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第一話 召喚されたのに、配属先は厨房でした

 魔王陛下から直々に呼び出されたのは、異世界に来て三日目のことだった。


 「貴様が軍の士気を上げたと聞いた」


 「飯をまともにしただけです」


 「……それだけか」


 「それだけです」


 玉座に座る魔王は、しばらく俺を無言で見下ろしていた。身長二メートル超え、角あり、禍々しいオーラあり。どう見ても最終ボスだ。


 でも俺にはあんまり関係ない。


 俺のステータスは「固有スキル:なし」。配属先は「台所番(見習い)」。魔王軍で最も地位が低い職らしい。異世界に来て三日で魔王と直接面談することになるとは思っていなかったが、まあ、成り行きというやつだ。


 「余の軍の台所番が」と魔王はゆっくり言った。「たった三日で、余が十年かけて解決できなかった問題を片付けた。しかもコストまで下げながら」


 「在庫管理と工程の見直しをしただけですが」


 「……貴様は、自分が何をしたかわかっているのか」


 わかってない、と俺は正直に思った。


 ただ目の前の非効率を潰しただけだ。食品メーカーで十年やってきた、当たり前のことをしただけだ。


 魔王は立ち上がり、俺の前まで歩いてきた。


 「今日から軍の物資全般を任せる。食料だけでなく、武器、薬、輸送、すべてだ」


 「……急じゃないですか」


 「余が決めた」


 俺はため息をついた。


 なんか知らんけど、すごいことになってきた。


 ——三日前、俺は死んでいた。


◆◆◆


 死んだ、と思った。


 残業中に突然胸が痛くなって、そのままキーボードに突っ伏して——気がついたら石造りの広間の床に転がっていた。


 三十五歳、独身、食品メーカー勤務の村田誠一。趣味は特になし。特技は納期管理と言い訳を考えること。享年三十五歳。死因はおそらく過労。


 我ながらひどい人生だったと思う。


 「……貴様が召喚に巻き込まれた人間か」


 見上げると、角が生えた大柄な男が冷たい目でこちらを見下ろしていた。黒いローブ。禍々しいオーラ。どう見ても悪の組織の幹部だ。


 「はあ、まあ……そうみたいですね」


 状況はよくわからないが、異世界転生というやつだろう。


 「本来は勇者を召喚するはずだったのだが、術式の余波で貴様まで引き込んでしまったようだ。……まあいい。せっかくだから鑑定してやろう」


 幹部っぽい男が手をかざすと、俺の頭上に光のウィンドウが浮かんだ。


 村田誠一 35歳 人間族

 魔力:2 体力:11 敏捷:8

 固有スキル:なし

 適性職:台所番(見習い)


 しばらく沈黙があった。


 「……固有スキルなし、か」


 「そうみたいですね」


 「台所番とは、つまり料理人の下働きだ。魔王軍で最も地位が低い職だぞ」


 「まあ、わかりました」


 男は俺の反応のなさに少し面食らったようだった。たぶん泣いたり怒ったりすると思っていたのだろう。でも俺には今さら喚いても仕方ないという社会人的悟りがあった。理不尽な配属なんて、前の会社でさんざん経験済みだ。新卒で希望した営業職を無視されて倉庫管理に飛ばされたあの春から、俺の人生はずっとそういうものだった。


 「……連れていけ」


 兵士に連行されながら、俺は心の中でため息をついた。


 台所番か。まあ、悪くない。料理は嫌いじゃないし。


◆◆◆


 魔王城の厨房は、ひどかった。


 一言で言うなら「カオス」だ。食材は無造作に積まれ、鍋は煤だらけ、床には何かの染みが広がっている。そして厨房の中心に、その男がいた。


 グルバッシュ。料理長だと後から聞いた。


 体格はいい。身長は俺より頭一つ分高く、腕も太い。豚に似た顔のオークだが、その目は鋭かった。厨房全体を見渡しながら、下働きたちに次々と指示を飛ばしている。


 「おい、火が強すぎる! 何度言わせる!」


 「そっちの芋、全部腐ってるじゃないか! 捨てろ!」


 「新入り! ぼさっとすんな、芋剥け!」


 最後のは俺に向かって飛んできた。


 「はい」


 俺は渡された芋を黙々と剥き始めた。そして剥きながら、自然と観察を始めた。これも職業病みたいなものだ。食品会社の人間は現場を見ると、勝手に問題点をリストアップしてしまう。


