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第五話 働きすぎて倒れたら、城が止まりかけました

 気がついたら、三時間しか寝ていない日が一週間続いていた。


 朝、起きようとしたら体が動かなかった。


 天井を見上げた。石造りの天井だ。異世界に来てからずっとこの天井を見てきた。今日もそれを見ているが、いつもと違うのは起き上がれないという点だ。


 腕に力を込めた。入らなかった。


 「……そうか」


 俺は静かに目を閉じた。


 前の会社でも似たようなことがあった。


 納期直前の繁忙期、三日間で四時間しか寝られなかった時期があった。あの時は気合で乗り切った。若かったし、仕事が終わるという見通しもあった。でも魔王城に来てからの仕事には終わりがない。片付けても片付けても、次の問題が出てくる。


 それが悪くないと思っていた。改善できることが次々と見つかるということだから。


 でも体は正直だった。


 城に来てから一ヶ月と少し。食材費の削減、武器庫の整備、兵士の食事改善、薬庫の棚卸し——それぞれに解決策を作って、仕組みを整えて、次の問題に移ってきた。ただ問題は、全部の仕組みを「俺が動かしている」という点だった。


 食材の発注は俺が確認する。武器の調達スケジュールは俺が管理する。薬草の在庫は俺が把握する。輸送の手配は俺が段取りをつける。


 各部署は「村田に聞けば解決する」という状態になっていた。それを俺は「任されている」と思っていた。でも今から考えれば、ただ「全部自分でやっている」だけだった。


 朝、扉が開いた。


 「村田さん、今日の食材発注の——」


 ゲルが部屋に入ってきて、固まった。


 「……村田さん?」


 「倒れています」


 「見れば分かりますよ!?」


◆◆◆


 しばらくしてリリスが来た。


 ゲルが呼びに行ったらしい。リリスは部屋に入るなり俺の脈を取り、顔色を確認し、額に手を当てた。所作が的確で無駄がない。


 「熱はない。過労ね」


 「そうみたいです」


 「いつから」


 「今朝から動けないので、今日からだと思います」


 「倒れるまでの話を聞いているの」


 リリスが薬庫に戻ると言って出ていった。十分ほどで戻ってきて、薬を持っていた。苦そうな色をした液体だ。


 「飲みなさい」


 「仕事が——」


 「飲みなさい」


 二度目は命令口調だった。俺は黙って飲んだ。予想通り苦かった。


 リリスが椅子を引いて、俺の傍らに座った。薬の調合でもするのかと思ったら、ただ黙って俺の顔を見ていた。


 「……なんですか」


 「経過を見ている。薬師の仕事よ」


 「そうですか」


 しばらく沈黙があった。リリスが静かに口を開いた。


 「あなた、全部自分でやろうとしすぎ」


 「……そうですか」


 「記録を見れば分かる。全部の部署の台帳に、あなたの字がある。食材、武器、薬、輸送——城全体の物資を一人で回してる」


 「……任されているので」


 「任されているのと、一人でやるのは違う」


 俺は何も言わなかった。言い返せなかった。


 「あなたがいなくなったら、この城はどうなるの」


 その問いに、俺は答えられなかった。それが答えだということを、二人とも分かっていた。


 「飲み終わったら寝なさい。今日は動かないこと」


 リリスが立ち上がりかけて、少し躊躇した。それから、珍しく自分から付け加えた。


 「……また夕方に来る。薬を変える必要があるかもしれないから」


 「ありがとうございます」


 「礼はいい。薬師の仕事だから」


 扉が閉まった。


 その日、城内がどうなったか、後でゲルから聞いた。


 午前中、厨房のグルバッシュが食材の追加発注をしようとして止まった。発注書をどこに出せばいいか分からなかった。いつも誠一が窓口になっていたからだ。ダグルに聞くと「俺に聞くな」と言われた。ダグルも分からなかった。


 昼前、武器の点検で不具合が見つかった。修理に出すかどうかの判断を、担当の兵士が誰に仰げばいいか分からなかった。「村田に聞け」という声が上がったが、村田は倒れている。そのまま保留になった。


 午後、リリスが薬草の追加栽培のスケジュールを確認しようとして気づいた。栽培区画の管理表は誠一が持っていた。どこにあるか分からなかった。


 夕方、ダグルが「今日一日で何件の問題が保留になったか」を集計した。十七件だった。


 ゲルが教えてくれた時、俺はしばらく黙っていた。


 「……一日で十七件」


 「そうっすよ。みんな村田さんに聞こうとして、いないから止まったんっす」


 「俺に聞かないと動けない、ということか」


 「そういうことっすね」


 「……それは、仕組みがないということだ」


 ゲルが「そうなんですか?」という顔をした。俺は天井を見た。


 倒れるまで気づかなかった。一人でやることが、いつの間にか「仕組みがない」ことの隠れ蓑になっていた。俺がいる間は問題が表に出ない。でも俺がいなくなった瞬間に、城が機能しなくなる。


