07 反逆の狼煙
とりあえず、私達は寝室に戻る。
本をぎゅっと抱えたまま、私はただひたすら固まっていた。
「以前は強引に婚姻を決めて、そなたに聖乙女の権利を盾に拒まれてしまった。だが、今回は違うぞ? 息子から略奪したと罵られようが、後ろ指を指されようが、私は一向に気にせぬ。なりふり構ってなどいられぬのだ。もう二度と、愛する女を手放すことなどしない」
熱烈な求愛の言葉だ。
私はただ困惑して俯く。
「どうしてそこまでして私を? 伯母に似ているからですか?」
「確かにそれもあるが、それだけではない」
思えばマクシミリアン王子も、弟のマシュー王子も、最初から私に好意を寄せて迫ってきた。マクシミリアン王子は、そもそも幼い頃の私に一目惚れしたらしいけど。
「そなたに惹きつけられて仕方がないのだ。王妃を失って、長いこと独身で通してきた。縁談の話は幾度もあったが、その気になることなどなかったのに」
陛下は私の手を取って、真摯に見つめて言った。
「だが、そなたを一目見て気が変わったのだ。何としても手に入れたいと思った。年甲斐もなく、息子よりも年若い娘相手にとち狂ったのだ」
私が誰にも心を寄せず、一人のままならばこの求愛を受けたかもしれない。この孤独な陛下を支えて、民にとって良い王へと導く。そんな大それたことは出来なくても、その手伝いくらいは出来たかもしれないのに。
でも、この方は自分の想いを優先させて、実の息子を陥れようとした。それだけは人としてやってはいけないことだと思う。
そして何より私の心はもう、マクシミリアン王子を選んでしまっている。
私の中で彼以外など、もうあり得ないことなのだ。
たとえ国王と結婚しても、心だけは彼のものでいようと決めていた。
「その本を置いて、ベッドに入れ」
もう逃げられない!!
そうなってしまったら、マクシミリアン王子を裏切ることになる。もう彼の元に戻ることもきっと叶わない。
「後生です。どうか結婚まではご勘弁を」
「処女に拘るのか? そなたは処女か?」
酷い眩暈が私を襲う。緊張と困惑で、目の前が霞む。
「どうした? 酷い顔色だ。具合でも悪いのか?」
眩暈はどんどん酷くなる。私を呼ぶ陛下の声が遠のく。そのうちとうとう目の前が真っ暗になって私は意識を手放してしまった。
気が付くと、そこは自分の部屋のベッドで傍に心配そうに私を見つめるメイド達の姿があった。
「ああ、気付かれましたか」
状況がすぐには理解出来ない。確か私は陛下の前で気を失ってしまったか。
まさか!!
私は慌てて着衣を確認した。寝間着に着替えさせられていて、ことが済んだのかはよく分からなかった。
私の慌てぶりを見てかメイドは察したらしく、
「ご安心下さい。ジーン様は気を失われた後、すぐこちらへ移されました」
では、私は陛下には抱かれてはいない?
ホッとして胸を撫で下ろす私に、メイドが衝撃の事実を告げた。
「ジーン様はもうお一人のお体ではありません。くれぐれもどうかご無理はなさらぬように」
一人の体ではない? でもそれで私はすぐさま理解した。
では、私のお腹にはマクシミリアン王子の子が?
忙しさのあまり全然気付かなかった。そういえば月のものもしばらくきていない。
王子の子がお腹にいる以上、陛下と結婚する訳にはいかない。
そこで私は思い出す。本はどうなった!?
「本は!? 本はどこなの?」
「本ならここにあります。陛下から届けられました」
メイドが手にしているのは、紛れもなく禁書だった。
「すぐ王立図書館のラファエルにその本を届けて」
「畏まりました」
これで禁書はラファエルを通してクロエ様の手に渡る筈だ。
これで契約破棄が成されれば、私は役目から解放される。
「王太子殿下は? ご無事なの?」
別のメイドがしっかり頷いて教えてくれた。
「ご無事でございます。王太后様の命で、王太子殿下への処罰はいかなるものも許されていません」
では、ただちに陛下によって罰されたりすることはないんだ。
私はとりあえず安堵で胸を撫で下ろした。
それにしてもこれから私はどうすればいいのだろう?
