第二話 武器庫の在庫を数えたら、錆びた剣が三百本ありました
帳簿の最後の記入日が、三年前だった。
「……ダグルさん」
「な、なんだ」
「これ、三年前で止まってますね」
「ま、まあ……記録というのは、概ね把握できていれば問題ない」
魔王直轄補佐になって最初の朝、俺は武器庫の前でこの帳簿を受け取っていた。ダグル——魔王の側近幹部で、角が細くて目つきが鋭い——が微妙な顔をしている。昨日まで「台所番ごとき」と思っていた顔が、今日は何とも言えない表情になっていた。
概ね把握、か。
前の会社でも同じことを言う人間がいた。そういう人間の管理している棚卸しは、だいたい大問題だった。例外を見たことがない。
「全部出します」
「は?」
「武器を全部倉庫の外に出して、種類別に並べて、状態を確認しながら数えます。半日かかるので、手伝いを何人かお願いできますか」
ダグルがぽかんとした顔をした。「……全部、出すのか」
「全部出さないと正確な数がわからないので」
「だから概ね把握で——」
「概ねだと困る場面が必ず来るので」
ダグルはしばらく俺を見た。何か言いたそうだったが、結局「……好きにしろ」と言って兵士を四人呼んできた。
ゲルも駆り出された。
「え、俺もですか」
「人手が要るので」
「……村田さんと組むと、なぜかいつも重労働になるんですよね」
「気のせいです」
「気のせいじゃないっすよ絶対」
◆◆◆
武器庫の扉を開けた瞬間、かび臭い空気が押し寄せてきた。
縦横二十メートルの石造りの倉庫に、剣・槍・盾・弓が雑然と積み上げられている。分類なし、配置に法則なし、通路は荷物で塞がれている。端の方には何かの布がかぶせてあって、中身すら見えない。
「まずあの布をどけましょう」
布をどかすと、旧式の剣が束になって積まれていた。柄のデザインが古い。刃も薄い。ゲルが首をかしげた。
「これ……かなり古いやつじゃないですか。今の軍で使ってる型と全然違う」
「何年前の型かわかりますか」
「うーん、俺がこの城に来た頃にはもう使われてなかったっすね。十年以上前かな」
十年以上前の旧式武器が、帳簿に記載もなく積んである。
俺は手帳に書き込んだ。
武器を一本ずつ運び出して、種類別に並べていく。作業しながら、ゲルが雑談をしてくれた。雑談の中に、わりと重要な情報が混じっていた。
「村田さん、武器庫の担当って知ってますか。ボルドたちっていう三人なんですけど」
「どんな人たちですか」
「んー、なんか飲み歩いてることで有名で。城下の酒場にしょっちゅういるらしいっすよ。夜とか週末とか関係なく。兵站担当なのに」
「給料がいいんですかね」
「いや、兵站担当の給料なんて普通っすよ。なんであんなに飲めるのかって、城内でもちょっと噂になってたくらいで」
俺は手帳にメモした。
「ガラも悪いんですよね。他の兵士から避けられてるっていうか……武器庫に近づくなって雰囲気があって、俺も近づかないようにしてたっすよ」
「誰も武器庫に近づかない」
「そうっすね。あいつらが怖いので」
なるほど、と俺は思った。
誰も近づかない。帳簿もつけない。そういう環境で何が起きるかは、だいたい想像がつく。
◆◆◆
六時間かけて全部並べ終わった。夕方になっていて、ゲルはへとへとの顔をしていた。
「村田さん、これ全部数えるんですか」
「数えます」
「……今日中に?」
「終わらせます」
ゲルが「うわあ」という顔をした。
俺は並べた武器を端から数えながら、記録用紙に書き込んでいった。数えながら、気になったことをメモしていった。
まず錆び方がおかしい。
新品として帳簿に記載されている剣のはずなのに、錆の入り方が均一でなく、刃の形が微妙にばらばらだ。同じ鍛冶師が作った同じロットの剣なら、もう少し統一感があるはずだ。これは最初から錆びていた、つまり最初から中古品だったのではないか。
次に、先ほどの旧式武器の束だ。帳簿に記載がない。存在しないことになっている武器が、実物として倉庫にある。
集計を終えた。
剣:四百十二本。うち錆びて使用不可:三百二本。
槍:百八十本。うち柄が折れている:六十一本。
