第三話 兵士がなぜ弱いか、飯を見れば全部わかりました
魔王軍最強と言われるオーク兵が、訓練開始から四十分でへたれた。
膝に手をついて肩で息をしている。剣を振る腕が上がらなくなっている。体格は申し分ない。骨格も筋肉の付き方も、戦士として優れている。なのになぜ、四十分でこうなるのか。
理由はすぐわかった。飯だ。
訓練場に来たのは、昨日の魔王との会話がきっかけだった。
「武器庫の件は片付いたか」
「はい。台帳の整備と在庫の仕組みを作りました」
「次は兵士だ」
「兵士、ですか」
「余の軍は弱い。強くしろ」
短い命令だった。武器の調達予算でも食材費でもなく、兵士そのものを強くしろという話だ。どこから手をつけるか考えながら、とりあえず訓練場に来てみた。
現場を見ないことには何もわからない。それは前の会社でも同じだった。
◆◆◆
一時間、訓練を見た。
訓練の内容は悪くない。剣の素振り、組み手、走り込み、重い石を使った筋力トレーニング。メニューは揃っている。指揮している副官も声は大きく、熱意もある。
ただ、兵士たちの動きが鈍い。
体格と動きが噛み合っていない。骨格はいいのに、それを支える筋肉が追いついていない感じだ。大きな木の幹に、細い枝が生えているような、アンバランスさがある。それが四十分でへたれる原因だ。
「ダグルさん」
「なんだ」
訓練場の柵の外で腕を組んでいたダグルが、俺を見た。
「兵士たちの食事、詳しく教えてもらえますか。朝・昼・夕、それぞれ何を食べているか」
「……なんだ急に。朝はパンと粥。昼は根菜の煮物と黒パン。夕はその日の残り物が多い」
「肉は? 豆は?」
「めったに出ない。贅沢品だ」
「一週間でどのくらいの頻度ですか」
「……せいぜい二、三回か。それも少量だ」
俺は手帳に書いてきた数字を確認した。厨房の台帳から計算した、兵士一人あたりの一日のタンパク質摂取量の推計値だ。
「これが体力が上がらない原因です」
「何?」
「筋肉を作るにはタンパク質という栄養素が必要です。今の食事だと、必要量の三分の一程度しか摂れていない計算になります」
「……三分の一」
「訓練で筋肉を動かすと、筋繊維が細かく傷つきます。それを修復して強くするのがタンパク質の仕事です。材料がなければ修復できない。だから翌日も疲労が残ったまま訓練することになる。それが毎日積み重なります」
「慢性的に疲れている、ということか」
「そうです。体を動かす燃料——炭水化物——はある。でも筋肉を修復して強くする建材——タンパク質——がない。家を建てようとしているのに、木材がない状態です。大工がいくら頑張っても、材料がなければ家は建たない」
ダグルがわずかに目を細めた。
「それが、四十分でへたれる理由か」
「やる気の問題じゃなくて、材料の問題です。逆に言えば、材料を与えれば体は自分で回復します。薬も魔法も要りません」
「……では、どうする」
「乾燥豆と骨付き肉を毎日の食事に加えます。豆は安くて保存が利く。骨付き肉は安い部位を長時間煮込めばスープになります。調達先を変えれば今の食材費のままでいけます。計算してきたので確認してください」
俺は試算表を渡した。食材費の内訳と、タンパク質食材を加えた場合の増分コスト。現状の食材費の一割増以内に収まる計算だ。
ダグルが黙って見た。
「……やってみろ」
◆◆◆
翌日、厨房のグルバッシュに相談した。
「豆と肉を毎日出したい。レシピを変えていいですか」
グルバッシュが眉を寄せた。「またお前か。今度は何だ」
「兵士の体力を上げたいので。こちらが根拠です」
試算表と、タンパク質と筋肉の関係をまとめた簡単な説明書を渡した。グルバッシュがしばらくそれを見た。
「……飯で体力が変わるのか」
「変わります。俺の前の職場は食品会社だったので、栄養については一通り学んでいます」
「……好きにしろ」
ダグルと同じ返事だった。なぜかこの城の人間は、数字を見せると「好きにしろ」と言う。それでいい。やりやすい。