 それは仕組みじゃない。ただの属人化だ。


 前の会社でも同じことがあった。優秀な担当者が一人いて、何でも知っていて、何でも決められた。でもその人が辞めた瞬間に部署が機能しなくなった。「あの人がいないとダメだ」と言われることを、周囲は褒め言葉だと思っていた。でも実際は「仕組みがないことの証明」だった。


 俺は同じことをやっていた。


◆◆◆


 夜、魔王が部屋を訪れた。


 「なぜ倒れた」


 「働きすぎました」


 「なぜ報告しなかった」


 「仕事が終わらなかったので」


 魔王がしばらく俺を見た。


 「城が一日で十七件の問題を保留にした」


 「聞きました」


 「なぜそうなった」


 「俺が全部抱えていたからです。俺に聞けば解決するという状態を作ってしまった。それは仕組みではなかった」


 魔王が何も言わなかった。


 「……申し訳ありません。治ったら直します」


 「直すとはどういうことだ」


 「俺がいなくても城が回る仕組みを作ります。誰が何を決めていいか、どこまでが現場の判断でどこからが報告が必要か、在庫がどのラインを下回ったら誰が動くか——全部文書にします」


 「それで解決するのか」


 「数字の上では解決します。あとはやってみないと分かりませんが」


 魔王がしばらく俺を見ていた。それから静かに言った。


 「休め。それは命令だ」


 「わかりました」


 魔王が部屋を出る直前に、一言付け加えた。


 「治ったら、同じことを繰り返すな」


 扉が閉まった。


 俺は天井を見た。


 まあ、怒られて当然だ。


◆◆◆


 三日寝たら、動けるようになった。


 リリスが毎日来て薬を替えた。無駄話はしなかった。薬を渡して、脈を取って、「まだ寝ていなさい」と言って帰った。三日目に「明日からは動いていい」と言った。それだけだった。


 「ありがとうございました」と俺が言うと、「薬師の仕事だから」と返ってきた。でも四日間、毎日来ていた。薬師の仕事の範囲がどこまでなのかは聞かなかった。


 起き上がって、まずゲルに「一日で保留になった十七件の詳細を全部教えてくれ」と頼んだ。ゲルが「え、いきなり仕事ですか」と言った。「仕事じゃなくて調査です」と答えた。「どう違うんですか」「違います」。


 ゲルが記録を持ってきた。十七件の問題を一件ずつ読んだ。


 食材の追加発注。武器の修理判断。薬草栽培のスケジュール確認。輸送ルートの変更。兵士の装備の払い出し。厨房の燃料補充。——全部、「誰に聞けばいいか分からなかった」という理由で止まっていた。


 決め方が分からなかったのではない。「誰が決めていいか」が分からなかった。


 これが問題の本質だった。


◆◆◆


 俺は三つの仕組みを作ることにした。


 まず紙と羽ペンを用意して、各部署の担当者を呼んだ。グルバッシュ、リリス、武器担当の副官、輸送担当の兵士。全員が同じ部屋に集まるのは初めてだった。グルバッシュとリリスが顔を合わせて「……お前とは初めて話すな」「私もよ」という会話をしていた。


 「今日は三つのことを決めます」と俺が言った。「一つ目は意思決定の基準。二つ目は在庫の警戒ライン。三つ目は情報共有の仕組みです」


 ダグルが「……それを決めると何が変わる」と聞いた。


 「俺に聞かなくても動けるようになります」


 部屋が少し静かになった。


 「誰が何を決めていいか」を文書にした。三段階に分けた。現場が即時に決めていいこと、補佐官への報告が必要なこと、魔王への上申が必要なこと。この三段階を全品目・全業務について書き出した。