もう頭がパンク状態だった。
妊娠して、とりあえず当面のピンチからは脱したけれど、陛下が私をどうするつもりなのかも分からない。
「殿下に面会したい」
「面会は国王陛下によって禁止されています」
「そんなの分かってる!!」
メイド達は、驚いてたじろぐ。私が声を荒げることなど、彼女達の前では皆無だった。
「……ごめん。妊娠して気が立ってるんだ」
「お察しします」
「殿下に会いに行く」
私は手早く着替えると、部屋を飛び出した。
衛兵達が、すぐさま私の前に立ちはだかった。
「どいてくれ」
「なりません」
私は衛兵達を冷たく一瞥した。
私がそのまま彼らの脇を抜けようとすると、ふいに二の腕を掴まれた。
「私に触れるな!!」
「も、申し訳ございません」
彼らが怯んだ隙にその場を走り去った。
衛兵達は誰も追ってこなかった。
私はただ彼の元へ夢中で走った。
牢の門番ですら、私を止められはしなかった。
「殿下!!」
「ジーン!? どうやってここへ?」
私は堪らず彼の胸に飛び込んだ。
彼は優しく抱きとめて、私の顔を覗き込んだ。
「面会は禁止されている。それでもここまで来るだなんて、余程のことがあったのか?」
「禁書は無事に手に入れました。メイドに頼んでラファエルの手元に」
マクシミリアン王子は大きく目を見開いた。
「良くやった。これでラファエルとクロエがどうにか契約を破棄してくれれば、君はもう役目に縛られることはなくなる」
「殿下、あの」
この状況で知らせるのもどうかとも思ったけれど、私が今後どうすれば良いか、彼の指示を仰がなければならない。
「子供が出来たみたいです」
「本当に?」
彼は何とも嬉しそうな顔をした。
その顔を見ただけで、何だか満たされた。
「父上との結婚を了承したのか?」
「ええ。あの場ではああするしか」
マクシミリアン王子はいつものように少し笑いながら、
「私の子を身篭った君を、さすがに花嫁には出来まい。普通ではな」
しかし、突如として王子からその笑みが消えた。
私は何とも言えない不安に陥る。
「でも父上は普通ではない。君が身重だろうがきっと関係ない」
「ええっ!?」
だったら、どうすればいい? 私は結婚を了承してしまった。陛下がその気なら、その言葉を盾に王子との婚約なんか簡単に破棄されてしまうだろう。
「私もそうだが、おばあ様が許さない。子供まで出来たのなら尚更のこと。さて、どうなるかな?」
こんな時なのに、彼にはまるで緊迫感がない。
何なのだろう? この余裕は。
「殿下!!」
「心配ない。父上はもう終わりだ」
終わり? 一体どういうこと?
王子の言っている意味が私にはまるで分からなかった。
すると、程なくして意外な人物が私達の目の前に颯爽と現れた。
「お迎えに上がりました。お待たせして申し訳ありません」
ニコラス様が笑顔で私達に深く礼を取った。
「遅かったな」
「申し訳ありません。手筈は全て整いました」
マクシミリアン王子は私の手を取り立ち上がった。
そして、ニコラス様を振り返って一言だけ告げた。
「ただちに実行しろ」
ニコラス様に追従してきていた騎士達が、素早くその場を後にする。
「殿下、一体何が?」
「言葉通りだよ。父上には王を辞めてもらうんだ」
「ええっ!?」
それって、まさか謀反!? 反逆とでも言うべき?
私の表情から、王子は私の考えを察したようだ。
「そんな血生臭いことではないよ。あくまでも平和的に退位して貰うんだ」
そんなことが可能なの?
私にはとても王子の考えなど及びもつかない。
「最近の父上の行動は目に余る。側近の甘言に乗せられて、民の苦しみから目を逸らし、終いには息子である私を冤罪で投獄し、その婚約者すら奪おうとした。父上は既に王の資格を失っているのさ」
「それで?」
「おばあ様にも協力を仰ぎ、既に国中に触書きを出した。国王は、精神に病をきたした故、早々に退位すると」
「精神の病?」
「そうだよ」
マクシミリアン王子は不敵な笑みを浮かべる。そして私達は長い長い廊下に敷かれた赤い絨毯を踏みしめ、玉座の間へと向かうのだった。




