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第七話 人間国家の使者が来たので、最後の交渉をしました

手紙が届いたのは、戦の準備を始めて二週間後のことだった。


 人間国家からの書状だった。ダグルが持ってきて、無言で俺に渡した。


 「余も読んだ。お前の意見を聞きたい」と魔王が後から言った。


 内容は丁寧な言葉で書かれていたが、要するに二択だった。「和平交渉の場を設ける。使者を派遣する。誠意ある回答を期待する」——誠意ある回答、というのは服従に近い意味だ。断れば、それが宣戦布告の理由になる。


 「どう読みますか」と魔王が聞いた。


 「交渉ではなく、確認だと思います。こちらが折れるかどうかを見に来る」


 「同じ読みだ」


 「受け入れますか」


 「受け入れる。だが条件がある」と魔王が言った。「接待の一切を貴様に任せる。食事、宿泊、案内。全部だ」


 「わかりました」


 「それだけではない」


 魔王が俺を見た。


 「会話の中で、相手が何を知っていて何を知らないかを探れ。向こうの情報の精度を確認したい」


 俺は手帳を開いた。やることが増えた。


◆◆◆


 使者団が来るまでの五日間で、俺は二つの準備をした。


 一つは接待の手配だ。宿泊する部屋の清掃と備品の確認、食事の献立の決定、案内の動線の整理。使者団の人数と構成は手紙に書いてあった。二十三人、馬十二頭。それに合わせて段取りを組んだ。


 もう一つは資料の準備だ。


 「資料を持っていくんですか」とダグルが眉をひそめた。「城の内情を見せるのか」


 「あえて見せます」


 「なぜだ。それは相手に有利な情報を渡すことになる」


 俺は考えをまとめながら説明した。


 「人間国家が持っているのは三ヶ月前の情報です。兵士の体力が低い、武器の三割が使えない、薬の備蓄が薄い——そういう情報を元に、『勝てる』と判断して来る。でも今は全部変わっています」


 「だから隠すべきだろう」


 「隠したままだと、向こうは古い情報で来たことに気づかない。自信を持ったまま交渉して、戦に進む。でも今の情報を見せれば前提が崩れる」


 「崩れてどうなる」


 「崩れた上で帰国して、上に報告する。上は『想定より強い』と判断し直す。作戦を見直す時間が必要になる。それが時間稼ぎになります」


 「時間を稼いで何になる」


 「今の魔王軍は三ヶ月前より強い。でも三ヶ月後はもっと強くなります。矢の生産が軌道に乗る。薬草の収穫が増える。食料備蓄がさらに積み上がる。戦が一ヶ月遅れるごとに、こちらが有利になります」


 ダグルがしばらく黙った。


 「……つまり、今すぐ戦うより、遅らせた方がいい」


 「はい。向こうが古い情報のまま攻めてくれば、準備が整う前に来る可能性がある。でも向こうが作戦を見直している間に、こちらの準備が整う」


 「……弱みを見せることに変わりはない」


 「見せているのは弱みじゃなくて、『以前より強くなった』という事実です。そこが違います」


 ダグルが腕を組んだ。「……好きにしろ」


 四度目の「好きにしろ」だった。


◆◆◆


 使者団が城門に到着したのは、約束の日の昼前だった。


 俺は出迎えに立った。馬が十二頭。人間が二十三人。手紙通りだ。


 俺は数えながら観察した。


 馬が痩せている。遠征が長引いている証拠だ。荷物の量が少ない。長期滞在を想定していない。装備の一部に修繕の跡がある。消耗している。補給線が細い。


 手紙の「誠意ある回答」が強気に見えて、実態は急いでいる。そういうことだ。


 使者団の中に、目つきの鋭い男がいた。他の者が珍しそうに城を見ている中、その男だけは違った。城壁の高さ、兵士の配置、物資の動線——俺がやっているのと同じ観察をしていた。プロだ。


