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工業地区の夜

 行儀の悪さは昔から変わらない。


 事務所の扉を開けると、ゴルツが勝手に椅子に座り、勝手に安酒を飲んでいた。


「遅かったな」


「探し物をしてた」


「猫か」


「いや」


 カルロが名刺を机に放ると、ゴルツの目つきが変わった。三日月マークを一瞥しただけで、酒を持つ手が止まる。長年の付き合いは、こういう時に無駄がない。


「……お前、まさか嗅ぎ回ったのか」


「荷捌き場でな。回収屋とやらに挨拶された」


「馬鹿野郎」


 珍しく声を荒げたゴルツに、カルロは片眉を上げた。


「お前らしくもない」


「らしくもないのはお前だ、カルロ。俺が今受けてる護衛の依頼、港湾警備の。あれの荷主、確認したか」


 嫌な予感が背筋を這った。


「まさか」


「三日月マーク。今夜、積み荷を運ぶ。俺はその護衛だ」


 沈黙が事務所に落ちた。猫だけが、我関せずと窓辺で毛づくろいをしている。


「……知らずに受けたのか」


「知るかよ、荷主なんていちいち聞かねえ。金と場所と時間、それだけ聞いて動くのが俺の仕事だ」


「その積み荷、中身は医療用サンプルじゃないぞ」


「わかってる。今わかった」


 ゴルツはグラスを机に置くと、初めて苦い顔をした。傭兵という仕事柄、荷の中身を詮索しないのが暗黙の了解だ。だが、詮索しないことと、知らずに人を運ぶことは、意味が違う。


「降りるのか」


「降りたら違約金だ。それに、俺が降りたところで代わりが来るだけだろう」


「なら」


「なら何だ、カルロ。お前、俺に何をさせたい」


 二人の間に、久しぶりに緊張が走った。傭兵時代、何度も背中を預け合った仲だ。だが今、二人は初めて違う側に立たされようとしていた。カルロは名刺を指で弾き、低く言った。


「今夜、その積み荷を見せてくれ。中身が本当に人間かどうか、俺の目で確かめたい」


「見せてどうする」


「どうするかは、見てから決める」


 ゴルツはしばらくカルロを睨んでいたが、やがて短く息を吐いた。


「……お前のそういうところ、昔から嫌いじゃない。だが今回ばかりは、下手すりゃ二人とも死ぬぞ」


「金にはならないだろうな」


「だろうな」


 ゴルツは苦笑し、グラスの酒を一気に飲み干した。窓の外では、日が傾き始めている。今夜、港で何かが動く。


 港は夜になると、昼間とは別の顔を見せる。倉庫街の照明はまばらで、クレーンの影が墓標のように並んでいた。カルロとゴルツは、指定された第七埠頭の物陰に身を潜めていた。


「時間通りだ」


 ゴルツが顎で示した先に、見覚えのあるトラックが停まった。荷捌き場で見たのと同じ、三日月マークの車体。運転席から降りてきたのは、あの回収屋ではなく、別の作業服の男が二人だった。


「積み荷、確認するぞ」


「お前が近づいたら護衛の意味がない。俺が行く。お前はここで見てろ」


「一人で行かせるかよ」


「――俺のやり方でやらせろ」


 ゴルツは短くそう言うと、堂々とした足取りでトラックに近づいていった。護衛として雇われている以上、荷に近づくことに不審は生まれない。カルロは物陰から、その様子を注視した。


 作業員たちがトラックの荷台を開ける。中に並んでいたのは、確かに医療用コンテナと呼ぶには不釣り合いな、大型の保冷ケースだった。ゴルツがその一つに軽く触れ、何かを確認するように耳を寄せる。


 あの男が、戦場でも顔色一つ変えなかった男が、眉間にほんの僅か、皺を寄せていた。普段のゴルツを知る者でなければ気づかないほどの、小さな変化だった。


 ゴルツは何事もなかったかのように作業員たちから離れ、トラックの反対側——カルロの潜む物陰へと歩いてきた。


「……どうだった」


「三つ、入ってた」


「三つ?」


「保冷ケースの中、三人分の心音がした」


 カルロは息を呑んだ。ゴルツの耳は、傭兵時代から並外れて鋭い。空耳で片付けられる話ではなかった。


「生きてるのか」


「生きてる。眠らされてるだけだ、多分な」


 トラックのエンジン音が響き、荷台の扉が閉まる音が続いた。出発の合図だ。


「カルロ、俺は護衛としてあのトラックに同行する。お前はどうする」


 カルロは名刺入れの中の、三日月マークの名刺をもう一度指先で確かめた。


「俺も行く。ただし、あんたの護衛先とは、別の入り方でな」


 ゴルツは、久しぶりに口の端を上げた。


「相変わらず面倒な男だ」


「金にはならないだろうな」


「だろうな」


 トラックが動き出す。ゴルツは助手席側に回り込み、護衛として当然の顔で同乗した。カルロはそれを見送ると、路地に停めてあった自分のバイクに跨がった。ヘッドライトは点けない。距離を保ちながら追う分には、その方が都合がいい。


 トラックは港湾道路を北へ進み、倉庫街を抜けて、街灯もまばらな工業地区へと入っていった。カルロは記憶の中の地図を辿る。この先にあるのは、確か閉鎖された旧食品加工工場だったはずだ。三日月マークの企業が、そんな場所に何の用があるのか。


 答えはすぐに出た。工場の敷地に入ると、シャッターの下りた建屋の裏手に、明かりの灯る一角があった。看板はない。だが出入りする作業服の数は、荷捌き場で見た比ではなかった。


 カルロはバイクを手前で止め、物陰から様子を窺った。トラックが敷地に入り、保冷ケースが次々と運び出されていく。ゴルツは護衛として、素知らぬ顔でその様子を見守っていた。


 建屋の中から、白衣にも似た服装の人間が数人現れ、ケースを受け取っていく。その中の一人、他より一回り年上らしい男が、作業員に何か指示を出していた。声までは届かない。だが立ち振る舞いに、ここの責任者らしい雰囲気があった。


 カルロは双眼鏡代わりに、目を細めて距離を詰めようとした。その時だった。


 背後で、砂利を踏む音がした。


「――やっぱり、来ましたね」


 振り返ると、荷捌き場で会ったあの回収屋が、暗闇の中に立っていた。今度は名刺を渡す気配はなかった。


「猫探し屋さん。今日のところは、では済まなくなりましたよ」


 カルロは静かに息を吐き、腰を落とした。傭兵時代の癖が、久しぶりに体の奥から目を覚ました。

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