
そう、私ももうラファエルの虜なんだ。
血の契約だとか、そんなことはよく分からない。そのせいかもしれないし、そうでないかもしれない。
ただずっと一緒にいたいと思う。ただそれだけ。
「愛してる」
彼が耳元で囁いた。私はその甘い声を聞きながら、いつのまにか深い眠りに落ちていた。
ラファエルは翌日から職場に復帰し、私達は図書館から程近い場所に部屋を借りた。この国ではごく一般的な賃貸物件のアパートメントだ。
以前の家ほど広くはないけれど、二人で一緒に居られるのは春までのわずかな時間だ。
こうなると贅沢な悩みで、やっぱり彼と離れ難くなる。
マクシミリアン王子は何度も国王陛下に掛け合って、契約の詳細の載る禁書の貸し出しを願い出ているけど、案の定上手くいかないらしい。
ラファエルも別の方法でどうにか出来ないかと探っていた。仕事の合間に様々な禁書を読み漁っていた。
私の中では、あの初代の部屋で見た日記に記された占い師の記述がずっと引っ掛かっていた。
神に手引きしたというその占い師が見つかれば、契約の方法が分かるのでは?
そりゃあ、千年も前の人物が生きている筈もないけれど。
ラファエルに思い切ってその話をしたら、彼も日記を読んでいたらしく、その記述を気にはなっていたとのこと。
「一つ、思い当たる点がある」
「どんな?」
「そのうち答えが分かると思う」
ラファエルの思い当たる点とは何だろう?
その答えが聞けないまま数日が過ぎて、既に季節は夏が終わり、すっかり秋になっていた。
その日は昼過ぎから急に天気が崩れて、雨模様に変わった。
ラファエルは傘を持って出掛けなかった。
私は傘を持って久し振りに図書館へ向かう。
雨だというのに、何だか図書館の前が騒がしい。
近付いてみると、入り口付近は若い女性で溢れかえっていた。
何かイベントでもあるのだろうか?
図書館の職員が必死で対応に当たっていた。
そろそろ閉館時間になろうというのに、女性達は一向に帰る様子を見せず、職員に何やら迫っている。
「ねえ、彼はまだなの?」
「彼に会いたいだけなんだけど」
彼? まさかこの人達って……。何だか嫌な予感
「こっちだ」
聞き覚えのある声がして、突然背後から手を引かれ、その場から連れ出された。
雨に濡れるのも構わずに走って、図書館の敷地を出た所で彼はようやく立ち止まった。
「……ふう、さすがにあれには参る」
「ねえ、まさかあれって」
正体を隠す為なのか、雨を凌ぐ為なのかフードを深く被った彼は、心底うんざりした様子で私を振り返った。
「そう。アイツら俺が出て来るのを待ってるんだ」
まさかの出待ちですか? これには私は苦笑いするしかない。
ラファエルに持ってきた傘を渡そうとするけど、受け取らないで私の傘にそのまま入ってきた。
「一緒でいい」
相合傘は何だかちょっと恥ずかしい。
「館内には入っては来ないの?」
「アイツらはとうに出禁になってる」
うへぇ、やっぱりそうなのか。
自意識過剰かとも思ってたけど、私も経験があるので気持ちは凄く分かる。
一度、ロックオンされると彼女達は本当にしつこい。
家まで付いて来られたりするのなんかザラだ。
「そんなことになってるなんて」
ラファエルは仕事の話は殆どしてくれない。そもそも私達、家でも殆ど会話らしい会話をしてないような?
お互い好きなことをして、あまり干渉し合わない微妙な距離感で落ち着いていた。
「いっそボサボサに戻したら?」
「今さらか? お前がちゃんとしろって言ったんだぞ?」
せっかくカッコいいのに、ダサい格好なのももったいない気がして。でもこんなに困るのなら、いっそ前のままのが良かったのだろうか?
「いた! あそこよ!!」
一人の女の人の大きな声がして、図書館の入り口で待っていた女性達が皆こちらに気付いてしまった。わらわら喜び勇んでこちらに向かって来る。
「おい、マズイぞ。気付かれた」
少し慌てるラファエルに、私は冷静に答えた。
「大丈夫」
私はラファエルの襟元をぐいと引き寄せて、唇にキスをした。
彼は私の行動に一瞬驚いたものの、すぐに応えて私の肩を抱いて自分の方に引き寄せた。
「えっ、キス!?」
私達は彼女達に見られながら、わざと長いキスを続けた。
さすがにそんなキスを公衆の面前でするのは恥ずかしくて仕方なかったけれど、効果はてきめんだった。
彼女達は私達のキスシーンを遠目で見ていたけれど、ショックを受けたか諦めたらしい娘が一人、二人と足早に去って行く。
「どうやら、アイツらにある程度はダメージを与えたようだぞ?」
薄目を開けて様子を確認しながら、私達はようやく唇を離した。
それでも諦めの悪い女性達数人が、睨むように私を見つめている。そんな彼女達に向かって、私は冷たい一瞥をくれてやる。
「何よ、ちょっと美人だからって!!」
ラファエルは私の肩を相変わらず抱いたまま離さない。
そして彼女達に向かって衝撃の一言を言い放った。
「……何見てんだ? 消えろ」
ラファエルの口調は冷たく無機質で、彼女達を突き放すには充分の迫力だった。
「もし私が刺されたら、あんたのせいだからね」
「お前に手を出す奴がいたら、皆殺しにしてやるから安心しろ」
うわ、何だか冗談に聞こえないから怖い。
それにしてもラファエルがこんなにモテるなんて、想像がつかなかったな。
でもさすがに私が傍にいれば彼女達はこれ以上近寄れないだろう。
「それにしても、お前からキスしてくるなんてな」
「あっ、あれはその! 恋人がいれば、さすがに彼女達もしつこくしないかと」
「ふぅん」
咄嗟に誤魔化したけど、ちょっとだけヤキモチ妬いたことは言わないでおこう。彼は私のものだって、彼女達に示したかった。
ラファエルは怪訝そうにじっと私の顔を見つめてくる。
「な、何?」
「何でもない」
何だか心なしか嬉しそうなラファエルと、そのまま相合傘で家まで帰った。