 まず在庫管理がされていない。食材が「なんとなく」積んであるだけで、先入れ先出しの概念がない。奥の方に腐りかけの野菜が大量にある。


 次に工程が無駄だらけだ。同じ食材を別々の調理人が別々の場所でバラバラに処理している。まとめてやれば半分の時間で終わる。


 それから火加減の管理ができていない。強火でぐつぐつやっているせいで、外は焦げて中は生煮え状態だ。


 グルバッシュは怒鳴り方は激しいが、厨房全体を見る目は持っていた。ただその目が「問題を見つけて怒鳴る」ためだけに使われていて、「問題を根本から解決する」方向には向いていない。悪い料理長ではない。ただやり方が、ひどく非効率だった。


 そして極めつけに、飯がまずい。


 昼食の時間に配給された料理を一口食べて、俺は思わずスプーンを止めた。なんだこれ。塩辛いだけで旨みが何もない。肉は固く、野菜はぐずぐずに煮崩れている。スーパーで買った百円の即席スープの方がまだうまい。


 隣に座った小柄なゴブリンが、うんざりした顔でスプーンをつついていた。しばらくして、ぽつりとつぶやいた。


 「……まずいっすよね、やっぱり」


 「え、あ……まあ」


 ゴブリンが驚いた顔をした。独り言のつもりだったらしく、人間に返事をされるとは思っていなかったようだ。


 「俺、ゲルっていいます。新入りさんですよね?」


 「村田です。よろしく」


 「この飯、ずっとこうなんですよ。もう慣れましたけど、慣れたくなかったっすね」


 ゲルはため息をついて、それでも食べた。食べないと体が動かないから。それだけの理由で。


 俺はぼんやりとその様子を見ながら、一つのことを考えていた。


 これ、改善できるな。


◆◆◆


 翌朝、俺は一時間早く厨房に来た。


 グルバッシュはまだいない。下働きが数人、眠そうに準備を始めているだけだ。


 まず食材置き場を整理した。古い順に手前に並べ直す。腐りかけのものは別に分けて今日中に使えるか確認する。同じ種類の食材をまとめて置く。どこに何があるかわかるように簡単な目印をつける。


 次に玉ねぎ四十個の仕込み。近くにいた下働き二人を捕まえた。


 「え、なんで手伝うんですか」


 「一緒にやった方が三倍速いので」


 「……そうっすか」


 半信半疑だった二人が、実際に十分の一の時間で終わると分かると、だんだん乗り気になってきた。「次は何をやりますか」と聞いてくるようになった。当たり前だ。楽に終わる方法があるなら、誰だってそっちを選ぶ。


 そして昼食。


 グルバッシュが来る前に、俺はスープを一から作り直した。


 玉ねぎをじっくり炒めて甘みを引き出す。肉は最初に焼き目をつけて旨みを閉じ込める。火加減は弱火でじっくり。腐りかけで余っていたトマト系の果実を入れたら、酸味と旨みが加わって化けた。塩は最後に少しだけ。


 グルバッシュが出勤してきて、厨房の様子を見回した。整理された棚、効率よく動く下働きたち、そして鍋の中のスープ。


 「……何をした」


 「仕込みと段取りを変えました。スープも作り直しました」


 グルバッシュは鍋を覗き込んで、黙って一口すくった。


 何も言わなかった。ただ「続けろ」とだけ言って、自分の持ち場へ戻っていった。


 怒鳴られなかった。それが答えだと思った。


◆◆◆


 兵士たちに配給が始まった瞬間から、食堂の空気が変わった。


 最初の一口を食べた兵士が、スプーンを止めた。隣の兵士を見た。隣の兵士も止まっていた。


 「……なんだこれ」


 「うまい」


 「うまくないか?」


 「うまいだろ絶対」


 声がどんどん広がっていった。お代わりの列ができ始めた。食べ終わった後も、兵士たちがなんとなく食堂に残って話をしている。普段なら飯を掻き込んで即座に出ていく連中が、だ。


