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第31話:妖怪の使い道

一九八一年(昭和五十六年)十一月下旬。


冬の寒さが本番を迎えようとする中、永田町の空洞化は致命的なレベルに達していた。


原発の強権的な停止、産業への合法的なサボタージュ、そして自由市場への介入。


国を維持するための「劇薬」が次々と投下された結果、世論の不安と怒りは沸点に達しようとしていた。


「総理も、官房長官も、表に出られる状態ではありません」


総理府・地下の小会議室で、女性秘書の相沢が石本茂に報告した。


現役の閣僚の半数以上が病床にあるか、機能不全に陥っている。このままでは、国民に「痛みを強いる政策」を説明し、野党をねじ伏せる政治の「顔」が足りない。


実務(代行ライン)は、彼女たち女性官僚が完璧に回している。


だが、国民を納得させ、反対勢力を黙らせる「政治的な腕力(権威)」が、今の彼女たちには圧倒的に欠けていた。


「……仕方ないわね」


石本は、手元の裏紙にペンで線を一本引き、低く言った。


「奥の院から、『昭和の妖怪』を引きずり出すわよ」


翌日。総理大臣官邸の裏口に、黒塗りのセンチュリーが滑り込んだ。


降りてきたのは、八十代半ばの小柄な老人だった。


かつて総理大臣を務め、戦前・戦中・戦後の焼け野原を強権で生き抜いてきた、政界のフィクサー。


普段なら、数十人の屈強な男性秘書を連れて歩くはずだが、今日、彼の脇を固めているのは、初老の運転手と女性の看護師だけだった。


手足となる若手を失い、杖をついて歩くその姿は、物理的にはひどく脆く見える。


だが、応接室のソファに深く沈み込んだその老人の眼光だけは、獲物を狙う肉食獣のように爛々と輝いていた。


「……それで? 現役の青二才どもが全滅しかかっているから、ワシら老骨に助けを乞いたいと?」


しわがれた声が、冷房の効いた部屋の空気をビリリと震わせる。


向かいに座った石本は、背筋を伸ばし、一片の感情も交えずに答えた。


「助けではありません。役割分担です」


「私たちが作った『国家継続』の絵図面を、国民に飲ませるための盾(神輿)になっていただきたいのです」


石本は、小坂や佐々木たちが作り上げたトリアージのリストを、老人の前に滑らせた。


老人は老眼鏡をかけ、無言で書類に目を通した。


数分後、喉の奥で「ククッ」という乾いた音が鳴った。


「……女の浅知恵にしては、よくできている。すべてを救おうとすれば全員が死ぬ。ならば手足を切り落としてでも、心臓と胃袋だけを動かす。戦中のワシらのやり方によく似ておるわ」


「私たちは、あなた方のように無謀な戦争を引き起こすためにこれを作ったのではありません。国を生き延びらせるためです」


石本が冷たく刺し返すと、老人はニヤリと笑った。


「同じことだ。だが、この血も涙もない切り捨てを公にすれば、国民は暴動を起こすぞ。野党も黙っちゃおらん」


「だからこそ、あなた方『長老』の腕力が必要なのです」


石本は、老人の目を真っ直ぐに見据えた。


「特例で総理代行の肩書きを用意します。記者会見で国民を威圧し、裏で反対派を黙らせる。泥をかぶり、政治的責任をすべて背負っていただく。……焼け野原を生き抜いたあなた方なら、それくらい造作もないでしょう?」


老人は杖の頭を両手で包み込むように握り、深く頷いた。


「よかろう。手足がないなら、ワシら老骨が最後まで泥を被ってやる。この国の舵取り、最後に一働きしてやろうじゃないか」


石本は表面上だけ恭しく頭を下げた。


だが、その胸の奥では、冷酷な警戒のアラームが鳴り響いていた。


(……この老人たちに、二度と国の実権は握らせない)


かつて、彼らの暴走によって国が焦土と化した歴史を、石本は肌で知っている。


だからこそ、彼女は事前に強固な「セーフティー(安全装置)」を敷いていた。


老人が表舞台でどれだけ吠えようと、彼らにはそれを実行するための「手足」がもう存在しない。


予算を握っているのは大蔵の佐々木。


産業を操作しているのは通産の小坂。


情報と連絡網はすべて女性官僚の代行ラインが掌握している。


老人たちを神輿として担ぎ上げるが、その縄を握っているのは裏方の女たちだ。


万が一、老人が暴走しても、その命令を下へ通達するパイプは物理的に切断されている。


「……よろしくお願いいたします、先生」


石本は、猛獣を檻に入れたまま利用するような緊張感を腹の底に隠し、深く頭を下げた。


こうして、表に「老人」、裏に「女」という、いびつで強靭な権力の共治体制が完成した。


神輿は、古くて重いほうがいい。すべては、この冷酷な冬を生き延びるためだった。

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