翌週から、兵士の食事を変えた。
乾燥豆を大量に仕入れた。安くて保存が利いて、煮るだけで食べられる。朝と夜の食事に組み込んだ。肉は骨付きの安い部位を選んで、長時間煮込んでスープにした。骨からも旨みと栄養が出る。野菜も一緒に煮込んで、塩と香草で整える。
最初の三日間は、正直なところ評判が悪かった。
「なんだこれ、豆ばっかりじゃないか」
「肉は? 肉はないのか」
「こんなもので戦えるか」
食堂にそういう声が飛んだ。ゲルが申し訳なさそうな顔で俺のところに来た。「村田さん、なんかブーイングがすごいっすよ」
「三日待ってください」
「……三日で何か変わるんですか」
「変わります」
根拠はあった。タンパク質の効果が出始めるのは早くて数日だ。体が材料を得て、修復を始める。そうなれば感覚として「なんとなく体が軽い」という実感が出てくるはずだ。
四日目の朝、訓練場に顔を出した。
変化は小さかったが、あった。訓練開始から四十分が過ぎても、へたれる兵士の数が少し減っていた。全体の動きが、ほんのわずかにキレている。気のせいと言われればそうかもしれないレベルだ。でも俺には確信があった。方向性は合っている。
食堂の空気が変わったのは一週間後だった。
「なんか……最近体が楽な気がするんだが」
「俺も。訓練後の疲れが抜けるのが早い」
「飯が変わってからじゃないか?」
兵士たちが自分たちで気づき始めた。そうなると空気が変わるのは早い。「豆ばっかり」と言っていた連中が、お代わりをするようになった。食堂が少しにぎやかになった。
「村田さん、これうまいっすね」
ゲルが豆と肉のスープをお代わりしながら言った。
「よかった。豆はタンパク質が豊富なんですよ」
「なんか村田さんって、お母さんみたいっすね」
「三十五歳の独身男性にそれを言いますか」
ゲルが笑った。俺も少し笑った。
そして二週間後、数字が出た。
◆◆◆
魔王軍には定期的な体力測定がある。石を持ち上げたり距離を走ったりという原始的なものだが、数字として記録されていた。俺はその記録を借りて、食事変更前後を比較した。
走力:平均十二パーセント向上。
持久力(連続訓練可能時間):平均十八パーセント向上。
持ち上げられる重量:平均九パーセント向上。
全項目が上がっていた。
数字だけではなく、見た目の変化もあった。
副官のガッシュが俺のところに来て言った。「最近、組み手の質が上がっている。動きにキレが出てきた。同じ訓練をしているのに、二週間前と別の兵士みたいだ」
食堂にも変化があった。以前は飯を掻き込んで即座に出ていっていた兵士たちが、最近は食べ終わった後も残って話をしている。笑い声が聞こえるようになった。飯がうまくなると、食事の時間が楽しみになる。それが一日の気持ちの張りに繋がる。
ゲルも言っていた。「なんか訓練の雰囲気変わりましたよね。前は消化試合みたいな感じだったのに、最近みんなちょっとやる気あるっすよ」
飯で士気が変わる。食堂の改善が最も費用対効果の高い施策だと前の会社の研修で聞いた話を思い出した。あれは本当だった。
俺は集計表を持ってダグルのところへ行った。
「食事を変えてから二週間の測定結果です」
ダグルが表を受け取って、黙って見た。
十秒ほど経った。
「……やる気の問題じゃ、なかったか」
「なかったです」
ダグルはもう一度表を見た。また黙った。返す言葉がなさそうだった。
「魔王陛下にも報告しておきます」とだけ言って、俺は部屋を出た。
廊下でゲルが待っていた。
「どうでしたか」
「黙ってました」
「ダグル様が?」ゲルが目を丸くした。「あの人が黙るって……村田さん、すごいっすよ」
「数字が正しかっただけです」
◆◆◆
翌日、魔王に報告した。
集計表を差し出すと、魔王は黙って目を通した。いつもより長く、じっくりと見ていた。
「魔法も薬も使わずに、か」
「使うお金もないですし、そもそも魔法は使えないので」