盾:二百三十枚。うち革が腐食して使用不可:百十二枚。
弓:九十本。うち弦なし:七十三本。
俺は集計を終えて、静かに目眩がした。
使用可能な武器の数が、帳簿の記載数の三割以下だ。
◆◆◆
「ダグルさん」
夕暮れの武器庫前で、ダグルは腕を組んで俺を見ていた。俺は記録用紙を差し出した。
「帳簿には剣が四百十二本とありますが、実際に使用可能なのは百十本です」
「……そ、そうか」
「槍は百八十本の記載に対して、使えるのは百十九本。盾は二百三十枚に対して百十八枚。弓は九十本に対して十七本です」
数字を読み上げるたびに、ダグルの顔色が変わっていった。
「三百二本分の剣の予算は、どこに行ったんでしょうか」
俺は何も言わなかった。ただ記録用紙を手に持って、静かにダグルを見ていた。
前の会社で学んだことがある。こういう時、怒鳴る必要はない。感情的になる必要もない。数字が全部語ってくれる。俺はただそれを読み上げるだけでいい。
ダグルの額に、じわりと汗が浮いた。
「……調査する。調査して、報告する」
「お願いします。来週中にいただけると助かります。それと」
「なんだ」
「錆びた剣の錆の入り方が均一でなく、刃の形もロットごとにばらばらです。最初から中古品だった可能性があります。新品として計上されているなら、その分の差額も確認いただけますか」
ダグルが俺を見た。何か言いたそうだったが、ただ「……わかった」とだけ言った。
ゲルが小声で俺に近づいてきた。「村田さん……ダグル様、めちゃくちゃ怖い人ですよ? 三年前に部下を一人、地下牢に送ったって話で」
「そうなんですか」
「怖くないんですか」
「怖いかどうかより、帳簿が合わない方が気になります」
ゲルは「うわあ」という顔をした。「村田さんって、何考えてるかわかんないっすよ……」
「普通のことしか考えてないですよ」
ゲルが「それが一番怖い」とぼそりと言った。
◆◆◆
一週間後、ダグルに呼び出された。
部屋に入ると、ダグルの隣に見知らぬ三人の男が立っていた。全員、顔色が悪い。兵站担当のボルドたちだと、後からゲルに聞いた。城下の酒場で飲み歩いていると噂の、あの三人だ。
ダグルが俺に報告書を差し出した。
「調査の結果だ」
俺は受け取って内容を確認した。
横領の手口は単純だった。新品の武器を調達する予算で、中古品や状態の悪い武器を安く仕入れ、差額を懐に入れていた。城下の武器商人と結託して、帳簿上は新品として計上する。錆びた剣が「使用不可」になっても、魔王軍はここ十年以上大きな戦がない。実戦で使う機会がなければ、誰も武器の状態を確認しない。そこを狙っていた。
「三人で五年間、続けていたのか」
俺は報告書を読みながら言った。
「……そうだ」とダグルが答えた。
「戦がないからバレないと思った、ということですね」
三人のうちの一人——ボルドらしい、体格のいい男——が口を開いた。
「俺たちは……上の指示に従っただけで——」
「上の指示というのは、中古品を新品として計上しろということですか」
「そ、それは」
「誰の指示か、報告書に名前が出ていますか」
俺はダグルを見た。ダグルが首を振った。「三人の独断だ。上の関与は確認できなかった」
「わかりました」
俺は三人を見た。三人とも目を逸らした。
「確認させてください」と俺は言って、報告書に記載された月ごとの仕入れ金額と、武器台帳の数字を照合し始めた。その場で、黙って。
三人が居心地悪そうに立っている。
ボルドがまた口を開いた。
「……城下で少し飲んでいたのは認める。だがそれとこれとは——」
「城下の酒場での支出が、兵站担当の給料に対して不釣り合いだという指摘は、調査前から複数の兵士からあったようです。報告書の附属資料に記載があります」
ボルドが口をつぐんだ。
五分ほどかけて照合を終えた。数字は合っていた。
「確認しました。処分は魔王陛下に上申してください。俺の仕事は数字を出すことだけなので」
男が何か言いかけて、やめた。数字の前では、言い訳も感情論も意味をなさない。それをこの三人はこの瞬間に理解したんだと思う。
俺は報告書をダグルに返した。