 「お部屋にご案内します」と俺が言うと、男がちらりとこちらを見た。人間がいることに少し驚いた顔をした。


 後で調べたらバルクという名前だった。人間国家の兵站担当らしい。


◆◆◆


 その夜、食事の場で使者団の様子を見た。


 城の飯は変わっている。グルバッシュが腕を上げたし、食材の質も上がった。


 使者団の一人が「……うまい」と小声で言った。隣の者がうなずいた。別の者が「魔王城でこんなものが食えるとは」と言った。想定と違った、という顔だった。


 魔王城に来て飯がうまかった。それだけで、相手の想定が一つ崩れる。


 バルクは食べながら周囲を観察していた。食器の数、配膳の段取り、食材の量。俺がやっているのと同じことをしていた。


 目が合った。バルクが少し目を細めた。俺も目を細めた。


 お互い、同じことをしていると気づいた。


◆◆◆


 翌日の交渉は午前中から始まった。


 魔王側はダグルと俺。人間国家側は使者の代表とバルク、書記が二人。


 代表が口を開いた。声が大きく、自信に満ちていた。


 「魔王軍の現状は把握している。兵士の体力は低く、武器の三割が使用不能、薬の備蓄も心もとない。このまま戦えば、貴軍に勝ち目はない」


 ダグルの表情がわずかに動いた。俺は動かなかった。


 「それはいつ時点の情報ですか」


 代表が少し止まった。「……三ヶ月前の——」


 「三ヶ月前と今では、全部変わっています」


 俺は資料を出した。


 現在の兵士の体力測定結果——平均体力は三ヶ月前比で十八パーセント向上。武器庫の整備状況——使用可能な武器の割合は九十六パーセント。矢の在庫——三ヶ月前の二十倍。薬草の備蓄量——六ヶ月分。食料在庫——同じく六ヶ月分。


