第四話 薬の在庫を確認したら、三ヶ月後に底をつく計算が出てきました
「明日来なさい」とリリスに言われた翌朝、俺は薬庫の前に立っていた。
リリスがすでに待っていた。腕を組んで、「遅い」という顔をしている。
「時間通りです」
「私が早かっただけ」
そういうことにしておく。
薬庫の扉が開いた。思ったより広い部屋だった。棚がずらりと並んで、色とりどりの瓶や乾燥した薬草の束が並んでいる。見た目は整っている。リリスが几帳面な性格なのがよくわかった。
ただ、管理表がない。
「在庫の記録はありますか」
「頭の中に入ってる」
「……それを紙に出してもらえますか」
リリスが「はあ」という顔をして、羊皮紙に書き始めた。薬品名と数量を次々と書いていく。迷わずすらすら書けた。記憶力は確かに本物だ。
「全部把握してるんですね」
「当然でしょ。私の管轄だもの」
そういう言い方をする人間は、前の会社にもいた。全部頭に入っている。だから記録をつけない。そしてある日、「頭の中」にない情報に足をすくわれる。優秀な人間ほど、その落とし穴にはまりやすい。
俺はリリスが書いた記録を受け取って、棚と照合し始めた。リリスは最初「何をそんなに丁寧に」という顔をしていたが、俺が黙々と棚の瓶を数えていると、途中から黙って見ていた。
◆◆◆
一時間かけて棚卸しを終えた。
数量はほぼ合っていた。「頭の中に入っている」は本当だった。ただ問題は別のところにあった。
「赤苔草の在庫、いくつありますか」
「三十束。回復薬の主原料ね」
「一ヶ月の消費量は」
「六束よ。在庫は三十束あるから、五ヶ月は余裕」
俺は少し止まった。
「六束、というのはいつ頃の数字ですか」
「……ずっとそのくらいだけど」
「兵士の訓練量が最近増えましたよね。それに伴って怪我も増えているはずです。回復薬の消費量は変わっていませんか」
「……」
リリスが黙った。
「城の訓練記録を見ると、三ヶ月前から訓練時間が一・五倍に増えています。怪我の処置件数も同じ時期から増えているはずです」
リリスが棚の一角に歩いていって、古い記録用紙を引っ張り出した。しばらく目を通した。
「……最近は、十束くらいになってた」
「六束ではなく十束なら、在庫は三ヶ月で底をつきます。赤苔草の生育期間はどのくらいですか」
「……四ヶ月」
リリスの手が止まった。
自分で計算しているのがわかった。三ヶ月で底をつく。生育に四ヶ月かかる。一ヶ月足りない。
「……気づかなかった」
その声が、珍しく小さかった。
「在庫の数は正確に把握していた。でも消費量が変わっていたことは——」
「訓練が強化されたのを、誰かから聞いていましたか」
リリスが少し間を置いた。
「……聞いていなかった」
そういうことか、と俺は思った。
在庫の管理は完璧だった。でも消費量の変化は、城内の動きを知っていなければわからない。訓練が増えた、怪我が増えた——そういう情報は、誰かと話していれば自然に入ってくる。リリスにはその回路がなかった。
完璧に管理していたのに、気づけなかった。それはリリスが優秀でないからじゃない。情報が来なかったからだ。
前の会社でも同じことがあった。
製造部門が新しい工程を導入した。生産効率が上がって、製造部門は社内表彰を受けた。でも誰も物流部門に知らせなかった。製造量が増えたことで物流の負荷が跳ね上がり、三ヶ月後に配送が破綻した。原因を調べたら「製造が変わったことを知らなかった」というだけだった。責任者を責める声もあったが、俺にはそうは思えなかった。知らせる仕組みがなかっただけだ。悪意も怠慢もない。ただ、壁があった。
魔王軍も同じだ。
武器庫は武器庫、薬庫は薬庫、厨房は厨房——それぞれが自分の管轄だけを完璧に管理している。でも訓練が増えれば怪我が増えて薬の消費量が変わる。食事が変われば体力が変わって訓練の質が変わる。全部つながっているのに、それを横断的に見る仕組みが誰にもない。
縦割りのまま動いていれば、今回のように「誰も悪くないのに問題が起きる」という状態になる。リリスは薬庫を完璧に管理していた。訓練担当は訓練を真剣にやっていた。でも二つの部署の間で情報が流れていなかった。それだけで、三ヶ月後に回復薬が底をつく未来が生まれていた。
仕組みを作らないといけない。
「リリスさん」
「何」
「薬の消費量が変わった時、誰かに報告する仕組みはありましたか」
「……なかった。自分の管轄だから、自分で管理するものだと思ってた」
「今後は月に一度、俺に数字を共有してもらえますか。こちらからも城内の動き——訓練の変化や兵士の状況——をお伝えします」
リリスがしばらく俺を見た。