「武器庫の台帳はこちらで整備します。今後はこの台帳と実物が合っているかを定期的に確認する仕組みを作ります」
「……わかった」
三人は結局その日のうちに魔王のところへ連れて行かれた。後から聞いた話では、降格の上、給与から損害額を全額返納することになったらしい。
ゲルが「すごいっすね……」と言った。「怒鳴りもしないのに、全部終わりましたね」
「怒鳴っても数字は変わらないので」
「でも村田さん、前から知ってたんじゃないですか。武器庫の人たちが飲み歩いてるって」
「聞いてましたよ」
「それで……」
「数字が証明してくれるまで待っただけです。俺の仕事は証拠を作ることじゃなくて、数字を正確にすることなので」
ゲルがしばらく俺を見た。
「村田さんって、怖いっすね。静かに待てるのが一番怖い」
◆◆◆
その後、武器庫の整理を進めた。
木製の棚を十台作ってもらって設置し、種類別・状態別に武器を並べ直した。使用可能なもの、修理すれば使えるもの、廃棄するもの、の三種類に分けて配置する。台帳も整備した。入庫・出庫があるたびに記録する欄を設けた。
錆びた剣は金属として商人に売却した。旧式の武器も同様だ。売却益は新しい剣の調達費用に充てた。廃棄コストがかかるより、少しでも資産に変える方がいい。
売却の交渉は思ったより手間取った。
「こんな錆びたもの、値がつかない」と商人は言った。
「三百本あります。まとめて引き取るなら運搬もこちらで手配します。一本あたり鉄の相場でどうですか」
「……それなら話は別だ」
まとめ買いの交渉は数字さえ出せばだいたい通る。前の会社で仕入れ担当と何度もやった交渉と、やることは変わらない。
整理が終わった武器庫を、ゲルが物珍しそうに眺めた。
「なんかすごくわかりやすくなりましたね。どこに何があるかひと目でわかる」
「当たり前のことをしただけです」
「この城で当たり前じゃなかったのが怖いっすけど……」
それはそうかもしれない。
夜、ダグルが俺の部屋を訪ねてきた。
「……一つ聞いていいか」
「はい」
「なぜ俺を追い詰めなかった。横領は、俺も知っていたはずだと思っただろう」
俺は少し考えた。正直に言えば、知っていた可能性はあると思っていた。三年間帳簿をつけていない組織で、部下の横領が上の人間に全くわからないというのは考えにくい。
でも。
「証拠がなかったので。それに俺の仕事は犯人を探すことじゃなくて、在庫を正しく管理することなので」
「……もし知っていたとしても、か」
ダグルが少し間を置いた。それから、珍しく自分から話し始めた。
「ボルドたちは、昔はよく働いた。十五年前の東方遠征では、三人で補給線を支え続けて魔王軍の勝利に貢献した。あの戦さで奴らがいなければ、俺たちは負けていたかもしれない。俺も何度も助けられた」
「……そうですか」
「戦がなくなってから、変わった。やることがなくなった。才能を持て余して、気がつけば城下で飲み歩くようになっていた。薄々おかしいとは思っていたが……昔の働きがあったからな。見て見ぬふりをしていた」
ダグルの声に、珍しく後悔のような色があった。
「それが間違いだったか」
「間違いかどうかは俺には判断できません。ただ、見て見ぬふりをした期間が長くなるほど、止めにくくなっていくのは確かです」
「……そうだな」
「数字が合って、仕組みが整えば、それで俺の仕事は終わりです」
ダグルはしばらく俺を見ていた。それから小さく「そうか」と言って立ち上がった。
「お前は変わった人間だな」
「よく言われます」
ダグルが部屋を出ていった。その背中に、どこか長年の荷物を下ろしたような軽さがあった。
翌日から、ダグルは俺に素直に協力するようになった。資料を頼むと早く出してくれるようになったし、他の幹部への根回しも手伝ってくれるようになった。
組織というのは不思議なものだ。怒鳴っても動かなかった人間が、数字と「俺の仕事はここまで」という一言で動くことがある。
翌朝、俺は訓練場に向かった。
ダグル、この後だんだん好きなキャラになっていきます。
▼次話
「兵士がなぜ弱いか、飯を見れば全部わかりました。」