 全部数字で並んでいる。


 バルクが資料を受け取った。目を通し始めた。その表情が、ページをめくるたびに少しずつ変わっていった。


 代表は続けた。「それは作られた数字かもしれない」


 「検証方法をご提案できます。城内の視察を受け入れます。見ていただければ分かります」


 代表が黙った。想定していない返答だったらしい。


 バルクがページをめくる手を止めた。矢の生産数のページだった。そのまましばらく動かなかった。


 「……矢がこれだけある」とバルクが小声で言った。独り言のようだった。「三ヶ月でこの量を——」


 代表が「バルク」と咳払いした。バルクが口を閉じた。


◆◆◆


 休憩の時間に、バルクが近づいてきた。


 「……この数字、あなたが出したんですか」


 「そうですが」


 「三ヶ月でここまで変えた」


 「やることをやっただけです」


 バルクが資料をもう一度見た。


 「食材費の削減が三割。兵士の体力が二割向上。矢の日産が八倍。薬草の備蓄が三倍——」


 バルクが資料から目を上げた。


 「……我が国の兵站部門は、三年かけてもここまでできていない」


 「そうですか」


 「褒めているんですが」


 「ありがとうございます」


 バルクが少し間を置いた。


 「なぜ見せたんですか。資料を。普通は隠すはずだ」


 「古い情報で来られても困るので」


 バルクが俺を見た。


 「……こちらの前提を崩すために」


 「戦になる前に、正確な情報で判断してほしかったので」


 バルクがしばらく黙った。それから静かに言った。「……賢いやり方だ」


 「当たり前のことをしただけです」


 「あなた、本当に台所番上がりなんですか」


 「元台所番です。今は物資担当をしています」


 バルクが少し笑った。悔しそうな、でも認めざるを得ないという顔だった。


 「……個人的に聞きますが、うちの国に来る気はありませんか。破格の条件を出します」


 「仕事が途中なので」


 「途中、というのは」


 「まだ終わっていないので」


 バルクが「……そうですか」と言って、資料を返した。


◆◆◆


 午後の交渉で、代表が条件を出してきた。


 「魔王軍の食料備蓄の三割を譲渡せよ。それが和平の条件だ」


 俺はその場で計算した。


 「現在の備蓄の三割を渡すと、残りは冬を越せない量になります。それを知った上での要求ですか」


 代表が「……」と黙った。


 「もし計算が違うなら、根拠となる数字を見せてください。照合します」


 代表が数字を持っていなかった。書記が何か書類を探したが、出てこなかった。


 バルクが代表の耳元で何か言った。代表が頷いて、少し間を置いてから「……持ち帰って検討する」と言った。


 その日の交渉はそこで終わった。


◆◆◆


 夕方、使者団が城を出る準備をしていた。


 持ち帰って検討する、と代表は言った。でも俺には分かっていた。これは決裂だ。向こうが求めているのは数字の照合ではなく、服従の意思表示だった。それをこちらは出さなかった。


 ただ、資料を見たバルクは正確に状況を持ち帰る。向こうの上層部は「想定より強い」と判断し直す必要が出てくる。少し時間が稼げる。


 バルクが俺のそばに来た。小声で言った。


 「……次に会う時は、敵として会うことになる」


 「そうなるかもしれませんね」


 「後悔しませんか。うちに来れば戦わずに済んだのに」


 「仕事が途中なので、後悔はしません」


 バルクが少し笑った。悔しそうで、でもどこか清々しい笑い方だった。


 「……あなたみたいな人間が向こうにいるとは、思わなかった」


 「よく言われます」


 「……いや、そういう意味じゃない」


 バルクがこちらを見た。交渉の場での目ではなく、個人としての目だった。


 「あなたが向こうにいなければ、もっと楽な戦になったと思っています。それだけです」


 バルクは馬に乗って、城門を出ていった。


 使者団が去った後、ダグルが俺の隣に立った。


 「……交渉は失敗だったか」


 「最初から交渉が目的ではなかったと思います。向こうはこちらの態度を確認しに来た」


 「資料を見せたことで、時間は稼げるか」


 「少しは。バルクという男は正確に報告する。上が作戦を見直す時間が必要になります」


 「……それだけか」


 「それだけです。戦は起きます」


 ダグルがしばらく黙った。「……戦が始まるな」


 「はい」


 「お前は怖くないのか。本当に」


 「怖いかどうかより、やることがあるので」


 ダグルが短く笑った。「同じことを二度言うな」


 「よく言われます」


◆◆◆


 その夜、部屋に戻って手帳を開いた。


 交渉は決裂した。戦が起きる。向こうは三ヶ月以内に動いてくる。備蓄は六ヶ月分ある。補給ルートは三本引いた。矢の生産は軌道に乗った。


 準備は間に合う。


 バルクの言葉が頭に残っていた。「あなたが向こうにいなければ、もっと楽な戦になった」。


 向こうにも数字で動く人間がいる。補給の弱点を分かっている人間がいる。それが今日分かった。


 そしてその人間が、「我が国の兵站部門は三年かけてもここまでできていない」と言った。


 俺がやってきたことは、間違っていなかった。


 やることが一つ増えた。俺が整えてきた仕組みの、どこを突いてくるかを想定しておくことだ。


 自分が攻めるとしたら、どこを狙うか。


 手帳に書き始めた。

読んでいただきありがとうございます。

「それはいつ時点の情報ですか」——古い情報で来た使者が黙る瞬間、

誠一がずっと積み上げてきたものが一気に報われます。

資料をあえて見せたのは弱みを晒したのではなく、

「相手の前提を崩して時間を稼ぐ」という計算でした。

この時間稼ぎが実際に機能することは、次の話で明らかになります。

なお、誠一が馬の状態を観察していたことも、

ただの癖ではありませんでした。


▼次話

「戦の準備をしていたら、俺のやり方が気に食わない幹部が現れました。」

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