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甘美な毒殺

 月光が冷たく差し込む調薬室は、王宮の中で神聖で、忌まわしい「聖域」と化していた。

 室内に満ちているのは、薬草の苦い香りと、鼻腔を刺す刺激臭。

 かつて、国を救うために薬を調合していたリリアーヌだが、今は「いかにして美しく、残酷に人を壊すか」という一点のみに捧げられていた。


 リリアーヌは、大理石の作業台に広げた古い羊皮紙をなぞる。

 そこには禁忌の処方箋が書かれていた。かつては正視することすら憚られたその記述も、今では親しみ深い。

 リリアーヌの瞳には、かつての慈悲深い輝きはなく、ただ深淵を覗き込むような静かな闇が広がっていた。


 「……リリアーヌ様、お茶をお持ちしました」


 背後で震える声。かつての親友であり、裏切った女――マリアの面影を色濃く残す侍女ミアだ。

 彼女の指先は、銀のトレイの上でカタカタと不快な音を立てている。

 リリアーヌは振り返らず、ただ口元に艶やかな微笑を浮かべた。


 「ありがとう、ミア。……ねえ、そのお茶、『10秒』以上かけたかしら?」


 リリアーヌの問いに、ミアの息が止まる。その短い沈黙、わずかに乱れた呼気。


 リリアーヌはゆっくりと椅子を回し、立ち上がってミアに歩み寄る。彼女の首元では、カイルの魔力が宿る紅い石が、獲物を狙う獣の眼のように怪しく、不気味に明滅していた。


 「……っ、はい。リリアーヌ様のお好みに合うよう、丁寧に……温度にも気を配りまして……」


 「そう。丁寧なのは良いことだわ。私のために、それほど心を砕いてくれるなんて、本当に貴女は『素晴らしい親友』ね」


 リリアーヌはミアの手から茶を受け取り、その香りを深く吸い込む。

 銀百合の蜜が放つ甘美な香りの底に、わずかに混じる金属質の苦味。

 リリアーヌはそれを躊躇なく、一気に飲み干した。


 一秒、二秒。

 内臓が焼けるような熱さが広がる。リリアーヌはわざとらしく、手にした茶碗を床に叩きつけた。

 陶器が砕け散る乾いた音と同時に、彼女はその場に膝をつき、崩れ落ちる。


 「あ……、ああ……! ミア、貴女……何を……!」


 喉を掻きむしり、悶えるフリをする。

 視界の端で、ミアの顔にかすかな快感が浮かぶのを見逃さなかった。

(そう、それでいい。その傲慢さが欲しかったのよ)


 「リリアーヌ!!」


 その瞬間、扉が轟音と共に蹴破られた。

 王宮の重厚な装飾が粉々に吹き飛び、現れたのはカイルだった。

 カイルは倒れ伏すリリアーヌを骨が軋むほどの強さで抱き上げた。


 「リリアーヌ! しっかりしろ! 私だ、カイルだ!」


 カイルの瞳は見たこともないほどに血走り、周囲の空気が一気に氷点下へと叩き落とされた。

 彼の凄まじい魔力に呼応し、室内のあらゆる水分が鋭い氷の刃となって顕現した。その刃先は、恐怖に腰を抜かしたミアの喉元を、寸分違わず捉えている。


 「貴様……私のリリアーヌに何をした……!!」


 カイルの咆哮が調薬室の壁を震わせ、窓ガラスに亀裂を入れる。

 その圧倒的な殺意に、ミアは声も出せず、恐怖のあまり腰を抜かして床に這いつくばった。


 「……待って、カイル様。殺しては……なりません」


 リリアーヌは薄らと目を開け、カイルのマントを、弱々しく掴んだ。

 カイルがハッとして彼女を見つめる。

 リリアーヌは彼の腕の中で、微笑みながら、次第に「クスクスクス」と笑い始めた。


 「この子は、私の大切な……おもちゃ、なのですから。簡単に壊してしまっては、つまらないでしょう?」


 カイルはその瞳に自分と同じ「狂気」が宿っていることに気づいた。

 そして彼は喉の奥から地を這うような低い、悦びに満ちた笑い声を上げた。


 「……ククク、ハハハハ! そうか。君をただの被害者だと思った私を許してくれ。

  ……おい、ミア。死ぬよりも惨い、永遠の生を与えてやろう」


 カイルが指先をわずかに動かすと、氷の刃がミアの四肢を浅く裂き、そのまま床へと縫い付けた。

 冷気が肉を焼き、絶叫すら凍りつかせる。逃げ場を完全に奪われたミアを見下ろしながら、リリアーヌはカイルの腕の中で、愛おしそうに彼の頬を撫でた。


 「カイル様。この子の精神を、私の毒で少しずつ解かして差し上げますわ。前世で私を裏切った彼女と同じように、けれど死だけは決して与えずに。……貴方の狂気を、もっと近くで、特等席で眺めるための……鏡にするために」


 「いいだろう。私の魔力も、私の軍勢も、私の国も、すべて君の復讐の道具だ。君が望むなら、この女の魂を毎日千切り取って、君の薬の材料にしても構わない」


 カイルはリリアーヌを抱きしめたまま、彼女の首元にあるネックレスを愛おしそうに指でなぞった。

 紅い石は、二人の高揚した鼓動に呼応し、まるで呼吸をするように激しく脈動している。


 窓の外では、雪が降り始めていた。

 二人の影は、青白い月の光に照らされて巨大な蜘蛛が獲物を包み込むように重なり合っていく。

 そして、「最凶の共犯者」としての契約が、結ばれた瞬間だった。


 「さあ、カイル様。お茶を淹れ直しましょう。今度は、この子の悲鳴を隠し味にして」


 リリアーヌの甘い囁きに、カイルは深く、歪んだ口づけで応えた。

 絶望から始まった二度目の人生は、世界を蝕む、最も甘美で凄惨な物語へと変貌を遂げたのだった。

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