「……それが、さっき言ってた仕組み、というやつ?」
「小さいものですが、始まりとして」
「わかった」
「代替品はありますか」
「青葉草。効果は八割程度落ちるけど、回復薬は作れる。在庫は五十束ある」
「魔法で植物の成長を早めることはできますか」
「できる。二ヶ月半くらいには縮められる」
「では城内で栽培して、魔法で促進すれば三ヶ月以内に収穫できます。その間は青葉草で代替しながら赤苔草の追加調達を並行して進める。計算上は間に合います」
リリスがじっと俺を見た。
「……一時間棚卸しをしただけで、なんでそこまで出てくるの」
「数字を見れば大体見えてくるので」
「魔法も使わずに?」
「使えないので」
リリスがまた黙った。何か言いたそうだったが、言葉が出てこないようだった。窓の外を見て、少し考えてから口を開いた。
「……私、十年この仕事をしてる。誰にも指摘されなかった」
「今まで在庫を確認しに来る人間がいなかっただけだと思います」
「あなたが初めて来た」
「魔王陛下から物資全般を任されています。薬も物資なので」
リリスが小さく鼻を鳴らした。
◆◆◆
翌日から動いた。
城の北側に栽培区画を確保して、赤苔草の種を緊急調達した。リリスに魔法での成長促進を依頼すると「わかった」と短く言って来てくれた。
「他の魔法使いも必要ね。一人じゃ広さが足りない」
「何人いれば大丈夫ですか」
「三人。でも……」
リリスが少し躊躇した。
「でも?」
「私、あまり他の魔法使いと話さないから」
意外な言葉だった。思わずリリスを見た。
「……なんで見るの」
「いえ、意外だったので」
「別に孤立してるわけじゃない。ただ、用がない時に話しかけるのが得意じゃないだけ」
なるほど。完璧にこなすから周囲から頼まれることもない。頼まれないから接点が生まれない。そういう人間がいる。
「俺が話しかけます。リリスさんは技術的な説明だけしてくれれば大丈夫です」
「……それでいいの」
「俺の仕事は段取りなので」
リリスがまた黙った。今度は少し違う顔だった。
他の魔法使い二人に声をかけた。最初は渋い顔をされた。「なぜ人間に頼まれなければならない」という雰囲気だ。
「リリスさんが技術監修をしてくれます。城の薬草が安定供給できれば、あなたたちが怪我をした時にも回復薬が切れません。一人三日、合計六日間の作業です。日程はご都合に合わせます」
数字と相手のメリットを出したら、二人とも折れた。
リリスが小声で言った。「……交渉、上手いのね」
「説得ではなく、事実を並べただけです」
「それを交渉と言うのよ」
◆◆◆
区画に赤苔草の種が植えられた。三人の魔法使いが魔法をかけた。リリスが指示を出す姿は、さすがに慣れていた。的確で無駄がない。
「二ヶ月と少しで収穫できるわ」
「ありがとうございます。助かります」
「……礼はいい」
作業が終わって、他の魔法使いたちが去った。リリスが一人、栽培区画を見ていた。
「どうかしましたか」
「別に」
でも動かなかった。
「……やれば、できるのね」
「何がですか」
「こういう、みんなで何かをやること」
俺は少し考えてから、正直に言った。
「リリスさんが技術的に信頼されているから、他の二人も動いてくれたんだと思います。俺が一人で頼みに行っても、断られていたと思います」
リリスが振り返った。
「……お世辞は嫌いよ」
「事実を言っています」
リリスがしばらく俺を見た。それから小さく「そう」とだけ言って、歩いていった。
その背中が、来た時より少し軽そうだった気がした。
◆◆◆
夜、部屋に戻ろうとしたら、廊下でリリスと鉢合わせした。
「在庫の件、次から定期的に報告する」
「助かります。月に一度でいいので」
「わかった」
それだけ言って歩いていった。
自分から動く気になった、ということだ。それがわかって俺は少し安心した。組織というのは、仕組みを作った後に人が動き始めることが一番重要だ。
部屋に入って、手帳を開いた。
赤苔草の栽培計画、青葉草の在庫管理、定期報告の仕組み。今日だけでやることが三つ増えた。問題が次々と出てくる。でもそれはつまり、改善できることが次々と見つかるということでもある。
まあ、悪くない仕事だ。
城に来てから一ヶ月と少し。気がついたら、三時間しか寝ていない日が続いていた。
読んでいただきありがとうございます。
完璧な管理でも、情報が届かなければ気づけない。縦割り組織の壁を、誠一が数字と仕組みで少しずつ崩していきます。
リリスとの関係も、少しだけ変わってきました。
▼次話
「気がついたら、三時間しか寝ていない日が一週間続いていた。」