「貴様は、戦わずに軍を強くするつもりか」
「強くなった方が後々楽になります。戦って勝つより、戦う前から強い方がいい」
魔王が表から目を上げた。
「余の軍が弱い理由は、飯だけだと思うか」
少し意外な問いだった。
「……今のところ確認できている原因は食事です。ただ」
「ただ、何だ」
「武器庫の件もそうでしたが、長い間戦がないと、組織全体が緩む傾向があります。飯以外にも緩んでいる部分がある可能性は高いと思います」
魔王が静かに言った。
「……そう遠くない将来、戦が起きる」
俺は少し固まった。
「……そうなんですか」
「余が望まなくとも、向こうが仕掛けてくる。人間どもは、平和が続くと必ず欲をかく」
「……どのくらいの話ですか」
「わからん。だが、備えていなければ間に合わない」
魔王の声に、苛立ちではなく静かな焦りのようなものがあった。強大な魔王が「間に合わない」という言葉を使った。それが妙に引っかかった。
「……それで、強くしろと」
「余が十年かけてできなかったことを、貴様は三日でやった。飯で兵士を強くした。次は何ができる」
「在庫の無駄をなくして、調達を整えて、仕組みを作れば——軍の維持コストを下げながら、実際の戦力は上げられると思います。ただし時間が必要です」
「どのくらいだ」
「全体を見直すなら、半年から一年」
魔王がしばらく黙った。
「……急げ」
「わかりました」
魔王がもう一度表を見た。その目が細くなった。
「面白い」
二度目の「面白い」だった。
一度目は飯を改善した時。二度目は今。ただ今回は、最初の時とは少し違う重みがあった気がした。
城に戻りながら、俺は「そう遠くない将来」という言葉を頭の中で繰り返していた。戦が起きる。魔王がそう言った。
俺は台所番だ。戦えない。武器も使えない。魔法も使えない。
でもやれることはある。その時までに、城の仕組みを整える。それだけだ。
城内でも噂が広がり始めていた。台所番上がりの人間が、魔法も武力も使わずに数字だけで軍を変えている、と。
◆◆◆
その夜、リリスが部屋に来た。
銀髪に赤い目の魔法使いで、薬の管理をしている。普段は「話しかけるな」という雰囲気を全身から発しているのだが、今日は自分から訪ねてきた。
「一つ聞いていい」
「はい」
「兵士の体力が上がったって本当?」
「本当です」
集計表のコピーを渡した。リリスが目を通した。
「……食事を変えただけで、こんなに変わるの」
「材料が足りていなかっただけなので。材料を与えれば体は勝手に回復します」
「回復薬より効果が出てる項目もあるじゃない」
「回復薬は怪我や病気に使うもので、日常的な体力向上には食事の方が効率がいいと思います」
リリスがしばらく集計表を見ていた。
「……あなた、栄養のこと、どこで覚えたの」
「前の職場の研修で。食品会社だったので」
「人間って、そういうことも体系的に学ぶんだ」
純粋に驚いているような声だった。魔法の理論は学んでも、栄養学は触れたことがなかったのかもしれない。
「一つ提案があるんですが」
「何」
「薬の在庫を確認させてもらえますか。棚卸しをしたいので」
リリスの目が細くなった。
「……なんで薬まで口出しするの」
「魔王陛下から物資全般を任されています。薬も物資なので」
「私の管轄なんだけど」
「確認するだけです。問題があれば一緒に考えますし、なければそれで終わりです」
リリスはしばらく俺を見ていた。それから「明日来なさい」と言って部屋を出ていった。
扉が閉まった。
俺は手帳に「薬の棚卸し」と書き込んだ。問題が次々と出てくる。でもそれはつまり、改善できることが次々と見つかるということでもある。
まあ、悪くない仕事だ。
読んでいただきありがとうございます。リリスが準レギュラーとして登場します。次話からよく出てきます。
▼次話
「薬の在庫を確認したら、三ヶ月後に底をつく計算が出てきた。」