 グルバッシュが「……俺が発注を決めていいのか」と言った。


 「グルバッシュさんが一番食材を知っているので」


 グルバッシュがしばらく黙った。それから「……わかった」と言った。厨房の主として権限を与えられた、という顔だった。


 ダグルが「これだけ細かく決めると、現場が動きにくくなるのではないか」と言った。


 「逆です。決まっていることは現場が動きやすくなります。決まっていないことだけが詰まるんです。今まで詰まっていたのは、決まっていなかったからです」


 ダグルが腕を組んで文書を見た。何か言いたそうだったが、「……わかった」と言った。


 次に「残りがいくつになったら、誰が何をするか」を全品目について決めた。三段階のラインを設けた。グリーン(通常)は現状維持。イエロー(警戒)は発注準備・補佐官に報告。レッド(危機)は即時発注・魔王報告。各品目のラインは、月の平均消費量と調達にかかる日数から逆算した。


 リリスが数字を確認しながら「……以前、赤苔草で見落としたのと同じパターンね」と小さく言った。


 「あの時は仕組みがなかったから見落とした。仕組みがあれば見落とさなくなります」


 「……じゃあ私が薬庫にも同じものを作りたい」


 「一緒に作りましょう」


 リリスが「自分から言うのは初めてね、こういうこと」と小声で言った。俺には聞こえたが、聞こえなかったふりをした。


 三つ目は「月に一度、各部署の担当者が集まって数字を共有する場」だ。部署間で情報が流れていなかったことが、これまでの問題の根本原因だった。定期的に情報を共有すれば、部署をまたいだ変化に気づける。


 「書記を誰かに頼みたいんですが」と俺が言った。


 「俺っすか」とゲルが言った。


 「字が読める人間が必要なので」


 「読めますよ! 書けますよ!」


 「では頼みます」


 ゲルが少し誇らしそうな顔をした。「書記かぁ。なんかかっこいいっすね」「かっこよくはないです」「かっこいいっすよ!」。


 翌日の会議は、最初の十分間が沈黙だった。グルバッシュとリリスが同じ部屋にいる。武器担当の副官は「なぜ俺がここにいるんだ」という顔をしている。輸送担当は緊張で固まっている。


 「では始めます。各部署から在庫の現状を報告してください」と俺が言った。


 グルバッシュが「……食材は問題ない。ただ来月は祭りがあると聞いた。消費量が増えるかもしれん」と言った。


 輸送担当が「祭りなら城下への輸送も増えます。ルートが重複すると遅れが出ます」と言った。


 リリスが「祭りで人が集まると、怪我が増える。薬の消費も上がるわ」と言った。


 武器担当の副官が「警備も増やすなら、装備の点検を前倒しにした方がいい」と言った。


 四つの部署が「祭り」という一つの情報から、それぞれの影響を話した。今まで部署ごとに別々に動いていたことが、同じ部屋に集まることで繋がった。


 会議が終わった後、ダグルが俺のそばに来た。


 「……最後は全員が話していたな」


 「議題が明確で、発言する順番が決まっていれば、誰でも話せます。話す場所と話す理由があれば、人は話すので」


 ダグルが「……そういうものか」と言った。


◆◆◆


 三つの仕組みを作ってから一週間後、俺は問い合わせの件数を数えた。


 倒れる前:一日平均二十八件。仕組み導入後:一日平均七件。


 七割以上減った。


 残りの七件が「本当に補佐官の判断が必要な案件」だった。それ以外は、現場が自分で動いていた。グルバッシュが自分で発注した。リリスが警戒ラインを確認して自分で補充の手配をした。武器担当が修理判断を基準表に照らして自分で決めた。ゲルが会議の記録を整理して、全員に配った。


 「……七割削減、ほぼ試算通りだ」


 「村田さん、なんか嬉しそうっすね」とゲルが言った。


 「そうですか」


 「そうっすよ。あんまり表情変えないじゃないですか、村田さん。でも今ちょっと違う顔してます」


 俺は自分の顔が少し緩んでいることに気づいた。


 問題を解決することが仕事だと思っていた。でも本当にやりたかったのはこれだ。俺がいなくても回る城。俺が全部決めなくていい組織。俺じゃなければできないことだけを、俺がやる。


 前の会社でできなかったことだ。仕組みを作る前に次の問題が来て、また自分で解決して、気づいたら全部抱えていた。そのまま死んだ。


 同じことを繰り返すな、と魔王が言った。


 繰り返さなかった、と思う。


 まあ、悪くない仕事だ。

読んでいただきありがとうございます。

「俺がいないとダメだ」は褒め言葉じゃない——社畜だった誠一が、異世界でも同じ失敗をしかけました。

倒れて初めて気づいた「属人化」の問題。三つの仕組みで、城が少しずつ自分で動き始めます。

リリスが四日間、毎日来ていたことには、とくに触れないでおきます。


▼次話

「魔王様に、戦の準備をしろと言われました。」

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