 「村田さん! これ村田さんが作ったんですか!?」


 ゲルが駆けてきた。


 「まあ、ちょっと工程変えただけですけど」


 「ちょっとじゃないですよ! お代わり三回しました!」


 「三回は食べすぎです」


 「いやでもうまいんで!」


 翌日も同じスープを出した。また行列ができた。三日目には食事の時間より前から並ぶ兵士が出始めた。


 変化は食堂だけではなかった。


 午後の訓練を見に行ったら、掛け声が大きくなっていた。動きにキレがある。同じ時間で同じ訓練をしているのに、消耗するペースが遅い。ゲルに聞いたら「なんか最近、訓練が楽しくなってきた気がするっす」と言っていた。


 飯がうまいと、こうも変わるものか。


 食事は単なる燃料じゃない。一日の中心だ。それがまともになっただけで、人間——いや、魔物も——の気持ちが変わる。前の会社の研修で聞いた話を思い出した。職場の満足度を上げる最も費用対効果の高い施策は、食堂の改善だという話。あれは本当だったらしい。


 グルバッシュがある夕方、俺の横に立った。


 「お前、前は何をしていた」


 「食品会社で働いていました」


 「……食べ物を作る会社か」


 「はい」


 グルバッシュはしばらく黙った。


 「俺は二十年、この厨房で働いている。お前に教わることがあるとは思わなかった」


 「俺もこんなところで料理することになるとは思ってませんでした」


 グルバッシュが短く笑った。初めて見る表情だった。


 「明日から、仕込みの段取りを変える。お前のやり方で」


 「ありがとうございます」


 グルバッシュは何も言わず厨房へ戻っていった。その背中は、最初に見た時よりどこか軽そうだった。


◆◆◆


 三日後、魔王に呼ばれた。


 「貴様が厨房を変えた者か」


 「村田誠一と申します。台所番(見習い)です」


 「余の軍の士気が、この三日で上がった。何をした」


 「ご飯をおいしくして、食材の廃棄を減らして、調達コストを下げました。食材費は昨日と今日の比較で七割程度に落ちています」


 魔王は無言で俺を見た。俺も無言で魔王を見た。


 「……それだけか」


 「それだけです」


 「コストを下げながら、士気を上げた」


 「結果的にそうなりました」


 魔王はゆっくりと玉座から立ち上がり、俺の前まで歩いてきた。その目が、俺を品定めするように細くなった。


 「面白い」


 「は」


 「今日から軍の物資全般を任せる。食料だけでなく、武器、薬、輸送、すべてだ。コストを下げながら、強くする。貴様ならできるだろう」


 「……急じゃないですか」


 「余が決めた。明日から始めろ」


 俺は一瞬呆然とした。


 物資全般。武器。薬。輸送。それって要するに、軍全体のサプライチェーン管理じゃないか。前の会社でやってたやつじゃないか。


 「……わかりました。やります」


 気がついたら答えていた。「やります」と言う前に考える習慣が、社畜時代についぞ身につかなかったのだ。


 魔王は満足そうにうなずいた。


 「期待しているぞ、台所番」


 「台所番はもう卒業した気がしますが」


 「ではなんと呼べばいい」


 「村田で結構です」


 俺は広間を出ながら、深いため息をついた。


 なんか知らんけど、すごいことになってきた。


 翌朝、ダグルに連れられて、俺は武器庫の前に立っていた。

読んでいただきありがとうございます。


固有スキルなし・台所番からのスタートです。

魔法も武力も使わず、社畜の知識だけで魔王国を変えていく話を書いています。


▼次話

「帳簿の最後の記入日が、三年前だった。」

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